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昔、中国人のクラスメートに中華料理を作ってごちそうしたことがあった。それはちょうど、中国人が日本人に日本料理をふるまうようなものだったのに、まぬけな私は実行してしまった。がんばって大エビを買い込み「炒菜chaocai」を作ったところ、皆、笑顔で食べてくれたので、すっかりうれしくなった。 それからしばらくして、中国人の友だちの一人が皆を招待してくれるという。メニューはというと、炒土豆(ジャガイモ炒め)、炒鶏蛋黄瓜(卵ときゅうり炒め)などの家庭的な「炒菜」。ところがどうだろう。大エビを炒めた私の料理など比べものにならないほどおいしいのだ。その時驚いたのは、炒める時、いちいち材料ごとに炒めては取り出し、炒める時間を素材ごとに調整するということだった。こうすると手間はかかるが、素材が生きる。私の大エビは硬かったが、彼のジャガイモはシャキシャキして、それはおいしかった。 ジャガイモの場合、炒める前、水にさらしておく。炒める時には酢を少し加え、仕上げはゴマ油を少々。手間を惜しんではならない。「炒菜」は繊細で奥深い料理なのだ。ああ、なんということだろう。あの日、大エビが、日本人によってボロボロにされていくのを彼ほどの料理上手がただ眺めるほかなかったとは…。すぐ注意してくれてもよかったのに、彼は日本人の面子をつぶさないように、後日ジャガイモで「炒菜」というものを教えてくれたのだった。 |
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〈浅山友貴〉 |