「おくりびと」


 第81回 米国アカデミー賞、外国語映画賞。 および第32回日本アカデミー賞、最優秀作品賞授賞作品。

【キャスト】
小林大悟 (本木雅弘) 山形出身のチェロリストであったが、失業後郷里に帰って納棺師となる男。
小林美香 (広末涼子) 大悟と共に東京から山形に行く大悟の妻。 
佐々木生栄(山崎 努) 「NKエージェント」という納棺会社の社長。
山下ツヤ子(吉行和子) 大悟の同級生の山下の母親。 銭湯を営む。
上村百合子(余貴美子) 「NKエージェント」の女子事務員。
平田正吉 (笹野高史) 銭湯の常連客。
山下    (杉本哲太) ツヤ子の息子で、大悟の同級生。


                            
【ストーリー】
 山形県の田舎の道。 朝もやの中をライトをつけてを点けて車がやって来る。 運転をしている小林大悟の隣に、社長の佐々木が無愛想な顔をして座っている。

 ”子供の頃に感じた冬はこんなに寒くなかった。 東京から山形の田舎に戻った。 何ともおぼつかない毎日である。”
 
 大悟は”忌中”と張り紙のある家の前で車を止めた。 親族の人達が集まった前に二人は座って、両手を着いて頭を下げ、「納棺のお手伝いに参りました」と挨拶をした。 ご焼香をして大悟が顔に被せた白布を取る。 端正な美しい顔をした女性の死顔が現れる。 「まだ息をしているみたいですね」と大悟が小声で社長の佐々木に言う。 佐々木は「痛んでないから多分練炭自殺だ。・・・車内で死んで発見が早かったんだろう」と答える。 大悟は顔を覗き込んで「美人なのに・・・」とつぶやく。 社長の佐々木が「やってみるかい?」と聞いたので、大悟は「はい」と答えた。
 大悟は親族の一同に向かって「それでは只今より、故人様の安らかな旅立ちを願いまして、納棺の儀とり行なわせていただきます。 皆様どうぞお近くで見守ってください」と告げる。 大悟は両手で顔の形を整え、布団を足元のほうに剥がした。 胸の前で握り締めていた両手を解き腰紐を解いて取った。 再度布団を被けて、布団の下で寝巻きを外し、引き抜いて取った。 その寝巻きを布団の上に広げて、布団を足元の方から抜き取った。 タオルを消毒液に濡らし、強く絞って「それではお身体を拭かせていただきます」と縁故者に告げた。 
 大悟は肩の方から胸の方へ、さらに下腹部を拭いていた手が止まった。 大悟は社長に「付いているんですけど・・」と小声で言った。 「何が?・・」 「あれです」 「あれって?・・」 「だからアレです」 
 佐々木は大悟からタオルを受け取って自分で手をいれる。 社長は立ち上がり、縁故者のそばに行って、「お着付けをした後、故人さまにお化粧をするんですが、女性の化粧と男性の化粧がありまして・・・」と聞く。 そばに居た男が母親に聞く「姉さん・・・留雄の化粧どっちにするかって?・・・、男さする?、女さする?・・」  母親は憮然とした顔で「おいが最初からおなごに産んであげてたら、こんなことにならねかったのに、タネがのう・・・」と夫のほうを見る。 男は母親に「おなごでええんやろ、おなごで・・・」と聞く。 母親はただ一言「ええ」といって頷く。 大悟は留雄に女性の化粧をしてやる。


                               
 交響楽団が演奏会の練習を行っている。 大勢の団員の中にいる大悟が、チェロを全身で弾いている。 休憩時間になって、大悟が友人に「楽団のホームページを作りません?・・・うちのかみさんがウエブデザイナーだから、タダでやらせますよ」と話している。 友人は「それよりお前、無理していい奴買ったんだろ?・・チェロ」と答える。 そこに楽団のオーナーである曽根崎氏がやってきて団員を集める。 オーナーは頭を下げて、ただ一言「解散します・・」と言った。
 ”ようやく掴んだオーケストラ奏者という職業。 それは一瞬にして過去の思い出となった。 このチェロには何の罪もない。 僕のような人間に買われたばかりに仕事を失ってしまったのだ。 あらゆる意味でこのチェロは僕には重たすぎた。”

 大悟が自宅でしょんぼりしているところに妻の美香が帰ってくる。 「どうしたの?・・・」 大悟は妻に「楽団が解散になった」と告げる。 「そう、又次ぎを探せばいいじゃん」 「次なんてない・・俺ぐらいの腕じゃとても無理があるし、チェロの借金もある。」 「大丈夫・・100万くらいだったら、ウエブデザインの仕事で何とか返せる」 気軽に言う美香に大悟は「1800万」と答える。 「1800万?・・」驚く美香に「プロは皆そのくらいのを使ってるし、むしろ安いくらいなんだよ」と話す。 「どうして隠してたの?・・」 「絶対反対されると思ってな・・・」 「そんな大事なことなんで言ってくれなかったの?・・・」 「ごめん」

