香港・マカオ食文化視察旅行記

                                    { 写真はすべて私が撮影したプライベート写真です }      河野 善福
                                                
                   「香港概略図」 と 「マカオ概略図」は私の手書き図です。多少の間違いがあるかも・・・

          [ 香 港 の 部 ]

      
  


     [ 香港の基本知識 ]

   「行政区の概要」
 香港の正式名称は、中華人民共和国香港特別行政区と言い、香港島・九龍半島・新界と周辺に浮かぶ235の島を含めた地域を言う。総面積は約1.100k㎡で東京都23区の約2倍で、東京都の総面積の約半分である。香港と言う名称は香港島南部の香木の集積地となっていた村の名前に由来し、広東語のヒョンゴンの発音が英語化してHong Kongとなったものである。235の島の内、9割は水も電気もなく住めない地域である。
 香港は清国とイギリスとの間で戦われたアヘン戦争により、1842年イギリスが清国から香港島を永久割譲されたが、その後の条約で改定され、1898年にイギリスが深圳河以南を99年の期限付きで租借した。この地域を太平洋戦争時に日本軍が占領したが、1945年の敗戦により再度イギリスの植民地となった。1997年に租借期間満了でイギリスから中華人民共和国に返還された。

 日本からは、飛行機で4時間15分。

   「政治」
 中華人民共和国に主権移譲された後の香港は、一国二制度とし、2047年まで資本主義のシステムをとり続けることが決まっている。主権移譲後の50年間は、自治権の付与と本土と異なる行政・法・経済制度の維持が認められており、「中国香港」の名で世界の各種行事に参加している。
 主権移譲の前に香港の金持ちはカナダ・米国に行って居住権を取得して帰ってきた。万一の時に香港から出る準備をした。


  
「金融と貨幣」
 
香港は国際自由港で、海の交通や金融の要所であるので貿易と、政治・経済・通貨・地名など中国政府から特別の扱いを受けている。香港の金融規模はロンドンとニューヨークに次ぐ世界第3位の金融センターで、アジアでは第一位である。貨幣は香港ドル(HKD)で、香港ドルはイギリス系の香港上海銀行とスタンダード・チャータード銀行、中国銀行の3行の商業銀行から発行されている。各々の銀行で図柄は違うが共通に使用できる。(10香港ドル紙幣の一部と硬貨は、香港金融管理局が発行している。)なお、香港のGDP80%はサービス産業が占めており、観光産業が5%を占めている。
 香港ドル(HKD)の現在の為替相場は1HK$が約12円50銭である。

   
ランタオ島の香港国際空港から九龍に向かうと青馬大橋と自由貿易港のコンテナ基地が見える

   「人 口」
 返還時に640万人であった人口は、現在約700万人で、東京都23区の人口の約82%に相当する人数の人達が香港特別行政区に住んでいる。居住者は特に
香港島北部のわずかな居住地域と九龍半島南部に集中し、この両者を合わせても香港全体の面積の12%弱のこの地域に、香港の総人口のおよそ半分にあたる約350万人が居住している。現在中国人は香港に移住できない。
 香港には「華人」と呼ばれる中国系の人が全体の95%近くを占めており、次いで多いのが出稼ぎに来ているフィリピン人やインドネシア人。次がアメリカ人、次いで元宗主国のイギリス人の順に住人がおり、日本人も約2万人住んでいる。香港の人は以前は自分のことを香港人と言っていたが、最近は中国人だという人が多くなった。
 フィリピンから出稼ぎに来ているメイドは約20万人で、子供の保育、買い物、掃除などに一般の家庭でも雇用している。賃金は香港政府が決めており、食事付き住み込みで一律HK$4,000である。彼女たちは週末の日曜日が休日で、「新世界中心」などに集まって一日を友人と過ごしている。

   
ランタオ島の香港国際空港から九龍に向かうと住民のマンション群が見える(蜂の巣住宅といわれている)

     「超高層建築」
 香港の市街である香港島北部は、特に山がちで狭い地勢からヴィクトリア湾沿いに超高層建築が林立している。1972に建てられた中環のジャーディン・ハウス 地上52階建・高さ178.5m)を始め、西九龍地区ユニオンスクエア環球貿易廣場(地上118階建、高さ484.0m)や、国際金融中心(地上88階建、高さ415.8m)などの超高層建築がある。香港上海銀行・本店やリッポーセンター中国銀行タワーなど世界的に著名な建築もある。九龍灣地区にあった啓徳空港廃港となり、同空港への航路であった九龍上空の建設規制が大幅に緩和されたので、こと九龍半島側にも超高層建築が増えている。
       
