花 生
麻屋子,紅帳子,里面住着个白胖子
ある日、近所の年上の子が僕にナゾナゾを出した。僕はその答えを知りたかったわけではない。だたその軽快なリズムが気に入ったので、よく聞こえない振りをして、そのなぞなぞをもう一度言わせた。その心地良い響きから、その答えもきっと気持ちのいいものだろうと思った。その子は、こんなことも知らないのかと言わんばかりの表情で、得意げにその答えである植物を出した。
それは『広辞苑』(p.2494)によると、「マメ科の一年生作物。ボリビア原産。世界中に広く栽培され、マメ類ではダイズに次ぐ。インドと中国に多い。日本には十八世紀初め、中国から渡来した。匍匐性と立性とがある。開花、受精後、子房の柄が長く下に伸び、地下に入って、繭の形の莢果を結ぶ。種子は脂肪に富んで、食用にし、また、油を採る。」とあるものだ。ここまで書くと種明かししなければならないだろう。そう、落花生だ。
外はぶつぶつ、ざらざらだが、中にある渋皮は初々しい。丸みを帯びたその中身は、いかにもうまそうだ。最後の一粒までやめられそうにない。食事に招待された時は、料理を少し残したほうがいいとわかっていても、ピーナッツは別だ。
落花生と言っても、今は、パックに入っているものから、市場の露店で量り売りの殻着きもの、渋皮がついているもの、味付けしてあるものまで様々ある。
「売花生了!(落花生がきたぞ!)」(と下に住んでいる子の弾んだ声が聞こえた。僕もおばあちゃんに早く「副食本(配給手帳)」を出してくれるよう催促した。おばあちゃんは呆れた顔で僕に「副食本」を渡した。僕はそれをもらうや否や、百メートルスタートダッシュの勢いで、三階から下へ走る。一階に着くと又同じスピードで階段を二段飛びで駆け上った。お金をもらうのを忘れたからだ。
おばあちゃんの買い物の指令に僕がいつも従うわけではなかった。それで、おばあちゃんは近所の子、「小二」「小禿子」に駄賃をあげて、買い物係にしていたのだが、落花生となると僕は一回も任務を怠ったことはない。むしろ、自ら進んでそのきつい任務につき、その執行のためには命をかけるくらいの覚悟があった。再び一階に着いた時、さっき叫んでいた子の姿はもちろん無い。何人かの小朋友と百メートルの終点である小さな八百屋に向かって、ダッシュ。そういえば、僕は小学校から大学まで学校の百メートルの選手だった。今考えると、競争本能の他に、ピーナッツに対する異常な執着も僕の足を速くするのに一役買っていたのかもしれない。
僕の目指したゴールにはもう長い列ができていた。さっき叫んでいた子は列の真中あたりで小さな体を張り、確保した場所をしっかり守っていた。彼は「副食本」も持っていないし、買い物篭も持っていない。彼はピーナッツ獲得先頭部隊だった。店員は得意げに馬車からピーナッツの麻袋を下ろしている。ピーナッツ情報は事前に漏れていたようだ。早くも列を作っている人がいる。すぐにでも代金を払えるという体勢で並んでいるおばさんが憎らしかった。今は情報社会云々と言われているが、しかし、僕はピーナッツのことで、その大切さはとうの昔に知っていたのだ。ピーナッツを乗せる馬車は何らかの拍子で来られなくなることがしばしばあった。千載一隅のチャンスを逃すと来年まで食べられなくなる、ということも僕は体験から学び取った。
しばらくして列が少し乱れ始めた。一人の店員が「副食本」にハンコを押し、もう一人の店員が秤にピーナッツを乗せようとした時だった。すると、前の方に立っていた男の人が大声で「排好隊!(ちゃんと並べ!)」と叫びながら、列の整理を自主的にし始めた。去年ピーナッツを買った時、大変な騒ぎになり、大混乱の末、店員が完全にキレて、死刑を宣告するような口調で「不売了!(もうおしまいだ!)」と叫ぶと、販売中止になってしまったことがあった。そのため、その男の人は、何ヶ月も子供と奥さんに頭が上がらなかったそうだ。彼はその苦い経験を味わっていたから、自主的に列を整えようとしたのだろう。前に並んでいる人々は今回の馬車に積んである麻袋の量を計算し、多分全員に行きわたるだろうとふんでいたようだった。列は蠕動しても形は崩れなかった。「別挟三!(割り込むな!)」怒鳴るような声がした。先に叫んでいた子の親が子に「副食本」と買い物籠を渡そうとした時だった。ずるしたと思われたからだった。「この子は俺の子だよ。ちゃんと並んでいたよ。」と弁解したので、辛うじて許された。その家の連携プレーは素晴らしかった。