 ”世界中の街が僕たちの新居だ。 演奏旅行をしながら一緒に生きていこう” それがプロポーズの言葉だった。 しかし、現実h厳しかった。 いや、もっと早く自分の才能の限界に気づけばよかったんだ。

 妻が買って帰ったタコが生きていて、気持ちが悪いというので海岸に行き、「もう釣られるなよ」と言って海に投げこむ、しかし、蛸は波間に浮いたままで動かない。

 「辞めようかな・・・チェロ」と大悟が言う。 「辞めてどうするの?・・」美香が問い返す。 「田舎に帰るんだ、山形の・・」 「賛成!!」美香が大声を上げる。 「ええ・・いいの?・・」 「だって、お母さまが残してくれたおうちだったら、家賃もいらないんでしょ」 「だけど本当にいいの?・・」 「うん」

 大悟はチェロを売りに持っていった。 
  ”人生最大の分岐点を迎えたつもりだったが、チェロを手放した後不思議と楽になった。 今まで縛られていたものから、すうっと解放された気がした。 自分が夢だと信じていたものは、多分夢ではなかったのだ。”

 "2年前に死んだ母が、たった一つだけ残してくれた財産。最初は父が喫茶店をやっていたらしいが、僕には殆どその記憶がない。 父が愛人を作って出た跡、母はここでささやかなスナックを営み、女で一つで僕を育ててくれた。”

 二人で夕食を食べている。 「田舎暮らしをもっと嫌がるかと思っていたよ」と大悟が言う。 美香が「結構新鮮。・・・私、お店なんかやってみようかな・・・」と答える。 食事をしながら新聞を見ていた大悟が、求人広告欄に眼を留める。 
 「年齢問わず高給保証。 しかも労働時間わずか。・・・正社員だよ。」 「何の会社?・・」 「旅のお手伝いをするお仕事です。・・・旅行代理店かな?・・・添乗員とか?、未経験者歓迎だって・・とりあえず放しだけ聞いてくるよ」

 大悟は翌日”NKエージェント”と看板の付いた事務所を訪ねる。 一人で留守番をしていた女子事務員が「私ね、社長が新聞に出すって言った時反対したの。・・・この業界は人集めが難しいから」と言う。 大悟が「この会社何の会社なんですか?」と聞くと「あなた何んも知らないで来たの?」と言った。 大悟が「旅のお手伝いをするって・・・」と言ったが、女子事務員はだまって笑っていた。

              
 外出から帰ってきた社長の佐々木に履歴書を渡す。 社長は「うちでどっぷり働けるかね?」と聞いた。 「ええ」と答えると、時間をおかず「採用!」と社長が言った。 社長は「名前なんだっけ?・・・」と聞いて、「すぐ名詞刷って」と女子事務員に指示した。 「ちょっと待ってください。・・まだ、給料とか何も?・・・」 「そうか、最初は片手でどう?」 「片手って5万円ですか?・・」 「50」 「50万?・・」 「少ないかね?」 「そんなにたくさんいただけるのですか?」 「何なら現金日払いでもいいよ」 「どんな仕事をすれば・・」 社長はしばらく考えてから「まずは、僕のアシスタントだから・・・」と答える。 「具体的には?・・・」 「具体的・・・納棺・・・遺体を棺に納める仕事」 「遺体って死んだ人のことですか?」 「君、面白い質問するね」 「募集広告には、旅のお手伝いをするって書いてあったんですが・・・僕はてっきり旅行代理店かと・・・」 「ああそれ、誤植だ・・・旅のお手伝いではなくて、安らかな旅立ちのお手伝い。・・・だから納棺のNK。・・・まあこれも何かの縁だ。 とにかくやってみて、向いてないと思えば辞めればいいさ。・・・これ今日の分」と言って2万円を大悟に握らせた。

 大悟は帰りに米沢牛の肉を買って帰る。 「高かったでしょ?」という妻に「こっちに越したらすき焼き食べたいって言ってたでしょ。・・・給料を先に貰えたから」と答える。 「仕事決まったの?」 「まあね」 「やった!・・今日はお祝いだ。・・・で、どんな仕事だったの?。・・・添乗員だったの?」 「旅行代理店じゃなかった。 冠婚葬祭関係」 「結婚式場?」 「ああ」

 朝、大悟が出勤する。 女子事務員の上村が出社していて新しい名刺を渡される。 事務室に見本の棺桶が並べて置いてある。 大悟は棺桶を始めて見る。 「祖母は記憶のないときに亡くなったし、母親の時もちょうど海外に出かけていて、戻ったときはお墓の中でしたんで・・・」 「お父さんは?・・」 「僕が6歳の時に女を連れて出て行きました」 「お母さん寂しかったでしょうね」 「死んだ人を見たことも無い人間にこの仕事できるんでしょうかね?」 「そのうち慣れるわよ」 「死体にですか?」 「うん」 「陽気がいいからここんところ暇だけど、季節の変わり目なんて仕事がバンバン入るから」 「仕事って何処から来るんですか?」 「葬儀屋さん・・・納棺って昔は家族でやってたものなの、それが葬儀屋さんに廻されるようになって、そこからまたウチみたいな会社が出来て、言ってみれば葬式は産業。・・・棺もいろいろあるのよ。 5万、10万、30万」上村が棺を指差しながら教えてくれる。 「そんなに違うのですか?」 「左のは合板で、次は金具付きの二面彫り物。 一番高いのは総ひのき」 「素材と飾りの違いですか?」 「そう、燃え方は同じ、・・・人生最後の買い物は他人が決めるのよ」 「なんだか皮肉ですね」