 高層住宅

    「住 宅」
 香港の住宅も昔は中国全般に見られるような、土塀で囲んだ中に切妻の家を建てるのが普通であった。一部の地域には水上生活を営む人も見られた。1960年代に香港への難民の流入があり、政庁が九龍城地区にプレハブ住宅を造ったのでここがスラム化した。香港の中心地の近くは山がちで平地が少なく、地価が高くなったので結果的に、政府と民間開発業者の主導で超高層マンションが建設されている。平均的な2DKのマンションで月額家賃はHK$1万円(125,000)くらい。3DKだと3040万円のところもある。中古の公団住宅は(8階建、エレベーターなし)は2DKで4~5万円。ただし、現在68,000人が待っており、7年待ちとなる。高年者向けにワンルームマンションもある。結婚後は二人とも働くのが普通で、給料は30歳で20万円位。月間生活費は電気代5,000円、水道代1,500円、電話代はかけ放題で1,000円位だという。(香港は水が貯水できないから広州から買っている
地盤が固く地震はないのだと言うが本当に大丈夫なのだろうか。

    「言 葉
 香港の公用語は英語と中国語(主に広東語)である。人口の95%の人が広東語を理解し、38%の人が英語を理解できる。最近は小中学校で北京語をベースにした中国語の授業を導入している学校が多くなっているので、北京語、英語、広東語の授業を受けている。香港で日常使用される言葉は、広東語、香港風英語、北京語、朝鮮語、香港風日本語、タガログ語の順である。

    「食文化」
 香港は外食産業が発展しており、中国料理だけでなく、世界各地の料理を出すレストランが、庶民向けに安価な料金で食べさせてくれる。中国料理だけでも広東、四川、北京、上海、台湾料理など中国各地の料理を出すレストランがあり、海鮮料理店が西貢などにある。
 イギリス統治時代の影響から、イタリア、フランス、ドイツ料理など欧米の料理も多く、また、働きに来ている人たちの国のフィリピン、インドネシア、タイ料理など、エスニック料理の店も多い。
 すし屋、ラーメン屋、居酒屋など日本料理店も多いが、日本人が食材も空輸して提供している店と、香港人が現地食材でまねて料理を提供している店がある。
 香港には友稼ぎの夫婦が多く、朝食は外食をしてから職場に向かう男女が多い。一般的には朝はお粥で済ます人が多い。お粥は豚肉と卵が入るものが多く200円くらい、麺は300円くらいである。子供もお金を貰って友達と食べるほうが歓び、家族そろって食べるのは夕食だけである。

    
西貢(サイクン)の漁村港                          ヨットハーバー                           海上生活者の物売り船

(料理はすべて私たちのグループが食べて私が撮影した写真です)
  
西貢の海鮮料理店前の活魚・貝・エビなど           海鮮料理店 ”華星海鮮酒家”で食べた料理 ウツボのスープ         同じく  マテ貝の料理

  
 海鮮料理店 ”華星海鮮酒家”で食べた料理  魚               同じく   ホタテ貝                              同じく   エビ     

  
 海鮮料理店 ”華星海鮮酒家”で食べた料理  シャコ                   同じく   アワビ                     同じく  デザートのスイカとメロン    
 

    「香港国際空港と香港ディズニーランド」
 ランタオ島は香港島の約2倍の面積の大きな島で、香港国際空港はその島の西側沖合いにあった島を削って、削った土を埋め立て、アジアを代表するハブ空港を作るという計画で1992年に着工された。従前の九龍市街にあった啓徳空港は、飛行機がビル群のすれすれを降下して着陸することで有名で、観光客必見の話題空港であった。新空港は19977月の返還に間に合わせるという5年計画で建設されたが、開港は19987月であった。
 香港デズニーランドは、ランタオ島の東側にあった小島を削り、その土砂を埋め立てて建設され、
20059月に開園した。

  
  香港国際空港                            香港ディズニーランドのパレード                 香港ディズニーランドの園内     

   
"天后寶誕” 水神様の祭り チャイナオペラ会場              新界地区の市街地                  九龍のシェラトンホテルから見た香港島、ワンチャイ

