後 楽

 十月一日、国慶節。

 二人の同僚の先生と後楽園会館のレストランで食事をした。窓に近いテーブルに坐り、京都の龍安寺の石庭を彷彿とさせる中庭を眺めながら、ゆっくりと昼食をとった。学校に戻る途中、後楽園に寄った。その日は「都民の日」でもあって、入園無料だった。


 二年前、高校の先生と一緒に教材を作っていた。その編集作業の後、後楽園で昼食をとったことがあった。その時、見た一メートル近い大きな鯉が非常に印象に残っていたので、その池の主に会いに行きたかったのだ。

 後楽園は、普段より幾分人が多かったが、静寂を乱すほどの騒がしさはなかった。入り口を入ると、左に小さな橋が見えた。人々はよくそこで入り口で買った餌の麩を鯉にやっている。橋から下をのぞいたが、鯉の大群は見えず、ちょっとがっかりした。

 その時、奇妙な音が聞こえた。「あそこで鯉に餌をやっているよ」と同僚が言うので、我々は音のする方に向った。橋を降り、左に曲がると、小径が見え、その先には池につづく石の階段がある。その階段には一人の老婦人がレジャーシートを敷いて坐っていた。手で食パンを千切り、惜しげもなく池の中に投げている。あの奇妙な音は、群をなした魚が口をパクパクさせ、餌をねだる音だったのだ。

 「やりますか」と老婦人は食パンを三枚差し出して言った。思いがけない事だったので、一瞬戸惑ったが、三人とも「宜しいですか」と言いながら、手はパンのほうへと伸びていた。どこでも売っているような食パンだったが、手にした時、その生地の細やかさ、柔らかさ、そして、ふうわりとした暖かさが手から体の中に伝わった。

 老婦人と四人で餌をやっていると、遠くですました顔をしていた鴨まで近寄ってきた。空中キャッチの技を披露するやつも現れ、静かな池の一角は賑わいを見せた。一匹の大きな鯉が現れたが、どうも前に見たものではなかったようだ。他の鯉と争うこともなく、落ちてきた餌を悠々と口に収めている。横取りされても少しも怒る素振りもなく、平然と泳いでいる。老婦人は餌をやりながら、浜離宮の鯉は芝生まで上って餌を食べるとか、どこどこの鯉は手から餌を食べる、などと淡々と語った。その語り口調は、まさに「如数家珍」のようで、少しの焦りも、嫌らしさも驕りもなく、鳥の鳴き声、池の漣の音、枝葉の囁きと共鳴して、心がほどけるような柔らかい声だった。老婦人の姿は、庭園の景色に溶け込み、大自然の一部であるかのように調和していた。その目は慈愛の満ちた輝きが宿り、奈良の唐招提寺で見た仏像の瞳のようだった。その瞳に見守られていると、橋の上で手を叩いたり、足で地面を踏み鳴らしたりして、魚を呼び集めていた自分の行為が恥ずかしく思えてきた。

 食パンがなくなるまで、しばらく魚と戯れた。そして、老婦人に何度もお礼を言って、後楽園を後にした。帰り道、三人は口を揃えて「今日はあのおばあちゃんに会えて、本当にいい日だった。」と言いあった。あのおばあちゃんを思いながら、ふとある台湾作家のエッセイの言葉が脳裏に思い浮かんだ。「日日是好日就是青春。」

 次の日、また後楽園の門をくぐった。もしかしたら、またあのおばあちゃんに会えるかもしれないと思っていたからだった。

 その階段には誰の姿もなかった。しかし、そこに行った途端、手には昨日のパンの暖かさ、柔らかさが思い出され、何とも言えない心地よさを覚えて、おばあちゃんに会えたような気がした。

 池のそばに幾つかのベンチが並んでいる。浮き島とあの階段の見えるところに腰を下ろした。池は、昨日と同じように静かで、何羽かの鴨が優雅に泳いでいる。彼岸花が程よいバランスで池の畔にところどころ顔を出し、白鷺が浮き島の木の上で休んでいる。一幅ののどかな秋の風景画が目の前に広がっているが、ただおばあちゃんがいないのが残念に思えてならない。あのおばあちゃんは、きっと今頃、どこかの公園で鯉に餌をやりながら、本当の「後楽」を楽しんでいるに違いない。

 突然、右の方から大きな悲鳴が聞こえた。後楽園遊園地の最新ジェットコースターを楽しんでいる若い「先楽客」たちがその音源だった。「先憂後楽」を心に刻み建てられた庭園は、今では東京ドーム、シビック・ホール、これから建つビルを作るクレーンが借景となってしまったが、ここに生き続け、見守ってきた木々は秋風に揺られて、赤く染まっていくのだろう。

浮き島には大きな木が茂っており、池には夕暮れに近づいた柔らかい陽射しが反射し、古い幹に映っている。風に奏でられ、ゆらゆらと木に映されているさざなみは、老木の思い出話を語っているようだった。

昨日の魚は、池のどこかでのんびり泳いでいることだろう。「子非魚安知魚之楽」という言葉があるが、私が魚なら昨日は楽しかったと言うに違いない。


補足:
 後楽園は、池を中心にした「回遊式泉水庭園」となっており、随所に中国の名所の名前をつけた景観を配し、中国趣味豊かな庭園である。
 その名は、『岳陽楼記』の「先天下之憂而憂,後天下之楽而楽。(天下の憂に先だって憂い、天下の楽に後れて楽しむ)」から名づけられた。
 紅葉の見頃は11月下旬〜12月上旬。「霜葉紅于二月花」と思わず口ずさみたくなるほど素晴らしい眺めは一見の価値あり。

開園時間 :9:00〜17:00(ただし入園受付は16:30まで)
休園日  :年末年始(12/29〜1/3)
入園料  :一般:300円 65歳以上:150円 団体:240円
 
     2割引き券:4800円(20枚つづり)

補足の補足:
 「霜葉紅于二月花」は、この季節になると中国人なら誰でも思い出す唐詩の一句である。

山 行
遠上寒山石径斜
白雲生処有人家
停車坐愛楓林晩
霜葉紅二月花


秋山の遠き彼方へ一筋の小道に沿ひて深く踏みゆく

見上げれば漂ふ雲に見え隠れ山の彼方に茅葺の家

眺めつつ帰り忘れて吾一人夕日に染まり楓林の紅

春頃の咲き乱れゐる花よりもなほ美しき霜の楓葉