3月28日 安心
どうもいろいろやっても自分の目は良くならない。過去にある会社で販売している器具で普通免許の眼鏡等解除になったからその器具また使おうと思った。
だが20日くらい使っても目は良くならない。
2月になって健康関係の雑誌の安心からメールが来て私の視力回復法雑誌に載せたいとのことだった。
雑誌に載ると聞いて私としては「やったー」という気持ちだった。
雑誌に載れば本の宣伝になるし本の初版が完売するかもしれない。
それである販売している器具使っても目が良くならなくて、私は思った。
視力検査のマークを見るということで目が良くなったのではないか。
過去に普通免許の眼鏡等が解除になったり眼科で視力検査して片目0・6とか0・7というのも視力検査のマークを見るということで目が良くなったんだ、と思った。
安心の担当者の人に「即効性のある視力回復法考えましたので取材の時お話しします」とメールに書いて送った。

3月27日 手をこする
目を閉じて離れた字を見るという方法は最高2時間目を閉じていたけど目はよくならない。
それで2007年1月手をこすって目に当てるというのをやってみた。
両手をこするより手をズボンのももにこすってそれで目に当てるというのをやってみた。
講演でその場で目を良くするというのをやらないといけないから手をズボンのももにこするのやってみたがすぐ目は良くならずやめた。
それで私はある会社で販売している器具を使おうと思った。
その器具使って以前普通免許の眼鏡等が解除になったのである。
1月の15日くらいからその器具使ってみただが今度は目が良くならない。
その器具自分でこっそり使って講演では手をズボンのももにこすって手を目に当てるというのをやろうと思ったがそれも駄目。

3月26日 講演の仕方
視力回復の講演をするとしてどうやってやるか考えなければいけない。
私は講演会場でその場でメガネコンタクトをはずしてもらって目が良くなることを体感してもらう、という講演がいいと思い、私は目が悪くてもコンタクトレンズは怖くてしなかった。
それでコンタクトレンズははずせと言えばすぐはずすことができるのか実際にコンタクトレンズを使っている人に聞いてみよう、と思った。
私の知り合いの女の人でスナックをやっている人がいる。
知り合いと言っても個人的なつきあいはなく私が時々お金払ってスナックにビールを飲みに行くだけの人である。
そのスナックをやっている人は目が悪くコンタクトをしている、ということで2006年の11月のある日コンタクトレンズははずせと言えばすぐはずせるかと聞くために夜スナックビールを飲みに行った。
その女の人が言うにはコンタクトレンズはずせと言えばすぐはずせる、とのことだった。
それで私は視力回復の講演も会場で集まったお客さんにメガネコンタクトをはずしてもらってその場で目が良くなるのを体感してもらうという講演をしよう、と思った。


3月24日 目を閉じる
視力回復も原点に戻った感じがして自分でもどうしていいかも分からない。
それで11月のある日お昼のおもいっきりテレビを見たら、体のゆがみ7を取るよいうよういなことで目に関しては目を閉じたままできつく閉じたりゆるめたりということを30回くらい繰り返すということで自分でもやってみて目が良くなると思った。
それで目を開いては駄目かと思って目を開いた方がいいと思った。
目を閉じている時間が長い方がいいと思い5秒10秒20秒30秒1分とも思った。
1分ならデジタル時計のアラームが1分おきに鳴るようにしておけばいいと思った。
1分から3分5分10分20分30分と30分目を閉じたままで30分たったら目を開け何メートル離れた字をずっと見るということをした。
朝は割と目がよく見えると思うので朝は夜寝ていてずっと目を閉じていれば目が良くなるのではと思った。
私は最高2時間目を閉じて目を開けて離れた字を見るということをしてみた。
2時間目を閉じるのをやった日は12月31日の大晦日の日である。
2時間も目をずっと閉じているのは大変だから夜7時から9時までやることにした。
大晦日の夜7時にNHKのラジオのニュースを聞くようにする。7時20分頃から紅白歌合戦がやるがそのまま目を閉じたままで紅白歌合戦を9時まで聞くことにした。
石油のストーブ時間延長のがならないように7時にスイッチを入れるようにする。
また2時間の間トイレに行かなくていいように7時前の何時間かは水分あh取らないようにした。
目を閉じたままで目を開いて離れた字を見る最高2時間目を閉じてみたけどそんなに目はよくならない。
目を閉じるこの方法も駄目だということが分かった。