    「九龍観光」
 九龍の旺角(モンコック)のそばにある女人街には、アクセサリー・衣類・カバン・時計などのコピー商品を安く売っている屋台がひしめいている。昔は女性物を売る店が多かったので女人街と言うのだそうだ。近くには男人街もある。
屋根のない二階建てバス(ピークトラム)に乗って、夜の市街を一周できる。街の道路には店の看板が車道の上に突き出て設置されているので、立ち上がるのは危険である。
 シンシク園黄大仙(ウオンタイシン寺院)は1921年広州から移築された道教寺院、移築当時には周りに家はなかったが現在は高層住宅に囲まれている。年間300万人を超す参拝者がくる。建物の赤は幸せの色、緑(ヒスイ)は魔除けの色。香港のお坊さんは酒も結婚も許されない。寺のおみくじは香港人でも読めない字で書いてある。隣接地に160人位の占い師がいて手相・人相と共に翻訳してくれる(HK$40)。一番人気は庚さん(医者)で健康のことを占ってくれる。

   
  女人街の入り口の市街                    ピークトラムに乗って市街見物            シンシク園黄大仙(ウオンタイシン寺院)

  
シンシク園黄大仙(ウオンタイシン寺院)  寺院前の広場でお祈りをしておみくじを振って出す      同じく左          

  
シンシク園黄大仙(ウオンタイシン寺院)         同じ         ウオンタイシン寺院の広場から見た九龍市街のビル

  香港の 中国レストラン「銷售」の点心     昼食で食べたもの      (料理はすべて私たちのグループが食べて私が撮影した写真です)                                     
  
春巻                               シューマイ・アンマン                            鶏の足と水餃子
  
白菜の炒め物                                チマキ                                  焼きそば


     香港島 「湾仔・銅鑼湾地区」
 九龍からヴィクトリア湾を挟んで対岸になる香港島には、バスを利用して海底トンネルで渡るのが良い。海底トンネルを出たところが銅鑼湾(コーズウエイベイ)で、駅のほうに行くと二階建て路面電車(トラム)が行き交い、日本のデパートもあって若者の街渋谷のようなファッションビルが並んでいる。湾仔(ワンチャイ)は九龍から見えた正面の超高層ビルの立ち並ぶ街で、会議場・金融センターなどが林立している。

       
       二階建て路面電車(トラム)               文武廟(マンモーミュウ)              天井につるした大きな渦巻き線香
 
     「上環・中環・金鐘地区」
  
上環(ションワン)は超高層ビルの街と昔の顔を見せる庶民の街が混在している。文武廟(マンモーミュウ)は香港最古の道教寺院で、学問の神と武の神を祀っている。 願い事を書いた大きな渦巻き線香を天井から吊るし、紙が燃え尽きたら願い事が叶うといわれている。孫文記念館もある。
 中環(セントラル)には、駅のそばにポッテインジャー・ストリートという、安いアクセサリーや土産物を売る店が軒を連ねている石畳の坂道がある。
 中環と金鐘(アドミラルティ)の中間に三角形を積み重ねたようなビルがある。風水に基づいた設計の中国銀行で、近くにはほかにも風水に基づいた設計のビルが多い。


 「ビクトリア・ピーク」
 太平山は標高552mで香港島では最高峰の山である。この山頂から香港のビル群を眺める景観は100万ドルの夜景といわれ素晴らしい。眼下の香港島超高層ビルと対岸の九龍超高層ビルが宝石をちりばめたように輝いて見える。この山に登るにはピーク・トラムという登山ケーブルカーを利用する。
ピーク・トラムは1888年の開通で、頂上までの1.4kmを約5分で最高斜度27度の急傾斜を頂上まで運んでくれる。運賃は片道がHK$22、往復がHK$33である。従前は山頂には英国人以外住むことが出来なかったが、現在は香港人も居住が許されている。

  
ピーク・トラムの始発駅                             出発直後のピーク・トラム                  頂上近く  ピーク・トラムの車中から観る市街

  
太平山頂上の展望台にて                        展望台から観た市街                        市内を走る二階建て路面電車(トラム)

