グアム・GUAM 旅行
日 時 平成27年6月6日(土)~9日(火)
宿 泊 グアムロッテホテル
グアム島はマリアナ諸島南端の島。1521年にポルトガルの探検家マゼランによって発見され、1565年にスペインが領有を宣言して植民地とした。
1898年の米国とスペインの戦争後はアメリカ合衆国の領土となったが、1941年から44年まで日本軍が占領統治し大宮島(だいきゅうとう)と呼ばれた。
太平洋戦争時にアメリカ軍が奪還し、日本軍が使用していた基地を拡張し、本土爆撃の拠点として使用した。
日本の淡路島とほぼ同じ大きさであるが人口は約16万人。通過は米国ドルであるが日本円も通用するところが多い。
経済は米軍の基地関連産業と米国からの補助金で賄われていたが、基地の縮小に伴い1980年以降は観光業に注力し、島民の60%以上が観光業に従事している。年間100万人以上の観光客が訪れる。近年は韓国や台湾からの観光客も多いが、観光収入の9割以上が日本人であるので和食料理店も多くある。
島内の面積の3分の1は米軍の基地で、主要道路は海岸に沿って走る国道1号線だけである。この道の海側はほとんどが海軍の基地で、山側はほとんどが空軍の基地になっている。
島民はチャモロ人47%、フィリピン系25%、アジア人(日本、韓国、中国、ベトナム)10%、その他が住んでいる。フィリピン人が多いのは、第二次大戦の時にアメリカ国籍を取るためにマニラから近いグアム(米国)に来たからである。フィリピン人と韓国人は二重国籍が取れる。日本人は約4,000人居るがその内の3,000人はピザで来ている。
日本でもマイナンバー制度が決まったが、米国では生まれた時にNoがついて、生涯変わらずついてくる。たとえ離婚して逃げてもNoが判るので、養育費を払わなければ給料から差し引かれる。
島内には鉄道はない、バスは30分待っても来ない、タクシーが簡単に利用できる。レンタカーも多く、日本の自動車免許で運転できる、但し、車は右側通行であるので注意して運転したい。
[ 第一日 ]
羽田空港11時00分発 UNITED航空 US873便 にて出発。 14時30分着(現地時間15時30分) ただちにロッテホテルに向かった。
ロッテホテルで小休止の後、隣接のウエステインホテルのプールサイドで夕食会を行った。
[ 第二日 ]
オプションツアーの「ジャングル探検」に出かけた。 島の西南の端っこ、終戦後も長期間洞穴に隠れて生活した横井庄一さんの生活した場所の近くへ行った。
グアム島をはじめミクロネシアは一時は日本の島だったのでタナカ、スズキなどの日本名の人がまだいる。島の名前は米軍がグアムとしたが、島内の町の名前は昨年昔の名前に戻った。
島の南側は戦争の激しかった土地で、5万人が死亡した。内、日本人が2万人、米国人が7,000人、ほかは現地人だった。
グアムは近年はマグロの基地として知られている。グアム周辺水域にマグロが多いわけではないが、大消費地の日本に航空貨物の直行便があり、乗組員の休養や漁船の修理、港湾に恵まれているので、ミクロネシア近海で取れたマグロの集積地として台湾漁船が主に活動している。米国人は生の魚は食べないが、グアムではポッキーと言う名で食されている。
グアムには台風が12年間来なかったが前月に来た直後だった。台風の名前は米国では(グアムでも)女性の名前が付けられる、(日本も1999年までは一緒だった)先月の台風の名前はドルフィンだったそうだ。
気温は年間を通じほぼ同じで、最高気温は30度前後、平均気温は27度くらいなので、洋服を着る機会はほとんどない。
街路樹に白い大型の花がたくさん咲いていたが、プルメリアと言い、香水の原料になる。山にはいたるところに「ねむの木」が花をつけていた、戦後米国の空軍が空から種をまいたのだそうだ。また、鳥が空軍の邪魔になったので、毒のない蛇をもってきて放ち卵を食べさせたので島には鳥がほとんどいない。昨年退治した蛇の数は26,000匹に上った。セミやカブト虫は暑すぎて生まれない。
