遥か過ぎたトムラウシ山
1996年 8月3日〜7日 オプタテシケ山〜トムラウシ山 縦走記録
遥かなるトムラウシ山にあこがれて、最初は旭岳から縦走してトムラウシ山に立ち天人峡へ下りた。次は沼の原から五色が原を抜けてトムラウシ山に立った。残るコースは十勝連峰からの縦走である。アップダウンの多い上級者向けロングコースと言われている。今度ばかりは「ぶらり」と出掛ける訳にはいかない。とは言っても綿密な予定を立てる訳ではなし、必要最小限の装備をザックに詰めて意気揚揚と出掛けたのだが・・・・・。
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単独縦走のスタートは余裕の日光浴から
1日目 朝、札幌からバスで旭川に向かう。高速道路を走り、ジャスト2時間で旭川駅前バスターミナルに着く。駅の長い地下道を通って7番ホームまで行き、富良野行き1両編成のディーゼル車に乗る。美瑛で降り、白金温泉行きのバスに乗るため百貨店前のバス停まで歩く。バスが来るまで1時間以上あるため、近くの喫茶店に入りコーヒーを飲む。店内には小粋なジャズが流れている。
30分程でジャズにも飽き、また駅まで戻り観光ビデオを観る。なんとなく美瑛の四季を堪能した気分になる。そろそろ時間も迫ってきたのでバス停横のカメラ屋で乗車券を買う。カメラ屋のおばさんの話しによるとバスは旭川駅前バスターミナルから来るという。まったく無駄な乗り継ぎをしてしまったものだ。
ゲートボール場まで行くおばさんたちを乗せたバスは美瑛岳を見ながら走り、昼過ぎに白金温泉へ着く。登山届けを提出するために観光センターに行くと、女性職員が「ここに提出しても良いですよ」と言うので用意してあった登山届けを渡す。女性職員が「縦走ですか」と聞くので、「そうですが」と答えると、「一人ですか」と心配そうな顔をしながら「下山したら必ず電話して下さい」と言って電話番号を教ええてくれた。
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天候も良いので、このまま美瑛富士避難小屋まで行こうかとも思ったが、やはり計画通り十勝岳避難小屋に向かうことにする。タクシーが一台停まっていたが、食事にでも行っているのか運転手さんがいないので望岳台まで歩くことにする。幅の広い登山道にはトンボが群れをなして飛んでいて初秋の風情を感じさせてくれる。気温が高いのか少し歩いただけで首筋に汗が噴出してきた。1時間程歩くと観光客で賑わう望岳台に着く。ここからは富良野岳からオプタテシケ山まで十勝連峰の大パノラマが広がる。
望岳台から美瑛岳、美瑛富士、オプタテシケ山と並ぶ(右から)
レストハウスの自販機から「南アルプスの水」を買って飲むと、細胞の隅々まで水がしみ込んでいくような感覚になる。汗が引いた後、レストハウスでざるそばを注文。そばが出来る間、洗面台へ行ってポリタンクと水筒に水を詰め込む。食後レストハウス横のログ風ベンチに横になって日光浴を楽しむ。観光客が帰り始める頃、十勝岳避難小屋へと腰を上げる。
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レストハウスで休み過ぎたせいか身体が重い。縦走のための装備が肩にずっしりと食い込んでくる。休み休み登って十勝岳避難小屋に着くと先客がいて、10人程のグループは外で食事の用意をしていた。薄暗くなった小屋の中に入って右奥にスペースを空けてもらいザックを置く。夕食にはカレーライスを作り、小屋の前に座って遠くに見える美瑛や上富良野の街の灯を見ながら食べる。6時過ぎにはシュラフに入り、明日の天候を心配しながら眠りについた。
十勝岳避難小屋、後ろは十勝岳の大正火口壁
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思わぬ悪天に予定を変更。行くべきか、行かざるべきか!