 そこに電話が入る。 社長からの仕事と言うことで、住所・番地を頼りに劇場を尋ねる。 開場時間前の劇場で社長が待っていた。 「うちの新人小林です」と大悟をスタッフに紹介する。 スタッフが拍手で迎えてくれて、監督らしき人が「着替えとメイクが終わったらすぐに撮影はじめますのでのう。・・・よろしくお願いします」と言った。 社長は「大丈夫。大丈夫」というだけ。 
 スタッフの手に”納棺の手引き”が持たれ、パンツだけになった大悟が舞台に出てくる。 後方には祭壇がセットされている。 社長に「これ、どこで流れるんですか?」と聞くと「業務用のDVDだから、誰も見やしないよ。・・・大丈夫」と言われる。
 大悟が遺体役となって、中央の布団の上に寝かされる。 社長が枕元に正座して座り、「納棺にあたり、まず最初に含み綿と湯灌を行います。 湯灌にはこの世の疲れ・痛み・煩悩を洗い流す意味があります。 古くはタライに湯を張り、荒い清めておりましたが、今では衛生上の理由から、このように消毒液を浸した布でお身体をお拭きしております」 社長が解説をやりながら実演をする。 カメラの脇でカンペの紙がめくられていく。 「お着付けは故人様の尊厳を守るために、ご遺族の皆様には故人様の裸が見えないように、細心の注意を払って行っております。 お化粧を施す前にお顔剃りを致します。」 大悟の顔にクリームを塗り、「特に男性は、顔の筋肉の収縮と肌の乾燥のため、髭が伸びたように見えますので、念入りに行わせていただきます。・・・ご遺体の肌は思いのほか傷つきやすいもので、指を当てただけで皮が剥がれてしまうこともございます」と言いながら、かみそりを顔の当てた。 「痛っ!・・」大悟の頬に血が滲む。 大悟が飛び起きて撮影スタッフも騒然となる。 

                                            
 大悟が家に帰る。 美香に「顔どうしたの?」と聞かれ、「髭剃ってたら、社長に押されてさ」と答える。 「うちでも電気かみそりしか使わない人が、会社で髭剃ってたの?」 「社長命令だったから仕方なかったんだよ。 大したことないよ」 「変な会社・・」

 大悟の初仕事は突然訪れた。 社長と二人で死者の家に行く。 「僕は何をすればよいでしょうか?」 「今日は見ているだけで良いや・・・しかし、悪いときにぶつかってしまったな」 「どういう意味でしょうか?」 「行けば判る」 
 二人が着いた所にはパトカーが停まり警察官が立っている。 社長が尋ねる「ご遺体は?」 「一人暮らしのばあさんでのう、死後2週間。 結構痛んでるさけえて、気をつけての」 二人が部屋の中に入る。 部屋一杯の死臭に大悟はたじろぐ。 大悟が部屋に残った食べ物をあやまって踏みつけたので、腐っていて滑る。 「ちょっと手を貸して・・・」社長に呼ばれて二人で布団をはがす。 「うわっ!」死臭に思わず鼻を押さえる。 「足持って!・・」 躊躇していると「足ッ!」と大声で怒鳴られる。 大悟は手袋をつけて足元に行く。 「そうっと、やさしく」と言っていた社長が「ちゃんと持て!」と怒鳴る。 「はい」と言って足を持とうとしたが、大悟はいきなり嘔吐した。

 事務所に帰ると社長が2万円を差し出して「今日はもう帰っていいよ。・・・ちょっと刺激が強すぎたな」と言う。 

 帰りのバスの中で、女学生が顔を見合わせて、小声でささやきあっていたのが気になって銭湯に飛び込む。 脱衣所で詰め将棋をしていた男が「荷物はそこさ置いてけ。 300円だ・・タオルは100円だ」と言う。 大悟は何度も全身を石鹸で洗う。 湯から出て脱衣所で着物を着ていると、女性の「オイは絶対やめねえからの」と言う声が聞こえる。 「オイはオメエに心配されるほど年いってネエ」 「オイは母さんのことを思って・・・」と男の声がする。 もう年だから銭湯を閉鎖せよと母親を説得しているのは、大悟の同級生の山下だった。 「大悟、いつ帰ってきたがや、連絡くらいしろて」 大悟は「ちょっとバタバタしてての」と言い訳をした。 山下の母親のツヤ子さんが「あいや・・小林さんとこの大ちゃん?」とニコニコしながら近づいてくる。 ツヤ子さんは「久しぶりだの・・何かすごい仕事してるって聞いたども、・・・何だっけあの楽器」と大悟に聞く。 山下が「チェロ・・・バイオリンのお化けみたいなやつ」と答えてくれた。 ツヤ子さんは孫娘に「あのおじちゃんは東京でチェロっていう楽器やってるすごい人なんだよ。・・・うちでもあんな出来の良い息子がおったらのう」と言った。