ジャングル地帯。 同行者遊覧船 原住民が昔住んでいた家屋
ヤシガニ マッチを使わず15秒ほどで発火 ヤシの実の皮に点火
午後は、ホテルに帰って、近くの町のレストランで昼食の後、ホテル下のビーチとホテルのプールで遊んだ。グアム島は全島が火山の溶岩でできている島で、その上に何万年かで積もった浅い土に樹木が生えているのだそうで、海岸は砂浜部分には白砂を運んで美しいビーチにしているが、遠浅の湾内は100m位沖合まで足が届き、そこが全部ごつごつの溶岩石ばかりであるので怪我をする。湾内は美しく見えるが泳ぎには適さない。
砂浜だけ白砂で美しいビーチ ロッテ ホテルのプール
市街地 レンタカー
夕食はシーフードレストランに行った。 日本人観光客が多いのでどこに行っても和食料理店がある。
グアムのビーチの夜景は綺麗だった。
[ 第三日 ]
スクールバスは政府が運営しており、コース別に学校を周るので通学に時間がかかる。16歳以上の学生は自動車運転免許が取得できて車の所有も認めらていれる。16歳以下の子は鉄道がなくバスも不便なので家の近くで遊んでいる。若者は休日は海に行くかジムで遊んでいる。金持ちの子はゴルフかバスケットをやっている。運転免許は5万円ほどで取得できる。二日間教本の勉強があり、実技を5時間やれば仮免許がもらえる。後は親や兄弟が教えて技量を判断し実技試験を受ける。免許の有効期間は4年で4,500円。就労ピザで来ている人のは1年間のみ有効となる。ガソリンの価格は1ガロン(約4リットル)100円。飲酒運転をすると新聞に名前が掲載されて罰金1,000ドル。留置所に2日間入らされる。 自動車に輸入税がかからないので車の価格は安い。車検の制度はあるが1500円ほどで済む。
家賃は1LDKで500ドルくらい、4LDKのマンションで10万円~12万円。販売価格は5LDKで3,000万円くらい。アジアの人がグアムで家を買っているが、グアムの人はグリーンカードが貰えたらハワイを買っている。
食料品は日本のお茶やジュースは高いが、韓国製の即席ラーメンは安い。マーケットには日本のお米も味噌もかまぼこもある。韓国人は日本製の即席ラーメンを買う。グアムの土産には、日本で売っていない「ココナツオイル」を薦める、オーガニック品は飲めるが香のある方は飲めない。「ココナツかりんとう」もお薦め。
電柱は近いうちにすべてなくする。地下に電線は敷設される。
公園のそばの道路にローマ法王の銅像があった。かって法王が島に来た時に、マリア聖会堂の前で道路にキスをしたので、その場所に建てられたもので、1日に1回転しているとのことだった。
今日は、アトランティスサブマリンです。ハワイで発見された日本軍の「特殊潜航艇・甲標的」、動力は2ボルトの電池約200個で動く、二人乗りで艦首に魚雷2本を搭載して敵基地に潜入し、決死の雷撃を敢行する潜水艦を見た。生還の望みは薄い作戦である。そのあとで海底展望潜水艦に乗った。通常は水深20mのところを40mまで潜ったが外はまだ明るかった。
特殊潜航艇・甲標的 海底展望潜水艦の模型 海底展望潜水艦まで送迎船
海底展望潜水艦への送迎船内 沖合に急浮上した潜水艦 海底展望潜水艦入口 海底展望潜水艦の艦内
海底のサンゴ礁の様子 深度40mの表示計 操縦室 離艦する海底展望潜水艦
海底展望塔を見てきた。
昼食は和食のバイキング
恋人岬 美しい島の娘が、スペイン総督と結婚させようとした父親から逃れ、愛する若者とここまで逃げて来て、追い詰められて、二人は口づけを交わし、永い黒髪を互いに結んで抱き合って飛び降りたという伝説の岬です。
鼻の高い彼女の顔が見えませんか。肩まで伸びた緑の黒髪と黒い着物、胸のふくらみが・・・。
サンセット・ディナークルーズ
ホテルのスイーツバイキング
ロッテホテル
虹が出た
グアムの郊外 茨城県鹿嶋市上空