今日もぶつぶつ



5月29日(火)
「涙の髪の毛物語」って番外編を書いてもいいような事態が続いています。
金曜の夜、あまりのうっとおしさに後先考えず自分で髪を切ってしまった私は、どうしようもなくがたがたになった毛先を見て考え込みました。
「これはなんぼなんでもあかんやろ・・・。美容院で揃えてもらお・・・。」
しかし、悲しい事に、美容院はエビを凌ぐほど私にとっ天敵だったのです。さて、そんな逆境にもめげず、がんばって会社に行った月曜日、事態は予想以上に波紋を呼んでいました。
「矢掛さんが髪を切った!」
そのニュースはなぜか社内をかけまわり、見ず知らずの人が擦れ違う私をじ〜っと見ています。
それはそれでなかなか面白い・・・。
しかし、女性は恐いです。私が自分で髪を切ったのだと見ぬいた人がいました。それを聞いて、「嘘!カルチャーショック!」とのたまう人もいました。
何はともあれ、火曜日には、「矢掛さん、自分で髪を切ったんだって。」という話が吹き荒れていました。
あああ・・・人は見かけによらない・・・人々の心の中を、変な髪型の猫が何匹踊っていたことか・・・。
自分で言うのもなんですが、私の見た目はものすごく優しげです。
おかげで、「あなたのように優しくて家庭的そうな人が好きです。」って寄ってくる人は学生時代に多かったですが、もういい年になってしまったのでさすがにゼロになっちゃいました。ついでに、そんなことを言う人達は絶望という名の片道切符を買ってしまったらしく、世にも恐ろしい地獄を味わったみたいです。ははは・・・(乾いた笑い)
それはともかく、「これはちょっとあかんやろ。」という意見が圧倒的多数を占めてしまったので、仕方なく美容院へ行くことにしました。
で、会社から家まで約1時間半の道のりをまともに帰っていたら、当然美容院なんて家に着いた頃には閉まっているので、会社の同僚の人の勧めもあり、途中の駅で降りて、教えてもらった美容院に行きました。
が・・・カット4500円・・・・。それが安いのか高いのか、世間一般の相場は知りませんが、少なくともうちの近所には3500円のところがあります。しかも、めっちゃ高級そうな店構え・・・。
その時点で6時半。私にはまだちょっと余裕がありました。
「この辺で探せば、もうちょい安い店の1件や2件はあるだろう。」
ふふふ・・・3件見つけた♪でも、そのうち2件はすでに閉店。閉まったシャッターに書かれた美容院って文字はまばゆいばかりで、残り一件は理髪店。
その昔、理髪店に入ると「女性はご遠慮下さい。」と追い返された苦い経験のある私はためらいました。しかも、カットの料金出ていません。
美容院に限らず、値段が店先に出てない店には絶対入らない私は、ここも諦めました。
心の余裕だってまだあったのです。だって、まだ7時前。それに、今から日本第2の年、大阪最大の町梅田へ向かうのです。
9時まで開いてる店だって山ほどあるはず・・・。
そんな余裕綽々の私の前に立ちはだかった壁は、「大阪には遅くまで働いてるOLの味方をする美容室はございません。あくせく働く貧乏女を誰が相手にするもんか!俺らの相手は昼間やってくる有閑マダムさ!」
ってなもんです。
開いてない・・・ってレベルじゃないよ・・・無い・・・美容院、1件も無い・・・なんで?花屋なんか5件見つけたぞ?嗜好品って意味じゃ似たようなもんだろう?
こうして1時間近く歩いてやっと見つけた理容院・・・赤と青のお決まりのランプがくるくる回っていますが、会社の女の人が、「理容院だって、カットだけだったらやってくれるよ、普通。」
って言ったのも心の支えに、店に入りました。
答え:「ここは男性専門ですので、ご遠慮願えますか?」
切るだけでいい!そんな主張をしつつ食い下がる私に対して、
答え:「申し訳ありませんが、女性の方はご遠慮願います。」
・・・・・・・あのさ、髪切るだけでしょ?なんで女はだめなの?男しか切らないことにプライドでもあるの?別にややこしいことしてくれなんて言ってないよ?ガタガタの毛先をそろえてくれるだけで良いんだよ?大体あんたら、店の中妙にきれいやん。街角の床屋さん、って感じじゃやないやん?
・・・・・・なんであかんねん〜!!?
