沖縄旅日記
ガラス越しの海中の美しさに、僕らは言葉も出なかった。琉球ガラスのように耀く魚の群れが、海底を散策していた。うにの刺は思ったよりもしなやかで、ヒトデは砂地に大の字になって休んでいた。
やがてボートが沖へ進むにつれて、海底の谷が見えてきた。吸い込まれそうな青の谷は、春風が香る田園の風景のようにも見えた。一瞬、自分も魚のような気がして、心が透明になっていくような気がした。
突然、ボートの外で騒がしい音がした。船頭のあげた餌をわれ先に争って食べる魚の群れが発したものだった。ガラスボートが来ると、ちゃんと集まるように餌付けしているらしい。青い田園風景は、色とりどりの魚であふれ、ガラスのような静けさは砕けて消えた。
船内をふと見ると、船底は棺桶のような形をしていた。僕らは膨大な水の上に、こんなに薄い船板一枚を隔てて、乗っている。もし嵐が来て沈んでしまったら、このボートは僕らの棺おけになってしまうのだろうか。
すると、弱気になった僕らの心中を見透かすように、ボートが猛スピードで海岸に向かって走り始めた。まるで海から脱出する勢いだった。もう美しい魚の姿はなく、海底には、荒涼とした砂と、白骨化した珊瑚が広がっていた。
ボートで案内をしてくれた人は淡々と仕事をすませ、僕らはお礼を言って別れた。美しい魚、深い谷、珊瑚の林、豊かな海の風景は、静かな波音に包まれ、僕らの前から姿を隠した。
僕らはしばらく砂浜にいた。波の音は、一昨日の夜見たばかりの琉球舞踊を思い起こさせる。涼しい海風の吹く夕暮れに、砂浜であの踊りを踊ったら、きっと波の音がいい伴奏をしてくれるに違いない。
砂浜は、白く美しかった。珊瑚の残骸や貝殻が散りばめられているのだ。犬が一匹、僕らをじっと見つめていた。後ろの岩がちょうど口を開いて何か話そうとしている人の顔のようで、なんだか楽しかった。
海岸を離れ、マイクロバスに乗り込むと、空が明るく晴れてきた。もう少し海にいて、この強い太陽の光を待ったら、もっときれいな海の写真が撮れるのにとも思う一方で、あの美しさをレンズ越しに切り取っても仕方がないという感じがして、やはり撮らなくてよかったようにも思う。「琉球のガラスの如き平和かな」という一文が頭に浮かんだ。
旅日記その二
前号の学院報に「手機短語」を書いてみたが、もっと短いものにチャレンジしてみようと思う。
旧海軍司令部壕
あらためて人と生まれし甲斐あるか考えさせられ塹壕深かし
(「大君の御はたのもとにししてこそ人と生まれし甲斐ぞありけり」という司令官の辞世の歌を読んだが…)
大砲の怒涛を聞きて塹壕で思索に耽る真善美かな
(司令官の手記には「真善美」という言葉があったが、短歌を詠んでいる軍人は、その時、どんな気持ちで米軍と戦ったのだろうか。)
塹壕が左へ右へ曲がりけり暗き明るき平和への道
(塹壕の入り口には、千羽鶴がかかっていたが、地下道を降りていくに連れ、寒気がしてきた。そう言えば、出口には千羽鶴がなかったようだ。)
ひめゆり記念館内
壁一面不戦の誓い刻まれて希望に満ちた少女らの瞳
(少女の写真が壁一面にかかっており、その輝いた瞳が私たちに勇気と希望を与えている。)
南風原で教師の卵夢託す不戦の誓いと平和の祈り
(同じ師範学校出身のT先生がひめゆりを見学した時、誰かに引っ張られたような気がしたと言った。)
ひめゆり塔
南風原の怖くて暗き塹壕で夢見し姫は靖国で泣く
(少女たちは靖国に祀られていると書かれている。Y先生に「原因を表す「で」で、それとも場所の「で」ですか」と聞かれて、ここでは両方に解釈できるのではないか思い、はっとした。)
辛くても尚夢見つつひめゆりは歌と笑いと共に去りたり
(少女らの夢が粉粉に砕かれたあの時代にも歌と笑いがあった。人間の強さ、健気さをいつまでも持ち続けたい。)
戦死者墓地
林立の石碑静かに叫びつつ水で流せぬ戦の禊
(戦死者墓地の中にある円形の彫刻は、絶えず水が流れている作りになっている。すべてを水で流そうという意味が含まれていると解説されたが…)
糖キビ畑
米軍の戦車大砲見ぬ振りし咲き乱れゐる砂糖キビの花
(「沖縄が基地の中にあるのか、基地が沖縄の中にあるのか分からない。」とバスガイドが何回も口にしたため、砂糖キビ畑の横にある米軍の装甲車などが余計目に付いた。)
補足:「短語」に自分なりの解釈・説明をつけてみたが、所詮、「世間万事は解釈次第」で、この解釈は、その時、その場で感じたことで、「今」の解釈に過ぎなかったことを断っておきたい。