3月23日 十字鏡
本が出版になって2ヶ月くらいして視力回復の本を買った。
その本には十印のメガネが付録でついていて私はそのメガネは「十字鏡」とも思った。
だが私は過去にやってみて穴1つとか穴5つで目が良くならないんだから十字だって目は良くならないのではないか、と思い本を買っただけど本は読まなかった。
だけど2006年の10月頃お昼を食堂で食べてその食堂に週刊女性とか女性自身というような女性向けの週刊誌が置いてあってその週刊誌に十印のメガネが付いていて視力回復とのことだった。
私はその女性向けの週刊誌に載っているのなら十印のメガネの方法は目が良くなるのでは、と思い十印の視力回復の本を読んで自分でやってみた。
だが1週間くらいやったけど目が良くならいからやめてしまった。、

3月22日 原点に戻る
2006年6月本を出版して3ヶ月たっても初版が完売せず本が売れたお金が当てにならない、ということで講演をしようと思った。
講演のテーマは視力回復と決めた。
だがここで自分として視力回復は原点に戻ってしまった気がした。
本では前後のスワイショウをすることで目が良くなるってことになっているが、自分は1年半近く毎日スワイショウをしても普通免許メガネかけなくていい、ということにはならない。
スワイショウをしてもそんなに目が良くならない、ということである。
それでどうするか。もう自分は10年くらい視力回復をやっていて、これといったものはない。
その時私は自分の視力回復は原点に戻った気がした。
それでその時思ったことは視力回復って特別なことをしなくても星を見る遠くの山を見るというようなことで目が良くなるのではないか、と思った。星や遠くの山を見るのをずっと続けると目が良くなるのではないか。
それで星を見るのは外に出て見るのは大変だから夜部屋の中で発光ダイオードを見ることにした。
遠くの山を見るということに関しては電車に乗っている時遠くの山を見るようにしよう、と思った。
だが星を見る遠くの山を見るのは少しやってこれでは駄目だとすぐ思った。

3月21日 講演に挑戦
6月に本を自費出版したがその本もあまり売れそうもない。
以前読んだ本に作家ってあまりもうかる仕事ではなく本の印税だけで暮らしていけなくてアパートを持っていたり講演をしたりテレビに出演したりということで生活していたりとのことだった。
アパート持つと言ってもアパートは3千万円か4千万円はする。4千万円でアパート買って一ヶ月家賃20万円もらって何年で4千万円になるんだ、とも思ってしまう。
それなら自分は講演をしよう、とも思った。講演のテーマだが自分の人生で一番心に残っていることを講演のテーマとしよう、とも思った。
私が講演のテーマと思ったのは勉強の仕方というテーマだった。
私は高校は中学の時テスト90点取っていないと行けない高校だったが、中学の時は成績は学年でトップレベルでもいざ高校に入学してみると学校の授業が全く分からなかった。
高校1年と2年の時は「こんなに難しくて自分は大学に受かるんだろうか」といつも思っていた。
高校1年と2年は学校の授業が分からなくても惰性で過ごしてしまった。
高校3年になるといよいよ大学受験である。何とかしないといけない。
それで高校2年の時の学校の文化祭の講演会で講師の人は早稲田大学の教授でその人は三浪して東大に受かったとのことで二浪の時「もう大学に行かないで自分で勉強しよう」と思ったとのことだったが、独学というのは一定のレベルまでは行くがそれ以上はいくら努力しても伸びない。人に教えてもらえばどんどんできるようになる、とのことで人から学ぶことは素晴らしいと気づき必死に勉強し東大に受かりその後も人から学ぶ素晴らしさを感じつつ勉強し今日の私がある、とのことだった。
私はこの早稲田大学の教授の言葉をヒントに何とか高校3年の時学校の授業が分かるようになりテストの順位も国立の大学も受かるくらいになった。
私が自分の人生で一番心に残っているのは高校3年の時の勉強の方法に気づいたことだと思ったが、やはり勉強の方法も東大受かったとか東大受からなくても国立の大学受かったとか国立の大学受からなくても早稲田慶応受かったくらいなら勉強の方法で講演できるかもしれないが専門学校じゃ勉強の方法で講演という訳にはいかない。
それで自分は視力回復で孤雲をしよう、と思った。視力回復なら東大医学部教授でもノーベル賞もらう人でもメガネかけている人いるんだから自分は視力回復で講演をしよう。
視力回復で講演する人なんかあまりいないから穴場なんじゃないか、とも思った。