性別変わっただけで切られへんほど下手なんか?それともしょうもないプライドか?
なんにせよ、客を見も蓋も無く追い返すな!商売下手!
「性転換したんです。」って言おうかとまで思いつめましたが、なんだか悲しくなって店を出てしまいました。
さまようこと1時間・・・めっちゃ汗だくです。なのに成果無し。ああ・・・家に帰ってやることいっぱいあるのにな・・・。
なんでたかが髪を切るだけでこんな目に遭うのでしょう?髪を切るなってことでしょうか?お前みたいな奴が美容院なんて贅沢だってことでしょうか?
・・・ってひねくれるよな・・・。1時間歩いて無駄足に終わってるんだもん。まるで神様が「美容院に行くな!」って警告してるようじゃないですか。
結局今日は美容院にはいけませんでした。
土曜日まで待つしかない・・・。
さて、私はいつちゃんとした美容院で髪を切れるのでしょう?

5月27日(日)
全ての過ちは、金曜日にその種をまいていました。
研修を終え疲れていた私は、首の周りにまとわりつく髪の毛がうっとおしかったのです・・・。
そして・・・・・・ジョギ・・・ジョギジョギ・・・・・・ジョギ・・・。
私がこの前美容室に行ったのは1年半ほど前・・・このHPを始めてからは一度も行ってません。ある程度長くなると自分で切っていました。
別に良いんです、多少毛先がガタガタでも、後ろで結んでればばれません。
でも・・・・・・。
今回は切りすぎました。後ろで結べないくらいの短さになってしまいました。
これは、1年半ぶりに美容院か・・・?
さて、ここで説明しなきゃいけないことがあります。
私は、エビと服屋と病院と美容院が異常なまでに苦手なのです。
まずエビ・・・・あああこうやって書くのも嫌なくらい嫌いです。従って割愛させていただきます。
服屋・・・・・・何が嫌って、寄ってくる店員・・・・ちょっと服を見てるだけなのに「いかがですか〜?これは今年の流行で、ここの部分がこんな風で・・・・・・。」
う・る・せ〜!いいんだよ、今年の流行なんかしるか!第1、今年しか流行してないもの買ってどうすんだ?来年着れない服なんか金の無駄!っていうか、買う気もないから、あっちに行ってくれ!
心の中でそう思いつつ、悲しいことに私の見た目はめっちゃ優しげです。気弱です。だから宗教とかキャッチセールスの人とかにも砂糖に群がる蟻のように寄って来られるのですが、あまりに気弱過ぎてべらべら一方的に喋る人には無言で無視して通りすぎる傾向がございます。
服とかさ・・・いいな〜と思っても、よっぽど気に入らないと買わないんだよ・・・なのに気に入る前に店員が寄ってくるから、逃げちゃうのさ。
でも、服はまだいい!逃げれるもん。
ところが髪の毛はそうもいきません。
理容師の人々は、私にとってものすごく苦痛です。
まず、髪を切りながら、私の趣味じゃない雑誌を持ってきます。
「どっちがいいですか?」
聞くけど・・・nonnoとかJJとか持ってくるけど・・・(他の雑誌は忘れた・・・・)しらね〜よ、そんなもん!いっそ少年ジャンプとか持ってきてくれ・・・。
それでも仕方ないので「こっち・・・。」とか言いつつ、全然興味のないファッション雑誌とか、OL専門誌とか、目をうつろにしてページだけめくります。
いっそ寝てしまいたいです。でも、彼らはそんなことを許してくれません。
雑誌を捲る手が止まると、彼らはすかさず話しかけます。
「毛先に軽くパーマをかけるといいですよ。」「ウェーブとか、どうですか?」「シャギーとか、ちょっといれときましょうか?」「いまね、こうい髪型はやってますけど、ちょっと試してみましょうか?」
・・・・・・・・・服屋のように逃げ出すことはできない。なんなんだよ?毛先パーマ?ウェーブ?んなもん気軽にかけられるか?シャギーってなんだよ?流行ってる髪形なんか知るか!