2日目 夜中に数回目が覚めるが寒くはない。セーターを着て寝て丁度良いくらいだ。4時頃から早立ちする人たちの準備の音や話し声で寝ていられなくなる。シュラフの中で天気予報を聞こうとしてラジオのスイッチを入れると、アトランタ・オリンピックのサッカーの決勝、アルゼンチン対ナイジェリア戦の実況放送が始まったばかりだった。
窓を開けて外を見ると雨混じりの強い風が吹いている。しかし十勝岳の噴火口まで見えるので視界は思ったほど悪くないようだ。朝食に狸そばを作って食べてから、ゆっくりとコーヒーを飲んで気持ちを奮い立たせる。出発の決意も固まったので雨具を着けザックの防水対策を万全にする。ドアを開け、外に足を一歩踏み出すと思った以上に風が強い。今日の予定は雲の平、ポンピ沢を通り美瑛富士避難小屋へ。ここからベベツ岳、オプタテシケ山を踏んで双子池キャンプ地までの行程。1日行程としては長くもなく短くもなく、順調に歩けば夕方前には楽に着ける距離だ。
オプタテシケ山からトムラウシ山までは初体験のルートで、今回の縦走目的もこのルートの走破にある。この縦走が終われば大雪・十勝の縦走主要ルートを全部歩いたことになる。天候とは裏腹に、心の方は意気盛んだ。
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雨と風の吹き上げる雲の平へ向かう登山道には、20人ほどの大パーティが雨具をばたつかせながら列をなして登っている。雲の平にはトカチフウロが咲いているだけで、他の花は盛りを過ぎたようだ。美瑛岳の爆裂火口跡を見上げる所まで来ると急に雨が止み、陽が出てきた。振り返ると美瑛の町や旭川市街が見える。登山道わきの斜面にはエゾコザクラが風に揺れている。
美瑛岳と爆裂火口跡
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函状になった涸れ沢の前で中高年の大パーティを追い抜く。しばらく歩きポンピ沢に下りた所で小休止して顔を洗う。ここからの急登がひと頑張りのしどころ。以前に下ったことはあるが、重装備での登りは初めてだ。あえぎ喘ぎ登って小1時間もすると雨具の中は汗でビッショリ。美瑛岳と美瑛富士の分岐まで来ると霧が出始め、風も強くなってきた。追い抜いた大パーティはどうやら引き返したようだ。
ポンピ沢で一休み
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美瑛岳の中腹を巻くように進むと美瑛富士とのコルに出る。霧で視界は悪く、周りはあまり見えない状態。休みなく吹く風で段々と身体が冷え込んでくる。美瑛富士避難小屋まであと1,3キロ、そこで大休止の予定だ。途中、美瑛富士東斜面の雪渓トラバースは、頂上から吹き降ろしてくる風の強さで身の危険を感じる。気温が低く、雪も締まっているため転倒したら下まで滑り落ちそうだ。
美瑛富士避難小屋あたりまで来るが、なんとあるべき所にある筈の小屋が無い。どうも老朽化したため取り壊したようで、廃材が一まとめにして積んであった。テント場には2張りの中型テントが張られていて、強い風にフライシートがばたついていた。仕方なく廃材の陰で風を避け、カロリーメイトとチーズで少し早い昼食を取る。ゆっくりと大休止を取れなかったが、身体も一息ついたので気を取り直して石垣山へ向けて出発する。
石垣山の取り付きまで来ると突然、突風とともに大粒の雨がバラバラと音を立てて落ちてきた。この状態ではオプタテシケ山までの稜線歩きは危険と判断してテント場まで戻る。テント場に着くと先程まで停滞していた4人パーティが、これから双子池キャンプ地まで行くという。もう一度一緒に行こうかと考えるが、身体も冷え切っていたのでやはり取り止めて停滞を決める。
強風に苦労をしながら小屋跡横にテントを張るが、ぺグだけでは心配なので大きな石を探して綱を固定する。テント内にマットを敷いて身体を横たえると、急に安堵感からか疲れが出てきた。しばらく横になっていると徐々に疲れも和らいできて、昼くらいまでに天候が落ち着けば何とか双子池キャンプ地まで行きたいという考えが頭を占めだす。しかし天候は一向に良くならず、そんな思いは強風もろとも吹き飛んで行ってしまった。
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さすがにあきらめてシュラフの中で横になり、明日からの行程を考える。一案は早立ちしてオプタテシケ山を越え、双子池を通り過ごして三川台キャンプ地までの強行行程。もう一案はオプタテシケ山までのピストンで縦走はあきらめる。はっきりしているのは登山届けを出しているので下山予定日を変更できないということ。何れにしても決断するのは明日の天候次第。深く考えずにまずは体力を温存するのが先決だ。雨に負けて気力まで萎えらせてはいけない。しかし以前、オプタテシケ山から眺めたトムラウシ山の双耳峰、それを見ながらの縦走ができなくなってしまうのかと思うと残念無念の気持ちになる。
ちっぽけなマイテント、後ろは美瑛富士
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悪天のせいか夕方までに7張りのテントが並び、思いがけずカラフルなテント村が出現した。暗くなるとまた大粒の雨が強風を伴って降ってきて、フライシートを激しく叩く。テントの周りに溝を掘らなかったおかげでシート下に水が入り込んでくる。大いに後悔をする。それでも内部まで沁み込んでは来ないので一安心。夕食は赤飯にキムチスープというミスマッチメニュー。シュラフの中で双子池キャンプ地に向かった4人パーティは無事に着いたのだろうかと考える。夜中に目を覚まして外を覗くと、流れる雲の合間から冷たく輝く月が見えた。
美瑛富士キャンプ地、停滞組が次々とテントを張る
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トムラウシ山は遥か遠く、最後はもうバテバテ!!