3月20日 初版完売?
本は2006年6月23日に発行になった。
出版に際し初版は800部ということで私は800部のお金を払ったが、出版社は私の本はある程度売れそうだからということで初版1500部出す、とのことだった。
初版が完売して増刷になればお金がもらえるが、私としてはいつ初版が完売するかな、と思った。
1ヶ月後?2ヶ月後?3ヶ月後?
それで9月の終わりになっても初版が完売しないので友達に「まだ初版が完売しない」、と言うと友達は、
「全国の書店で販売して3ヶ月たっても初版が完売しないんだったらそんな本売れないと考えた方がいいよ。もう本売れるお金なんか当てにしないほうがいいよ」と言った。

3月19日 免許の更新
誕生日過ぎても免許の更新に行かなかったら、何だか知らないけど心臓がドキドキしてきた。
普通免許メガネなしでとも思っているが、心臓がドキドキしてくれば免許の更新に早く行った方がいいと思った。
それで免許の更新に行ったら原付と小型特殊はメガネかけなくてもいいが普通免許はメガネかけないといけない、という条件になった。
だけどまた目を良くすれば警察へ行けばいつでも普通免許メガネかけなくてよくなるから目を良くする方法また考えようと思った。
本は6月23日発行となった。

3月18日 免許の更新
本の出版の頃に車の免許の更新をしないといけない。
安全協会に入っていると免許の更新の少し前にハガキが来る。
そのハガキによろと誕生日の前後1ヶ月前後に更新ができる、とのことで誕生日の1ヶ月後までいいとのことだった。
本当に1ヶ月後でもいいか警察に電話して聞いてみると1ヶ月後までいいとのこと。
それで私としては普通免許メガネかけないでいいように誕生日の後に更新に行こうと思った。
誕生日過ぎて少したつと心臓がドキドキしてきた。心臓がドキドキするする原因として考えられるのはビールの飲み過ぎかもしれないと思った。
私はビールが好きだが店でビールを瓶で1本とか2本買うよりケースで買った方が1本当たり安いのではないか、と思いスーパーでケースでビールを買ってみた。
だがビールはケースだと結構重く車のある駐車場まで持っていくのは大変だと思った。
それで酒屋へ電話して家までビールを配達してもらえばいいと思った。
だが酒屋に電話で配達してもらうと電話で頼まなくても「いかがですか」とビールを持ってきたり留守の時玄関に置きていったり、で家にビールがケースであるとつい飲み過ぎて1日に5本も6本もビールを飲んでしまったりで、ビールの飲み過ぎで心臓がドキドキしてきたのかな、と思った。
それで酒屋へ空瓶を持っていき、飲み過ぎてしまうから配達はやめてもらうように頼んだ。
それで心臓がドキドキするのは誕生日過ぎて免許の更新してないからかもしれない、と思った。
自分の今の生活を考えると車の免許がないと生活していけない。また免許流した場合免許取るのは大変である。
心臓がドキドキするのは自分の免許どうなるかということで不安で心臓がドキドキするのかもしれない、と思い、その次の日警察へ行って免許の更新をした。
ビールの配達をやめてもらい免許の更新をしたら心臓のドキドキはなくなった。

3月17日 腱鞘炎
左右のスワイショウをして腱鞘炎になったのは左手が胴体に当たるような癖があってそれで手が胴体に当たることが1日30分1時間続くということで腱鞘炎になることが分かった。
それでスワイショウをするのをやめた。
それで人に腱鞘炎どうやって治したらいいか聞くと手をなるべく使わないようにする、ということだった。
また腱鞘炎になるのは稼ぎすぎとのことだった。
その頃人と飲む機会がありその時ある人が過去に腱鞘炎になったが自分で考えて治したとのことだった。
どうやって治したか聞くとなるべく手を使わないようにしてずっと我慢する。治るまで2年かかったとのことだった。
治るに2年もかかればスワイショウを全くしない訳にもいかないから前後のスワイショウをするようにした。
前後のスワイショウをすると腱鞘炎の症状が少し軽くなると思ったから前後のスワイショウを1日30分毎日やろう、と思った。

