先日、朗読大会があった。その準備で学生が静かに朗読した「散歩最楽」(羅蘭作)の一節を聞いて、何故か胸にこみ上げるものがあった。以前からその文章が好きで勧めた経緯があったにも関わらず、なぜそれに「独有鐘情」だったのか、どうも腑に落ちない。なぜこんなに引掛かるのだろう。
家に帰ってから、ふと人民大学で撮った写真が目に入った。そうだ、これだ。小さい時、散歩道に街路樹がいっぱい植えてあったんだ。早速、父にメールを送ると、次の返事がきた。
「蟻観測 当時 夕飯後 殆ど日課のように毎日11経路あたりを散歩していたと記憶しています。梧桐樹下で、蟻を観測したシーンは眼前に浮かび上がります。約40年前のこと。」
幼稚園に通っていた頃だった。私は「長托」(長く幼稚園に預け、週一回だけ家に帰るという預け方)生活を送っていた。一人っ子で、祖父母と一緒に暮らすと甘やかされかねないという理由で、両親が幼稚園に寄宿させることを決めたらしい。唯一の孫なのでかわいそうだと祖父母は反対したが、結局息子夫婦の決定に従った。
周りの人には大分不思議がられていたようだが、私にとっては、友達が大勢いる幼稚園も大変楽しかった。さすがに、毎日ほとんどの友達が親と帰って行くのを見送った後は寂しかったが、だんだん慣れると、自分の時間を楽しく過ごせるようになった。朝友達を迎えれば、一緒に遊びに夢中になり、賑やかに過すことができた。小学校に入るために幼稚園を離れなければならなかった時は、とても辛いと思ったほどだ。
幼稚園から自宅に戻って小学校に入ってからは、父とよく散歩に出かけた。早めの夕飯をすませた後、家の近所を一回りするのがお決まりのコースだった。
車のあまり通らない静かな道の両側には梧桐樹が立っていた。
散歩の途中、低飛行で飛ぶトンボを追ったり、低い樹の枝の葉に触ろうとジャンプしたりしてよく遊んだ。そうやって僕が無茶をしても、父はたまに「ゆっくり」と言うぐらいで、叱られたことはない。「よく触ったね」と褒められた記憶が懐かしい。私の背中には父の暖かい視線がいつも注がれていたのだ。
その時のジャンプが功を奏したのか、中学の時、しばらく学校のバレーボールチームのレフトを任されたことがあった。
あの頃、散歩の時は虫眼鏡をよく手にしていた。蟻観察のためだった。もちろん、蟻にはビスケットやキャンデーなどのかけらという拝観料をちゃんと払っていた。
プレゼントを穴からちょっと離れた処に置くと、帰ろうとした蟻蟻は驚きと喜びに満ちた表情で(たぶん)しばらく立ち止まる。それから、それを一人で懸命に運ぶか、家に帰って兄弟姉妹を連れてくるかどちらかだった。どちらにしても大変面白かった。それを虫眼鏡で観察していると、いつの間にか辺りが暗くなっていることもしばしばだった。
虫眼鏡は、蟻観察のためだけではなかった。虫を観察しながら、ふと木の葉の葉脈に目を奪われたり、雪の結晶の輝きも大きな喜びを与えてくれた。そして、太陽の光を虫眼鏡で集めれば、父のタバコのマッチに火をつけることができることも知った。偶然に見つけた紙屑を燃やした火の香りは今も時々、その時の記憶とともに蘇る。
父は口数の少ない人だった。散歩中、あまり話してくれなかったような気もするし、沢山のことを話してくれたような気もする。私たちは「文革」の最中でも、いつもと変わらず散歩に出かけた。
雨が降りそうになり、急いで家に帰ったこともあった。今もにわか雨に洗われた大空に、虹が掛かっている光景を鮮明に覚えている。雨後の滴る緑から漂う香りは今でも嗅覚を刺激し、爽やかな歳月の歌を歌っているような気がする。
いつから父との散歩をしなくなったか定かではないのだが、散歩する(道に迷うことも多いが)のが好きなのは、父の影響が大きい。
「父母在不遠遊」を知っていながら、メールと電話しか父母の様子を伺うことができない異国にいる親不孝の私は、せめて時間がある限り、父母のそばに戻り、一緒に散歩するようにしている。
先日、故郷に帰り、父と久しぶりに散歩に出かけた。行く先は、家の近くの自由市場だった。鳥や蟋蟀、金魚を売っている人もいるし、リストラされ、倒産した会社の品物を売っている人もいる。父がよく行っている場所だった。市場へ向かう途中、後ろから父が申し訳なさそうに、「走慢一点児(ゆっくり)」と言った。声が昔と同じように穏やかで小さかったが、私の耳には痛いほど大きく響いた。小さい時、一人で走り回ったりして、たまに父に「慢一点児(ゆっくり)」と言われたものだが、振り返ると父がいつも後ろで僕に微笑んでいた。
振り返ると、いつもの穏やかな表情の父がいた。私は思わず視線を逸らした。父の歩調に合わせて歩いていたつもりだったが、振り返って父の様子を見ようともせず、私は歩いていたのだった。
小さい時は、父が私の歩調に合わせてくれていた。今度は私が父を待つ番だ。そうしてゆっくり歩くことの意味を私は考えた。