綏 靖 天 皇

桃 花 鳥 田 丘 上 陵

  天 皇 名    第 2 代 綏 靖 天 皇
              
  すいぜいてんのう


  御 陵 名   桃 花 鳥 田 丘 上 陵

           つきだのおかのえのみささぎ


  御名・異称  神 渟 名 川 耳 尊

            かむぬなかわみみのみこと


  生誕~崩御 ? ~ 綏 靖33年5月10日


  即  位    綏 靖 元 年 1 月 8 日

  皇  居    葛 城 高 丘 宮

            かつらぎのたかおかのみや

  御  父    神 武 天 皇           
           じんむてんのう

  御  母    媛 蹈 鞴 五 十 鈴 媛 命
            ひめたたらいすずひめのみこと

  皇  后    五 十 鈴 依 媛 命
           いすずよりひめのみこと

  所 在 地    奈 良 県 橿 原 市 四 条 町

  古 墳 名    塚 山 古 墳

  墳  形    円  墳

日本書紀によると
 
 《庚申(かのえさる)の年〔神武天皇即位前紀7年〕、秋8月16日、天皇は正妃を立てようとした。 あらためてひろく貴族の子女を求めた。 ときにある人が奏した、「事代主神(ことしろぬしのかみ)が、三嶋溝橛耳神(みしまみぞくいみみのかみ)の娘・玉櫛媛(たまくしひめ)と共〔寝〕して生まれた子で、媛 蹈 鞴 五 十 鈴 媛 命(ひめたたらいすずひめのみこと)といいますが、国中でいちばん美しい」と。 天皇はよろこんだ。 9月24日媛 蹈 鞴 五 十 鈴 媛 命を正妃にむかえた。
 辛酉(かのととり)の年〔神武天皇元年〕、正妃を尊んで皇后とした。 皇子の神八井命(かむやいのみこと)と、神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと)を生む。
 神武天皇42年、春正月3日、皇子、神渟名川耳尊を、皇太子に立てた。

 神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみのすめらみこと)は、神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)〔神武天皇〕の第3子だ。 天皇は風姿が幼いときから秀でていた。 少年にして雄々しく抜きでた気力があった。 壮年になると容貌が堂々と立派だった。 武芸は人にすぐれて、志は高くおちついて動じることがなかった。 48歳になって、神日本磐余彦天皇〔神武天皇〕が崩じた。 

 その庶兄、手研耳命(たぎしみみのみこと)は、すでに高年で、久しく政(まつりごと)にあずかってきた。 しかしその王は、…邪心をつつみかくして、二人の弟を殺そうとはかった。 ときに、太歳は己卯(つちのとう)。

 冬11月、神渟名川耳尊は、兄の神八井耳命と、ひそかにその〔手研耳命の〕意図を知り、善く防いだ。…。

 綏靖天皇元年、、春正月8日、神渟名川耳尊は天皇位に即いた。 葛城に都した。 高岡の宮といった。…。

 綏靖天皇2年、春正月、五十鈴依媛(いすずよりひめ)を皇后にした。…・

 綏靖天皇33年、夏5月、天皇が病気になった。 癸酉(みずのととり)〔の日に〕崩じた。 ときに年は84〔歳〕だった。》

 ※《 》内は(原本現代訳39)日本書紀(上) 訳者・山 田 宗 睦 ㈱ニュートンプレスから参照しました。


古事記によると

 神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)は、葛城の高岡の宮に坐(いま)して天の下を治めたもうた。 この大君は、師木(しき)の県主(あがたぬし)の祖(おや)の河俣毘売(かはまたびめ)を妻として、生んだ御子は師木津日子玉手見命(しきつひこたまてみのみこと)、一柱(ひとはしら)である。

 大君の御年(みとし)は、四十(よそとせ)あまり五歳(いつとせ)〔45歳〕で、御陵(みはか)は衝田(つきた)の岡にある。…。

 ※《 》内は口語訳 古事記 完全版 著者・三 浦 佑 之(みうら すけゆき) ㈱文芸春秋から参照しました。


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