 家に帰って夕食を待つている大悟はポケッとしている。 妻の美香が台所で「何かあったの?」と聞く。 「ううん」 美香は「お隣の藤井さんに戴いたの・・・今朝、つぶしたばっかりだから、すっごく新鮮でお刺身でもいけるって」と言いながら、大皿に山盛りになった鶏の生肉をテーブルの上に置いた。 頭、足、内臓も全部盛り付けている。 それを見た大悟は流し台に走り嘔吐した。
 心配して走り寄った美香の手を、両手で持って自分の顔に押し付け、とまどう美香を抱きしめた。 「どうしたの?」 大悟は美香のジーパンのジッパーを引き降ろし、肌けた美香のお腹に自分の顔を押し付けた。 「ちょっと、こんなとこで・・・はずかしい」 大悟はセーターを持ち上げ、美香の身体を狂おしく両手でまさぐった。 「ねえ、ちょっと・・・」 逆らっていた美香は、思い直して大悟をやさしく抱きしめた。

 その夜、二人はベットで抱き合ったまま寝た。
  ”いったい、自分は何を試されているんだろう?。 母を見取って上げられなかった罰なのか?。 この先どうなっていくんだろう。 そう思ったらなぜかチェロが弾きたくなった。 記憶を撒き戻しながら、ただ、チェロが弾きたくなった。”

 大悟は子供の頃に買ってもらった古いチェロを取り出し弦を張りなおす。 楽器ケースの中から、新聞紙に包まれた丸い大きな石が出てくる。 チェロを奏でていると、子供の頃のことが思い出される。 父母の前でチェロを弾いている自分がいる。 三人で銭湯に行ったことも思い出される。 小川で遊んでいた時、父の拾った大きい丸い石と、自分の拾った小さい白い石を取り替えたこと。 白鳥を観に行ったこと。 妻がベットで横になったまま、眼を覚ましてチェロの音を聞いている。

                              
 大悟は翌朝出社する気もなく川に行き、鮭が流れに逆らって、溯上してくるのを橋の上から見ている。 銭湯の脱衣所で将棋をしていた男が通りかかって「鮭ですか?・・」と声をかけてきた。 死んだ鮭が上流から流されていった。 大悟が「なんか切ないですよね。死ぬために登るなんて。・・・どうせ死ぬならあんなに苦労しなくても」と言うと、「帰りてェんでしょうのう・・生まれ故郷に」と男が言った。

 社長が車で通りかかって「飯食いに行こう・・・社長命令だ」と言う。 大悟が「偶然でしたか?・・ここを通りかかったのは?」と聞く。 「運命だな・・・君の天職だ、この仕事は」と社長が答えた。 大悟は「いい加減なこと言わないで下さい」と言った。

 大悟は社長と一緒に亡くなった人の家に言った。 遺族が「5分も遅れたんだぞ。 お前等これで飯食ってんだろ」と怒る。 社長は遺族の前で一礼して手を合わせ、顔のかけられている白布を取った。 祭壇に置かれたにこやかな写真顔と見比べる。 痩せ衰えた顔は別人のように見える。 口に綿を入れ、寝巻きを抜いて布団の上に広げる。 布団を足元から抜く。 全身を消毒した布で拭く。 紫の着物を着せて両手で顔の形を整える。 「奥様がお使いになっていた口紅ございますか?」 子供が取りに行って持ってくる。 社長は口紅を丁寧に塗った。 
 ”冷たくなった人間をよみがえらせ、永遠の美を授ける。 それは冷静であり、正確であり、そして何より優しい愛情に満ちている。 別れの場に立会い故人を送る。 すべての行いがとても美しいものに思えた。”
 それまで黙ってうつむき、座っていた夫が棺桶にすがって「ナオミ、・・ナオミ」と名前を呼んで号泣した。 「あいつは今までで一番綺麗でした。 本当にありがとうございました。」と二人に礼を言った。

 大悟は妻と銭湯に行く。 番台にいる山下の母に「うちの嫁です」と紹介した。 「始めまして・・」 「あいや、めんごいっ子貰ってえ」 「いや、そんげなことねえってば」 「ゆっくり浸かって、温まって行けのう」  
 大悟が湯船に入ると、顔見知りとなった平田さんが先客としている。 「いつもこちらへ・・」 「もう五十年以上通ってらのう。 ここのは薪で沸かすからのう、湯が柔らかいだけえ、熱くてもチクチクはしねえ。」と平田さんは言った。

