12月31日 今年も今日で終わり
いよいよ今年も大晦日になりました。
これから私は家の掃除とかをしないといけない。
だけどこの一年いい年だったような気がする。
左手が腱鞘炎になったけどこれも健康でいられるありがたみが分かった気がする。
ヨガの体操したくてもできない人もいるんだからヨガの体操できることに感謝しないといけないと思う。
今年6月に私は本を出版しましたが、私の視力回復のビジネスもうまくいくかはこれからにかかっているから来年私の視力回復のビジネスをヒットさせたい、と思っている。
今年も無事年越しできることに感謝して来年もいい年でありますようにと祈念したい。
12月30日 今年1年
今年も残り2日となった。
今年は私個人としましては6月に本を出版した。
来年は視力回復を本格的なビジネスにしたい、と思っている。
それと5月になった左手の腱鞘炎がまだ完治していない。
多分来月こそ完治するのではと思っている。
12月3日 腱鞘炎とクジャクのポーズ
私は今年の5月頃から左手が腱鞘炎になっている。
腱鞘炎で一時クジャクのポーズ全くできなかったが、今は大分よくなり、クジャクのポーズも毎日最低30秒は静止できる。
腱鞘炎は今月中には完治する、と思っている。
それからクジャクのポーズの静止時間目標は連続して20分である。
ヨガの本にはクジャクのポーズ連続して15分から20分できる人はサソリや毒蛇の毒にも不死身である、と書いてあったのでクジャクのポーズ20分の静止を目指している。
クジャクのポーズも毎日やっていれば静止できる時間がだんだん長くなっていくと思う。
11月23日 レーシック
レーシックのサイトを運営している人から相互リンクしないか、というメールがきましたが、やはり私としてはレーシックという手術には反対なのでリンクしないことにしました。
レーシックに反対というのは近視は一種の生活習慣病であり悪くなる生活習慣を改めずに都合の悪いものを切ってしまうということをしてもよくない、体に無理がかかると思うからです。
11月21日 体からの危険信号
酒とかタバコとか大食いするとか体に悪いことをしていても体から危険信号がでるんじゃないか。危険信号でやめればそのあと大事にならずにいられるが危険信号がでてもそのままでいれば致命傷あるいは命取りとなってしまうのでは、と思う。
私も今年体から危険信号みたいなものを感じた。
今年6月頃普段何もしていないのに脈が1分間に90くらい打つくらいになった。
脈1分間に90で思い当たることがあった。
ビールを飲み過ぎていて酒の飲み過ぎで体に異常が出てきたのかもしれない。
2つ目は免許の更新に行ってないこと。メガネなしで免許を更新しようと視力回復の訓練をしている。
警察から来た案内のハガキには誕生日の1ヶ月後まで免許の更新はOKとなっているが、メガネなしで免許を更新しようと視力回復の訓練をしていて誕生日過ぎても免許の更新に行ってない。
今免許がないと生活できないくらいだから誕生日過ぎて免許更新してない、ということで不安で脈が速いのかもしれない。
3つ目はネコを飼っていて不衛生にしていて体に異常が出てきたのかもしれない。
脈が速いのは自分にとって深刻な問題。
原因と思われることに手を打った。
まずビール普段飲まないようにしよう。
免許はもう明日更新に行こう。
ネコは捨てたりしないが部屋はきれいにしておこう。
以上のことをしたら脈は1分間に60か70になった。
多分脈が速くなったのは免許の更新に行ってなかったことだと思うが、ビールをなるべく飲まないようにするといういい機会になった。
11月15日 タバコと禁煙
私が中学生高校生に話しをするとしたら「タバコは吸わない方がいい」ということ。
タバコ吸うようになるとなかなかやめられない。
私は今までにタバコは吸ったことがない。
厳密に言うと私はタバコは吸ったことがある。20本くらいある。
今までにタバコ20本吸ったことがある、と言うと、「1日に20本か」と聞かれた。
それに対し今まで生まれてこれまでに20本だ。若い頃人からタバコ吸ってみないと言われ人からもらって今までに私はタバコは20本くらい吸ったことあがある。
だが私は自分でタバコを買って吸ったことがない。
自分でタバコを買って吸うというのは「一線を越える」ことだと思う。
いろいろタバコが健康に及ぼす害もいわれているし、タバコ吸うようになるとなかなかタバコをやめられないから、最初からタバコを吸わなければいいのだと思う。
最初からタバコを吸わなければ吸わないでいられる。
私はタバコを最初から吸わないから特にタバコをやめる、という苦労もない。
タバコは最初から吸わないのが一番だと思う。
11月9日 視力回復
現在私の視力は原付と小型特殊がメガネなしで乗っていいことになっていて普通免許はもうちっと、というとことです。
両目で0・5は見えるが0・7は見えないという状態です。
今私は自分の著書にある星を見る遠くの山を見る、ということを見直しています。
普通の人が特別時間をかけずにできる方法を考えています。
11月8日 中学の時の英語の勉強法
私が中学の時の英語の勉強法で思い出したのがあった。
私が中学の時、学校で英語の教科書は1年の時がトータルイングリッシュ、2年3年の時がニューホライズンだった。
私は中学2年と3年の時、中2コース中3コースを毎月買っていたが、中2コースの付録に教科書の日本語の全文訳が載っていて中学2年の時、日本語の全文訳みて教科書通りに英語で書く、というのをやった。
日本語みて教科書通りに書くにはつづりが完璧になるし、文法が分かっていないとできない。
日本語見て教科書の通り書くのも3年になったら英語が難しくなってやらなかったような気がする。
だけど中学2年の時日本語みて教科書の通り書くのをやったら大分英語ができるようになった。
11月7日 腹八分目
私は身長が180で体重は66キロくらいですが、やはりこれも普段から腹八分目に心掛けているからです。
高校の時買ったヨガの本に人が一生の間に食べる食べ物の量は決まっていて大食いして早死にするか腹八分目にして長生きするかの違いだ、というのです。
大食いは肥満生活習慣病早死にとろくなことない。
11月6日 人は選んで生まれてくる
今から10年くらい前東京の友達が一度農作業をしてみたい、ということで私の家に稲刈りを手伝いに来た、ことがありました。
その時友達は「人は生まれる時どんな人に生まれたいか、どんな親の下に生まれるかある程度選べる」と言っていました。
多分そうなんでしょう。
この世は勉強の為に生まれてくるんですが。どんな条件で生まれてどんな勉強をするかは自分である程度選べるのでしょう。
11月5日 クジャクのポーズ
クジャクのポーズ昨日51秒の静止ができた。
今までの最高が44秒だったのでまた最長記録を延長できたわけです。
ヨガの本にはクジャクのポーズ連続して15分から20分できる人はサソリや毒蛇の毒にも不死身である、と書いてあるので私はクジャクのポーズ20分の静止目指している。
まずは1分と思っているが昨日51秒できた。
11月4日 人はまぜ生まれてくるのか人はなぜ死ぬのか
今日は人はまぜ生まれてくるのか人はなぜ死ぬのかということに関して私の思っていることを書きたい。
男はつらいよの映画の名シーンの中に寅さんが人はなぜ生まれてくるのかということに関して「自分は生まれてきてよかったなあ、と思う。そんなことを思うために人は生まれてくるんじゃないか」というようなことを言っていた。
また人はなぜ死ぬのかということに関して「人が死ななかったら陸の上人で一杯になって誰を海に落とすかいつもおしくらまんじゅうしていなければいけなくなるから人は死ぬんじゃないか」というようなことを言っていた。
私が思うには人はなぜ死ぬのかということに関しては寅さんの言う通りだと思う。
人が死ななかったら陸の上人で一杯になってしまう、ということがある。
だけど人はなぜ生まれてくるのかということに関しては、生まれてきて良かったなあ、と思うことより、人は勉強のためにこの世に生まれてくるのだと思う。
この世の中の法則としていろいろなころがある。
私が中学の時理科の先生が「人間が生きていく上で一番大切なものは何か」と聞くと生徒は「水だ」と答えた。
だが中学の理科の先生は「水なんか2日くらい飲まなくても死ぬことはない。人間が一番大切なものは空気だ。空気は5分息ができなかったら人は死んでしまう。人間にとって一番大切なものは空気だ」と言っていた。
この世の法則として空気は陸上にいる以上どこでもただで呼吸をしていられる。
水だって川に流れている水はただだし、川の水を飲むわけにはいかないが、飲み水でも公園の水なら少し飲むくらいただである。
だが食べ物になればただというわけにはいかず、食べ物を手に入れるにはそれなりの労働をしないといけない。また着る物も住居も労働をしないと手に入らない維持できないところがある。
また人間はこの世は体があるので病気にならないようにけがしないように気をつけないといけない。
だかが人間は霊界のような意識だけの世界でない体があり一番大切な空気はただだが、水も少しならただ、だが衣食住は労働をしないといけなない、それでこの世の寿命はせいぜい80年か100年そんな世界で過ごすのが人間にとって一番勉強になるからこの世に人は生まれてくる。人はこの世に勉強のために生まれてくるのです。
11月3日 死んだら全ては終わり