そうは思いつつ、何も言い返せないので黙り込みます。こうして私と美容師さんの間には越えられない壁が出来てしまうのです。
私だって分かっています。美容師さんたちに悪気がないことくらい。
あの人達は、やってきたお客さんが満足してくれるように、色々アドバイスしたり、情報を教えてくれたいしてるのでしょう。普通の女性が喜びそうなネタを一生懸命探してさ・・・・。
ごめんな・・・全部私がいけないんだよ・・・。
20代後半にもなって、髪は自分で切ってるもんな・・・。多少がたがただって、結べばいいから気にしないしな・・・。
なのに見た目は「女の子」だもんな。ファッションの話とか、喜んでやりそうに見えるんだ・・・。
ちょっと前、友人の鎖帷子さんに、
「私が化粧してないって言ったら、職場の人達、『嘘!見えない!信じられない!』って言ってたよ。」
と得意げに話したのですが、その時鎖帷子さんは、至極冷静に、
「普通、あんたの年齢ぐらいの女の人が化粧もせずに会社に行くって、誰も思ってないからだよ。」
と言いました。その鎖帷子さんの言葉が旨に突き刺さります。
「これ位の年の女が、1年半も美容室に行かず、自分で切ってがたがたになったからって美容室に泣きついてこないよな・・・・・・。」
そう思うと、ただでさえ苦手な美容室がますます遠い存在に見えます。
でも、ここは乗り越えなければ仕方ないのです。こんな状態で会社に行くわけには行かないのですから。
私は意を決して美容院へ向かいました。美容院は山ほど存在しています。
でも、カット3500円・・・その時点で私はびびっていました。3500円?・・・2週間暮らせるよ・・・。
でも、安くて3500円です。5000円なんてざらです。しかも、「要予約」なんて冷たい言葉が、美容院に疎い私に降り注ぎます。
美容院って、予約しなきゃ入れてもらえないんだろうか?しかもなんだよ、この店の造り!どうしてこんなに高級そうなんだ?ブランドに身を固めた女が順番待ちしやがって!私のような貧乏人なんか、前を通るのもおこがましいっていうのか!?
的外れな怒りを抱きつつ、いくつもの美容院を通りすぎました。その内に6時近くなり、どこもかしこも店じまいを始めます。
こ、こんなに悲しい気持ちになったことがかつてあったでしょうか?
私は、美容院にすら入る勇気のない人間です。美容院が恐くて仕方ないのです。一歩足を踏み入れたら、「なあに?あんたみたいなのも、髪を切って欲しいの?」って冷笑されそうで恐くて仕方ないのです。
もちろん、それは私の想像上のことです。多分普通に迎え入れてくれて、「どのように切りましょう」とか言われるのでしょう。でもそこで、自分で切ってて失敗したから、どうにかしてください、って言ったら?
「この女、何なの?うわ〜ガタガタ!自分で切った?バカじゃないの?」「お前なんか、美容室に来る資格ね〜んだよ!適当に切って、金ぼったくって返しちゃえ!二度と来るな!うっとおしい!」
そんな風に言われそうで、ものすごく嫌なのです。
ここまで根拠のない脅迫観念に苦しめられるのには、理由があります。

私は小さい頃から母親が居なくて、しかも父は、私が「女らしく」あることを極端に嫌がっていました。
だから小学生の頃からほとんど服なんか買ってもらったことはなくて、見兼ねた近所のおばちゃんが、「姪の服だけど、よかったらどうぞ。」と持ってきてくれるくらいでした。
当然学校でも、「あの子、ボロばっかり着てる。」「もらい物の服ばっかり着てる。」って言われます。今ほど陰湿な時代じゃなかったので、それでいじめられるってことはありませんが、どこか「負い目」のようなものは感じていました。誰に対する、何への負い目か・・・・・・。
髪型も、もちろん自由じゃありません。私の父は、私が髪を伸ばそうとすると、「長い髪で男でも引っ掛ける気か?」と言いました。当時の中学生・・・短いと、髪が跳ねてる時の手入れとかが大変だっただけなのにね・・・。長いと括ればごまかせるから・・・・だから伸ばしたかっただけなのに、切らなきゃいけません。
切るのは当然父か、父の知り合いの床屋さん。美容院なんて行ったことありません。
友人が、「髪を切りに行くから一緒に行かない?」と言ってくれても、
「髪ぐらい、どこで切っても同じだろう?それともお前は金持ちの家の娘か?髪切るぐらいで何千円もするとこに行くのか?何千円も出して髪を切って、男でも引っ掛ける気か?」