 脱衣所で美香が待っていると、番台にいた山下の母が、ストーブに灯油を入れに来た。 「全部お一人で・・・」 「ああ・・ずっと前に爺ちゃん死んだからのう。 役所勤めの息子は、ここを売ってマンション建てろ言うけど、ここ無くなったら今のお客さん困るから、私が元気なうちは・・・」 「そんな、まだまだ・・・」 「支えてあげての、大ちゃん優しい子だからの。 全部引き受けてしまうのよ、両親が別れた時でも母親の前では絶対泣かなかったの。 男ってね、独りになった時に泣くのよ。 ちっちゃい身体で肩震わせて・・・そういう時あるから判ってあげての」 美香は「はい」と返事をして頭を下げた。 二人が銭湯を出ると外は雪だった。 美香が「ねえ、一杯だけ飲んで帰らない?」と言った。 二人は居酒屋のカウンターに並んで座って焼酎のお湯割りを飲んだ。

 家に帰って、美香が古いレコード盤を見ながら「お母さん、こんなに聞いていたんだ」と聞いた。 大悟が「全部親父のでしょ」と言った。 「そうか、ここって最初はお父さんの喫茶店だったんだよね」 「思い出したくも無い。と、言うより覚えて無いんだな俺。」 「逢いたいって思わない?・・」 「逢いたくない、・・・でも、もし逢ったらぶんなぐる」 大悟は父と交換した想い出の石をテーブルの上に転がした。 美香がレコードをセットする。 静かな曲が流れる。 大悟は「それは親父のお気に入りだ」と言った。 美香は「私思うんだけど、大ちゃんのお母さんって、ずっとお父さんのこと好きだったんじゃないかな。」 「まさか」 「・・・でなきゃ、レコード全部捨ててるって、・・・こんなに綺麗に整理しないって」

 夜中に、会社の女子事務員の上村から大悟に電話が架かってくる。 「エッ、今からですか?・・」 「そうよ、社長今日留守なのよ。 今からお願い」 「判りました」 大悟は、抜き足差し足部屋に戻って、洋服を持って出かける。 美香はベットで目を見開き、天井をじっと見つめている。

                                         
 翌朝、美香はいつものように大悟を玄関の外で見送る。 大悟が事務所に行くと上村が「おはよう・・夕べはご苦労様」と挨拶をした。 「警察の人感心してたわよ。 若いのにって」 「もう無我夢中でやりました」 「眼、真っ赤眠れなかったんだ。・・こう言うことって精神的に引きずるからね」 「上村さんはどうしてこの仕事に付いたんですか?・・」 「若い頃にいろいろあってね、あっちに居られなくなったの。・・・帯広。 どの仕事も長続きしなくてね。・・・たまたま流れ着いたのがこっちのスナック。・・でもね、そこのママさん脳溢血でいきなり死んじゃったの。 それでここの社長が着てね。 わたし、その時納棺始めて見たの。 ”わたし死んだらこの人にやってもらいたい”思ったの。 何かね、全然違うのねあの人は。 で、ここ」 「人の運命って面白いですよね」

 大悟は町を歩いていて同級生の山下夫妻に出会う。 「よう、山下」 夫人が「友人?」と山下に聞く。 山下は「挨拶なんかしなくて良い、先に行ってろ。すぐ行くから」と言って妻子を遠のける。 山下は大悟に「噂になってるぞ」と言う。 「何が?」 「どうでもいいんだもん。 ましな仕事さつけや」と言って、あっけに取られている大悟を置いて行ってしまう。 

 家に帰ると部屋の電気が点いていない。 「只今」と言っても返事が無い。 二階に上がると部屋の中に美香が正座をして座っている。 「どうしたの?」  美香は大悟にビデオ「納棺の手引き」を見せる。 ”「肛門編」=まれに肛門にお詰めする場合もあります。脱脂綿を丸め肛門の奥まで押し込みたい体液の流出を防ぎます。” モデルの大悟が大写しになっている。 「ナンなのこれ?・・・」 「机の中を勝手に見たんだ」 「そんな問題じゃないでしょう」 「これはたまたまモデルになっただけで・・」 「仕事の内容もちゃんと調べたわ・・・なんで言ってくれなかったの?」 「言うと反対するだろう」 「あたりまえでしょ。・・・こんな仕事しているなんて、恥ずかしいと思わないの?」 「どうして恥ずかしいの?・・死んだ人を毎日さわるからかね?」 「普通の仕事をして欲しいだけ」 「普通ってナンなの?・・・誰でも必ず死ぬだろう。・・俺だって死ぬ、君だって死ぬ。死そのものが普通なんだよ」 「理屈はいいから、今すぐ辞めて、・・お願い。・・・私、今まで何も言わなかったよね。 大ちゃんがチェロ辞めたいと言った時も、田舎に戻りたいって言った時も、笑って付いて来たじゃない。・・・そりゃ悲しかったのよ、本当は。 でも、あなたが好きだから。 だから、今度だけはお願い、私の言うことを聞いて」 しばらく沈黙の後大悟が「いやだ」と「言ったら?・・・」と聞いた。 美香は「一生の仕事に出来るの?」と聞いた。 大悟はまた沈黙した。 美香は「実家に帰る・・・仕事やめたら迎えに来て」と言って立ち上がった。 大悟が引き止めようとして美香を掴むと「触らないで・・・汚らわしい」と言って手を振り払った。
 美香は荷物をまとめて、一人電車で実家に向かった。