  
市内の甜品専門店「糖朝」で食べたワンタン  と  マンゴプリン                                       花

     
   「その他」
 ◇屋外での喫煙は指定されたところ以外は原則禁止。路上喫煙の罰金はHK$1,500(17,000)
 23人で組んだスリが多い。特に男性がズボンの後ろポケットに入れて置いて被害にあうことが多い。
 ◇車庫代が高くて車がもてないので、交通網が発達している。バス・地下鉄は安い。
 ◇固定電話同士での市内間の通話料金は無料である。携帯電話の普及率は90%に達しており、地下鉄やビル内も含めて、電波受信エリアはほぼ100%である。料金は時間制限なく1HK$6である。なお、欧米と同じく着信にも使用料がかかる。
 ◇生水は飲んではいけない。水は沸かしてから飲む。部屋内の冷蔵庫の外に出して置いてあるミネラルウォーターは無料で、氷(アイス)も頼めば無料で部屋に持ってきてくれる(HK$5チップを)。
 ◇香港の人は賭け事が好き、日本のパイより大きいパイでマージャンを良く遣る。ドッグレースは週2回水・土の夜行われる。仕事を終えてからマカオまで一時間、ターボジェットの高速船で行って、朝一番の船で帰って仕事をする人も要る。
 ◇香港島の裏側のアバディーンには、水上レストラン「ジャンボ」がある。以前は3艘あったが今は2艘になった。船と建物すべてを電飾で形作り、水の上に浮き上がらせて見せていたので人気があった。経営者には4人の女性がおり、女性に別々の船の社長を遣らせた。
 ◇香港島と九龍を結ぶ改定トンネルは3本あり、一番古いトンネルは日本の熊谷組が作った。
 ◇香港の競馬は水曜日と土曜日の夜だけ開催されている。
 ◇香港から国外に出るときは酒3本まで持ち出しできる。
 




                                 { 写真はすべて私が撮影したプライベート写真です }                                                                                    
                                                                      河野 善福
 「香港概略図」 と 「マカオ概略図」は私の手書き図です。多少の間違いがあるかも・・・

      [ マ カ オ の 部 ]

     

               [ マカオの基本知識 ]

    「行政区の概要」
 マカオの正式名称は中華人民共和国澳門特別行政区である。マカオは北京語でアオメン、広東語でオウムンといい、中国大陸南岸の珠江の最下流にある。ポルトガル語の正式な綴りはMacauで英語ではMacaoと綴り、公用語は中国語とポルトガル語であるが、口語は広東語が広く使われている。マカオは広東省珠海市の沖合いに飛び出た半島であったが、南側の沖合いにあったタイパ島とコロアン島の間を埋め立ててコタイと呼ぶ地域にし、マカオ半島とコタイを3つの橋でつないで一つの地域にしている。コタイと珠海市は蓮花大橋でつながっており、コタイの埋立地には新たにヴェネチアン・リゾートなどの大型リゾートが建設されている。
 マカオは香港からは南西に70km離れた位置にある。人口は54万人に近く、東京の杉並区と同じくらいの人口であるが、地域の総面積は28k㎡あまりで、杉並区の84%くらいの広さである。マカオ産まれの人は、ポルトガルと中国の両方の国籍を持っている。 公用語は中国語とポルトガル語で、学校では中国語とポルトガル語のほかに英語教育を行っている。
 マカオの人口は54万人ほどであるが、観光とギャンブルを目的にして、年間800万人がマカオを訪れている。 毎年11月には市街地を走るカーレース、マカオグランプリが開催されており世界的に有名である。

    「歴 史」
  1557年にポルトガルが明から居留権を得たが、当時は明が統治権を離さず引き続いて持っていた。当時は中国大陸唯一のヨーロッパ人居留地であった。この頃、カトリック教会の宣教師であったフランシスコ・ザビエルが、マカオを拠点に東南アジア各地でキリスト教の布教活動を行っていた。マカオは日本が鎖国するまでは長崎との貿易で関係が深かった。英国がアヘン戦争に勝って1842年に香港島を植民地にしたので、ポルトガルも1845年に軍隊をマカオに派遣して、統治権を獲得し、マカオを植民地にした。
 その後の日中戦争、第二次世界大戦においてはポルトガルは中立国となり交戦しなかった。そのため戦火を逃れようとした難民が中国大陸から流れ込んだ。第二次世界大戦後は、毛沢東が率いる中国共産党が中国大陸の大部分を統治するようになったが、香港の統治を続けた英国と同様に、マカオもポルトガルが統治を続けた。1979年にポルトガルは中華人民共和国と国交を樹立し、ポルトガルは即時返還を望んだが、同じ植民地下にある香港市民の動揺を恐れた中国政府が、引き続きポルトガルによる統治を希望していた。英国の香港返還が決まったので、1999年12月に中華人民共和国に返還された。

