y−toku long interview
〜我進我道〜
脱獄者からのメッセージ


ライター志望の友人に、私y−tokuの18年間の学生生活を振り返る内
容をまとめてもらいました。録音したインタビューの内容を忠実に再現して
もらい、それに意見をつけてもらっていますが、気持ち悪いくらいに褒めち
ぎっていただいております(笑)。ご了承下さい。
写真もインタビューの時に撮影したものです。ちなみに撮影場所は大阪大学
内&大阪国際空港(伊丹空港)です。



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―――「じゃ。よろしくお願い致します。」ラフな格好をした一人の男が目
の前に座った。本当に気取ることをしない男である。洋服を買うのも年に数
回程度だそうである。理由を聞くと「着られる服があるのに新しく買う必要
なんか無い。」と単刀直入な返事が返ってきた。いきなりこの男の「らしさ」
である。
早速、本題に入ってみた。まずは小学校時代の思い出から。

「ほんまに嫌なタイプのガキやったと思う。小学生の頃は。大人から見れば
ムカつくタイプのガキやった。いや、もうちょっとマシな言い方すると『ま
せた』ガキでした(笑)。
自分でもよー分からんけど、大人の考えていることが分かってしまうという
か、常に大人の顔色をうかがっているというか、子供が考えんでもええよう
なことを考えていましたね。」

―――ということは、ある意味優等生だったの?

「いや、そんな立派なもんじゃない(笑)。何かとつけて先生に反発してい
た。小学校5,6年生の頃かな。日記が毎日の宿題やったんやけど、その理
由が『他の先生が5,6年生を担当したときに日記を宿題にしていたから』
っていうことでね。それを聞いたときに正直『何で?』っていう感じやった。
他の先生がやってるから自分もやるっていう考えが幼心に気に食わなかった
んでしょうね。そんな気持ちのままやったから、けっこう宿題をサボる時も
あった。書くのもどんどん面倒になっていって。」

画像その1
―――少々意外な答えかもしれない。今では几帳面に毎週HPを更新してい
る男も幼少時代は面倒くさがりだった。さらに日記の話は続く。

「日記って基本的にその日あったことを記すわけやから、それを書いている
間は1日の出来事とかを振り返ることになると思うけど、別に書き記さなく
ても反省を込めて1日を頭の中で振り返る時間があれば、それは日記をつけ
るのと大差無いように思う。もし何か書き残したいって思う日があれば、そ
の時は日記を書けばええと思うし。やっぱり日記って書きたい人だけが書け
ばええもんであって、宿題という形でなくて自発的に書くようにならなけれ
ば何の意味も無いんとちゃうかな。それに何よりも、日記に書きたくないよ
うな嫌なことは、書かなくても頭の中に残りつづけるしね。」

―――ここで少しイジワルな質問をしてみた。今、日記をつけてみたいと思
う?

「いやいや、基本的に面倒くさがりな性格は直ってないから、日記なんて絶
対つけない。いや、つけられないと思う。月に2,3回書けばええ方とちゃ
うかな。でも他の人のHPを見ていると、日記を公開している人はよく見か
けるものの、意外と毎日書いている人って少ないよね。確かに、忙しいとき
とか日記なんて書く暇無いからってことで1日抜け、2日抜け・・・なんて
ことになってしまうのかな。」

―――本当によく喋る男である。日記一つをテーマにしてこれだけ自分の意
見を喋り、しかもそれを当たり前のように思わせてしまうのである。放って
おくと日記談議になるので、話を戻して引き続き小学校の頃の思い出を語っ
てもらった。

「まあ優等生ではなく、本当に普通やった。そんなに出来が良いわけでもな
く、テストの点数でも僕より出来る人はたくさんいた。けど、負けん気だけ
は人一倍強かったかな。当時はこの負けず嫌いな性格があまり良い方向には
働かなかった。学校って才能に差があっても『同学年』っていう1つの集団
に収められる横社会やから、負けず嫌いな僕は『何でそこまですんねん。』
って見られていたのかもしれない。けど、この性格が今になって生きてきて
いるのも事実。やっぱり実社会は年齢に関係無く実力のある人が上にいく縦
社会やから。」

―――ということは小学校での生活は窮屈だった?

「うーん。窮屈っていうほどでもないけど、不満は確かに幾つかあった。こ
ういった不満があったから、教師になりたいって思ったのも小学生の頃やっ
た。学生時代に良い先生に巡り会ったから、っていう理由で学校の先生を目
指す人は多いけど、僕は全くその逆。小学校の時の先生を見てて、不満がい
くつかあって、『自分やったらこうするのにな』とかって考えているうちに
そういう夢が芽生えてきた。つまり、小学校の時の先生を反面教師にして、
自分が感じた不満の部分を直した先生になりたいって思ってた。やっぱり、
『ませた』ガキだよね(笑)。」

―――小学校の生活を通して何か感じたことは?

「まあ、けっこう仲が良い学年だったことは事実だよね。だいたい小学校の
高学年くらいになると男女間に『壁』みたいなのができるけど、僕たちの学
年はそういうことはほとんど無かった。他の学年の先生が僕たちの担任の先
生に、男女が仲良くする秘訣を聞いていたくらいやったから。そういう意味
では学年全体はまとまっていた方じゃないかな。」

―――学校を離れるとどんな感じだったの?

「普通、かな(笑)。ただ、よく母親には怒られた。自分の子供に対しては
『お前のそういうところが嫌い』ってはっきり言う母親やったから(笑)。
まあ『ませた』ガキとつながる部分もあるけど、あまり子供っぽくない考え
や仕草が気に入らんかった部分もあったと思う。あとは、ファミコンのやり
過ぎをよく注意されたな。いずれにせよ、父親は仕事の勤務形態が不規則や
ったことあって、躾はほとんど母親やった。」

―――両親のことを話すときのこの男の表情は本当に穏やかである。やはり
親の愛情をしっかりと感じている証拠なのだろう。さらに両親のことについ
て聞いてみた。

「他の家庭の親と比べるとやっぱり躾には厳しかったかな。ドラマで出てく
るような、メガネをかけた『教育ママ』ではなかったけど、やっぱり他の家
庭よりは勉強については厳しかったと思う。あとは習い事として水泳をやら
されていた。後から親に聞いたら、将来泳げないと困ることがあるかもしれ
ないから、ってことでやらされていたみたいなんやけど、当時は嫌でしゃー
なかった。」

画像その2
―――両親の教育を採点すると?

「うーん。70点くらいかな。まあここまでこうして育ってきたわけやから、
その点に関する評価は高いけど、やっぱり不満な点もあった。小学校のとき
『死にたい』って考えたこと何回もあるから。何でウチだけこんなに厳しい
環境なんや?、って本気で悩んでいたから。弟にも聞いたら、やっぱり『死
にたい』って思ったことはあったらしい。けど、僕も弟も死ぬ勇気は無かっ
た(笑)。やっぱり子供と同じ目線で接しきれてなかった部分はいくらかあ
ったと思う。確かに親やから、上から見るのは当然なんやけど、子供でもそ
れくらい知ってるぞ、っていうことをイチイチ言われる事もあった。まあ、
これも考え方によっては良かったのかもしれない。自分が将来、家庭を持っ
て子供が出来たときには、この点を改善して自分の子供に接すればええわけ
やから。」


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