 大悟は仕事に出て、遺体となった茶髪の少女の顔を拭いている。 突然故人の母親が大悟に「違う、・・全部違う、美幸はああなのよ。・・やり直して」と叫び、祭壇の遺影写真を指差した。 写真の少女は清純な学生風であった。 父親は「今更なんだ、お前がちゃんと育てネエから、こげえなことになってしまったんだろうや」と妻を叱った。 部屋に遊び仲間と思われる若者が4・5人首をうなだれていた。 そのうちの一人が「そういう言い方はねえんじゃねえですか?。・・・美幸のことをちゃんと見てなかったのは、あんたも同じじゃないですか。」と言った。 父親は「この野郎!・・・オメエらだけ生き残って・・」と掴みかかった。 親族の一人が割って入って「おめえがた帰れ!・・・おめらのせいで美幸が死んだのは違わねえんだ。・・・おめえがた償えんのか?・・・あの人みてえな仕事をして償うか?」と言った。

 大悟は仕事を辞める決心で事務所に言った。 女子事務員の上村がいた。 上村は「社長はあなたのこと気にいってたから、初めての社員だもの。 あなたを見た瞬間ぴんと来たみたいよ。 悪いけど辞めたいんなら直接社長に言って。・・・今、上に居るから」と言った。
 大悟は社長が居室にしている三階に行った。 食事中だった社長は大悟の顔を見るなり、「かみさんまだ戻ってないんだろ。 食ってけよ、おれのほうが美味いぞ、たぶん」と言った。 大悟は言われるままに囲炉裏の脇に座った。 大悟が室内を見回し、社長の後の写真を見ていると「女房だ、9年前に死なれちまった。 夫婦ってのはいずれ死に別れるんだ。・・・先立たれると辛い。 俺が綺麗にして送り出した第1号だ」と社長は振り返って写真を見た。 「それ以来この仕事をしている。 これだってご遺体だよ」と言ってふぐの白子焼きを食べた。 「生き者が生き物を食って生きている、死ぬ気になれなきゃ食うしかない。 食うなら美味いほうがいい」 大悟にも白子焼きを奨めた。 「美味いだろ?」 「美味いっすね」 「美味いんだよなあ、困ったことに・・・」

            
 (この物語の始めの場面) 大悟は雪のちらつく朝もやの田舎道を、ライトを点けて車を走らせている。 社長が無愛想な顔をして助手席に乗っている。
 ”東京から山形の田舎に戻ってもうすぐ2ヶ月。 思えば何ともおぼつかない毎日を生きてきた。 僕は本当にこの仕事でやっていけるのだろうか?。”

 社長が遺族に挨拶を行い、ご遺体のそばに座る。 社長が大悟に「やってみるかい」と小声で聞く。 「はい」 ご遺体に死装束を着せる。 髪を梳く。 口紅を塗る。 社長がすぐ後で所作をじっと見ている。 棺に納める。 父親が「留雄!・・」と泣いて棺に取りすがる。
 二人が挨拶をして、土間まで出ると、父親があとを追って来る。 「ありがとうございました。・・留雄がああなってからは、何時も喧嘩ばかりで、あいつの顔をまともに見たことはありませんでした。 だけど、微笑んでる顔みて思い出したんです。・・・ああ、オイの子だのう。 おなごの格好してたって、やっぱあいつはオイの子だのって。・・・ありがとうございました」父親はそこまで言って泣き崩れた。

 クリスマスの夜。 事務所の三階の社長の居宅で三人が鳥の腿肉をかじっている。 社長が大悟に「チェロ持ってきたか?」と聞く。 上村が「聞きたい。聞きたい!」と言う。 「じゃあちょっとだけ・・・」 社長が「なまのチェロを聞くのは初めてだ」と言い、上村が「オーケストラにも入っていたんでしょ。・・何時からやってんの?」と聞く。 「幼稚園の時から・・・これもその頃の子供用なんですけど・・・親父から無理やり習わされたから」 「しゃれた親父だね」 「最悪の親父ですよ・・・小さな喫茶店をやっていたんですけど、ウエートレスと疾走して、それっきり」 「今どうしているんだろうね?」 「さあ、死んでんじゃないですか。・・・何をやりましょうか?」 「そうだな、折角だからクリスマスっぽいやつがいいな」 大悟は「宗派とかは問題ないですかね?」と聞いた。 社長は「大丈夫、大丈夫、うちは仏教、キリスト教、イスラム、全部を対応しているから」と答えた。 「それじゃあ、聖なる夜のために」と言って演奏を始めた。 二人は黙って聞きほれる。

 教会でも大悟は、牧師のお祈りの後で、少年に死化粧をしてやる。 田んぼの中に舞い降りて、餌を啄ばむ白鳥の群れを見たり。 田んぼの農道でチェロを弾いたりして日時が過ぎる。 春が来て雪が溶け、ひな祭りの頃も大悟は納棺の仕事に励む。 
 村の田んぼの畦道を、のぼりを立てた葬列が進む。

