名作を生んだ旅館 山の湯


林芙美子先生は戦前から信州を愛され、とりわけ上林温泉の風景を好んでおられました。

そのころの先生は貧しくて、着物や本を買うお金が無くて、どこか寂しそうでした。

「放浪記」が世に出て、やっとお金ができたときに世の中は太平洋戦争に突入。戦時中角間温泉におられた先生はいつも
山の湯に遊びに来られました。その時に20枚程色紙を書いていただきましたがあれほど急に逝くなられるとは思ってもみませんでしたので、欲しいいとわれたみなさまに差し上げてしまい、ただ1枚だけ当館に残った 色紙があります。

「花のいのちはみぢかくて、
苦しいことのみ多かりき」

文句はいつも同じでしたが、これだけは
特別の色紙です。絶筆となった「めし」は、当館にこもって書いておられました。






壺井先生は「母のない子と子のない母と」
のあとがきに、「この本は信州の山の中
の宿に2ヶ月近くこもって書いた」
ときされています。                                
この「山の宿」が当館「
山の湯
です、名作「二十四の瞳」も当館の同じ
部屋で書かれたのです。              
私の花物語」でわんぱくな子供が
「へびのだいはち」
(草の名前)を食べて
大騒ぎをしたことが綴られていますが、
このわんぱくな子供たちは、
当館主人の子供です。       
 




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