3月16日 腱鞘炎
2006年の6月に自分の本が発行になる。
と同時に車の免許の更新もその頃である。
普通免許メガネなしでいいように視力回復をしないといけない。
それで4月の20日頃から左右のスワイショウをした。
毎日左右のスワイショウを30分日によっては1時間やった。
私は本に左右のスワイショウをすればいいとも書こうと思ったが、前の年編集作業に入る時の注意事項として初校、再校の時原稿の大幅な書き換えがあれば別料金が発生する場合があります、とのことだった。
4月の時点で左右のスワイショウいい、と思った時は再校の校正も終わっていて今から書き換えなんて言えば相当お金取られる、と思って左右のスワイショウについては本に書かなかった。
だがこの左右のスワイショウについて書かない、ということは正解だった。
左右のスワイショウを始めて1ヶ月くらいしたら左手が痛くなってきた。
最初左手が痛くなるのが何で痛くなるのは分からなくてそのまま左右のスワイショウ2週間くらい続けた。
それで6月15日頃私としては左手痛くなるのは左右のスワイショウしているのがいけないのではないか、と思った。

3月14日 編集作業と並行して
本を出す編集作業と共に私にはやらなくてはいけないことがある。
本の発行の頃に免許の更新がある。
普通免許メガネかけなくてよくなっているが、この次の免許の更新時の視力検査多分普通免許メガネなしは無理だと思う。何とか目をよくしないといけない。
以前効果あったと思うある会社で販売している器具を2006年の1月から2月にかけて使ってみたがその器具では今度は目が良くならない。
4月頃には五点鏡を使ってテレビを見たりパソコンを画面からできるだけ離れて字を読むというkとをしても目は良くならない。
4月頃気功のビデオを買ったそのビデオにはスワイショウについて出ていてスワイショウも前後のスワイショウ、回転のスワイショウ、左右のスワイショウについてがあった。
私の本は前後のスワイショウについてだが、私は回転や左右のスワイショウも知っていたが、その気功のビデオ見て、回転のスワイショウをやってみよう、と思った。
回転のスワイショウをしたら前後のスワイショウより目が良くなるような気がした。
それでどうせ同じ時間をかけるのなら回転のスワイショウをしよう、と思った。
回転のスワイショウを2、3日やったら体重2、3キロ減ったので回転のスワイショウの方がいいと思った。
回転のスワイショウを1週間して左右のスワイショウをやってみよう、と思った。
左右のスワイショウをしたら回転のスワイショウより左右のスワイショウの方が目が良くなると思ってスワイショウは左右のスワイショウをやることにした。
だが左右のスワイショウを毎日30分とか1時間やっていたら体にある問題が起った。
左右のスワイショウをして起った問題は明日は時間がないので書かないがあさって書きます。

3月13日 編集作業
フロッピーを2005年11月に出版社へ送った。
それで今後の編集作業の流れとして2006年1月初校の校正4月に再校の校正で6月出版とのことである。
12月に私が送った原稿にラインマーカーマークしてあり粗く編集がしてあった。
校正の最終責任者は著者にある、とのことだったが、私としては200万円もの高いお金を払って本に誤字脱字があれば勿体ないとも思った。
1月に初校の原稿のチェックをして4月に再校の原稿のチェックをしたが再校でも誤字脱字がいっぱいあったから再校の後もう一回原稿のチェックできる、とのことで再校の後もう一回原稿を送ってもらった。
最後の原稿には誤字脱字がなかったので「印刷工程に入ってもいいです」という紙に書名捺印した。

3月12日 編集作業
2005年の10月に出版する本の企画が決定して11月になったら出版社から「編集作業の効率化と正確性のためフロッピーMOみたいなもの是非送って欲しい」とのことだった。
出版社としは本の版下を作るに、ワープロで文字を入力する必要がある。
紙の原稿みて文字を一字一句間違えなく入力することは手間がかかる。
だが原稿がワープロで書いてあり著者の人にフロッピーを送ってもらえばコピーして一発である。
著者の人にフロッピーを送ってもらえばかなり編集作業楽ができる。
それでフロッピーを送るとしてワープロのソフトはワードで送ってくれとのことだった。
私は原稿を一太郎で書いていた。一太郎で書いたというのは以前コンピューターの会社に勤めているとき一太郎を会社で使っていて一太郎をよく知っていたからである。
原稿をワードで提出するとしてワードのソフト買わなければいけない。
それで長野市へ行って以前パソコンショップのあった所へ行ってみたがパソコンショップはない。
それで電話ボックスに入り職業別電話帳を見てパソコンショップを調べ、電話してワードのソフトあるか聞いた。
ワードのソフトあると言ったがその店どこにあるかわからないからパソコンを買っている店に電話してワードのソフトあるか聞いた。ワードのソフトは取り寄せになる、と言われたが、私の使っているパソコンの中にワードのソフト入っているんじゃないかと言われた。
それで私は家に帰ってパソコン調べてワードのソフトなかったら買う、と言った。
家に帰ってパソコン調べたらワードのソフトはあった。
それで一太郎からワードに変換する方法は私は知っている。一太郎からワードに変換するには一太郎でテキスト形式でセーブしてそれをワードで読んでワードでセーブすればワードの形式になる。
それで原稿をワードの形式にして出版社フロッピーを送った。