 ある日大悟が家に帰ると、妻の美香が台所で洗い物をしている。 「美香!・・・」 美香は開口一番「掃除しないの?」お言った。 「たまに・・・」 「うそ、・・一度もしてない」 「二回はやったぜ・・」 「たまにじゃないじゃないの・・・やっぱり私が居ないと駄目ね・・・報告もあるし」 「何の?・・」 「赤ちゃんが出来た」 「すごい。・・・俺知らなかった訳?」 「だからもう中途半端な生き方は辞めて。・・・自分の仕事を子供に堂々と言える?。・・・きっと、いじめの対象にもなる。 お金なんて要らないから、三人で仲良く暮らそ」 美香の言葉に返事も出来なくて、口ごもっているときに携帯電話のベルが鳴る。 
 「エッ・・今からですか?・・・判りました、すぐに行きます」 「こんな時に仕事に行くの?・・」 「銭湯のおばちゃんが亡くなった」

                                            
 大悟は山下の家に美香と二人で行く。 社長が先に来ている。 「妻の美香です」社長に妻を紹介する。 社長は「薪を運んでるときに倒れて、そのまま亡くなったらしい」と言った。 「最後の最後まで働いていたんですね」 葬儀屋の社長が「この銭湯がなくなると、寂しくなんの」と言った。 同級生の山下や妻の美香が見守る前で、大悟はもくもくと納棺の仕事を続けた。 大悟は死化粧まで終えてから、おばさんの枕元に古いマフラーがあるのを見つけた。 おばさんが何時も手放すことなく、クビに巻いていた汚れたマフラーである。 大悟はマフラーを取って、おばさんの首に巻いてあげた。 山下も美香も大悟の心使いに敬服した。 大悟が「それでは皆様で、お顔を拭いていただいて、お一人づつお別れをお願いします」と言って頭を下げた。 山下がご遺体を挟んで大悟の前に座った。 大悟は白布を消毒液に浸し、よく絞って山下に渡した。 山下は母親の顔を拭きながら、「かあちゃん・・・」と言って絶句した。 山下の妻と子供が行った後で、美香が立ち上がり、大悟の前に座った。 大悟の差し出した白布を受け取る。 

 斎場で山下は、棺に納められた母のところに子供を連れて行く。 「ばあば・・・お別れだよ」と言って顔を見せてやる。 山下の妻が泣いている。 大悟と美香が「お疲れさまでした」と言って、手を合わせる。 見るとすぐ脇に、斎場職員の制服姿の平田さんがいる。 「こちらにお勤めだったんですか?」 平田さんはだまって頷いた。 
 平田さんが「それでは皆様、合掌でお送り下さい。・・・お窓を閉めさせていただきます」と言った。 平田さんは棺の窓を閉めながら、小声で「ありがとうのう、・・・また会おうのう」とつぶやいた。 山下は部屋の裏側に廻って、ボイラー室に居る平田さんに言う。「かあちゃんの最後を見ても良いかね」  平田さんは頷いて、山下に言う「何か予感がするんでしょうのう。去年の暮れに二人でクリスマスやったのよ。まさかこの年になって、そげなことするって思ってねえ。 どうしてもやりてえって言うから、小ッちえェケーキ買って、ローソクさ火い点けて二人でお祝いしました。 そしたら突然、一緒に銭湯やってくれえってたのまれましてのう。・・・つまりはこう言うことやったんやの。 私、燃やすの上手ですからの。・・・私は、ここでたくさんの人を送ってきました。 ”行ってらっしゃい。・・また会おうの”って言いながら」
 大悟と美香がそばに来て、平田さんの話を聞いている。
 平田さんがボイラーのスイッチを押した。 赤い炎が釜の中で一気に広がった。 山下が、両手で顔を覆って「かあちゃん」と言って号泣した。
 葬祭場からの帰り道、大悟と美香は、白鳥が飛び去った後の河原に来ている。 大悟が河原の小石を拾って美香に渡す。 「何?」 「石文・・」 「いしぶみ?」 大悟が説明する「昔さ、人間が文字を知らなかったくらい昔の大昔にね、自分の気持ちに似た石をさがして相手に渡す。 貰った方はその石の感触や重さから、相手の心を読み解く。 たとへば、つるつるのときは心の平穏を想像し、ゴツゴツのときは相手のことを心配してあげる。」 美香は目をつむり小石を握り締めて「ありがとう」と言ってニッコリする。 大悟が「何を感じた?」と聞く。 美香は「ナイショ・・・素敵な話、誰から聞いたの?」と問う。 「おやじ」 「もしかして、あの大きな石も?・・・」 「そう、おやじから貰った」 「知らなかったわ」 「毎年石文を送りあおうなって言ってたのに、結局あれ1回だけ・・・やっぱりひどいおやじだ」 大悟は小石を拾って川に投げた。

