y−toku long interview
〜我進我道〜
脱獄者からのメッセージ



―――続いて高校時代の話に移りますが、やっぱり私立の進学校ってことで
勉強は厳しかった?

「そりゃ、まあ当然(笑)。睡眠時間が3〜4時間っていう日もけっこうあ
ったし、休みの日は昼過ぎまで寝るっていう生活やった。確かに自主的にや
ってた勉強ではないし、完全にやらされてたわけやったけど、そんなに嫌っ
て感じることは無かった。高校受験して、3校受かった中から選んだ1つや
ったんやけど、親が勧める高校とは別の高校やったし、完全に自分の意思で
選んだから引くに引けない部分もあった。自分の人生くらい自分で決めたい、
っていうのをアピールしていたし、親も諦めたんかしらんけど、結構自由に
やらせてくれてたから。逆に責任は全部自分で背負わなあかんし、少々厳し
くてもとにかく目の前に与えられたことをやらなあかん、っていうことで精
一杯やった。」

―――それで順調だったの?

「いや、勉強に関しては中学時代よりも山あり谷ありって感じ。特にスラン
プの時期が結構長くてつらかった。高2の時かな、急激に成績が落ちて。別
に変わったことはしてへんかったし、今まで通りやっていたにも関わらず、
何故か結果には直結しなかった。先生に呼び出しくらって、いろいろ理由を
聞かれたこともあった。でも理由は自分にも分からへんし・・・。ひょっと
したら『2年目のジンクス』というか、どこかに慢心があったのかもしれへ
んけど、具体的な理由は本当に分からへんかった。」

―――そのスランプをどうやって乗り切ったの?

「とにかく動じないこと。まさしく『動かざること山の如し』の精神。こう
いう時って例えば問題集や参考書をいろいろ買ってあれこれ手を出したくな
ったりするけど、そういうことは全くしなかった。とにかく与えられた課題
をこなすのみ、って割り切ってやってた。でも今振り返ってみて、この選択
は正解やったと思う。少々のことであたふたすべきじゃないし、何よりも腐
らずに続ければ少々のスランプなら乗り切れる、ってことも分かったしね。」

―――基本的に勉強中心の生活だった?

「もちろん適度に身体を動かしてリフレッシュすることは心がけてた。けど、
やっぱり勉強中心だったかな。そのせいで高校3年間で体重もかなり増えた
し、その影響で痛風を患ったりとか結構肉体的なダメージも大きかった。や
っぱり幾らかの犠牲は払ってたような気がする。
あとは精神的な部分かな。太ってたことも関係しているけど、恋愛とは無縁。
でも、これはそんなに深刻には考えてなかった。勉強のことを考えるとそこ
まで手が回らへんっていう感じやった。それよりも周囲からの評価かな、厳
しかったのは。コラムでも 少し書いてたけど、クラスメートの女の子から『
笑顔が気持ち悪い』って言われたりとか。ほんま、16,7の思春期真っ只
中の人間にこんなことを言ったらあかんて(笑)。マジでヘコむから。」

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―――本当に精神的にタフな男である。過去の傷も笑い飛ばしながら平気で
喋っているのである。だが、こういったことをバネにして闘ってきた意地が
あるからこそ笑い飛ばせるのかもしれない。
逆に周囲の人間をどう見ていたのか聞いてみた。

「本当に潜在能力の高い学年やったと思う。別にこれをHPにアップしたと
きに当時の友人が見るから誉めているわけじゃなくて、高校だけじゃなく中
学の同学年の人間も本当に潜在能力が高かった。いざ、やる時はやるってい
うのを結果で示してきたしね。どういうわけか、中学・高校と僕の学年は他
学年よりバカが多く集まっているとか、出来が悪いとか散々な評価をされて
いたけど、入試では他学年を上回る結果を出してたしね。ポテンシャルの部
分では僕よりも上を行く人間がたくさんいたし。そういう環境の中で自分自
身を高めていけたのは本当に運が良かったと思う。」

―――周囲の人間からの影響は大きかった?

「そりゃ当然でしょ。遺伝と環境の相互作用で人格が形成されていくわけや
から、もしあと1年産まれるのが遅かったら全く違う人間になってしまって
いたかもしれないしね。」

―――高校時代の一大イベントはやはり大学受験?

「まあ、そういうことになってしまうかな。高校入学した当初に塾の先生か
ら『さあ、大学受験まであと1000日強か』って言われたんやけど、やっ
ぱり最終目標として常に念頭にはあった。だから早めに行く大学・行く学部
を決めて、あとはひたすらそれに向けて突き進むっていう感じ。結果として
受験は自分の思い通りになったわけやから、この時はほんまに嬉しかったし、
早めにゴールをしっかりと決めといて良かったと思う。
あと、目標をちょっとやそっとじゃ変えなかったことも大きかったかな。成
績の上下があっても絶対に変えなかった。模試とかで自分の成績がはっきり
と結果に出てきても『コンピュータなんかに人生決めさしてたまるか!』っ
てずっと思ってた。そやから、模試の判定で志望校を安易に変える子とかは
見てて不思議やった。口には出さへんかったけど、『ほんまにそれでええの
?』って心の中で思ってたね。」

―――たまにドキッとさせる発言をするところもこの男の魅力だろう。普段
は何を考えているか分からないように見えても、しっかりと自分の考えを持
っているのがこの男なのである。「コンピュータなんかに人生を決めさせな
い」というのは、ややもするとIT社会に生きる現代人への警鐘にも聞こえ
てくる。
最後に高校時代の総括を語ってもらった。

「まあ本当に頑張ったと思う。自分だけじゃなく家族がみんな頑張ってくれ
た。ちょうどこの時期に親父が東京に半年間単身赴任したり、祖々母が亡く
なったりバタバタすることが多かったけど、本当に家族個々がみんな頑張っ
てお互いを支えあっていたように思う。特に祖々母が亡くなったのは自分の
18歳の誕生日で、もうお祝いムードが一気にすっ飛んでしもたけど、でも
不思議な縁みたいなものを感じたね。ガキの頃からずっと『一生懸命勉強し
て、立派な人間になれ』って口すっぱく言ってくれた祖々母やったから。誕
生日に亡くなったのは、ある意味自分への最後のメッセージやったのかもし
れない。ここで大学受験に向けてラストスパートをかける力を与えてくれた
し。大学に合格したのは亡くなった祖々母も含めて、家族の支えが一番大き
かったのは間違いの無い事実やね。」
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