 
    「通貨」
  マカオの法定通貨は「マカオ・パタカ」である。1香港ドルは1.05パタカ位で、僅かにパタカのほうが価値が低いが、流通通貨の大部分は香港ドルとなっており、殆ど等価で扱ってくれるので、香港ドルを所有するほうが良い。 

 
   「高速連絡船」
 マカオと香港を結ぶジェットフォイル(ボーイングのエンジン)と高速双胴船が24時間中、5~15分間隔で運行されている。約70kmの所用時間は約60分で有るので通常は時速80kmくらいで走っている。

    

                                           香港とマカオを結ぶ高速連絡船


     「世界文化遺産」
 マカオは1999年までポルトガルの植民地であったので、植民地時代の遺構が沢山あり、8つの広場と22の歴史的建造物が世界文化遺産に登録されている。これらの歴史的文化遺産とカジノが多くの観光客を呼び寄せてマカオは発展している。
 聖パウロ・天主堂跡は、17世紀にイエズス会の人々によって建築されたもので、マカオで最も有名な世界遺産となっている。当時はアジア最大のカトリック教会であったが、1835年の台風時の火事によって木造家屋部分が焼失し、南側の石造りのファサードと言う正面の壁のみが残った。最近の発掘調査によって日本人のキリスト教殉教者や修道僧の遺骨などが、地下の納骨堂に埋葬されていることが判っている。ファサードには左右の最上段に日本の狛犬の像があり、中断には菊の花の文様が彫られているなど、日本との係わりが残って見える。
 聖パウロ・天主堂跡に隣接するナーチャ廟と、その左側に続く土壁も世界文化遺産となっている。ナーチャ廟は1888年に神童ナーチャを祀るために創られた寺院で、土壁は1569年に街を守るために造られた旧城壁の一部である。土砂、わら、牡蠣の貝殻などで何層にも塗り固められている。
 天主堂跡の山手側に一段高く城壁の見えるのが、モンテの砦と呼ばれる場所で、イエズス会の協力によって造られた砦である。砦には大砲がすえつけられて、マカオの防衛をしていた。
 天主堂跡の前の石段を降りると、すぐ右手に聖ドミニコ教会がある。ドミニコ会のスペイン人修道士によって1587年に建てられた教会で、この建物も世界文化遺産である。教会の前の広場は聖ドミニコ広場といわれ、ここも世界文化遺産である。
 聖ドミニコ広場から100mほど先の噴水のある広場は、セナド広場と言い、この広場も世界文化遺産の一つである。さらに道路向こうの民政総署も世界文化遺産となっている。民政総署は1784年の建設で、今も使われている地方自治局の建物で二階部分に議事堂がある。
 
     
       聖パウロ・天主堂跡(世界文化遺産)               ナーチャ廟                    ポルトガルの町を思わせる商店街

     
         聖ドミニコ教会                   聖ドミニコ教会内のキリスト像                 セナド広場と民政総署

      
    セントポール教会跡の高台から見た中心街のホテル       マカオタワーから見た中心街                 マカオの市街地

     「ギャンブル」
 マカオは2002年にカジノ経営権の国際入札を行い、それまで「Macau、S.A」が独占していたカジノ産業を、香港系の「ギャラクシー・カジノ」と米国系の「ウイン・リゾート」にも解放した。そのことが功を奏し、今日では「リズボア」「ウイン・マカオ」「サンズ」「ベネチアン・マカオ」など20を越える企業が参入し、大規模なカジノ場が運営されている。これまで世界最大であった米国のラスベガスを越えて、現在はマカオが世界最大のカジノ売り上げを達成している。

    「食文化」
  中国系の住民は広東料理を、ポルトガル系の住民はポルトガル料理を基本とした食生活をして居るが、マカオ料理はインド、アフリカ、ブラジルなど、ポルトガルが植民地にしていた国の料理が混ぜ合わさって産まれたもので、約400年かかってそこで働いたメイドさんたちの工夫から産まれた。


           ポルトガル料理の店  「レストラン・ジャンボ」で食べた昼食  4人分    (料理はすべて私たちのグループが食べて私が撮影した写真です)