最近中学生でいじめを苦にして自殺したり、高校で必修科目教えていない、とうことがそこらじゅうの高校であり、ある高校の校長先生が自殺をしたり、ということをききますが、私は思う、自殺した人は負けだ、ということ。
学校でいじめにあうのもつらいが何とか生き延びる、例え学校へ行かなくても何とか自分で生きていく方法をかんがえて生きるべきではないか。
死んだらどうなるの、という質問に対し、「死んだら全ては終わりだ」とある本に書いてあったが、私もその通りだと思う。死んだら全ては終わり。
死んでしまったらいやいや行った保育園や幼稚園、一所懸命行った小学校、自転車に乗れるようになったこと、全てが終わりなのです。
明日は人はなぜ死ぬのか、人はなぜ生まれて来るのかを書きます。
11月2日 縁があれば クジャクのポーズ
やることをやっていれば縁があれば道は必ず開けてくる、ということに関して自分自身の体験としてヨガのクジャクのポーズについて書きたい。
私が高校の時、ヨガの本を買ってヨガの体操にクジャクのポーズがある、ということを知った。
だけどクジャクのポーズは難しくていくらやろうとしてもできなかったが、私が43歳の時クジャクのポーズができるようになった。
クジャクのポーズができるよになったんだから手で立つ普通の逆立ちができるように挑戦してみた。半年間毎日手で立つ普通の逆立ちの練習をしてみて、やはり私は手で立つ普通の逆立ちはいくら練習してもできない、ということが分かった。
東大は勉強すれば誰でも受かるというものではなくて体操だってその人によっていくら練習してもできない、というものはある。
手で立つ普通の逆立ちも3千円くらいするヨガの本には載っていたりするが普通のヨガの本には手で立つ普通の逆立ちは載っていない。
ヨガもスポーツマンでなくてはできない、というものでなく頭をつく逆立ち(シルシアサナ)とかクジャクのポーズとか特別なスポーツマンでなくてもできる、それが普通の人に対してのヨガなんじゃないか、と思う。
11月1日縁があれば
縁があれば道は必ず開けてくるということに関して、私が高校の時大学の合格体験記を読んで、一橋大学に受かった人で、一浪して一橋大学受けて二次試験に英語がありヒヤリングのテストもあり、ヒヤリング若い女の人の声かなと思ったら男の人の声で二次試験の英語もあまりできなかったからまた浪人かなと思ったら一橋大学から合格通知来た、とのことだった。
人と話しても現役の時青山学院大学だけ受かったという人もいるし、中央大学の経済学部だけ受かった、と言う人もいる。
私自身の体験としては、情報処理の試験、専門学校の1年の時落ちて2年の時受けて、情報処置の試験午前の問題と午後の問題があって、午前はマークシートで午後は記述式の試験で、専門学校の2年の時午後の試験終わったら会場である会社でサービスで午前の問題の模範解答を配っていた。
JRの駅に着き模範解答と自分の試験の控えを見れば、午前の問題は20問あって最初の10問は必須問題であとの10問は10問のうち5問選択の問題だった。
私は5問の選択問題でケアレスミスをしていた。数学の関数の問題で答えは分かっていたが正解が1と2としたら私は控えの紙には3と4というふうに書いてある。この控えの紙に3と4と書いてあるということは3と4とマークしたのではないか。午後の問題は95点くらい取るくらいにできたが、午前の問題5問のうち1問そっくり間違えていれば落ちるんじゃないか。マークシートは簡単に採点できるから午前の試験で一定の点取っていないと午後の試験見てもらえない、とも思った。午後あんなにできたのにもったいない、と思ったが、試験は10月で私はてっきり情報処理の試験落ちた、と思ったが、1月に合格通知がきた。
また自動二輪の中型の免許を取る時、普通免許があれば二輪の免許は筆記は免除で乗るだけだが、専門学校の時、就職すれば免許はなかなか取れないから学生のうちに取っておこう、と思って教習所へ行った。
二輪の免許の試験に直線狭路というのがあって幅30センチの鉄板の上10メートル渡る、というのがどうしてもできない。
何時間も教習をオーバーして何とか検定が受けられるようになった。
だが中型の場合10メートルの鉄板の上7秒以上でないといけない。時間が少ないと減点される。
一回目の検定の時直線狭路で脱輪してその場で失格となった。
検定に落ちても1時間か2時間教習を受ければまた検定が受けられるが、30センチの鉄板時間気にしないで渡るだけ渡れ、と言われた。
2度目の検定の時、30センチの鉄板渡れたが右折する時方向指示器を出すのを忘れていて、後ろからついて来る教官に右だ右だと言われた。
私は自動二輪の検定は2度目で受かったが、右折するのを方向指示器出すの忘れていたのに教官の勘違いで私は検定に合格することができた。
10月31日 縁があれば
何となく思うことはその通りになる、ということで私は高校へ入学して学校の勉強があまりにも難しくて「こんなに難しくて自分は大学になんか受かるんだろうか」とも思った。
私の友達で大学は青山学院大学出た人がいて現役で青山学院大学だけ受かった、と言っていた。
その友達も高校へ行ったら学校の授業全然分からなかった、とも言っていたので、私はその友達に「高校の時大学に受かると思っていた」と聞いてみた。
そしたら青山学院大学日本史の問題近代の問題で自分の知っている問題が出てその問題は記述式でマークシートの問題もあったが記述式は配点が高くてそれで青山学院大学に受かった、と言っていた。
他に大学はどこ受けたの、と聞くと上智と法政それで青山学院大学法学部受けたけど法学部は落ちたけど経営学部に受かった、と言っていた。
やはり私は思う。「やることやっていれば自分に縁があれば道は必ず開けてくる」。
大学だって入学試験受けなかったら入学はできないが、入学試験受けていれば大学に行く、という縁があれば大学に受かることができる。
10月30日 国語の勉強法
私が中学の時2年の途中からテスト90点以上取れるようになった理由に中学2年の国語の先生がいい先生だったから私は成績が伸びたともいえる、と思う。
国語は勉強をする上で基本だと思う。文章をよんだりテストの時解答を書いたり、というのは国語がきちんとしていないといけない。中学2年の国語の先生にきちっと国語を教えてもらったので中学2年の時国語もできるようになったり、他の教科もできるようになったわけである。
国語の基本的な勉強の仕方は文章を書くことだと思う。
私が中学の時生活ノートというのをやっていて毎日宿題で生活ノートに日記のようなものを書き毎日朝提出して帰るまでに担任の先生が赤ペンで一筆書いて返す、というのをやっていた。
今の中学生も生活ノートみたいなものをやっている、と思うが、私は中学1年の頃生活ノートは毎日2行くらいしか書かなかった。
だけど担任の先生に生活ノート書く量少ない人は3年になってあまり伸びない、と注意された。
それで私は生活ノートは6行か7行書くようになった。
だが私が今思うには国語の力を伸ばす方法は本を読むことより自分で文章を書くことだと思う。
中学生の人は生活ノートを欄いっぱい書くようにして分からない漢字はひらがなで書かずに辞書を引いて漢字でかくようにすると国語ができるようになりまた他の教科もできる、ということにつながる。
10月29日 中学の時の勝因
私は中学1年の時はテスト60点か70点くらいしか取れなかったが、中学2年の途中からテスト90点くらい取れるようになり高校も長野高校へ行くことができた。自分なりの中学の時の勝因を書いてみたい。
今もあると思うが中学生向けの中1時代とか中1コースとかの雑誌があると思うが私が中学の時も中○時代とか中○コースという雑誌はあった。
私が中学1年の時はそういった雑誌も買ったり買わなかったりだった。だけど私は姉に中○時代より中○コースの方がいい、と言われた。時代よりコースの方がいいというのである。
私は中学2年になった時、4月から、正確には1年の3月から毎月中2コースを買ってみよう、と思った。それで毎月中2コースを買った。
私としては中学2年の時中2コースを、中学3年の時中3コースを毎月必ず買ったことがテスト90点以上取れるようになった勝因となった。
私は中2コース中3コースを買って付録についてくる問題をやるようにした。そうしたらテスト大体90点以上取れるようになった。
問題をやるにもまず最初何も見ないで問題を解く。それで解からない問題間違えた問題に○をしておく。それで○のついた問題を完全に解けるようにする。
後日○のついていない問題は無視して○のついている問題だけを何も見ないで解く。こういうやり方をしたら中学2年の途中からテスト大体90点以上取れるようになった。
中学2年の終わり頃学校で問題集の見本を見せて注文を取り学校で5教科の問題集の販売をしたが、そいうった問題集も中2コースや中3コースの付録の問題を解くのと同じやり方で使った。
中学2年の途中からは中2コースの問題や問題集の問題やっても10問中8問以上は解けて問題集見ても丸のついている問題は10問中1問か2問くらいだった。
10月28日 私が中学の時
私は中学の時は成績は最初からそんなに良かったわけではない。
最終的には高校は長野高校に受かったが中学1年の頃長野高校に受かるなんて夢にも思わなかったくらいである。
今でも憶えているが中学1年の一学期の中間テストは5教科合計304点だった。