3日目 朝3時に目が覚める。外に出て見るとかなりの寒さだ。同じテント場にいた人に後で聞いたところ、気温は4度Cでテント内でも12度Cしか無かったそうだ。雨は止んでいるが風は相変わらず強く吹いている。まずは朝食に前夜の残り物である赤飯と玉子スープで腹ごしらえをする。霧も無く視界はかなり良いので三川台キャンプ地を目指すことを決断し、テントを撤収する。
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風で体温が低下するのを防ぐため雨具の上下を着てからザックを背負い、石垣山の取り付きに向かう。石垣山からベベツ岳にかけての稜線に出ると、美瑛側から吹く横殴りの風が物凄く、身体が飛ばされそうになる。街中では一生経験出来ない風の強さだろう。前かがみになって左足に体重を掛けながら一歩一歩確実に歩く。
オプタテシケ山頂から見る十勝連峰
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風をさえぎる物が何も無いベベツ岳からの登り返しに苦労しながら、オプタテシケ山の爆裂口を左に覗く所まで来る。オプタテシケ山頂は目前で標柱も見える。ついにオプタテシケ山頂。ここまで2時間半もかかってしまった。空気は澄んでいて展望は最高。振り返ると十勝岳を盟主とする十勝の山なみが整然と縦に並んでいる。行く手にはトムラウシ山を中心にして大雪の山々が裾野を広げ、遥か彼方には阿寒の山なみが見える。
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強風で体温が低下するため、後から登ってきた青年と写真を撮り合い10分程で山頂を後にする。ここからトムラウシ山までは初めて歩くコースなので幾分緊張しながら、崩壊した稜線を伝って亀坂の最上部へ出る。ここから双子池キャンプ地は遥か下方に小さく確認できる。双子池キャンプ地からオプタテシケ山頂まで亀のようにトコトコと登らなければならないから『亀坂』と名付けたのだろうか。この長い坂を一気に下ると膝を痛めてしまいそうだ。
オプタテシケ山頂、風が強い!
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坂を下る途中で縦走中のカナダ人女性と出会う。黒岳からの縦走で、富良野で友人と待ち合わせをしているという。昨夜は双子池キャンプ地に泊まったのだが、強風でテントが飛ばされそうになって恐ろしかったと話してくれた。それでも大雪山は素晴らしいとたいそう誉めてくれた。互いに励ましあってから別れ、また一歩一歩慎重に坂を下る。こんなところで転倒したらザックもろとも転がって大怪我をしそうだ。坂の途中から下は岩石帯になっていて、その岩と岩の間にチングルマが押し合うように咲いている。やっと双子池キャンプ地に着くが、テント場は昨日の雨でかなりぬかるみができていた。
双子池キャンプ地から亀坂を見上げる
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ここまで歩いただけで結構体力を消耗しているのが分かるが、今日の行程はこれからが勝負。しばらく休んだ後、亀坂基部の雪渓から流れ出る水を水筒に補給し、重い腰を上げる。振り返って見る亀坂は首が痛くなるほどの高度差があった。
双子池キャンプ地からしばらくは笹とダケカンバが生い茂る道で、雨のせいもあってかほとんどがぬかるみの悪路と化している。ゆるい勾配にかかる頃からぬかるみも消え、ハイマツ帯の刈り分け道に変わる。時々ハイマツの根に足を取られながらも快調なペースで進む。10時半に小休止。ここから見るオプタテシケ山は羊蹄山のように端正な裾野を左右に大きく広げている。
コスマヌプリへ向かう途中、4〜5メートルもある巨石がゴロゴロしている丘陵を通過。巨石が積み重なった所は、悪天の時絶好のビバーク地になりそうだ。お昼前にコスマヌプリ山頂へ着く。三角点のある山頂で2人の単独行者と談笑、そのうちの1人は苫小牧でラーメン店を営む65歳のおじさん。その年齢を感じさせないエネルギッシュな行動力に感服してしまう。自分もその年齢まで縦走登山ができるだろうかと思わぬ所で考え込んでしまった。
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この頃から風も弱まり、気温もぐんぐんと上がってくる。遥か前方にはトムラウシ山の双耳峰が圧倒的な高さで聳えている。大雪山・化雲岳方向から眺めるあのどっしりした山容とは一味も二味も違う。少し前から左足小指に違和感を覚えていたので靴下を脱いで調べてみると、濡れた靴下の中に毛玉ができ、それが小指にあたってマメを作っていた。正午をまわったので今度はツリガネ山目指していったん下る。2時間近く歩いて1558m峰(ガイドブックではスマヌプリ)に着く。暑い中、単調なアップダウンは意外と体力を消耗する。