3月11日 出版社へ原稿送る
2005年8月本を自費出版するということで出版相談会へ出席してどうも壱点鏡は付録にしない方がいいということになった。
それで出版相談会では参考までにコピーを取っていいか言われコピー取ってもいいと言った。
壱点鏡は付録に付けないことにしたので少し原稿を書き換えて次の月の9月に出版社へ原稿を送った。
原稿と同封する手紙に「企画出版はもちろんのこと共同出版(著者が制作費用を負担する出版)でも是非出版したいと思いますのでよろしくお願いします」と書いた。
原稿を送って2週間くらいして出版社から電話がかかってきて書店で販売するという形で出版できる、とのことだった。
それで地方の人は東京まで行かなくても電話メール郵送といったことで編集作業はできるとのことだった。
それで9月から企画の女の人と電話で話をして書き換えるところは書き換え10月末に企画が決まった。
企画は2006年6月に発行、25Xページ、お金はいくらいくら○日までに払うといったことだった。
私としては本の発行が来年の6月なんてそんなにむこうになってしまうのか、とも思ったが、委託で頼んだりで自分で全部できるのでなく人にお願いするのなら来年の6月と言われても仕方がない、とも思った。

3月10日 壱点鏡
2005年本を自費出版することにして、8月に新風舎の出版相談会に出席した。
出版相談会に出るという手紙を送ると出版社としては出版相談会に出てもらって自費出版してもらえばお金150万くらい払ってもらえるということで出版相談会の前日「明日○時から出版相談会なんですがよろしくお願いします」という確認の電話がかかってきた。
出版相談会へ原稿とそれとその時点では壱点鏡を付録でつけようと思っていたので紙で作った壱点鏡も持っていった。
お金いくらかかるか聞いたら、私の場合パソコンのワープロで書いてあるので紙1枚に何文字書いてあるか、紙が何枚あるか計算して「本で200万円メガネまで入れれば300万円と言われた。
それで言われたことはメガネは自分で安い業者捜すようにそれと眼科医の推薦ももらえたらもらうようにとのことだった。
壱点鏡はいつも名詞とははんこを頼んでいる店に行くと、店の人にこういったものという説明をした。
何日かして店に電話で聞くとメガネは千枚で20万円だ、と言われた。
1枚200円で1000枚で20万円だ、と言われた。
メガネの穴は人がドリルで穴をあけるとのこと。
人が手で穴をあけるのでなく1つ型を作っておいて機械で大量に作るというのは1万くらい作れば割にあうのかな、とも思ったが友達に電話で聞くと「1つ型作って機械で大量に作るなんて高い投資になってしまうかもしれないよ」と言われた。
それで私は壱点鏡は付録に付けないことにした。
自費出版ならお客さんお金払えばどんなものでも自費出版できるが壱点鏡なんて付録につければお金はかかるし増刷になったときいちいち手作業で付録をつけないといけないから自分で後々不利、と見た。
壱点鏡も特別それで目が良くなるのなら付録に付けても意味あるが壱点鏡では目があまり良くならないから壱点鏡は付録にしないことにした。