304点というのは一番いい点が英語の73点、あと60点台2教科、50点台2教科で合計304点だった。
中学1年の1学期の期末テストは5教科合計380点くらいとれた。
あと中学1年の時は5教科合計350点いくかいかないかくらいだった。
中学1年の春休み問題集が宿題に出て、2年になってすぐその問題集の中から問題を出す、というテストがありそのテストで私は初めて400点が取れた。
中学2年の1学期の中間テストは410点くらいで期末テストが425点くらいだった。それである時担任の先生にこの前のテストお前は学年で15、6番だった。だけどいい気になっていればどーんと落ちるからな、と言われた。
中学2年の2学期の中間テストは中学1年の頃予想もつかなかった450点以上取ることができた。
それで中学2年の2学期の期末テスト今でも点を憶えているが5教科合計465点取ることができた。
465点は中学3年間の中で最高の点だった。
その後中学2年の3学期中学3年の終わりまで440点から460点の間くらいだった。
中学3年の時はテストは2回に1回450点以上取っていた。
明日は私の中学の時の勝因を書いてみたい。
10月27日 高校生がやったらいいと思うこと
いろいろ今まで書きましたが、高校生がやったらいいと思うことを書きたい、と思います。
まず高校になれば勉強もかなり難しくなりますので毎日授業を予習して出る、授業を集中して聞く、復習も必ずする。
次に高校になればあるいは大学入試を受けるには英語の単語をいっぱい覚えなければいけないので英語の単語を覚えるため、また英語を聞いて分かるようにヒヤリング対策としてNHKラジオの英語の放送を毎日欠かさず聞くようにする。
3番目はパソコンのキー十本の指使ってブラインドタッチで打てるようにする。
コンピューターが高度に発達してもコンピューターへの入力はどうしても人間がしなければいけない、というものがあり、パソコンのキーボード速く打てるのは何かと有利である。
有利というのは就職するにも個人でパソコンを使うにもである。
パソコンのキー入力
パソコンのキー十本の指使ってブラインドタッチで打てるようにするにはどうしたらいいか、私の経験から説明したい。
私は高校の時、姉に英文のタイプライターを買ってもらい、高校の時英文のタイプライターをやっていた。
その後専門学校へ行ってコンピューターの端末を使うようになって、キーボード使う時アルファベットのキーの位置わかるからいいな、とも思っていた。
その後パソコンとかがはやりパソコンのキーも英文のタイプライターでアルファベットで入力できるようになった。
パソコンのキーブラインドタッチで打てるようになるには中学生とか高校生だったら(中学生高校生でなくてもいいが)まず英文タイプの練習の仕方みたいな本を本屋で買ってまず英文のタイプライターの練習をする。
キーの入力モードを半角英数字にして英文のタイプライターの練習をするようにする。
タイプライターの練習は右手の中指打って、次左手の中指打ってという風な感じから始まる。
英文タイプの練習の仕方の本一通り終わったら、英語の教科書を打ってみる。
自分でアルファベットで自分の思った文字で指が動くようになったら、後は日本語のワープロでローマ字入力モードにしてひらがな入れて、変換押して出したい漢字出たらリターンキーで確定にすればいい。
10月26日 記憶術
私が中学の時テレビで「特だね登場」というような番組をやっていた。
「特だね登場」とは変わった特技のある人、変わった経験がある人がでる番組で私が小学校の頃から「特だね登場」はやっていたが私が中学の時「記憶術」の人がでた。
記憶術はどんなものかと言えば人の名前と年齢、職業が書いてある。例えば
マリリンモンロー 30歳 映画女優
チャップリン 35歳 喜劇俳優
ケネディー 43歳 アメリカ大統領
田中角栄 53歳 内閣総理大臣
というようなふうに10人の名前と年齢と職業が出ている。これをバラバラにして意味のないものにしてしまう。例えば
田中角栄 30歳 アメリカ大統領
マリリンモンロー 43歳 喜劇俳優
ケネディー 35歳 映画女優
チャップリン 53歳 内閣総理大臣
それで意味のない名前を言えば並び替えた意味のない年齢とか職業が正確に言える。
年齢言っても意味のない名前と職業が言える。職業言っても意味のない名前と年齢がいえるというようなものだった。
私はテレビを見てこれはすごい。記憶術をやれば東大でも司法試験でも受かる、ともその時思った。
中学の時、普通にやっていてテスト90点取れれば特に記憶術なんてやろう、とも思わないが、高校になってあまりできない、となると記憶術やってみようかな、とも思った。
高校2年の冬、中学の時テレビに出た人の書いた記憶術の本を手に入れた。
だが記憶術といってもそれで頭がよくなる、というものではなく23を兄さんというような感じで工夫して覚えるだけでその人の記憶術をやっても勉強ができる、ということはあまりない、と思った。
それで高校3年の5月、前の年の文化祭の講演会で聞いた話をヒントに授業を予習して出るようになったらある程度いい点取れるようになった、という訳である。
私が思う成績を伸ばす一番の記憶術は予習して授業に出るようにして先生の話を聞きながらその場で覚えるようにする、そしてその日のうちに必ず復習をする、これが一番の記憶術だと思っている。
10月25日 大学入試攻略法
私もNHKラジオの英語の放送聞いてセンター試験180点取れるまでになったということで私なりに考える大学入試攻略法を書いてみたい。
国立の大学に受かりたかったら高校になったら毎日の学校の授業を1時間1時間自分のものにしていないとだめである。
だから国立の大学に受かるには高校になったら毎日予習をして授業を受け授業を集中して聞いてなるべくその場で覚えるようにする。そしてその日の内に必ず復習をする。
授業中先生が黒板に書かないことでも重要だと思うことはノートに取る。
英語はNHKのラジオの番組を聞く、ラジオの番組も必ず予習して聞くようにする。
学校の授業の他ラジオの番組で勉強していれば入試の英語は大丈夫。
数学は記述式は難しいがマークシートならある程度点が取れる。
理科社会は授業をきちんと受けていればある程度点が取れる。
これで一応最低国立の大学には受かることができる。
国立の大学も授業をきちんと受けたからと言って誰でも受かる、というものではないが、もうちょっとという人は授業を予習し100パーセント授業を生かすようにしていれば入試をパスすることができる。
10月24日 英語を勉強してみて
私も20代後半の時NHKラジオの英語会話とやさしいビジネス英語を聞いて英語を勉強してみた。
私のやり方は毎日タイマーでテープに録音して毎日必ず聞くようにする、というものである。
高校の友達が言うには、録音すればためてしまって結局聞かないことになるからその時聞かなくては駄目だ、と言っていた。
だけどその時聞くといってもその時間どうしても電話かかってきたりで聞けないこともあるし録音しておけば間違いない、と思って私は録音して聞いた。
私は録音してもためずに毎日聞いた。前日のものを必ず聞くようにした。
英語の放送を聞いて2年くらいたって英検2級を受けてみよう、と思った。
英検2級受けたら一次試験の筆記テストは自分でも1問も間違いない、と思った。ヒヤリングは3分の2くらいできて多分一次試験は合格する、と思っていたが、やはり一次試験は受かった。
二次試験は面接である。英文の書いてあるカードを渡されまず1分間黙読しろと英語で言われ、次声を出して読め、と言われ声を出して読む。それで内容について5問英語で聞かれ英語で答えを言う。
私は1回目の英検2級は英語の5問が、全く分からなかった。英語を勉強してもラジオの放送を聞くだけならヒヤリングはできても会話のやりとりはできない、と思った。
私は英検2級一回目英語の質問が全く分からなかったが、I don'tknow.とかIcan't
answer.とか言いたく
なかったので適当に答えていたら、「不合格C」という通知が来た。
1回英検2級受けてみて、やはりラジオで聞くだけでは駄目で会話の勉強をしないといけない、と思い、お金を払い英会話学校へ行ってみた。
それで1年くらいしてまた英検2級を受けた。2度目は筆記は前みたいにパーフェクトというわけにはいかず2問くらいは自信のない問題があって2問くらい間違いえている、とも思った。ヒヤリングは1回目と同じくらいで3分の2くらいできた。
多分そのくらいなら一次試験受かる、と思ったがやはり一次試験は受かった。
二次試験も5問全部解かって答えられたので受かるかな、と思ったが「不合格A」という通知が来た。
不合格Aという通知で思ったことは面接で答えるとしてもただIt's何々Because何々の一言でなくて二言三言言えばいいのではないか、とも思ったが、英語なんかやったって自分にはあまり意味のないこと、と思いその後英語の勉強はやめた。
だけど一所懸命勉強したのだからせめて英検2級に受かりたかった、とも思った。
それで英検2級二次試験不合格Aで自分は大学入試ではどのくらいできるのだろうか、と思い、1月のセンター試験の問題新聞に載っているのをやってみたら180点くらい取れた。受験生でセンター試験180点取れれば英語は一応いいんじゃないか、とも思う。
10月23日 英語はどうやって勉強するか
