皇 子 名第12代 景 行 天 皇 の 皇 子
五 十 狭 城 入 彦 皇 子
( いさぎいりひこのみこ )
御 墓 名五 十 狭 城 入 彦 皇 子 墓
( いさぎいりひこのみこのはか )
御 父景 行 天 皇
( けいこうてんのう )
御 母八 坂 入 姫 命
( やさかのいりひめのみこと )
所 在 地愛知県 岡崎市 西本郷町 宇和志山
古 墳 名和 志 山 1 号 墳
墳 形前 方 後 円 墳


 日本書紀によると、
 景行天皇(大足彦忍代別天皇/オオタラシヒコオシロワケノスメラミコト)4年、春2月11日。

   景行天皇は美濃に行幸した。近侍が奏言して『この国に美人がおります。弟媛(おとひめ)といいます。容姿がととのっています。八坂入彦皇子(やさかいりひこのみこ)の娘です』と言った。景行天皇は手に入れて妃にしたいと、弟媛の家に出掛けた。弟媛は、天皇がおいでになると聞き、すぐに竹林に隠れた。そこで、天皇は、弟媛を来させようとはかり、泳宮(くくりのみや)に居た。鯉を池に浮かべて、朝夕に臨んでは見て、たわむれ遊んだ。弟媛は、その鯉の遊ぶのが見たいと、こっそり来て池に臨んだ。天皇はすぐさまひき留めて通じた。しかし弟媛が考えてみるのに、夫婦の道は、たしかに古今に通じる則である。しかるに自分の場合は不都合であると。そこで天皇に請い『妾(わたくし)は、うまれつき交接(とつぎ)たいとは思いません。今まで、天皇の命の威におされて、しばらく後宮の中にとめおかれていました。しかし、快くはありませんでした。また、姿かたちもみにくいのです。ながく後宮にひかえているなどとてもかないません。ただ妾(わたくし)には姉がいます。八坂入媛(やさかいりひめ)という名です。容姿は麗しく、こころばえもまた貞節です。後宮に入れたらいいでしょう』と言った。

 景行天皇はききいれた。そこで、八坂入媛(やさかいりひめ)を呼び出して妃とした。七男六女を生んだ。第一は稚足彦天皇(ワカタラシヒコノスメラミコト/第13代 成務天皇)という。第二を五百城入彦皇子(いおきいりひこのみこ)という。第三は忍之別皇子(おしのわけのみこ)である。第四が稚倭根子皇子(わかやまとねこのみこ)である。第五を大酢別皇子(おおすわけのみこ)という。第六は渟熨斗皇女(ぬのしのひめみこ)という。第七が渟名城皇女(ぬなきのひめみこ)である。第八は五百城入姫皇女(いおきいりひめのひめみこ)という。第九をかご依姫皇女(かごよりひめのひめみこ)という。第十を五十狭城入彦皇子(いさぎいりひこのみこ)という。第十一を吉備兄彦皇子(きびのえひこのみこ)という。第十二が高城入姫皇女(たかきいりひめのひめみこ)である。第十三は弟姫皇女(おとひめのひめみこ)という。





参 拝 日平成15年4月22日(火)
アクセス名 鉄 宇 頭 駅 よ り
徒 歩 約 9 分

五 十 狭 城 入 彦 皇 子 系 図

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