                     
 桃の花が咲いている。 大悟が部屋でチェロを弾いている。 美香が「胎教のために毎日弾いてね」と言っている。

 郵便配達夫が手紙を届けに来る。 「和子さん宛ての電報です」 美香が怪訝な顔で居るので「和子さんいらっしゃいませんか?」と聞く。 「母は2年前に亡くなりましたけど?」と言いながら電文を見る。 ” 死亡者氏名 小林淑希さまのご遺体を引き取りに来て下さい。 由良浜漁協 渡辺利道 ”
 大悟が事務所に帰ってくる。 事務員の上村が「携帯忘れてるでしょ?」と聞く。 「あっ、家だ!・・」 「お父さん亡くなったみたいよ」 「誰の?」 「あなたの・・・」 「どういうこと?・・」 
 大悟は美香に電話をする。 「由良浜漁港に架けたら、お父さんの遺品の中にウチの住所があったんだって」 「今更父親と言われてもね、30年以上も会ってないんだぜ。 それに、一緒に逃げた相手に面倒見てもらえばいいんだよ」 「ずっとお一人だったそうよ。 明日の朝火葬にするからって、・・・お父さんのご遺体はそこの集会場にあるみたい」 「とにかく戸籍からはとっくに外れてるし、書類にはサイン出来ないって電話をしておいて」 美香に電話で告げて、大悟は席に着こうとする。
 上村が、「行ってあげて・・」と大悟に言う。 「本当に大丈夫ですから・・」 上村が「お願い、・・お願いします」と言って頭を下げる。 「私ね、帯広に捨ててきたの・・・息子を。 6歳だった。 好きな人が出来てね。 ママ、ママって泣き叫ぶ息子の、小さな手を振り払って家を飛び出したの」 (社長が長いすに寝転がって、本を読むふりをして二人の会話を聞いている) 大悟が「息子さんとは?・・」と聞く。 「会いたいに決まってるけど逢えない」 「どうして?・・・逢いたかったら逢いに行けばいいじゃないですか?」 上村は、黙って首を振った。 大悟は高ぶる気持ちを抑えながら「子供を捨てた親って皆そうなんですか?」と聞いた後、声を張り上げて「そうだとしたら、無責任すぎるよ!」と誰にとも無く怒鳴った。 上村が再度「お願い、行って上げて・・・最後の姿を見てあげてよ」と懇願する。

 大悟は事務所を飛び出す。 旅の支度を整えた妻と玄関で出会う。 美香が声をかけるが、振り向きもしないで立ち去ろうとする。 
 大悟は立ち止まり、眼を瞑ってしばらく考えた後、事務所に引き返す。 社長に「社長!・・」と言っただけで、社長は車のキーを大悟に投げて寄こす。 出かけようとする大悟に社長は「おい、好きなのを言ってくれ」と言って商品見本の棺を指差した。

 大悟と美香が来るまで港町の漁協に行く。 組合長が「今朝、着てみたら死んでたがや、びっくりしての、・・・どっから流れて来たんだかのう。・・一人でこの町に来ての、一生懸命港の仕事手伝ってくれての。 だもんで、ここの番屋を住居代わりに使って貰ってたがや。・・・無口で、なあんも言わない人だったけど、・・・いやあ良かった、身内の人が来てくれて・・もうすぐ葬儀屋の人が来るからの」と二人に話した。

 大悟は遺体の横に座って顔の架けられた白布を取った。 美香が「あなたのおとうさん?」と聞いた。 「情けないけど、覚えてないんだ。・・親父の顔。・・こんな顔してるって、見ても判らないんだ」
 部屋の隅に ” 小林淑希殿  所持品 ”と、書いた紙が張られたダンボールとバッグがある。 大悟は美香に「なんだったんだろう、この人の人生?・・・70数年生きて、残したものはダンボール1個だけ」と言う。 

 棺桶を持って葬儀屋が二人来る。 「そろそろ宜しいですか?」言って遺体を持ち上げようとする。 相棒に「このまんま入れっかの」と言って布団に手をかける。 見ていた大悟が「あの、僕にやらせて貰えませんか?」と男に聞く。 男は「いやいや、私たちがやりますから、棺に納めた後、お水を飲ませてください」と答えながら、相棒に目配せして布団を持ち上げようとする。 大悟は二人を押し退ける。 男が怒って「何すんだ?!」と怒鳴る。 美香が間に入るようにして「夫は納棺師なんです」と言い、男が引き下がる。
 
 大悟は父の顔を両手で整え、胸の上で固まった手の指を一本ずつ開く。 丸い白い小石がポトンと落ちた。 大悟が小石を拾い上げる。 妻の顔を見ると美香が微笑んでいる。 大悟は小石を妻の手に渡して、改めて父の顔を見る。 父の顔を剃る。 子供の頃の父とのことが思い出される。 チェロを弾く大悟のそばで黙って見ていた父。 大悟が渡した丸く白い小石を受け取り、大きい石を呉れた父。 笑っていた父。 大悟は「おやじ・・おやじ」と小声で呼びかける。 美香はそんな大悟を見て安堵する。 大悟は大粒の涙を流して父の顔を撫でながら泣く。 美香が小石を持った手を開いて大悟の前に差し出す。 大悟はその小石を両手で包み、妻のお腹に押し当てる。 妻がその大悟の手の上に自分の手を重ねる。 向きあっている二人は、はにかみ、微笑む。

                       終わり    2008年9月  公開作品

                         


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