やまびこ隊 「やっほうあん八峰庵」便り
 「二種の神器」
 親が子供に教え伝えたいものとして何があるだろうか?
「命の大切さ」は勿論筆頭にあげられるだろうが、私はそれに大きな関わりを持つ「火」と「刃物」の
正しい使い方を伝えたいと思う。
 人間として生きるために欠かせない道具。人間に与えられた数少ない恵みである「火」と「刃物」は
神聖なもので無ければならない。それは使い方によって神にもなり悪魔にもなるからだ。
 この二種の神器は危険なもの怖いものとして日常から遠ざけることは決して良い方法ではない。我々
が生きるために大切な二種の神器の正しい使い方と意味を子供の時にしっかりと教えなければならない。
 やまびこ隊の活動理念は「人と木を育てる」事だが、それを育てるためには二種の神器が欠かせない。
この神器は他を傷つけるための道具では決してない。全くその反対で「ものを生かし育む力」があること
を体験として感じて欲しいのである。
 火は日常使用するガス・石油・電気・炭・薪から太陽・火山・火薬・原子力・等小さな火から大きな
火。「火遊びが過ぎるとやけど火傷する」などと人間関係にも使われる。
 余談だが暖かくなることを「ほとる」とは「火」のことであり、神道で「ほと」とは「女性自身」のこと
であった。
 現代の文明生活はマッチもガスもロウソクも無い炎とは無縁の生活とか。嫌煙家には大変好都合な時代
だ。小学校の教科書に「美味しいお茶の入れ方」として授業参観で実際に行われた。
    私はお茶を入れる「作法」とか「こころもち」に期待したのだが、意に反し教科書では「ガスレンジの
火の付け方」から始まる。マッチで火を点けたことのない子供達が多いからしょうがないことなのか。
結局ガスの使い方、お湯の沸かし方等に時間をとられ一番大切な「お茶を頂く人の気持ち」までたどり着
かなかった。
 便利なガス・電気・石油の風呂・台所が当たり前になった為、子供の手伝いの場が少なくなった。
 家では台所の竈・お風呂の焚き付け、また学校は薪ストーブが主で焚火奉行はいつも生徒達であった。
   家庭・学校での薪づくりは子供の仕事だった私たちの時代から考えると、現在は大変楽であるが、生活の
楽しみが少ない気がする。
 刃物は、なた・ノコギリ・鎌・刀・包丁・ナイフ・カッター・はさみ・のみ・マサカリ・牙などは勿論の
こと冷たく刺す様な言葉・まなざし・手なども鋭い刃物となる。
 台所ではスーパーから買ってきた雑菜を「チン」したり、ラップをはいで食卓を彩るレス=マナイタ、レス
=ホウチョウ家庭が有ると聞いてタマゲタ!その内、レス=ハシ家庭が出現し、犬みたいに喰らいつく時も近
い。 蛍光灯の光はどことなくこころを冷たく気を苛立たせる。それに比べロウソクや白熱球の光は静かに
ゆっくりと暖かくしてくれる。
 ヤッホウ庵には薪ストーブが2器、暖をとったり煮炊きをしたり。すきま風だらけの山小屋ヤッホウ庵にと
っては崇め奉られてる逸品だ。この薪ストーブはパチパチ、ゴーゴーと独り言を言って人を集め、和まして
くれる素晴らしい力がある。
 屋外囲炉裏は炎と煙を立ち上げ森の神々を集める。
 アイヌの言葉に
「地面で焚き火をしてはならない。」(スプーン一杯の土に何億という生物がいるから。)「我々に大きな
火は必要ない。」(現代の核と紫外線の恐怖を予期していたのか。)
 今眼前で燃える火はアフリカの谷で猿人が見つめた火とも、五千年前に縄文人が見つめた火とも基本的に
変わる事のない同じ火だ。同時に今この瞬間に燃えさかる火は数秒前の火とも違うし一瞬後の火とも違う火な
のだ。時に身をゆだね、ゆらめく炎を見つめながら過ごす焚き火は現代の人間にとって最高の贅沢かも知れ
ない。
  火の教え
     一.火は自らを燃やして周りを明るく照らす(人に周りを明るくしなさいと教える)
     二.火は自らを燃やして周りを暖かくする(人に周りを暖かくする情熱をもちなさいと教える)
     三.火は薪一本・炭一本では明るくも、暖かくもならない(人に協力しなさいと教える。)
     四.火は自らの身を焦がして燃える(人に献身の精神を教える)
            子供達がナタやノコを自由に操り、火を熾し煮炊きする姿はサバイバルではない。親が子に伝える
         「文化」ではないだろうか?