3月9日 自費出版
私は一昨年2006年の6月にらくらくカンタン視力回復法を出版したが出版の経緯また今日に至るまでをこれから何日かかけて書いてみたい。
本の出版の1年前の2005年の7月頃「自分は本を出そうと思っているが本をプロの作家がやるみたいにお金を出さないで本を出すということは普通の人は無理だと思った。本屋さんで本を売るというんでも著者が制作費用を出すのなら割と簡単に本は出せるのではないか、と思った。
2005年から5年くらい前に体験談の原稿を書いて公募ガイドという雑誌に載っている出版社に原稿を送ると、どの出版社も150万円くらい出せば本屋さんで売るという形で本を出版できる、とのことだった。
だがその時私は本は出版しなかった。
だが2005年になってやはり著者がお金を払うという形でしか自分の本は出せない、と思い本屋さんで売るという形の自費出版をしようと思った。
過去に公募ガイドという雑誌を買ってみて「原稿受け付けています」という出版社へお金いくらかかるのか何社か聞いてみた。
50万円くらいでも本は出せるという出版社もあったがある出版社の人に「何のために本を出すのか」と聞かれた。
私は「お金を稼ぎたいから」と言ったら「お金を稼ぎたいのなら自費出版の場合お金が安ければいいというものではない。営業をしてもらわないと本は売れない。お金を稼ぎたいのなら自費出版お金がいくら安くても営業をしないで作った本を段ボールの箱に入れ倉庫に置いて置くだけだったらいつまでたっても本は売れない。自費出版もお金を稼ぎたいのなら出版費用がいくら安くても営業をしてもらわなければ安物買いの銭失いになる」と言われた。
お金は高くても営業をしてくれる出版社で本を出したい、と思った。
それで私は新風舎で本を出版したが、なぜ新風舎で出版しかたと言えば、5年くらい前体験談の原稿を数社の出版社へ送ったが、その後新風舎だけからは毎年半年に1回くらい出版相談会を近くでやるという手紙が届き、そういったように出版相談会を時々やっている会社なら自費出版の本も営業をしてくれるのではないか、と思い、2005年8月新風舎の出版相談会に出席することにした。

3月8日 アイマスク、五点鏡、多点鏡
視力回復の器具として穴のあいたメガネみたいなものはどうか、ということについて書いてみたい。
穴のあいたメガネとして穴5つ穴いっぱいというのがあるが、私の友達がいうには健康関係の雑誌の安心でも壮快でも視力回復といえば最終的にはアイマスク(穴5つのメガネ)だ、というのである。
だが私も一昨年免許の更新の前どうしても普通免許メガネなしにしたいから穴5つのメガネ1日1時間1ヶ月くらい使ったけど普通免許メガネなしでよくなるということはなかった。
穴のあいたメガネはかけると遠くがはっきり見えるようになるから目が良くなるような気がするが、穴のあいたメガネはそんなに目が良くなるものではないと私は言いたい。
だが穴のあいたメガネもパソコンを使う時とテレビ見るとき使えば目が悪くなるのを防ぐことができる。
私もパソコンを普段使う時は穴5つのメガネ、文字を打ち込む時は穴いっぱいのメガネを使っている。
まぶしいことは目を悪くするので穴のあいたメガネは目に入る光を減らすことができるので目を悪くするのを防ぐことができる。

3月7日 健康増進、健康長寿
私の視力回復法は健康増進健康長寿ということも目指しているが、健康増進健康成就の方法としてスワイショウ、耳のマッサージということをする。
以前健康関係の雑誌に男で96まで生きた人がいて死ぬ直前までピンピンしていた人がスワイショウの体操をしていたという。
また女で103歳まで生きた人がいてその人は耳のマッサージをしていた、とのことである。
スワイショウも耳のマッサージもすると体がポカポカと温かくなる。
スワイショウや耳のマッサージでは普通免許メガネかけなくてよくなるというものではないが、健康増進ということで毎日やるようにすればいいと思う。

3月6日 私の視力回復の方針
私の著書のらくらくカンタン視力回復法の初めに私の視力回復の方針が載っている。
私の視力回復の方針は
単純
即効性がある
時間がかからない
お金がかからない
使う物の入手が容易
また私の目指すものに
敗者復活
付け焼刃でない
痛い思い怖い思いをさせない
どんな悪い人も見捨てない
といったものがある。
また視力回復だけでなく健康増進健康長寿といったことにもつながればとも思っている。
健康増進健康長寿ということも取り入れている。
また身の回りのものでできる誰でもできるということも考慮に入れている。
先月いい方法考えそれも身の回りのものででき短期間で効果がある、と思っている。