・・・・・・今なら分かります。私の両親は離婚していて、離婚の原因は、母が父の上司と浮気したから。上司と妻に裏切られた父は、母親に似てる私に時々八つ辺りしてたんだろうな〜って。
でも、「お前の母親はふしだらな女だったから、その血を引いているお前も気をつけないとふしだらな女になる。」と子供の頃から言われ続けた私は、頭の中ではそんなことを言った父親自身のやり切れなさが理解できても、感情の中で、美容院にすら気後れしていけない自分の事が情けなくて仕方ありません。
美容院だけじゃない。服を買う時だって同じです。
寄ってくる店員さんは、私を「普通の女性」として扱ってくれます。美容院だってそうです。高校生の時も、」大学生の時も、それから今も・・・「女の子だから」って理由で荷物を持ってもらったり、優しくされると、異様なまでの罪悪感を感じます。それは、「男女平等」とは全く別のものです。ただ「女性」として扱われ、女の子として相応しい」扱いを受けると、無性に罪悪感を感じます。
私はそんな風に扱われる資格がないのに、そんな風に扱われると、騙しているような、身分違いのような気がして、居心地が悪いのです。
たかが美容院・・・でも、あの場所では、私くらいの年頃の女性が好みそうな雑誌を用意してて、私くらいの年齢の女性が喜びそうな、ファッションやら髪型や流行やらの話をして、私くらいの年齢の女性が満足するようなサービスを一懸命提供しようとしてくれる人達がいる・・・。
私はそれに相応しくないから、行くのが嫌。罪悪感の塊になって、息が詰まって仕方がない。だって私にはそんな資格がないのに、普通の「私くらいの年齢の女性」のふりをして、騙そうとしてる・・・。
そんなの、ただの思い込みだって分かってるけど・・・。小さい頃から、「普通の女の子らしいことを望むのは、あんな母親の血を引いたお前にはふしだらだ。」と言われ続け、実際に美容院にいったこともないし、自分の小遣いで500円とか1000円の服を買うのも、父にばれればまた罵倒されるとビクビクし続けてたから、やっぱりいまだに克服できないのです。
結局、美容院にはいけませんでいた。
自分で適当に髪を切って、ピンで留めまくって誤魔化すつもりです。
だって、鎖帷子さんの言葉を応用すれば、私が美容院に行くのが嫌で自分で切ってガタガタの髪のまま出社してるって思わないでしょうからね。
ちょっとくらい変でも、「そういう髪型かな?」って思うでしょう。
あらら、今日は美容院にすら入れない自分があまりにも情けなくて、ちょっと嘆いてしまいました。でもさ、しょうがないよ、トラウマなんだし、誰かに迷惑かけてるわけでもないし。そのうちなんとかするし。
でも、世なのかに美容院が嫌いとか苦手な女性っていないものなのでしょうか?十人十色。色んな理由で苦手な人が、絶対いると思うんだけどな〜。
というわけで、そういう方がいたら、体験談とか克服法とか、是非とも教えて欲しいです。
メールでも掲示板でも、誰か書いてくれないかな〜。

5月25日(金)
今日は研修の日でした。
研修の何が嬉しいって、普段より1時間はゆっくりできて、普段より2時間は早く帰れるってことですね。
いつもは6時半に家を出る私が今日は8時過ぎに家を出て、会社が終わる時間には家に着いたりしています。
ああ幸せ・・・と思ったのも時間的なことだけで、内容は結構ハードでした。
だって、研修の午前の部、10時から12時40分まで。その間の休憩はトイレ休憩5分のみ。
腰痛を抱える私には、2時間40分ずっと椅子に座っているだけで結構苦痛なのです。
おかげで昼休みには歩きました。
それ以前から、ずっと椅子に座ってたので動きたくて仕方なかったのです。
だから昼になると、お腹も空いてはいるものの、できるだけ遠くでご飯を食べてたくさん歩こう!と心に決めていました。
その望み通りぎりぎりまでご飯を食べていましたが・・・
モ○バー○ーって他のファーストフードに比べてめっちゃ高い!
おいしいしサービスもいいから仕方ないのか・・・質が良ければ平日の半額戦争にもびくともしない!そんな世間の風を感じたモ○バー○ー・・・。
ま、それはそれとして、昼からも研修は半端じゃありませんでした。
やっぱり休憩はトイレ休憩5分だけ。っていうか、全員がトイレから戻ってきたら5分立ってなくても講義を始めるのって一体・・・・。
人間の集中力って1時間から1時間半しか続かないってどこかで聞いた事がありますが、どうして3時間近く授業が続いたんで御座いましょうか?
