炒飯/チャーハン

 中学生のころの国語の教科書に魯迅の短い小説があり、そこに「炒飯chaofan」が登場したのを覚えている。再会した友だちに対して「そこにごはんがあるから、炒めて食べて。」というような台詞があったような気がする。幼なじみの少年が苦い人生を経て、風貌が変わってしまったというような物語だった。しかし物語のテーマより、気軽に男性が「炒飯」を作る場面が印象に残った。
 魯迅の物語に登場したチャーハンは、男子学生が腹ごしらえにインスタント食品でも食べるような感じだった。友だちが来た時「ごはんでも、炒めて食べて。」なんて言う男性は日本にいるだろうか。炒めるという料理法は、やはりちょっとがんばらないといけない感じがあって、ちょっと考えにくい。
 中国ではどうか。コンロの上には鉄の中華なべが常に置いてあり、食事というとそれで何か炒めることになるので、炒めることは格段に日常的な料理法だ。残りもののごはんをどうにかするというと、炒めることになるし、残ったパンさえ炒めてしまう。レンジでチンするみたいに。温め直すような感覚で炒めてしまう。日本語の「ごはんを作る」と同義の中国語の一つが「炒菜」(おかずを炒める)である。チャーハンは中華料理の基本で難しい料理だとも聞くが、恐らくあまりにも日常的、あまりにも基本的な一品なのでプロの人は、素人との差を歴然とさせる必要があって大変なのかもしれない。

〈浅山友貴〉