スマヌプリからトムラウシ山を遠望する
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65歳のおじさんと小休止を取りながら前後して歩く。この辺りは笹とハイマツの刈り分け道がずっと続いているので、高山植物を楽しむことは出来ない。3時ちょうどにツリガネ山へ着く。もう9時間半も歩いているので身体は大分バテがきている。ツリガネ山から腹這いになって美瑛川源頭を見下ろすと、ほぼ垂直に切れ落ちた遥か下方には小雪渓が点在している。そのあまりの落差に背筋がひやりとしたので、早々に後ずさりをする。ここから美瑛川を挟んだ向こう側には兜岩が異様な姿で聳えている。
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コスマヌプリ(左)と美瑛川源頭 ツリガネ山、奥はユートムラウシ花園
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この辺りから雲が出てきたせいか日がかげり、少し肌寒くなってくる。後はユートムラウシ花園にある三川台キャンプ地へ向かうだけの行程。しかしまた大きく下ってから登り返さなければならない。いい加減うんざりしてくる。途中テントを張れるような場所があると、このままテントを張って泊まりたいという誘惑にかられる。登りになっても巨岩の陰にテントを張った跡があると、もうここで泊まろうかなという弱気な虫が頭を持ち上げてくる。
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後を歩く65歳のおじさんもかなり疲れていて、もう水が無いという。こちらも同じで、少し前から水筒の水は切れている。おじさんを励まそうとしていると、先に「あと1時間頑張りましょう」と逆に励まされてしまった。10歩進んで一休みを繰り返しながら登ると、ダケカンバの生い茂る緩斜面に出る。おじさんは笹の間から流れ出る水を手ですくって飲みだした。汚れた水は危ないよと声を掛けると、湧き水だからきれいだと言う。「もう少し、もう少し」とつぶやきながら頑張って歩いていると、前方にテントが2張り見えた。三川台キャンプ地だ。現金なもので急に足取りが軽くなり、ピッチも上がる。11時間半をかけてついに三川台キャンプ地に到着。
三川台キャンプ地からトムラウシ山を見る
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コスマヌプリで談笑したもう1人の男性はもうテントを張って休んでいた。少し遅れておじさんが到着。お互いの健闘をたたえて握手を交わす。上のテント場の空きスペースをおじさんに譲り、大学生パーティの大型テント2張りがある下のテント場にスペースを確保する。水はすぐ横の雪渓から流れ出て、エゾノリュウキンカが咲く池に流れ込んでいる。テントを張っている途中、先に着いていた男性が熱いレモンティを差し入れてくれた。生き返る思いがして、丁重にお礼を言う。大雪渓の残る絶壁に囲まれたカールにある三川台キャンプ地は、トムラウシ山を見上げることの出来る最高のキャンプ地だ。
三川台キャンプ地のマイテント(奥)
隣の大型テントからは絶えず大きな笑い声が聞こえてきて少々うるさい。テントの中で横になり、少し身体を休めてから水場に行き顔を洗う。雪渓から流れ出る冷たい水は疲れ切った身体に生気を呼び戻す。夕食は味噌ラーメンとシーフード・スープ。
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夜、シュラフに入って今日の行程を振り返る。予想以上に天候が回復して思った以上の展望が得られたが、ロングコースでアップダウンが多いせいかかなりバテバテになってしまった。昼食をしっかり取らなかったためにシャリバテになったのかも知れない。楽しみながら歩くなら双子池キャンプ地から三川台キャンプ地までが適当か。少し頑張っても南沼キャンプ地までだろう。美瑛富士キャンプ地での停滞が無理な行程につながってしまった。悪天で止むを得なかったが、登山届けに予備日を活用するぐらいの余裕はあっても良かった。今後の反省点である。余程疲れていたのか隣のテントの声も気にならず、一度目が覚めただけで朝までぐっすりと眠ることが出来た。
カール状のユートムラウシ花園
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霧雨のトムラウシ山頂、悪路に苦しみながらトムラウシ温泉へ!