なんにせよ、今日の研修はきつかったです。ずっとお勉強でした。
講義代、15000円・・・払ってくれた会社に何らかの成果を返すのが筋かと思われますが、積め込み授業なので3割程度です、分かったの。
へへへ・・・こんな感じで給料泥棒なのかな〜なんて落ち込んだりして。
なんにせよ、早く帰れて嬉しかった!(やっぱり給料泥棒!)なんて思う五月晴れ。しゃっくりが止まりません(涙&意味不明)

5月24日(木)
ハンセン病訴訟、原告側が勝ちましたね〜。
思えば小学生高学年の頃から「公民」というものを学校で習い始めて、行政訴訟で原告側が勝ったのって記憶にありません。
たいていは地元の下級審で勝つのですが、上へ行くほど徹底的に負けてしまいます。
だからテレビで何かの行政訴訟のニュースが放送されていて、「第一審、原告勝訴!」なんてテロップとともに大喜びの原告達の顔が流れても、「どうせ次に負けるのに、どうしてあんなに喜べるんだろう?」と疑問に思ったものです。
でもまあ、第一審から負けてるよりはましか・・・。」
なんて妙な納得の仕方をしていたものです。
だから今回の裁判でも同じことを思っていました。
「原告勝訴!」なんて見出しで、新聞の1面には勝利の横断幕を掲げた弁護士らしき人と喜び合う人達が大きく載っていたりしても、どうせぬか喜びに終わるのに、って。
だからびっくりしましたね・・・。ニュースを見た時、聞き間違いか?って思いました。
ニュースをずっと見ていると、原告の代表の人達と小泉首相が会談?する場面があって、小泉首相は一人一人と握手しながら自分の位置に辿りついてます。
これで控訴なんかしたら、いくら補償はするにしても腹黒いよな・・・そりゃあ控訴も断念するさ・・・。
それはそうと、国が敗訴したら、「国の威信が丸つぶれ」って言葉をちょこっと見かけましたが、「国の威信」ってなんでしょうね。
そりゃあ、行政訴訟で国が何を訴えられても黙って負けることを受け入れていたらそれはそれで問題でしょうが、その時に傷つく「国の威信」とやらは指すものは一体・・・。
とりあえず憲法では主権は国民にある、とされているので、国の主役を国民だと考えてみると、国民の威信が傷つくことになります。
だったら国民が、「自分達が選挙で選んだ国会議員が、実情に合わなくなった法律を放ったらかしにしたからって責任を問われたら、選んだ国民の名誉がひどく傷つけられる!」と怒ってなきゃいけないはずなんですが、そういう話は聞かないような・・・?
役所にちょっとした手続きなんかで言った時に、「今の法律ではできません。」「法律で決まっていることですから仕方ありません。」なんて言われてあまりの効率の悪さにむっとしたことがありますが、結局、「国の威信=「国」に依存して生きている人達の都合」が「傷つけられた=危うくなった」ので気に食わないだけのような気がします。
あと、間違えていることを間違えたと認めることや、間違えてないにしても「もしかしたら間違えてるかもしれない。」と振り返って考えることって、その人の威信を傷つけることでしょうか?
たとえば昨年のオリンピックの柔道で篠原選手が「僕が負けたんです。」と言ったことは、篠原選手の威信を傷つけたか?むしろ本人はこの発言で自分のプライドを守ったんじゃないのか?
あの判定の是非はともかく、本人の威信の問題だけ取り上げればそんな気がします。
その逆のパターン・・・。もっともっと前のオリンピックで、フィギアスケートの選手がいました。
ライバルを襲って怪我をさせたりしつつ、オリンピックに出場しましたが、本番で転倒。もともとイメージが悪いのに、審査員のところまで行って、
「スケート靴の靴紐がほどけてたからよ!」
・・・・・・紐を結んでないのもあんたの責任だと思うよ?
あれはどうにも見苦しくって、素直に「負け」を認めないその選手は、おおいに冷笑を浴びたと思います。それって威信を守る行為だったのか?