  
子牛の柔らか肉                           野菜の炒め物                             ジャガイモ
    
ムール貝                                炒飯                                いわしの焼き物


「マカオタワー」
  マカオタワーは2001年の完成で、高さは338mある。216mの位置に展望台と回転レストランがあり、マカオの全景を観ながら食事を楽しむことが出来る。 レストランはバイキングシステムで、豊富に準備された美味しい料理を自由に取ってきて食べられる。233mのところからバンジージャンプが出来る。20時まで営業しており、約4秒で落下する。料金は2万円でビデオを頼むと別に1万円かかる。高さ233mの位置にタワー外部の縁を歩いて一周する外周路が設けられている。またタワーに隣接する地上4階、地下2階の建物には、国際会議場や500席の映画館・レストランなどがある。

  
回転レストランの食事                         マカオタワーとセンター                          タワーから観た市街の夜景

  
バンジージャンプに飛び立つ前の点検                      外周歩道を一周                               タワーから観た昼の市街地

  

      「ザ・ヴェネチアン・マカオ・リゾート・ホテル」
 タイパ島の新しく埋め立てを終えたばかりの開発地に、2007年8月オープンしたリゾートホテル。客室数3000室でカジノはレッド・ドラゴン、インペリアル・ハウス、ゴールデン・フイッシュ、フェニックスと遊戯の種類に応じて、4つの部屋に大別された大部屋で、24時間オープンの遊技場がある。3階部分には400m位有る水路を3箇所に作ってゴンドラを浮かべ、船頭が竿でゴンドラを漕ぎながら舟歌を歌ってヴェニスの風情を楽しませてくれる。放射線状に創られたストリートには、両側に有名ショップが約250店舗軒を並べおり、天井は晴天の夕焼け空の写真でいつも明るく飾られいる。

  
宿泊したヴェネチアン・マカオ・ホテル                ヴェネチアン・ホテル室内のショップ・ロード         ゴンドラの浮かぶ水路で 橋の上     

(料理はすべて私たちのグループが食べて私が撮影した写真です)
  
ヴェネチアン・ホテルでの夕食会                             パン                     前菜  西班牙火腿配意大利水牛乳酪及蘑菇

  
ヴェネチアン・ホテルでの夕食会 龍蝦湯配焼玉米          香煎牛柳配蘑菇汁伴日式鱈魚清酒飯       デザート  威尼斯精選甜品伴時令水果   

  タイパ島の開発地には、新しくリゾート・ホテルを新築中だった。ホテルの窓から見ると、建築中の建物のすぐ向こうの川のように見えるところが海(こちらが島だから)で、その向こうに見えるのは中華人民共和国の大陸で、広東省の一部である。 
 翌日は、マカオ本島の南端にある媽閣山に登って市街を見た、山頂にはマカオ・カジノの総権力者の家と教会があって、教会の前で結婚式用の写真撮りをしているカップルがいた。

    
    ホテルの窓から見える建築中のホテルと中国本土          同左 建築中のホテル                    高台から見たマカオタワー

    
    新婚旅行中の二人の車は飾りがいっぱい            教会の前にいたカップル               海側から見たマカオの中心街     


      「その他」
  道路は車優先であるので、信号を信用しないで、十分に安全を確認して渡ること。
  スリに気をつけること、パスポートは滞在中は必要ないので、ホテルの部屋の金庫に保管しておくこと。
    (カジノで大もうけをするとパスポートの提示を求められる)
  カジノには18歳未満は入れない。(来年から21歳未満に改正される)。カジノのスロットルマシンは香港ドル
    のみ使用できる。
  タバコはレストラン、ホテル室内は喫煙O.K. 他は殆ど喫煙できない。 
  昔はトイレもチップの必要なところがあったが今はない。 部屋に置く枕銭は一泊HK$10でよい。
  マカオの人の月収は、高卒初任給10万円、大卒13万円、一般社会人20万円くらい。
    ただし、ホテル・カジノなどの外資系の企業は初任給20万円くらいで、高級レストランのコックなどは
    30~40万円が一般的である。
  昔のマカオ人は、安くて良い物を買っていたが、現代人は働いてお金を貯めて、高いものを買うし、高くても
    良い物を食べる。
 ◇ 香港ドルは紙幣のみ、円または米ドルに交換してくれる。
 

  トップページに戻る