| 皇 子 名 | 第11代 垂 仁 天 皇 の 皇 子 息 速 別 命 ( いこはやわけのみこと ) |
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| 御 墓 名 | 息 速 別 命 墓 ( いこはやわけのみことのはか ) |
| 御 父 | 垂 仁 天 皇 ( すいにんてんのう ) |
| 御 母 | 薊 瓊 入 媛 ( あざみにいりひめ ) |
| 所 在 地 | 三重県 名賀郡 青山町 阿保 |
| 墳 形 | 山 形 |
日本書紀によると、
垂仁天皇(活目入彦五十狭茅天皇/イクメイリヒコイサチノスメラミコト)5年、冬10月1日。
垂仁天皇の皇后狭穂姫媛は、実の兄である狭穂彦に垂仁天皇を暗殺するよう謀叛の計画の実行を頼まれていた。しかし、狭穂姫は垂仁天皇を深く愛しているので計画を実行することは出来ず、全てを天皇に打ち明けて、狭穂彦と共に稲城に入り焼死してしまった。
その前に狭穂姫は天皇に奏した『後宮のことは、好い後添えにまかせたらいいでしょう。丹波(たには)の国に5人の婦人がいます。心がみな貞潔です。丹波道主王(たにはのみちぬしおう)の娘です。まさに後宮に入れて、後宮の数をみたしたらいいでしょう』
その5人の娘のうちの1人が、薊瓊入媛である。
古事記では、旦波(たには)のヒコタタスミチノウシ(比古多々須美知能宇斯王)の娘で、ヒバスヒメ(比婆須比売命)の妹の、ヌバタノイリビメ(沼羽田之入毘売命)の妹の、アザミノイリビメ(阿邪美能伊理毘売命)が産んだ御子がイコバヤワケ(伊許婆夜和気命)となっている。
| 参 拝 日 | 平成15年4月16日(水) |
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| アクセス | 近 鉄 青 山 町 駅 よ り 徒 歩 約 15 分 |
息 速 別 命 系 図