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流木の切り株の下ぼそぼそとここは棲家と小さき蟹言ふ
 

世界の街角で

四季漂茶香

文・写真・イラスト/胡興智(日中学院講師)
 「胡さんがこの教室に来てから、もう8年も経ちましたね。」
 先日、お茶の先生にそう言われて驚いた。光陰矢の如し。友人の紹介で表千家不白流の諸貫先生に巡り会ったのがつい昨日のことのようだ。

 その日、初めてのお茶室には、優しい野の花が生けてあったことを覚えている。先生のご自宅、庭の片隅に咲いていた花は、茶室の空間の中で、あたかも大自然を切り取ったように鮮やかだった。その花を目にした瞬間、爽やかな涼風が吹いたように、ぼくの心は洗われていった。
 四季を感じさせるのは、花だけではない。その季節に合わせ、床の間には掛け軸がかかる。例えば今頃の季節なら「月白風清」「紅葉舞秋風」など、掛け軸を見ると、故郷の空に輝く中秋の名月や、香山や日光美しい紅葉の山が目に浮かぶ。

 先週も、諸貫先生が主催する和歌勉強会に出た時、印象深いことがあった。あるお茶の先生が市民茶会を主催することになり、お茶道具の置き合わせについて、他の先生と相談されていた。「巣籠り鶴」(鶴の模様が入っている)の香合を使ってはどうか、いや、この「松ぼっくり」がいいという具合に。ぼくは、秋の静かな池のそばに鶴が優雅に憩う風景に溶けこみ、高く聳える松の木の香りに包まれたような気がした。流派の違う先生方が、大変真剣に、しかも、和気藹々と秋を楽しむお姿は、一幅の「賞秋図」のようだった。

 8年の歳月は、そんな記憶の断片の積み重ねである。そんなことをいろいろと反芻しながら、ぼくは、自分の順番が来るのを待っていた。先輩のお手前を拝見して、次がぼくの番。これから薄茶を点てるのである。まず、先生に挨拶してから水屋に入る。茶碗は先輩がさり気なくすぐ手前できるように仕込んでくれた。それを手に、入り口で正座、一礼をしてから茶室に入る。いつも通り先生や先輩方に温かく見守られ、作法に則ってお茶を点てていく。始めたばかりの頃に比べて、少しは手が自然に運ぶようになった。

 茶菓子は、柿の形をした和菓子だった。春には桜餅、秋の炉開きの時には亥の子餅というように、季節の香りが漂う美しい和菓子も、お茶の味わいをひきたててくれる魅力の一つだ。
 何とか無事に手前を終わらせ、痺れきった足で(これだけは慣れなくて閉口している)、水屋に下がった。今回はまずまずの出来と、ほっとして入り口で皆に挨拶しようとしたら、水差に水を入れるのを忘れていたのに気づいた。後悔の念が沸き起こったが、先ほど手にした茶杓の銘「洗心」のように、お茶を点てた後の穏やかな清清しい気持ちが心に満ちてくる。そうして深く呼吸をしていると、日々の暮らしの中で蓄積した心の疲れなども、いつしか遠のいていくようだった。


(筆者)
  しとしとと緑雨滴る睡足軒心も足も痺れる茶会かな

 昔は武士が茶をたてていたと聞くが、今は、あまり男性がお茶を習わないために、逆に、なぜお茶をやっているのかと聞かれることがよくある。もちろん「花嫁修業」のためではない。和菓子とお茶をいただけるということで、甘いものに眼が無いのも理由の一つかもしれない。しかし、習い始めたきっかけは、父母の第二の故郷である日本の文化の中に一歩ずつ踏み込んでみたかったからである。外国人にとって、日本人の生活様式、美的感覚などは、なかなか伺い知ることが難しい。何か形を学ぶことを通して、それができるのではないかと思った。秋の山で紅葉狩りをするように、奥へ続く細い道へ、この不思議な世界を通じて一歩ずつ近づいてみたかった。

 ぼくは、稽古を通じて人々の心遣いや気配りに触れ、「和」を大切にする精神的な高みにも触れることができたように思う。四季を愛する日本人の豊かな情感、調和、融合の精神を少しずつ体感でき、お茶室という宇宙の中で、ぼくは清流に泳ぐ魚のように深い呼吸をすることができた。

 時には、先生のお宅で唐物茶入れに出会ったり、掛け軸の中に、中国の漢詩の一句を見つけたりすることもあった。異国で同郷のものに出会う喜びもひとしおであるが、しかしよく見ると、それは茶室の空間に見事に溶け込み、日本文化の中で発酵した極上の美酒のように、馥郁たる香りとなって満ちていた。日本独自のお茶の世界でありながら、お茶の温かい湯気の向こうには、国籍も文化も超えて、一つの調和と温かい心の交流がいつも清流の水音のように静かに響いている。


秋風の一刷毛赤き山の木々
草叢の虫挽歌を歌う

金風絵錦屏
群山如酔満秋情
草下促織鳴