列の先端は小さな売店に吸い込まれていく。買った人は鬼の首でも取ったかのように満面の笑みを浮かべながら、八百屋から出てきたものだ。
ようやく僕が入る番になり、店に入ると、中は薄暗く、ピーナツだけが光っているように見えた。何故か麻袋が二箇所に置いてある。ドキドキしながら「副食本」を出したが、店員はハンコを押しながら、売っている仲間に「五口(5人分)」と言った。ピーナッツは1人当たり半斤や一斤というように配給されていた。時々単位が違うので、家族の頭数を言ったほうが分かりやすいらしかった。店員は秤を見て、一握り分減らした。僕は今年のピーナッツを手にして、喜びを噛締めながら、外に出た。列の長さはさっきより少し長くなったような気がした。後ろのほうにいた知りあいのおばさんに「まだあるか」と聞かれて、「あるよ」と答えた。列の後ろの方はざわざわしていて、火山噴火の前兆のようだった。僕はおばあちゃんを早く安心させようと家路を急いだ。
春節まであと一週間。どの家もこの年に一回のイベントに備えて、準備に余念がない。窓の隙間を埋めるために貼ってある紙を剥がすのは大仕事だ。北風はどんな小さな隙間も通ってしまうが、人間には敵わない。燃費のよくないストーブではやはり冬はつらいので、新聞紙を細長く切り、風が入らないように遮断する。ところで、この新聞紙を選ぶときには、細心の注意を払わなければならない。「最高指示(毛沢東の言葉)」や「標準像(肖像画)」をうっかり張ってしまうと、公安局の監房で冬を過ごすという有り難くない特典が付きかねない。この仕事は結構面倒だ。去年貼った紙の切れ端は、窓にへばり付き、風という敵の侵入を防いだ戦士の誇りを誇示するかのように、なかなか取れない。最後に一かけらのペンキの破片を道連れにやっと窓から離れ、僕は一冬ずっと締め切っていた窓を開けた。春の息吹を感じさせる空気が一気に部屋に流れ込むと、壁にかけてある「領袖像」は少し傾いてしまった。僕はそれを素早くもとの位置に直した。領袖が社会を斜めに眺めていたとしても、別に何ということもないが、首を傾けて世の中を眺めている領袖の姿を誰かに見られたくなかったからだ。少なくとも無神論者に仕立てられた我々にとって領袖はいつも正しくなければならない。
新年が近づくと、ピーナッツのことが頭から離れない。去年、炒り方が上手くなかったため、物物交換の時、大分損をしたので、今年こそ、この前教わったやり方で上手くやりたいと思っていた。
人間が十人十色であるように、家によってピーナッツの味も様々だ。砂で炒ると熱が均等にいきわたるので、早々に砂を用意した家、また、大粒の塩でいると味もいいし、ふんわりとした香りがするので、大粒の塩で炒る家もある。そして、火加減や時間の長さは微妙に違うので、できたものは本当に千差万別だ。
僕らは自家製のピーナッツをポケットに入れ、大事に食べていたが、他の子と交換したりもした。その時も市場原理はちゃんと機能していた。できの良し悪しによってレートが違っていた。そして、新聞や何かの報道で「賄賂」という文字を見ると、僕は今でも、真っ先にピーナッツをリーダーに上納し、戦争ごっこの位が異常に昇進した子のことを思い出す。
どういうわけか、他の家のピーナッツはひどく美味しく感じられた。自分の家は作り方があまりうまくないから、人の家のはこんなに美味しいんだと思っていた。しばらく前にクラス会があり、ピーナッツ話に花が咲いたのだが、皆も僕と同じような考え方をもっていたことがわかった。もちろん、いま自慢しても何も変わらないし、それぞれ大人の自制心というものを持っているからだろうが、お正月と一緒にやってくるピーナッツはそれぞれの親の愛で味付けられていたので、我々子供達にはいかにも美味しそうに見えたに違いない。