私が高校へ入学して感じたことは数学の難しさである。中学の時は数学の問題は大体の問題は少し考えればみな解かった。だが高校になると数学の問題も教科書の問題ならすぐ解かるが大学入試の問題となるといくら考えても解からない。数学の時間に数学の先生が大学入試の数学の問題を説明している時、こんなの解かるなんて先生にしてもすごい、とも高校へ入学したばかりの頃は思った。
高校へ入って感じたことは数学の問題が難しいということと英語の単語が覚えられない、ということである。
中学の時は英語の単語を覚えるのも特別苦労しなかったが高校になると新しい単語がいっぱいあってなかなか新しい単語を覚えられない。
英語を制する者は入試を制する、単語を制するものは英語を制する、とも言われているが、英語の単語をうまく覚える方法はないのだろうか。それがあるのである。普通の人でもそんなにお金をかけなくてもできる方法である。
それはラジオの英語の放送を聞くことである。私はNHKラジオの英語会話とやさしいビジネス英語を聞いて英語を勉強した時期があったが、その時は高校の時みたいに単語が覚えられなくて困る、ということがなかった。
英語のラジオの放送を聞いて外人の英語を解かるようにいつもしていれば単語が覚えられなくてこまる、ということもない。また入試のヒヤリング対策にばっちりである。
だが英語の放送聞くのも継続は力なりで続けないと意味がない。
タイプライター
私が高校に入学した時、同じクラスの友達で英文のタイプライターを持っている人がいて、高校になると大学入試の勉強とかで結構英語を勉強するので英文のタイプライターって便利だな、と思っていた。
同じクラスの友達は親戚の人からもらった合格祝いでタイプライターを買ったんだ、と言っていた。
私には姉がいて英文のタイプライターって便利だな、というようなことを言っていたら、私の姉が富士通に勤めていて姉は冬のボーナスで英文のタイプライターをかってやる、と言った。
姉にしてみれば私が長野高校へ行っているので将来英語を使う仕事をするかもしれない、とも思ってかもしれない。
英文のタイプライターは今のパソコンと違って同じものを何枚も印刷みたいなことはできない。また後で修正もできない。ただ一回書けるだけのものである。
だけど英文のタイプライター印字のリボンにお金かかるのがいけないくらいである程度役に立つものだ、と思っていた。
私は長野高校を出たけど頭が悪くて英語を使う仕事には就けなかったが、今パソコンを使う上で英文のタイプライターが活きている。
パソコンのキー入力ローマ字入力で十本の指使って文字入力ができる。本の原稿を書くには私は1時間に本のページ数にして3ページか4ページくらいは打てる。
1時間に3ページか4ページじゃ遅いという人もいるかもしれないが、私はキー入力専門にやっているんではなく考えながらキーを打っているので1時間に3ページ4ページくらいでいいとも思っている。
10月22日 高校の先生にいいたいこと その2
私は高校の先生に後から考えていいたいことは小学校中学校までの授業と高校からの授業はやり方が違うのである。
中学校までの授業は先生が「これ分かる人」と言って手を挙げさせて生徒に答えさせて授業を行う。だが高校からの授業はただ先生が話しをしているだけ。特に理科とか社会はそうだった。
私は高校1年と2年の時英語と数学だけは平均点を取ることができたのは英語は生徒に英文がどういう意味か答えさせたりという授業をしていたし、数学は席の順に黒板に問題の解答を書かせるというような授業をしていた。だから私は高校1年と2年の時は英語と数学だけは平均点をとることができたのである。
理科や社会の授業はただ先生が話をしているだけの授業だった。それで理科や社会回の授業がわからなくなってしまい授業が分かっていないといくら勉強しても平均点もいかないくらいなのである。
私は高校1年の初めに高校からは中学までの授業と違うのだから予習をして一時間一時間きちんと授業を身につけていかなかったら国立大学に受かる学力は身につかない、というような話をしてもらえば私の高校卒業後がもっといい方向へ行ったのに、とも思う。
高校の先生に言いたいこと その1
私は自分自身の体験から高校1年と2年の時いくら努力しても5教科合計で平均点取れなかった。
だけど高校3年になっていよいよ大学受験となった時、高校2年の学校の文化祭の講演会の講師の先生の一言をヒントに5教科合計で平均点取る方法を考えた。
私は試行錯誤の中から授業をいい加減に受けていればいくら努力してもいい点は取れない、いい点を取るには授業を百パーセント自分のものにするようにしなければ駄目だ、ということが分かった。
私は高校の先生に言いたいことは高校に入学して4月か5月頃高校ではどのように勉強したらいいのか、というような話をしてもらえば、私も高校1年の初めから授業の予習と復習をして授業を受けていたのに。
高校の時先生も「勉強をしろしろ」なんて言ったが、勉強をしろなんてことは言われなくても百も承知だ、と言いたい。中学のテスト90点取れても私の行っていた長野高校のテスト90点なんか取れない。
長野高校のテストに限らず大学入試のテスト90点なんか簡単に取れない。
私の行っていた長野高校で5教科全部90点取る人なんかめったにいないがいたとしたら東大ストレート間違いない。
私の行っていた高校では90点どころか60点だって簡単に取れない。私の行っていた高校で5教科全て60点以上取っていれば信州大学とか普通の国立大学に受かるくらいである。
私は言いたい。高校3年の大学進学という時、東大や京都大学に行けなくても最低国立の大学に受かるくらいならいいんじゃないか、と思うのである。
国立の大学に受かるにはどうすればいいのか。高校3年になってすぐできるというものではないが、高校1年の時から授業を1時間1時間きちんと受けていれば国立の大学に受かるくらいになるんじゃないか。そんなようなこと高校1年の初めに話をしてもらえれば自分の高校生活その後の人生も変わっていたのになあ、と思うのである。
東大は勉強すれば誰でも受かるか その7 結論
私は自分自身の体験から高校くらいの難しい勉強になれば予習していかないと授業についていけなくなることがある。
だけど予習して授業を集中して聞いて必ず復習する、これをやっていても、私は普通免許の学科試験模擬テストいつも100点取れなかった。
あるいは高校3年の化学で1ヶ月に1回授業をさぼるくらいでも70点取れる人がいるのに私は化学60点しか取れない。
東大でなくても司法試験でも英検1級とかある程度難しい試験もいくら勉強しても受からない人は受からない。
人間は生まれつきのもので90パーセント決まってしまっていて努力で変えられるのは10パーセントだ、という人もいるが、私が高校の時1年と2年の時どんなに努力してもテストは合計点で平均点取れなかったけど高校3年の時予習して授業を受けるようにしたらテスト合計点で平均点取れるようになった。これは自分の努力で変えられる10パーセントのことではないのか、と思っている。
だから工夫して勉強してもやはり私のいた高校でトップレベルになれない人はなれない。
10月21日 視力回復
私の視力のところにも書いてありますが、一昨年の4月ある眼科で右目0・5左目0・7だと言われたんですが、0・7になったということで壱点鏡のこと雑誌に載せるから診断書を書いて欲しい、と言ったら医師の人に「公の場で発表するのなら診断書はすぐに出せない」と言われました。その上、眼球の大きさ調べるんだと言われ、痛み止めの麻酔の目薬され目に光線を当てられるなんてことをされたので、「自分は病気ではないのでその眼科は2度と行かない」と思った。
だが街を歩いていて○○眼科という看板をあまり目にしないので私は総合病院の眼科へ行って「就職するに視力どのくらいか診断書を提出しろ、と言われている」と言って診断書書いてもらおう、と思った。
それで一昨年8月にある総合病院へ行ったら右目0・1左目0・15と言われた。
去年の8月にまた違う総合病院の眼科へ行ったら右目も左目も0・2と言われた。
どうやら私の本当の視力は0・7にはなっていなくて0・1とか0・2というのが本当なのかもしれない。
それでも去年の6月から手を振る運動始めたら2ヶ月で0・1が0・2になった。そして今年6月免許の書き換えに行ったら、原付と小型特殊はメガネなしでいいことになった。
それでも原付と小型特殊は片目で0・3両目で0・5だから去年の8月から今年の6月で0・2が0・3になった、ということです。
効果のある視力回復の方法は私の本に網羅してあるが、今眼球の運動とかカレンダー、あるいはこすった手を目に当てるということを1日に何度もしている。
普通免許OKもそんなに遠い日ではないと思う。
10月20日 東大は勉強すれば誰でも受かるか その6 結論2
私は普通免許の学科試験予習して授業を受けていたのに模擬試験毎日百点取れなかった。
また高校3年では文系と理系に分かれてやる授業があったが、私は文系だったが、化学とか国語とかは文系の授業があったが、文系の国語の時間に「化学の先生に化学のテストを返せ、と言われている。休んでいる人のテストは自分の名簿で前の人休んでいたら預かっておいて本人に渡すように」と言われた。
私の名簿の前にA男とB男の二人の男が休んでいたが、B男はあまりできない、ということは知っていた。
