教育実習事後指導(感想、反省記録)
教育実習に行く前は、実際のところそれほど難しいものではないと思っていた。
正直言って油断していた。こうして教育実習を終えてみて、まず第一に「話す」
ことの難しさを実感した。
日常生活の中でも「話す」ことは必要不可欠なことである。しかし、自分の言い
たいことを相手に適格に理解させるために話すことは決して容易なことではない
はずである。今回の教育実習でも、生徒を相手に理解させることは決して容易で
はなかった。教壇の上に立つと緊張してしまい、自分が言いたいことの半分も言
うことが出来なくなってしまったり、自分では簡単だと決め込んでいて、生徒も
難なく理解できるであろうと思っていたら実はほとんどの生徒が理解していなか
ったりということが何度もあった。
教育実習を終えて「話す」ことが上手くなったかどうかはわからない。と言うよ
りも短期間で上手くなるようなことではない気がする。もっと多くの経験を積み
重ねて上達していくことであろう。しかし「話す」ことの難しさが分かっただけ
でも良かったのではないかと私は思う。
次に、この教育実習で私が感じたのは人と接することの難しさであった。朝、休
み時間、放課後と多分に生徒と接する時間は存在した。特に私の学校では、教育
実習期間中と学園祭が重なるということもあって、放課後は多くの生徒がその準
備のために残っていた。だが実際のところ指導案の作成やその他の雑務の為にあ
まり接することが出来なかったのは反省すべき点であるように感じる。接する機
会が多くなかったために生徒ともうまく打ち解けることが出来なかったと思う。
担当した学年が高校2年生ということもあって、どう接していけば良いのかが分
からない部分もあったが、実習後半ではいくらかの生徒とはいろいろ話すことも
できた。やはり学年とか年上・年下とか関係なく人と接するときは、こちらから
一歩踏み出せば相手は何らかの反応を示してくれるはずである。あまり初対面の
人や慣れ親しんでいない人と接するのは得意ではなかったが、この点は教育実習
前よりは幾分良くなったのではないかと感じる。しかし、教育実習では教師の立
場として生徒と接さねばならず、友達のような感覚で接するのは望ましいことで
はない。この点においてはやはり接し方に関して実習中も悩んだ。指導される立
場で接するのと、指導する立場で接するのとではやはり訳が違うと私は思う。今
回の教育実習で後者の立場を経験できたのはやはり貴重であったと感じる。また、
今回の実習を通して全般的に自分の未熟さを痛感した。自分の専門分野さえ分か
っていれば良いというのではなくて、総合的な知識、幅広い視野が教師には求め
られているのではないかと思う。文部省が明示している「自ら考え、自ら解決し
ていく人間の育成」という教育の目標を達成するためには、決して自分の担当す
る教科を教えるだけではうまくいかないはずである。その点に関しては、自分に
は教育学や心理学はもちろんのこと、欠けている知識・教養が多いと感じた。
さらに教師というのは生徒という人間を助けるための職業であって、自分のため
に指導を行うものではない。生徒の頭の歯車の回転を良くするのが教師の役割で
あり、その点に関しては生徒の立場になり、さらに生徒の気持ちを理解できたか
というと、そこまでは全く達していなかったような気がする。
実習4日目に担当教諭から「予備校と学校の違いは何か」ということを問われた。
私自身としてはこの問いに対する答えは、学生をどう扱うかということではない
かと思う。予備校の場合は講師はただ教えることだけが仕事であり、極端に言う
と聞いている学生が理解しているかどうかということにまで目を向ける必要はな
い。ところが学校の教師は児童・生徒のいろいろな部分に目を向けねばならず、
生徒と共に学んでいくという姿勢が求められる。こう考えると決して楽な職業で
はないと思うし、完璧な教師になるというのは一生かかっても無理なのではない
かと感じる。が、困難な職業であるからこそやりがいもあるし、他では得られな
いものも数多く存在するのではないかと私は思う。
最後に、今回の実習では教師への第一歩ということで細部まで厳しく御指導を頂
いた。近年、教師の不祥事が世間で数多く話題になるのは教師という職業に対す
る認識が甘いことが一つの原因ではないかと私は感じる。そういった意味でも、
しっかりと実習の段階で指導を受けることが出来たというのは大きな糧になった
のではないかと思う。今後この二週間の経験がいつ、どこで、どのような形で役
に立つかは分からないが、決して無駄な経験ではなかったと私は感じる。
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