・・・かなり話がずれてきました。しかもわけが分からない文章と化しています。(それはいつものことか^^;)
最後にもう一個ちょっとずれたお話を。
熊本で原告勝訴の判決を出した裁判官、福岡で奥さんの犯罪を隠匿しようとした裁判官(いや、本人はそんなことしてないって言ってるか。)、出会い系サイトで知り合った女の子と援助交際していた裁判官。
みんな、裁判官なんだなぁ・・・。

5月20日(日)
映画『グレンとグレンダ』を見ました。もちろん溜め込んだビデオです。
これは1950年代のアメリカの作品。当然白黒です。
お話は、警察官と精神科医の会話、という設定で進んでいきます。
警察官は、女装癖のある青年が自殺した事件をきっかけに、女装したい男の気持ちを学びたいと思い、性転換手術を行った精神科医に話を聞きに来たのです。
精神科医は、自分の体験から、二人の男性の話をします。
一人はグレン(女装中はグレンダ)。彼は女装癖こそありますが、心も体も男なので、最愛の婚約者の前で自分の性癖を話すか話さないか迷います。結局話して、婚約者には一緒にがんばろう!と言ってもらい、最終的にはこの精神科医のもとでカウンセリングを受けて女装癖はなくなります。
このグレンの話が映画の大半を占めていたのですが、もう1つは実際に性転換をした男性の話。こちらも手術をして明るく生きているとのことです。
1950年代、女装して町を歩いてるだけで逮捕されたっていうのは驚きですが・・・本当なんだか嘘なんだか・・・今ならそこそこ市民権を得てますよね。
とはいえ、自分の夫が夜な夜なネグリジェを着て寝てたら嫌でしょう・・・ま、せめて1週間に1回にしてくれ!って怒るくらいでしょうが。
とにかく、めでたしめでたしで終わった2人の女装癖の男性の話の後、警察官は、「でも、世界には救われないグレンとグレンダがたくさんいる。」と言います。
なんかそれがいいな〜と思ったのですが・・・。
あと、神様?のような人がずっといきさつを見守っています。で、「正しいものが間違っていて、間違ったものが正しいとされることもある。」なんて言ってます。なかなか含蓄のある言葉です。
と、色々総合して結構いい映画だな、と思ったのでネットでこの監督のことを調べてみたのですが「至上最低の映画監督」って・・・。「グレンとグレンダ最悪!退屈!」って・・・。
1個も誉めてるやつがない・・・私はいいな〜って思ったんだけどな・・・。
でも、至上最低の映画監督で、作品だって両手で数えるほどしかない人間の映画が、「至上最低」って言われるわけはないと個人的には思います。
本当に箸にも棒にも引っかからない作品っていのは、自然消滅してるだろうし。
この監督・・・そしてこの映画の主演までしてる人・・・エド・ウッドって人は人間的には魅力的だったそうです。で、そんなエド・ウッドのファンだと公言するとある有名監督が、エド・ウッドの生涯を映画化してから名前が知られるようになったらしい・・・。
う〜む、たとえそうでも、やっぱり面白い映画だと思う・・・。白黒なので余計に迫力が・・・とくに神様(?)役の人。(有名な俳優さんらしい。)
多分、1950年代って基準で考えるといい映画だと思うんだけどな。現代の視点で考えると、色々と凝った作品もあるし、もっと複雑な問題に切り込んだものもあるし・・・でも、ネットで見つけた感想を書いてる人達がほとんど異口同音に、「才能のない監督。」って言うのは何故?
そもそも、映画監督の才能ってなんなんでしょう?
時代やテーマによって違うはずだし、同じ「才能溢れる監督」だとしても、趣味も嗜好も全く違うだろうし・・・。
思うに、こういう感想を書いた人達は本当に映画通で、先に『エド・ウッド』という、某有名監督の映画を見てしまったのではないでしょうか。で、至上最低の監督、才能の無かった人、作った映画はつまらなくてヒットしないものばかり、って先入観を持っていたんじゃないでしょうか。
「きっと面白くない。」って意識で見た映画は、たいてい面白くないものです。「きっと面白い!」って思って見た映画はつまらなくても面白く感じます。
映画だけじゃなく、テレビの番組でも、お笑いタレントでも、歌手でも、身の回りの人でも・・・「この人はこうだ!」って思ってしまったら覆すのは非常に難しいです。
そういうことを、映画からではなく、映画の感想を読んで思いました。




日記2001年4 月分(後半)へ(5月のも一部あるけど・・・)
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