4日目 朝3時に目が覚める。まだ薄暗いが雨は降っていないようだ。シュラフの中でウトウトしていると、隣のテントから起床の掛け声が聞こえてきた。テントをたたむ音や後片付けをする音がしばらく続き、5時ごろ全員で気合を入れ合ってから出発して行った。下のテント場には自分のテントだけがポツンと取り残され、急に寂しい雰囲気になってしまった。
朝食は山菜おこわのお粥、玉子とキムチの混合スープ、そしてコーヒー。一応、山でのフルコースである。食事中に65歳のおじさんが顔を出し、トムラウシ温泉に下山したら苫小牧のラーメン店に電話して、元気でいることを知らせてほしいという。おじさんの行程は、今日は忠別岳避難小屋まで行き、明日は旭岳温泉に下りる予定だという。まったく元気なおじさんだ。必ず電話しますからと言って電話番号の書いたメモ紙を受け取る。気をつけてという私の声を背に受けておじさんは三川台分岐を目指して登って行った。
一人ぼっちになったテント場でテントを撤収していると小雨がぱらついて来るが雨具を着ける程でもないようだ。ユートムラウシ花園の向こうにはトムラウシ山が横たわっている。この眺望が得られるのならまた来て見たいキャンプ地だ。6時半にキャンプ地を出発。カールの上にある登山道に数人のパーティが見える。南沼キャンプ地から来たのだろう。三川台分岐に行く途中、笹に付いた水滴でズボンが濡れるので雨具を着ける。三川台分岐からは右手にユートムラウシ花園のカールを見下ろし、左手には南沼まで延々と続く黄金ヶ原がある。
7月下旬には1週間程エゾノハクサンイチゲの大群落が見られるという。残念ながらその時期を過ぎてはいたが、所々にその名残が見られた。今はアズマギクの時期らしい。トムラウシ山を見ながら広大な花園の一本道を歩く。まさに天上漫歩の気分だ。30分程で黄金ヶ原は終わり、ここから南沼までは緩い登りが続く。振り返ると今歩いてきた黄金ヶ原の一本道が、緑の絨毯の中に続いていた。
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南沼は意外と大きく北沼と同じくらいだろうか。ここから急斜面を登るとすぐ南沼キャンプ地に着く。霧が流れていて頭上に見える筈のトムラウシ山が見えない。山頂への分岐点にザックを降ろし、カメラ片手に空身で山頂を目指す。登るにつれて霧に雨が混じりだし、下ってくる人たちは結構濡れていた。トムラウシ山頂は風と霧雨で肌寒い。標柱をバックに写真を撮り合ったり岩陰で休んでいたり、全部で10人程が狭い山頂を賑わしていた。眺望はまったく無いので中年女性と交互に写真を撮り合ってすぐに下山を開始する。分岐点まで下りてから、南沼キャンプ地を流れる雪解け水を水筒に補給し、トムラウシ温泉目指して出発する。
南沼
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家に帰ってから写真を現像に出したところ、三川台分岐以降の写真は何も写っていませんでした。カメラのシャッターが故障していたのが原因でした。山行記録写真としては三川台キャンプ地までで終了です。この後の写真は説明補助として、1998年の黒岳〜トムラウシ山縦走時のものを載せました。
南沼方向からトムラウシ山
奇岩の屹立するトムラウシ公園に来ると、雪解け水の流れる水辺にチングルマが群生している。トムラウシ公園からガレ場を登り返すが、結構急で息が切れる。霧の流れる中、ケルンが林立する前トム平に出る。晴れていれば石狩連峰の眺めが良いらしい。またガレ場に出るが今度は下り。踏み跡も残らないため、ペンキマーカーを見落とせば迷い易い所だ。
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トムラウシ公園 前トム平からのトムラウシ山