B男は夏休みの補習授業で一緒になったり、であまりできない、ということは知っていた。
平均点が55点くらいで私が60点でB男が40点くらいだった。A男はある程度できる、とも思っていたが、A男は70点くらいだった。
高校3年で1時間1時間予習して授業を受けても私は化学60点しか取れない。
A男はいつも予習して授業受けているかは知らないが、A男は1ヶ月に1時間授業をさぼるくらいだった。それでも化学70点取れるのである。
高校生になったら授業の予習復習と思うが高校生になっても予習なんかしなくても適当に授業に出ていればそれなりにできる、という人もいるんじゃないか、と思う。
その後A男は現役で金沢大学の法学部に受かり同窓会の名簿を見れば県庁に勤めている、とのことである。
10月19日 今の高校生
昨日JRに乗っていて小学校中学校と同期だった男の人に会ったけどその人の話によると、その人の子供女の子で高校2年生になっている、とのこと。
それで私は言った。「自分達の歳の人で順調にいっている人は子供高校生になっているくらいだろうな」。
その人の話によると子供JRで通学していて毎日親が駅まで車で送り迎えだ、とのこと。
「子供学校に行くに親が駅まで毎日車で送り迎えしないといけないんだったら親も大変だね」、と私は言った。
その人は他の人やっているとなると自分の家だけやらないわけにはいかない、とのことだった。
それで私は言った。「高校生バスに乗ればそれでバス黒字にはならないけど上がりにはなるのにね。自分は冬バスに乗ることあるけどバスに乗っても乗る人自分一人で自分が乗らなかったら空気運んでるようなもんだ」。
それでJRに乗って帰り、駅の自転車置き場見れば○○高校とかのステッカー貼ってある自転車もあって親に甘えないで自分で自転車で駅まで来ている高校生もいるんだな、とも思った。
10月18日 東大は勉強すれば誰でも受かるか その5 結論
東大あるいは司法試験のような難しい試験努力すれば誰でも受かる、というものではないことを感じたエピソードを書いてみたい。
私は運転免許は普通免許と中型の自動二輪の免許を持っていますが、まず普通免許を取りにいったことについて書きたい。
車の免許(普通免許)を取りに自動車学校へ行ったが、免許をもらうには実地試験と学科試験がある。
東大は勉強すれば誰でも受かるというものでないこと普通免許の学科試験やってみてわかった。
自動車学校では毎日学科を授業をして教えているが同時に毎日テストをして自分が何点か、それで大丈夫か、それ以上家で勉強をしないといけないか、とテストをしていた。
普通免許は実地が受かれば警察で学科試験をする。学科試験は○×式の百問ある問題で90(90点)以上正解しないと免許がもらえない。
私は自動車学校へ行っても2回に1回100点で2回に1回1問間違えるくらいだったが、27歳で大学出ているという女の人いつでも百点だった。
普通免許の学科試験2回に1回100点2回に1回1つ間違えるというのは普通の人からすればできるようかもしれないが、だが本当に勉強ができる、という人は普通免許くらいの試験はいつでも百点でなければいけない、ということがあると思う。
普通免許の学科試験なんてそんなに難しい試験ではない。中学のテスト90点どうしても取れない、という人はいても普通免許は90点以上でないと免許がもらえない。
普通免許の学科試験は希望すれば漢字によみがなをつけた問題でも受けられるんだ、と聞いた。
普通の文章漢字にふりがなふってないと読めないそんな人でも90点取らないと普通免許はとれない。
普通免許なんて自動車学校や教習所へ行った人の殆どがとれるすなわち、学科試験も90点とれるとなれば、本当にできる人は普通免許の模擬テストいつでも百点取っているくらいでないとできる人とは言えないのではないか。
東大に受かるような人は普通免許の学科試験なんかしてもいつでも百点ではないか。私は普通免許の模擬試験しても2回に1回1問間違えるようなら本当にできる人とは言えないんではないか、とも思った。
一応言っておくが、私は普通免許を取りに自動車学校へ行っていた時は毎日予習復習を欠かさなかった。
自動車学校へ通っても学科の予習しないで行っている人もいるかもしれないが私は自動車学校へ行った時は毎日予習して学科試験の授業を受けていただが模擬テスト毎回百点取れなかった。
だから普通免許の学科試験もいつも百点取れる人、予習して授業受けてもいつも百点取れない人はいるのである。
10月17日 12と25
この間、高校の同窓生でスナックへ行ってカラオケで私が歌を歌って機械で何点か採点したら私はへたで12点だった。
すると一緒にいた人が「惜しかったね。どうせなら11点なら1が二つ続いている、ということで景品がもらえたのにね」と言った。
それに対し私は負け惜しみで言った「12という数は中途半端な数ではなくてきりのいい数なんだ。小学校とか中学校のプール25メートルと12メートルだったけど25と12というのは意味ある数字なんだ。まず25は英語にはクォーターという言葉があってクォーターとは4分の1という意味。100の4分の1が25.12は1年は12ヶ月、1ダースは12、十二支の12、時間は12時までこれらはいずれも1年が12ヶ月ということからきているんだ。だからプールの12とか25は半端な数字ではなく意味あるきりのいい数字なんだ。12はきりのい数字なんだ」
10月16日 東大は勉強すれば誰でも受かるか その4
高校卒業後私は大学受験のための浪人をしたがやはり自分はどうしても大学には縁がない、ということがわかり専門学校へ行った。
専門学校へ行っても毎日授業の予習をしてきちんと授業を受け必ず復習をする、という勉強をしたら通産省の情報処理の試験にも受かることができた。
また30過ぎに職業訓練所に行って2級ボイラー技師にも受かることができた。
またラジオの英語会話とかの放送を聞いて英検の2級筆記には受かった。英検2級不合格と言っても2次の面接は不合格のAでもう少しで合格までできた。
この次「東大は勉強すれば誰でも受かるか」ということの結論を書きたい、と思っている。
10月15日 一目ぼれ
以前ホテルにつとめているとき、ホテルの若い女の子に一目ぼれしたことがある。
私はホテルのボイラー電気機械の設備関係の仕事をしていた。
ある年の8月から勤め始めて10月頃ふとフロントの若い女の子に一目ぼれしてしまった。
設備関係の仕事の人は警備員と控え室が同じで、フロントは受付ということで夜も一晩中一人の人は起きている。
警備員の人も夜勤でフロントに行っており警備員の人はフロントの人のことはよく知っている。
10月にフロントの若い女の子に会い警備員の人に「フロント1の美女を知ってしまった」と言った。
警備員の人に「誰だ」と言われた。
(その女の子の名前、仮に鈴木とすると)「鈴木さんだ」と言った。
鈴木さんと言ったら警備員の人「なるほど」という感じだった。
何日かしたら警備員の一人が「鈴木さんて神絵さんと同じくらいの年だよ」と言った。
(私はその時36だったが)「女で36と言えば相当老けているさ。だけど鈴木さんまだピチピチしているじゃん。だから鈴木さんなってもまだ24、5さ」と私は言った。
鈴木さんに会ったのが10月で11月頃から警備員の人に「クリスマスまでには何とかしましょう」と言われていた。
それで12月22日頃「クリスマスの次はバレンタインデーですね」と警備員の人に言われたが、私は「クリスマスの次は成人式」と言った。近くにいたもう一人の警備員が「そんなこと言っていればこの人頭おかしいよ、と言われるよ」と言っていた。
鈴木さんもそのうちホテルをやめてしまった。それで私は「鈴木さんいないんだったらもうフロントの女の子の興味ない」と言った。
10月14日 東大は勉強すれば誰でも受かるか その3
高校3年の5月10日頃1日6時間全ての授業予習をして受けたら1日学校でやったことがしっかりと頭の中に残っている。
そうだ。自分はこれまで家で毎日4時間くらい勉強してしるのにいくら勉強してもいくら努力しても合計点では平均点いかない。これは授業をいい加減に受けていたからだ、と分かった。
それ以来私は毎日必ず予習をして授業を受け授業を聞きながらその場でなるべく覚えるようにしてそれでその日のうちに復習をする。
毎日必ず予習をして授業を受け授業を集中して聞きその場で覚えるようにしてそれでその日のうちに復習する、それをしたら次のテスト合計点で平均点が取れるようになった。
学年で430人くらいいて高校3年のテスト最初のテスト300番台次のテスト200番台、次のテスト100番台、次のテスト学年で60番くらいだった。
学年で60番と言えば国立の難しい大学例えば東大は学年で60番以内に入っていないと合格できない。
担任の先生も60番はすごいと言っていた。
だけど次のテストは100番台だった。
だけどいいと思う。学年で60番なら偏差値で60いくくらいで大学受験でも偏差値60取れればいい方だ、というんだけど、私の行っていた高校で平均点取れれば一応はいい方だと思っている。
高校1年と2年の時いくら頑張っても合計点では平均点取れなかったのに高校3年の時毎日の授業を予習復習して授業を集中して聞くこれで合計点で平均点取れるようになった。
私としては成績を伸ばす勉強法が分かったけどその後その後その勉強法をどのように生かしたのか、それとやはり人間いくら努力しても生まれつきのものがある、ということが納得できたことを次以降に書きます。
