| 天 皇 名 | 第21代 雄 略 天 皇 |
|---|---|
| 御 陵 名 | 丹 比 高 鷲 原 陵 (たじひのたかわしのはらのみささぎ) |
| 御名・異称 | 大 泊 瀬 幼 武 尊 (おおはつせわかたけのみこと) |
| 生誕ー崩御 | ?ー雄略23年8月7日 |
| 即 位 | 安康3年11月13日 |
| 皇 居 | 泊 瀬 朝 倉 宮 (はつせのあさくらのみや) |
雄略天皇は、第19代允恭天皇の第5皇子として生まれたと言われている、安康3年に同母兄の第20代安康天皇が皇后中蒂姫と大草香皇子との間にもうけていた眉輪王に殺されると、大泊瀬幼武尊は皇位継承へ向けて強烈にアプローチを始めたようである、兄の境黒彦皇子を殺し、次に兄の八釣白彦皇子を殺し、続いて葛城円大臣の邸へ逃げ込んだ眉輪王を円大臣と共に殺してしまった、更に皇位継承に近い市辺押磐皇子を狩りに誘い出して弓矢で射て殺してしまった、更にまた市辺押磐皇子の弟の御馬皇子をも殺してしまう。古事記・日本書紀では記述にいくらかの違いが有るが、大泊瀬幼武尊が皇位に就く為に近辺の皇族を葬ってしまったのは事実なのでしょう、この惨劇が後に皇位継承者を絶やしてしまう直接の原因であるようです。
| 御 父 | 允 恭 天 皇 (いんぎょうてんのう) |
|---|---|
| 御 母 | 忍 坂 大 中 姫 命 (おしさかのおおなかつひめのみこと) |
| 皇 后 | 草 香 幡 梭 姫 皇 女 (くさかのはたびひめ) |
| 皇 太 夫 人 | 葛 城 韓 媛 (かつらぎのからひめ) |
| 所 在 地 | 大阪府羽曳野市島皇八丁目 |
| 古 墳 名 | 高鷲丸山古墳・平塚古墳 |
| 墳 形 | 円 墳 |
| 参 拝 日 | 平成14年4月9日(火) |
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| アクセス | 近鉄高鷲駅下車北口から徒歩約10分 |
雄略天皇は『神』とも対話をしています、葛城に狩へ行幸した時の事、一言主神が雄略天皇の前に現れ、『我は良き事も一言、悪しき事も一言、言い放つ神』であると、雄略天皇に言い、一緒に狩をしたとの事です、この神話は雄略天皇と葛城の神との関係をどのように関係付ける神話なのでしょうか。
雄略天皇は中国の歴史書に登場する『倭の五王』の一人である『武』ではないかという確立がかなり高いそうです、そして、埼玉県『稲荷山古墳』熊本県『江田船山古墳』出土の鉄剣の銘には『獲加多支鹵大王』と象嵌されていて、その大王は雄略天皇に比定されています、雄略天皇当時、大和政権の勢力は九州から関東までを支配領域としていたのでしょう。
雄 略 天 皇 系 図