僕は、道ですれ違った人を見て、一目でその人が中国人かどうか分かってしまう。中国でも日本人同士は、互いにわかるらしい。それは、電話をしながらお辞儀をするとか、そういうことではなくて、何となく異邦人の気を発しているからではないかと思う。
人は、故郷を離れて遠い地にいると、いつしか自分の周囲に透明な緊張感を張り巡らして暮らしているものだ。彼の瞳には、隠しても隠し切れない郷愁が漂っている。如何にその国で流行っているファッションで身を固めていても、黙って歩くその姿を見ただけで、彼が異邦人であることはわかるのだ。
彼がどれほど長い時間、その異国の地を踏みしめていても、彼はその空間には属していない。彼が属しているのは、故郷の大地であり、その大地の上に広がる蒼穹であるに違いない。
海外での生活が長くなり、やがて彼の心に残っている故郷の残像が薄れ、復元できないほどに遠くなっても、彼はそれでも故郷の大地から切り離されることはない。とは言え故郷に心の平静を求めようとしても、心は音を立てて乱れ、嵐の吹き荒れた海に翻弄される小舟のようだ。異国にいる限り、そこは永遠に異国であり続け、定住したつもりでも、結局のところ、異国の土地を彷徨いつづけていることに変りはない。
彼が異邦人の語学教師であるなら、事情はもっと複雑になる。普段の仕事を通じて、故郷の色を主張し、故郷のスタイルで伝えようと奮闘していながら、日本的なものを意識的にも、また無意識的にも吸収し、その色に染まっていってしまう。「入郷随俗」の呪縛から逃れられず、また自分でも訳がわからない日本に対する一種の親近感がそうさせるのかもしれない。そのうち、自分の国籍には無頓着になるだろう。
しかし、身にまとわりつく故郷の大地の気と、異国の突風とが相克する中で、時折自分のアイデンティティがどこにあるのか無性に悩む。中国的発想で日本語で話しているせいだろうか、予想もしないメッセージを我知らず伝えてしまうこともあった。日本人のように頻繁に相槌を打つことなく話を聞いていたために、相手を不愉快にさせたり、ちょっと逡巡して見せただけで拒絶というメッセージを伝えていたようである。後で気づいて、言い表せない無力感、分かり合えない焦燥感を覚えてしまう時もある。故郷からは中途半端に切り離され、異国の地でもうまく根づかない不思議な寂しさ、ぎこちなさを抱えてしまうことがある。
そんなある日のことだった。
偶然、馬頭琴の演奏を聞く機会に巡りあった。それは内モンゴルから来た留学生の演奏だった。その音色には人の心を無にするものと、人の思いをかき立てるもの、その排反する力があり、その二つを矛盾なく感じさせるような不思議なものが潜められていた。果てしない宇宙と一体化した感動に心を打たれると同時に、また、自分というちっぽけな存在を意識から解き放つことができる爽快感を感じられた。馬頭琴から流れてくるメロディーのリズムに心の律動が響きあい、自分の心が奏でている錯覚さえ感じられて、大きな一体感に包まれた。
いつしか、馬頭琴の音は、地平線に囲まれた緑の草原を撫でるように吹き渡る微風の囁きとなり、真っ白な子羊がジャンプした小川のせせらぎとなり、存分に走りまわる駿馬の蹄を追う土煙りの歓声となった。素朴で人懐こい奏者の表情も視野から消え、目の前にはどんな名作よりも人を魅了する一幅の風景画が広がっていった。足の裏は大地の呼吸を感じとり、雲間から差し込んできた太陽の温もりに包まれるようだった。
奏者は「賽音」という名だった。名前の通り、単なる音楽を超えた素晴らしい演奏だった。彼には内モンゴルの大草原を背に演奏させたら、多分また違った感動を与えてくれるだろうが、しかし、この東瀛に滞在する異邦人の馬頭琴から流れたメロディーは涙を禁じえない郷愁が溢れている。彼の音楽の前に言葉は如何にも無力で、その限界をしみじみと認識させられた。演奏が始まると同時に、全ての考えを停止させた音色は、今度はいろいろな思いを脳裏に駆け巡らせる力となった。
「音楽は一切の哲学より更に高い啓示である。」という言葉があるが、演奏が終わり、馬の頭の形をしている楽器は大きな疑問符「?」となり、何かを問いかけていたようだ。
家に帰り、さっそく彼のCDを取り出した。それをCDプレーヤーに入れて、ベランダであまり暗くない星空の西のほうを眺めながら、何回も聴いた。
その晩、こんな夢を見た。天津の実家のベランダで藤椅子に坐り、家族で月餅を食べながら、中秋の名月を愛でていた。ふと下を見ると、なぜか大草原が果てしなく広がり、そこにパオがぽつりぽつりと点在している。ポオの上には月の光が妖艶に輝いていた。
今年は九月十一日が中秋節である。