10月13日 腱鞘炎
あまり大学だのという硬い話は今日休憩してヨガのことについて書きたい。
今年の5月頃から左手が腱鞘炎になっていて、6月から約3ヶ月はヨガのクジャクのポーズができなかった。
腱鞘炎まだ完全に治ってないがクジャクのポーズ30秒くらいできるからまだいい方。
クジャクのポーズ1分の静止はなかなか難しい。
私は今まで最高クジャクのホース44秒の静止が最長です。
ヨガの本にクジャクのポーズは老化防止、若々しさを保つことができる、長寿を全うすることができる、とか書いてあるので私はヨガの体操はクジャクのポーズと逆立ちなるべく毎日やるようにしている。
10月12日 東大は勉強すれば誰でも受かるかその2 早稲田大宅の教授の講演よりヒントを得る
高校も1年2年はいい。3年ともなれば次にあるのは大学受験である。
自分でも高校も3年になって大学受験どうしようかな、と思っていた。
高校2年の7月が学校の文化祭の講演会で早稲田大学の教授の人がまず講堂でやる生徒全員に対しての講演では「結果ではなく大切なのはプロセスだ」というようなあまりよくわからない話だったがその後図書館で行われた座談会ではその先生は東大を三浪して入ったというのです。
二浪くらいでもう大学になんか行かないで自分で勉強しようと思ったが、独学というのはいくら努力しても一定のレベルまでしかいかない。人について勉強することでどんどん学力能力を高めることができる。人について勉強することは素晴らしいことだ。是非とも大学へ入学したい、ということで三浪で東大に入りその後人について勉強することは素晴らしいことだ、と思って勉強し続けて今日の私がある、とのことだった。
その時の座談会の話印象には残っていたが2年の間はそのままちんたらと過ごした。
3年になっていよいよ大学受験となってどうしようか、と思った。
それで3年の5月のある日、2年の文化祭で早稲田の先生がいった独学ではいくら努力しても一定のレベルにしかいかない。人について勉強することでどんどん能力学力がのびるというのは毎日学校で授業をいい加減に受けていてはいくら家で毎日夜4時間勉強してもちっともできるようにならない。毎日の学校の授業をしっかりと受けてみよう、と思ったのである。
それで高校3年の5月の10日頃1日6時間の授業の予習をして受けたのである。そうしたら授業でやったことが殆ど学校から帰ってきても頭の中に残っていたのである。
私は思った。「これだ」。
この続きは明日載せます。
10月11日 東大は勉強すれば誰でも受かるか
このホームページ中学生や高校生で見ている人もいるかもしれませんが、私が子供の頃東大に受かった人が「東大は誰でも受かる」というようなことを言っているのを聞いたことがあるような気がしますが、東大は勉強すれば誰でも受かるのでしょうか。答えは否です。
東大は勉強すれば誰でも受かるそんなことありません。
私は高校は私の地方では誰でも行きたがる進学校へ行っていました。クラスで1人くらいは東大に受かる人がいるくらいです。
私は中学の時は成績も良く私の地方では誰でも行きたがる長野高校へ入学しましたが入学はしても毎日の授業がつまらない分からないで閉口した。
高校へ毎日通っていても実質的には毎日学校へ弁当を食べに行っているような感じだった。
学校でわかる授業といえば英語と数学くらい。国語は授業はわかるが身についていない、と思った。
1年では社会は地理を理科では生物と地学をやったが社会や理科は全く身についていない、と思った。
テストをしても平均点のいくのは英語と数学くらい。
5教科合計しても平均点なんてとてもいかない。
私としては高校へ入学してちんたらと2年過ごしてしまった。2年間毎日家で夜8時から12時まで勉強して自分では一所懸命やっているつもりなのに合計点では平均点もいかない。やはり自分は頭が悪いのかな、とも思った。
だが私は成績を良くする方法がわかったのです。高校3年の時は合計点で平均点とれるようになりました。私の行ってた高校では合計点で平均点とれば信州大学とか普通の国立大学には受かるくらいなのです。
もちろん東大は平均点くらいでは受かりませんが私の行ってた高校では平均点とれば国立の大学には無理しなければ受かるくらいなのです。
どうしてもいくら努力しても合計点では平均点がとれない。だが高校3年の成績をのばす勉強法がわかった時暗がりで光を見つけたあるいは砂漠でオアシスを見つけたような感激を得た。その勉強の方法については明日書きます。
10月10日 時計
今日も時計の話をします。今の子供は高校入学の時お祝いに親に携帯電話を買ってもらうなんてことをききましたが、私の頃は高校入学の時腕時計を買ってもらうのが普通でした。
高校1年の夏休みに海浜訓練というのがあって全員ではありませんが希望者で海に行く、というのがありました。
その海浜訓練の時私は腕時計持っていかない方がいいのではないか、と思って腕時計持って行きませんでした。
なぜ腕時計持っていかないかと言えば海に行ってもほぼ1日海に行っているしその間人に時計とられないか心配だし、家を出るとき駅まで何分かかるかその時間に家を出てあと時間が分からなかったら人に何時か聞けばいいし、と思った。
海浜訓練に行って同じクラスの友達に「おめ時計どうしたんだ」と言われ私は「時計持ってこなかったん」と言うと「賢い」と言われた。
10月9日 時計
私の趣味の1つに時計を集める、というのがありますが、最近はあまり時計も買っていません。
通販とかで欲しい時計があれば買いますが通販でも最近は殆ど買っていません。
それでも今みんな携帯電話を持っていて腕時計しない人もいますが私は腕時計しています。それも自動巻きの時計です。
前自動巻きで45万円くらいする時計をしているという人がいましたが、私は自動巻きと言っても1万円か1万5千円くらいです。
今から15年くらい前のことディスカウントショップで1万円くらいでデジタルの時計で気圧、気圧からその場所の高度、水に潜った時の水深、そしてタイマーアラームのついている時計があって面白いっと思って私は買いました。
それで会社で職場の人全員にこうやってやれば気圧出て、こうやってやれば高度出て、こうやってやれば水深出て、こうやってやればタイマーになって、こうやってやればアラームになる、と自慢をして歩いていた。
その時職場で関という名前の人が結婚して新婚旅行に行って1週間くらい休んでいた。
それで私は言った「関さんに言われるだろうな、こんなの買って子供じゃないんだから」。
すると「そんなことないよ。神絵さんて人の興味持たないことに興味を持つそういったことが最後には実を結ぶんじゃん。今会社に勤めていて実を結んでいるとは言えないよ」と言われそこにいた人も「そうだそうだ」と言った。
新婚旅行から帰ってきた関という人も「おらこんなの買って子供じゃないんだからなんて言わないよ。子供気圧なんてわからないじゃん」と言った。。
そしてある時会社の人に言った「この間病院へ行ったら、君その時計特別な機能ついているんかね、と言われた。もう医者にも説明しちゃった」。
「うるせえ患者だと思っているぞ」と言われたが「そんなことねえよ。おれも買うかな。気圧と温度と湿度ついているの診察室にかけておくんだと言ってたよ」。
気圧のついた時計も何年かすれば駄目になってっしまったし、高校の物理の職員室に水銀が何センチ上がるか(76センチくらい)というのがあった。
10月8日 テレパシー
私は以前中学生(男の子)の家庭教師をしたことがありますがそのことについて今日書いてみたい。
その中学生5教科合計百点いかないくらいで私としてはどうやって教えたらいいか困っていた。
そこである日「テレパシーをやろう」と言った。
その中学生、広末○○、鈴木○○、深田○○、松島○○と4人の女性アイドルのプロマイドを持っていて私が4枚の中から1枚選んで私が目をつぶって選んだ女性をイメージしてそれをテレパシーで送るから自分で目をつぶって私が選んだ女性誰だか言ってごらん、と言った。
すると不思議なことに4回のうち3回、4回のうち4回当たるくらいだった。数学の確率で考えれば4枚のカードのうち1枚抜き取ってあてずっぽ言えば4回のうち1回当たればいいほうである。
4回のうち3回とか4回当たるのはすごいことだ、と思った。
それで送り手と受け手を交代して中学生に写真を選んでもらい私が目をつぶりテレパシーを送ってもらうと私は目をつぶっていて「ハートが見える」と言った。
そうしたら選んだ女性の前髪が垂れていて顔の輪郭がハート型していた。
このテレパシー面白いと思ったら中学生は「こんなの実際には役に立たないからやめる」と言った。
私はテレパシーとか超能力普通の人でも訓練すれば使えるようになるのでは、と思った。
10月7日 もずく
一昨日四国八十八箇所のお参りの話しをしましたので今日も四国でのことを書きます。
八十八箇所のお参りをしていて私より2つ上の女の人、25歳くらいの僧侶の人、60代の2人の男の人と一緒(同行)になった。
宿で食事をしている時食事に「もずく」が出て「もずく」の話しになった時私は「よく言うじゃん海のもずくになるとかさ」というと25歳の僧侶の人は「それはもくずだ」と言った。
それに対し私より2つ上の女の人は「今ジョークで言ったんですか。それとも知らなかったんですか」と言った。
60代の男の人は「そんなの知らなかったんだ」と言った。