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コマドリ沢上部には雪渓が残り、冷たい空気が吹き上げてくる。前トム平からコマドリ沢上部まで、トムラウシ温泉から登ってくる多くの登山者とすれ違ったが、ほとんどが疲れきった表情をしていた。コマドリ沢とカムイサンケナイ川との出合いは水量が多く、川に沿って小渡渉を繰り返す登山道は、大雨で増水した時など歩けるのだろうか。コマドリ沢から離れてカムイ天上を目指すが、これがとんでもない悪路。登ってくる登山者の疲れきった表情が納得できた。泥と石と木の根が渾然とした登り返しで、泥が雨具の膝上まで巻き上がってくる。
コマドリ沢の雪渓
この頃から陽が射し始め気温が段々と上昇してくる。1時過ぎカムイ天上着。大きなダケカンバのある広まった道で、ここで小休止を取る。着けていた雨具を脱いでシャツ1枚になると、濡れていた肌が乾いてきて気持ちが良い。一息ついた後トムラウシ温泉へ向けて長い登山道を下る。エゾマツの中に切り開かれた登山道は道幅も広く快適だが、行けども行けどもトムラウシ温泉は見えてこない。途中、登山者用駐車場への分岐がある。トムラウシ温泉から車でここまで来ると、登りで1時間50分、下りで1時間10分短縮できるという。登り7時間30分のコースでこれだけの短縮は魅力だ。トムラウシ山だけが目的ならこれを利用しない手はないだろう。
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長い下りに飽きてきた頃、駐車場へ行く林道と交差する。膝に疲れが出てきた頃、水の流れる音が聞こえてくる。下を見ると林間にトムラウシ温泉が見えた。3時半トムラウシ温泉着。国民宿舎「東大雪荘」は以前バイクで来た時と違って、4階建ての立派なアルプス風ホテルに衣替えをしていた。
カムイ天上付近からのトムラウシ山
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「東大雪荘」の横にある登山者専用泥落とし場で、雨具に跳ね上がった泥や登山靴にこびり付いた泥を洗い流す。少し小奇麗になってからフロントへ行き宿泊の申し込みをする。大広間でも良ければというので、それで結構ですと宿泊手続きをする。下山時に話しを交わした家族パーティの話では、どんな所でも良いからと申し込んだのだが満室を理由に断られたという。キャンプ場でのテント泊を覚悟していただけに蒲団の上で寝られることは望外の喜びだった。
先ずは家と白金温泉観光センターに無事下山の連絡をし、苫小牧のラーメン店へおじさんの無事を知らせる。2階の大広間「大雪の間」には蒲団40組ぐらいが2列に並べられていたので、そのひとつを確保してザックを降ろす。さっそく着替えを持って大浴場へ向かう。ユートムラウシ川を見下ろす立派な露天風呂で、今日一日の行程を思い浮かべながら山行の汚れを洗い流す。風呂から上がり、さっぱりしたところで缶ビールを1本飲む。美味い!!! 6日振りのビールは芳醇な香りを残しながら胃に落ちていく。
夕食は下山時に抜きつ抜かれつした男女2人組パーティ2組と、単独青年を合わせた6人でテーブルを囲む。先ずは全員の山旅が無事に終わったことを祝って生ビールで乾杯。これまた美味い!!! 山菜料理やサホロ・サーモンの刺身がこれまた美味い! 食事中も体験談に話が弾み、時間の経つのがあっという間だった。全員道外の人たちで20代だったが、山の話では意外と年齢差は感じなかった。沼の原で熊にテントを破られた話や、忠別岳避難小屋近くに熊が出没したという掲示板の張り紙についても話が弾んだ。結局生ビール2杯を飲み部屋へ引き上げる。蒲団に横になりながらまた缶ビールを飲み、明日は暑寒別岳に行くという単独青年に、雨竜沼湿原は北海道の尾瀬と言われるくらい素晴らしい所だと自慢しておいた。
翌日1時間くらい朝風呂に浸かってから浴衣のまま散歩に出る。山あいに流れる朝の空気は気持ち良く、激しく流れる川の水音も心地好く身体に響く。朝食はバイキング形式なので不足がちだった野菜を多めに食べる。食後のコーヒーをゆっくり飲んでからフロントへ行き宿泊料金を精算する。生ビール2杯分を入れて7,770円とは予想以上の安さだった。
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