3月5日 最終的な方法
昨年の5月12日に私の視力回復の最終的な方法がわかりそれから1ヶ月と2週間後の6月26日に普通免許の眼鏡等が解除になった。
だが5月12日の方法は最終的な方法ではなかった。
その後7月9日10月30日年が明けて1月17日2月14日と新しい効果のある方法が分かった。
今年1月に視力回復のセミナーの依頼があり事前に担当者へ説明に行くと、視力回復も一番効果あり短時間で効果あることをして欲しい、とのことだった。
今私は雑誌に載ろうとしているがその雑誌で時間が短く効果ある方法を発表したい、と思っている。

3月4日 免許の裏書
昨年の6月26日に普通免許の眼鏡等の解除になった。
6月26日に免許の裏に「条件解除」というはんこを押してもらった。
私としてはこれでやれやれ。
だけど2日後の6月28日に警察から電話かかってきて「記入漏れがあるからまた来てくれ」とのこと。
私としては普通免許メガネかけなくてよくなったと言ってもぎりぎりで条件が通った感じである。
大学を受けるとしても滑り止めの大学は楽々受かっているとしても自分が本当に行きたい大学は受かったとしてもぎりぎりで受かっているという感じではないだろうか。
自分も普通免許メガネかけなくてもよくなったと言ってもぎりぎりで見えているという感じで違う日は見えないかもしれない。
警察から電話かかってきて気になるから次の日の6月29日に警察へいったら「眼鏡等の条件解除」というはんこになった。
条件解除となると中型の免許のことがあるから条件が広くなるから「眼鏡等の条件解除」になったのだと思う。

3月3日 大型二種牽引
普通免許は片目で左右とも0・3両目で0・7見えることが必要。
大型二種牽引また中型も免許は片目で0・5両目で0・8見えることが条件。
人によっては普通免許はメガネをかけなくてもいいが二種はメガネをかけないといけない、という人もいる。
私は片目0・7OKだから大型二種もOKといったところ。 

3月2日 自分でいやなことは人にも薦めない
一昨日から歯について書いているが私は歯を抜くのがいやだから人にも歯は抜かず一生自分の歯を持たせることを薦める。
視力回復も目の手術なんていやだから人に薦めない。
視力回復も訓練で何とか1・0くらいになる方法を考えたいと思っている。

3月1日 自分の歯を一生持たせる方法
自分の歯を抜かずに一生持たせる方法として私のやっていることを書いてみたい。
私が小学校の時歯を虫歯にしない方法として3、3、3方式というのを聞いた。
3、3、3方式とは食事の後1日3回食事の後3分以内に3分間歯を磨くというのである。
私も1日3回も4回も歯を磨いていた時があった。
だけど奥歯はどんどん虫歯になっていった。
子供の頃ある本に朝起きてすぐ歯を磨くというのは多くの人がやっている歯の磨き方だが何の効果もない方法とのことだった。
だが朝起きてすぐ歯を磨くというのはいいらしい。
以前テレビで歯についてやった時朝起きてすぐの口の中は雑菌でうんちよりきたないとのことだった。
朝起きてすぐ歯を磨くのはいいことだ、というのである。
また食事のすぐ後必ず歯を磨くということに関しては、テレビに出ていた人の話しによると食事の後歯は歯のもっている回復力が働くので食事のすぐ後より30分くらいしてから歯を磨く方がいいとのことだった。
人の歯を見ても食事の後3度3度歯を磨いている人は虫歯の治療のあとだらけで逆に歯は朝起きたとき1日1回しか磨かないというような人が虫歯の治療のあとが殆どなかったり、という感じである。
私は歯は朝起きてすぐと夜練る前だけ磨くことにした。
歯磨き粉は2千円くらいする再石灰化する初期の虫歯は治るという歯磨き粉を使っている。
それで年に1回歯が何ともなくとも歯医者へ定期検診に行って歯石を取ってもらうようにしている。