私としては知らなかったのです。その時まで「海のもずくになる」だと思っていたのです。
四国八十八箇所のお参りは特別運命の人との出会いがある、というものではないがいろいろな出会いがあってまた是非行きたい、と思っている。今度は八十八箇所全部歩いてお参りしたい、と思っている。
10月6日 不思議な体験
昨日に引き続き私が過去にした不思議な体験について書いてみたい。
私は大学受験に失敗し東京の専門学校へ行ったのですが、その学校、教室で席が決まっていない。
だからやる気のある人は教室の前の席に座り授業をよく聞いている。やる気のない人は後ろの席で話しをしている、という感じである。
私は前から4番目の席で授業を受けていたが自分の席の近くの席にかわいい感じのする女の人が座っていた。
教室の席が決まっていなくても5月くらいには誰がどの席に座るかほぼ決まってしまっていた。
自分の席の近くのいる女の人がきれいだ、と思い好きだ、とも思っていた。
だが4月から始まって9月頃その女の人が男と歩いているのをたまたま見てしまった。私はショックだった。
好きだと思っていた女の人には男がいたのか、と思いどうせならその女の人が男と一緒にいる決定的な場面に出くわしてみたい。男と一緒にいる決定的な場面に出くわせばその女の人のことは何とも思わなくなるんじゃないか、とも思った。
夜寝る前に思ったことは実現するともその頃読んだ本にも書いてあったが夜寝る前にも女の人が男と一緒にいる決定的な場面の遭遇したい、とも思った。
それから2週間たった頃私はその頃お昼には沢井と青木という二人の男と学校の食堂でお昼を食べることにしていたがその2週間たった日沢井がその日休んだのか午後から来たのかお昼にいなかった。
そこで青木と二人でお昼を食べることにした。
いつも食べている学校の食堂はうんと広いがお昼の時間大変混んでいてなかなか席が空いていない。
青木と私は二人で食事を持ち空いている席を捜していたらたまたま二つ並んで空いている席があった。
そこでその並んで空いている席で食べることにした。そのテーブルは3人づつ座る6人座れるテーブルだったが大して気にはしなかったがすぐ目の真ん前の席2つ荷物を置いて席の先取りをしてあったがその席の先取りをしたのが私が好きだと思っていた女の人とつきあっている男だったのであっる。
私が好きだと思っている女の人が男と一緒にいる決定的な場面に出くわしたいと思ったら自分の目の真ん前で一緒に食事しているところを見せつけられるということになったのである。
10月5日 不思議な体験
出会いは偶然でないということを感じさせる体験を書いてみたい。
私は過去に四国八十八箇所のお参りをしたことがある。自分がまだ28か29の頃である。
八十八箇所のお参りを2回やったことがあるが一回目39番の延光寺である男の人と出会った。その人は名古屋の人だと言っていた。
1回目は夏のお盆の頃の休みに行き60番くらいまで行き次の年の3月に仕事が暇な時があったので1週間休みがとれたので四国に行き一回目は終わった。
感じるところありもう一度四国へ行こうと思いゴールデンウィークと夏の休みに四国へ行って2度目を済ませた。
2度目終わって1番のお寺にお礼参りをして1番のお寺の近くの宿に泊まることになった。宿の人に「今日は徳島で阿波踊りがあるから部屋は相部屋になるかもしらない。またどうせなら徳島へ阿波踊りを見に行って来たらどうですか」と言われた。
徳島へ阿波踊りに行って宿に帰ってみると自分が泊まる部屋に暗い電気がついてして男の人が寝ていた。次の朝起きてみるとなんとその男の人は前の年39番の延光寺であった名古屋の人だった。その名古屋の人は四国八十八箇所を1回終わったところだ、と言っていた。
これは偶然ではないんではないか、と思う。
10月4日 出会い
以前買った本にお金で買えない物として「時間」「健康」「出会い」とあった。
お金で買えない物は時間健康出会い以外ありますが、出会いはお金では買えない。
出会いでも異性との出会いでなくても同性でもその後の人生を変えるような出会いがあればそれはそれでいい。
人との出会いでなくても何かいい商品を見つけた、いい本を見つけた、あるいはテレビでその後の生き方を変えてしまうような番組を見た、というのも出会いだと思います。
出会いはお金では買えない。偶然だけど偶然でないことによって出会い、というものはある、と思います。
10月3日 運命の人に出会う方法
運命の人例えば理想の結婚相手の出会うにはどうしたらいいのでしょうか。
あるテレビ番組で「恋愛とは例えればどんなもの」というテーマで討論しているとある女の人が「恋愛とはインフルエンザのようなもの。インフルエンザかかりたくても夏かからないしかかる時は急にかかってしまう。恋愛も捜しても相手見つかるわけじゃないし出会うときは捜さなくても急に出会う」といっていました。
やはり自分も過去に結婚相談所へ入っても何十人にも交際を申し込んで断られて相手に会うことも写真見ることもできない、ということあったし、お見合いパーティーに何度かでても相手ができない、ということあったし、ある占いの人に「あなたは結婚相談所やお見合いパーティーでは相手できません」と言われたのが印象に残っている。
過去にこれはという人に出会った時どういうとき出会ったか、を思い出し今後も過去にこの人という人に会ったような状況の時に出会いはある、と思います。
私の場合自分の本を販売していくそれに付随したことでの中で出会いはあるのでは、と思っている。
10月1日 風たちぬ
松田聖子の歌に「風たちぬ今は秋」で始まっている歌がありましたが、(松田聖子なんてもう古いと言う人もいるかもしれませんがすみません。私は松田聖子の世代の者ですので)今なんか「風たちぬ今は秋」という頃になってきました。
高校の古文で「風たちぬ」というのは風が吹かないという意味ではなくてもう既に風は吹いたという意味になる、ということをやった。
もう今年も秋になった。秋は収穫の秋、実りの秋、とりあえず自分としてやるべきことはしないといけない、と思っている。
10月1日 43秒の静止
今日ヨガのクジャクのポーズが43秒静止できた。
左手が腱鞘炎になっているが腱鞘炎まだ完全に治っていないが、腱鞘炎になってクジャクのポーズ40秒以上静止できたのは初めてです。
なんとか腱鞘炎完治させてクジャクのポーズ1分の静止目指しましょう。
9月30日 学校へ本の寄贈に行ってみて
私は自分が卒業した中学校、高校、そして日本工学院という学校へ自分の本の寄贈に行って来ましたが、高校で校庭で生徒が大勢何かのスポーツをしているのを見て「何かいいな」と思ったし日本工学院でも教室で授業を受けている生徒を見て「自分もこんな頃あったなあ」と何かいいなと思いましたが中学で中学生を見てもあまりいいとは思わなかった。
中学生はこれから高校入試を受けなくてはいけないから大変だ、と思うから中学生を見てもあまりいいな、とは思わない。
9月29日 日本工学院
昨日自分の母校の日本工学院に本の寄贈に行ってきました。
今は私の頃とコンピューターの実習も大分違うみたいです。
また学校の近所も大分変わっていました。
また教室の中で授業を受けている生徒を見て自分もそんな頃あったんだなあと思いました。
9月28日 ヤフーグーグル
検索エンジンのヤフーで「視力回復」で検索すると今のところ3番目に私のHPが出ている。
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%BB%EB%CE%CF%B2%F3%C9%FC&fr=top&src=top
グーグルで「視力回復」で検索すると9番目に私のHPが出ている。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E8%A6%96%E5%8A%9B%E5%9B%9E%E5%BE%A9&lr=
レーシックって近視の手術すれば1日で1・5になるけどやはり手術でなくて目をよくしたい、という人はいるんですね。
9月27日 片手そして1分
今日クジャクのポーズ38秒静止できた。今のところ1分の静止が目標だが1分ももうすぐです。
それとここのところ片手のクジャクのポーズに挑戦しているが今日思ったことは自分には片手は無理ではないか、ということ。
片手無理でも片手の格好するだけで腹部にいい刺激になると思うのでこれからも片手格好だけでもやろうと思う。
9月25日 片手のクジャクのポーズ
自分が卒業した中学へ本の寄贈に行って来た。
帰ってきてヨガの片手のクジャクのポーズやってみた。
片手は難しいがこれから毎日挑戦だけはしたい。
9月25日 本の寄贈
今日の午後自分の卒業した中学に本の寄贈に行きます。
それと今日ヨガの片手でやるクジャクのポーズやってみました。
片手は難しいし、果たしてできるようになるかわからないが挑戦してみたい。
9月24日 1分間のハードル
今日午前中クジャクのポーズしたら14秒しか静止できなかったけど午後やったら35秒静止できた。
私は視力の本の次はヨガの本を出そう、と思っているがヨガの本を出すにはクジャクのポーズ1分以上静止できないといけない、と思っているが、今日35秒できてこの調子だとそのうち1分できるんじゃないか、と思いました。
やはり、やろう。
9月24日 お祭り
今日クジャクのポーズ14秒しか静止できなかった。
