日本百名山に選ばれなかった悲運の名峰「ニペソツ山」

1990年 82122

 

 821 深田久弥が登っていないという理由だけで「日本百名山」に選ばれなかった悲運の名峰「ニペソツ山」に登ることにした。夜勤明けで3時間程の仮眠をとり、前日までに用意してあった装備を愛車XL250に積み込んで出掛けた。天気は快晴。札幌から新十津川を抜け深川を過ぎたあたりで前輪がパンク、修理に40分程時間を費やした。旭川で昼食にラーメンを食べ、一路三国峠を目指す。上川あたりから大雪山が圧倒的なスケールで迫ってくる。途中から見える石狩連山は美しい山ひだを見せている。峠のトンネル手前から砂利道が始まり、小石を蹴散らして走る愛車の後ろには土煙が舞っている。トンネルを抜けると右手に鋭く屹然と聳えるニペソツ山が初めて姿を現し、その奥には台形状のウペペサンケ山が横たわっていて、正面には奇怪な姿をしたクマネシリ山が俯瞰できた。

 

砂利道をしばらく下ると左手に廃線となった鉄道の駅舎を改装したドライブイン「三股山荘」が見えてくる。ここでジュースを飲んでのどの渇きを癒してから入山届けに記入する。国道273を隔てた木立の向こうには石狩連山が屏風のように広がっている。国道を少し下ると「三股橋」があり、その右手から林道が入り込んでいる。林道を進んで間もなくすると左にニペソツ山、右に石狩岳と書かれた道標が立っている。左に入って気持ちの良い林道を走ると間もなく沢音が聞こえ始め、ぽっかりと開けた林道終点「杉沢出合い」に着く。ニペソツ山登山口と書かれた標識の前に愛車を止め、熱くなっているエンジンのスイッチを切ると、それまで気付かなかった鳥のさえずりや虫の鳴き声が一斉に聞こえ始めた。

 

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ヘルメットを取り、土ぼこりで汚れた顔を洗うために沢に下りる。川の水は冷たく透明感があり、汗ばんで疲れた身体を生き返らせてくれる。一息ついた所で愛車の横にテントを張り、夕食の準備にとりかかる。日がかげってくると急に寂しさが押し寄せてきて、山奥に1人でいる現実を思い知らせてくれた。

薄暗くなった空を見上げると天候は段々と悪くなって行くような雲の流れだった。誰もいない山奥でのテント泊まりは程よい緊張感を抱かせる。夜、外に出ると漆黒の闇の世界で、ヘッドランプの光だけがサーチライトのように闇の中にのびていった。

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822 今日の行程は杉沢登山口からニペソツ山まで登り6時間、下り4時間の長丁場だ。朝食を早めにとり陽が昇り出す前に出発する。十六の沢にかかる丸木橋を渡り樹林帯に入ると、ゆるやかな尾根道にはクマ笹が生い茂り、朝露で光る葉がズボンを濡らす。身体全体が濡れる前に雨具を着ける。

じっとりと汗ばむ頃になってやっと展望が開けるが、空はどんよりとした鉛色で風も少しずつ強くなっている。小天狗のはしご場を回り込むと、天狗のコルの向こうに前天狗が見えてくる。少し下ると天狗のコルにテントが数張り出来る小さなキャンプ指定地がある。今にも熊が横切りそうで、1人ではとてもキャンプする気にはなれない所だ。

 

写真・小天狗方向から見た前天狗。途中のコルにキャンプ地がある。

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前天狗から天狗岳まではハイマツと岩礫が入り組んだ台地状の地形で、道は所々で枝分かれしていて頭を悩ませるが、少し歩くとまた一本の道に集約される。

この辺りからは表大雪やトムラウシ山の峰々が一望できる筈なのだが、渦巻く雲に遮られて見ることが出来ない。辛うじて石狩連山が目の前に広がっているだけの眺望である。

 

 

 

写真・前天狗の中腹から見る石狩連山。どこが石狩岳や上川岳の山頂か分かるだろうか。分かればかなりの山通だろう。

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前天狗まで来ると目の前に東面を鋭く削ぎ落とし、屹然と天を衝くニペソツ山が現れる。山頂は東面から吹き上げるガスに巻かれて見え隠れしている。ここから天狗平を通り、天狗岳をトラバースして最低鞍部まで下る。岩に根付いたウラシマツツジの葉は早くも紅葉している。最低鞍部まで来ると目の前の切り立った東面が、今にも崩落するような危うさで切り立っている。その右にはハイマツの中を縫うようにして道が上へとのびている。しばらくの急登を強いられると東面裏側の斜面に回りこむように出る。山頂まではこの斜面をトラバースするように道がついている。

 

写真・前天狗から見るニペソツ山。プロも初心者もここから写真を撮る。

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やっとの思いで山頂に立つが、風が強く、東面から吹き上げるガスで眺望は何も無い。傾斜する地面に苦労して三脚を立て、記念の登頂写真を撮って早々と下山を開始する。帰路から見る前天狗は異様な山容に渦巻く雲が絡まって、天地創造の世界を思わせる。

この頃からガスに小雨が混じりだし、気温も段々と下がってくる。前天狗手前の岩陰に腰を下ろして昼食のラーメンを作るが、風が強いためにガスコンロの炎が飛んでなかなか湯が沸かない。苦労して作ったラーメンだったが、いざ食べようとしても食欲があまりないためかなかなか喉を通っていかない。身体は自分で感じる以上に疲れているようだ。前天狗でニペソツ山に別れを告げてあとは一目散に往路を下るが、誰一人もいない山の中は天候の悪化と相まって不気味さを増している。

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逃げ帰るようにしてテントに転がり込んで疲れた膝を伸ばす。熱いコーヒーを煎れて喉に流すと、冷え切った身体に生気がよみがえってくるようだ。天候には恵まれなかったが、憧れのニペソツ山に登った満足感は徐々に身体の疲れを癒していくようだ。

夜になって一台のライトバンが上がってきた。室蘭市役所に勤める男性で、思いがけず車の中でウィスキーをご馳走になることになった。室蘭の街や山の話などしながらウィスキーを酌み交わしたが、アルコールが回るにつれて疲れが出てきたので、お礼を言ってテントに戻った。その日はそばに人がいる安心感で熟睡することができた。彼は次の日ニペソツ山に挑戦したのだが、尾根道の途中で悪天を理由に引き返してきた。

 

日本百名山に選ばれなかった「ニペソツ山」。悲運と言う人もいるが、静かな山旅が楽しめて、自然がそのままに息づいているのは日本百名山に選ばれなかったから。今の加熱する一方の日本百名山ブーム、「ニペソツ山」のことを思えば選ばれないことの方が幸せだったのかもしれない。選ばれなくても日本百名山の山々に勝るとも劣らない名峰だと言うことは、岳人なら誰しもが認めていることなのだから。

 

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