左手が腱鞘炎になっているが、それでもこの間クジャクのポーズ32秒静止できたのに・・・。
やはりこの間お祭りがあって神楽を引っ張ったりしたから左手の負担があったので腱鞘炎少し悪化したのだと思う。
もう少しで左手の腱鞘炎は治る。
それで明日自分が卒業した中学へ本の寄贈に行く予定です。
9月21日 中学校高校
この間私が卒業した高校の図書館に本を寄贈しましたが、自分が卒業した中学校にも本を寄贈しようと思っています。
明日はお祭りだから中学へ行くのはお祭りの後です。
また東京の日本工学院という学校へも本を寄贈したい、と思っている。
ところで昨日はクジャクのポーズ22秒静止できたし今日は32秒静止できた。
32秒静止できる、ということは左手の腱鞘炎もかなり良くなっている、と言えるのではないか、と思う。
早く左手の腱鞘炎完治させたい。
9月20日 本の寄贈
昨日私の母校の高校の図書館に本の寄贈に行って来ました。
校長室で教頭先生と校長先生と本のことについていろいろお話しをして来ました。
帰り車を運転していて校庭に生徒が大勢で何かのスポーツをしているのを見て何かいいな、ということを感じました。これから大学を出て可能性はいくらでもあるし。
生徒本人にしてみれば毎日の勉強や生活が大変で私が感じたようないいな、というものではないかもしれない。
だけど今になってみれば自分が高校の頃二十歳前後の頃あの頃良かったな、と思います。
9月19日 もうすぐ
私は左手が腱鞘炎になっているが今日クジャクのポーズが19秒静止できました。
30秒40秒静止できれば調子が元に戻ったとも言えますが、調子元に戻るのももうすぐだと思っています。
9月18日 ヨガ
今私は左手が腱鞘炎になっているのでヨガのクジャクのポーズがあまり長くできない。
それでも今日クジャクのポーズ8秒静止できました。
手が痛くなければ私はクジャクのポーズ30秒とか40秒静止できるのですが、私としては早く左手の腱鞘炎を治したい、と思っています。
視力回復の次はヨガの本も是非出版したい、と思っていますので私としてはクジャクのポーズをできるだけ長い時間静止できるようにしたい、と思っています。
9月15日 クジャクのポーズ
左手が腱鞘炎になっていて6月初めからヨガのクジャクのポーズができない。
それでも腱鞘炎少しは良くなってきていて今日クジャクのポーズ4秒の静止ができました。
本当はクジャクのポーズ私は30秒とか40秒の静止ができないといけないんですが、腱鞘炎完全に良くなったら30秒40秒それ以上の静止するようにしましょう。
腱鞘炎早く治りますように。
8月1日 お祝い
私の視力回復の本を売るというのもうまくいきそうなのでいろいろアドバイスしてくれた友達と10日頃一緒に一杯やろう、ということになりました。
それでもこれまで来るまで長い道のりでした。
7月6日 在庫ゼロ
先月の23日に私の本が発行になって昨日JRの駅前の大きな書店のコンピューターの端末で著者「神絵康弘」で検索したけどその店昨日の段階で私の本在庫ゼロでした。
私としては早く初版売り切れて欲しいけど本屋さんに本ないのなら話しにならない。
私の本も田舎の本屋さんにはないけど東京の本屋さんにはあるかもしれない。
近日中に用事で東京へ行きますがその時東京の本屋さんに私の本がないかみてこよう、と思っています。、
6月22日 本の発行
いよいよ私の本が明日発行(流通)になります。
出版社から今月26日の読売新聞の全国版に本の広告を載せる、と連絡がありました。
いよいよ始まります。
6月7日 本が届く
今日出版社より本が100冊届いた。
それで友達とか小学校の先生とか3名に今日本を郵送した。
だけどまだ私としては自費出版でお金払っただけだからあまりおおっぴらに人に本をあげたりということはしないでおこう、と思っている。
6月7日 本の流通
出版社から連絡があり、私の本は今月23日から流通に入れるとのことです。
本のことはまたこのHPに書きます。
5月22日 発行部数
この間出版社から電話があって来月出版する私の本の発行部数を1000部から1500部にしたい、とのことでした。
本は来月の10日頃できる、とのことで私の本の発行も秒読み段階に入った、とも言っていいじゃないか、とも思います。
5月1日 原稿提出
今日出版社へ最終的な原稿を送った。
誤字脱字がないのでこれで印刷工程に入ってもいい、ということで原稿を送った。
来月本は出版となります。
4月26日 最終的な原稿
今日出版社から6月に出す本の最終的な原稿が送られてきました。
5日以内に原稿を送って欲しいとのことで私は29日30日と土日だから5月1日は郵便局がやっているから5月1日に送る、とメールしたらそれでいい、とメールが来ました。
原稿の最終的なチェックしていよいよ私の本も出版となります。
私としては10年間の努力の結晶です。
4月11日 再校送る
昨日6月に私が出す本の再校を出版社へ送りました。
今日届いた、と連絡ありました。
もう一度原稿送ってもらって最終チェックしてそれで印刷製本工程ですね。
4月1日 再校
昨日6月に出す本の再校が出版社から送られてきて原稿のチェックをしている。
来週の7日はお寺の人が家に来るからそれに向けて部屋の掃除等しないといけないし、9日は用水普請に出ないといけないし、明日も9日の下見に出なければいけなかったりだけど10日には再校を出版社送ろうと思っている。
来週の6日までにはめどを立てよう、と思っている。
3月31日 再校
出版社より本の再校が送られてきた。
10日くらいで送り返して欲しい、ということなので4月10日には送るとしよう。
3月15日 本のカバーのイラスト
今年6月に発行になる私の本のカバーのイメージが今日出版社から郵送されて来ました。
本のカバーに著者の紹介が書いてありますが、その紹介にこのHPのアドレスが書いてないので著者の紹介にHPのアドレス書いてもらうように頼みました。
メールが来てメールの著者の紹介にこのHPのアドレスきちんと書いてありました。
私の視力回復の本の発行も着々と準備が進んでいる、と思います。
3月13日 カレンダー
今年の5月1日に運転免許の更新に行きます。
そのため今視力を良くすること重点的にやっています。
本に書いてある体操とカレンダーの文字を見るのを主にやっています。
免許の更新大丈夫だと思います。
本の発行の6月1日まであと79日。
免許の更新の5月1日まであと48日。
3月4日 講習
昨日私が本を出版する出版社の主催するホームページの作り方の講習へ行って来ました。
一応は参考になった、と思います。
6月1日まであと87日です。
運転免許の更新は5月1日に行きますが、5月1日まであと57日です。
2月2日 イラスト
出版社から本の載せるイラストのイメージがメールで送られて来ました。
あと本の著者の紹介にこのHPのアドレスと自分のメールアドレスを載せておこう、と思っています。
1月31日 初校送る
今日出版社へ初校を送りました。
一応私としては100万円以上払っているので誤字脱字があってはいけない、と思い、昨日原稿そっくりコピー取りました。
もう間違いない、と思いますがまたコピーもチェックしたい、と思っています。
1月24日 初校のチェック
出版社から今日初校が送られてきた。
同封の手紙には今月の30日に届くように送って欲しい、と書いてあって、27日に送ります、とメールを送ったが、いざ初校を見てみると間違いが多く3日で完璧にできないと思い、提出期限を3日遅らせてもらい2月3日に届くようにということにしてもらった。
私としては31日午後4時郵便局で提出と思っている。
これから1週間私はテレビ見ないでビール飲まず初校のチェックします。
雪降って今日雪片付けたけど私は初校のチェックで忙しいから雪なんか降ってもらいたくないですよ。
1月23日 初校
出版社から今日本の初校を送った、と通知があった。
自分の原稿がどんな本になるか楽しみです。
1月20日 楽しみ
今月中には私のところへ初校が送られてくる、と思うんですが、、カバーのイラストとかどんなものになるか楽しみです。
自費出版しても売れなかったら100万円出してごみを作るだけ、とも思ってしまいますが、私としては10年近くの研究のj結晶、と思っています。
1月16日 イラスト
本に載せるイラストは私が指定したもの以外入れる、とのことです。
まあいいや、イラストを入れてもお金余計に取られるわけじゃないし。
後は家に初校が送られてくるのを待つだけですよ。
1月12日 初校そして質問
本を出版する、ということで編集の人に電話では聞かないがメールで質問をしたりしている。
初校が自分の所に送られてくるのは今月20日以降とのこと。
イラストをいろいろ載せる、とのことでした。
1月3日 年賀状
一昨日の元日に出版社の編集の人から年賀状が届いた。
年賀状には「新年となりいよいよ本格的な制作段階に入ります。私も眼鏡がこの本で手離せるようになりたいです」と書いてあった。
眼鏡を手離すことは可能、と思っています。
私も100万円以上払ったのも自信があるからやったんです。
やる気のある人は眼鏡がいらなくなります。
1月1日 元日
皆さん新年明けましておめでとうございます。
2006年も無事始まりました。
今年はどんな年になるのでしょうか。
私としては6月に私の本が発行になります。
6月発行に向けてやるべきことを1つ1つやっていこう、と思っています。