2月29日 レーシック
視力回復の方法としてレーシックという目の手術をするものがあるがレーシックに対する私の考えを書いてみたい。
毎年私の住んでいる町では有料で希望者に健康診断をしていて昨年私は町の健康診断に行った。
私は健康診断と言っても血液と尿の検査、それと血圧心臓の鼓動だけのj検査を受けた。
検査が終わって普段の食生活生活習慣に対するアドバイスする女の人との話しになった。
その女の人に「自分の歯何本あるかご存知ですか」と聞かれた。
私は「抜いた歯は一本もありません」と答えた。
すると女の人は私の歯の数28本と手帳に書いた。
だが歯の数28本というのは親知らずを入れない数で私は親知らずだって1本も抜いてない。
よく親知らずを抜いたなんて話しを聞くが親知らずだって抜かなくていいのなら抜かない方がいいのではないか、と思う。
親知らずを抜くのはめちゃくちゃ痛いとも聞いた。
私のやり方は歯もインプラントは自分の歯と同じくらいいい、とも聞いたことがあるが、歯はインプラントより自分の歯が一番いいのではないか。
私のやり方は歯なら自分の歯を抜かずに一生自分の歯を持たせるというもの。
同様に目もレーシックという手術をすれば1日で1・5になるとしても目の手術なんて普通の人怖くてできないのではないかと思う。
私のやり方は視力回復も1日で1・5にならなくても少し時間がかかっても訓練で毎日わずかな時間の訓練だけで視力0・7以上を維持しようというもの。

2月28日 12年
この間私の住んでる町の集会場で講演会があり、何の講演会かと言えば信濃の和算家たちろいうようなテーマで講師の先生は高校の数学の先生をしていて郷土史みたいなことで和算家ということで本を自費出版したとのことで私もその時たまたま財布を持っていたので本を買ってきた。

家に帰って本を見てみてこの人は本を自費出版するまで何年かかったんだろう、と思った。私は視力回復を始めて今年で12年目。一昨年自費出版したが自費出版の時、既に10年がたっている。>今は雑誌に取り上げてもらおうといろいろやっている。

2月27日 宮本武蔵
宮本武蔵は生涯60回異常真剣勝負をして1度も負けたことがない、とのことらしいが、立ち会いにわざと遅れていったり、心理作戦を使ったりとのこと。
前友達の家でテレビで宮本武蔵をやる、とのことで私は「宮本武蔵って常に太陽を背にするようにして戦ったというのではないか」というと友達は「結構きたねえ手使ってな」と言っていた。
巌流島で佐々木小次郎と戦う時も相手がいる場所が潮が満ちて来ている場所で海水につかってしまう時間になるまでわざと遅れて行ったり、帰りは潮の流れ変わりその変わった流れに乗って舟に乗って帰ってこれるように計算してのこととのことらしい。
私もこの間22日に眼科へ視力検査に行って右目も左目の0・7だったがこれも1つの作戦があった。
眼科で視力検査する前に目が良くなることをやっておいて視力検査をしようと思っていた。
もう7年くらい前になるかもしれないが、指を温めた指を手に当てれば目が良くなるとのではと思い眼科で視力検査するにどうやって手を温めたらいいか考えた。
夏なら道路のアスファルトが黒い色していて夏の晴れた日は道路のアスファルトはかなり熱くなると思い、夏なら視力検査する診療所の近くの道路に指をつけ目を温めよう、と思った。
だが道でしゃがんで手を道につけたり目につけたりしていれば人が見れば何をやっているんだと思われるし道路は汚いものだから道に指つけて目につけたりはやめようと思った。
それでは診療所の近くに黒い車が止まっていれば黒い車だって夏ならかなり熱くなると思ったが、人の車いじっていれば何をやっている、と思われるからこれもやめようと思った。
それでは使い捨てカイロを使おうとも思って試しに使い捨てカイロ買ってみたがそれもうまくいきそうもない。
最終的に考えたのが診療所の近くにコンビニなり飲み物の自動販売機があったら11月になれば温かい飲み物が売っているようになるから温かい飲み物で指を温めるということにした。
診療所の近所を下見したらコンビニがあったのでコンビニで温かい飲み物を買って指を温め目を温めるということをして視力検査したが確かその時は0・3くらいで効果はなかった。
今回の今月の22日の視力検査も眼科医院がどこにあるのか、ということで直前に目が良くなるようなことしたら右目も左目も0・7だった。

1月25日 新風舎倒産
私の著書のらくらくカンタン視力回復法の版元の出版社の新風舎が倒産したとのこと。
折角高いお金だして出した本が絶版になってしまったことは残念です。
だけど考えようによってはお金払って本が出来る前に倒産になった人もいるんだから、そういう人に比べればいいと思う。
私の本は2006年6月発行で1年半普通に販売できた。それでいろいろなことを学ぶことができた。
学んだこととは視力回復の本なら目が良くならないと売れないということ。目が良くなるのも最低は普通免許メガネかけなくていいものでないと駄目だ、とも思った。
だけど安心とか雑誌に取り上げてもらったので次につなげることはできた、とも思っている。
私は自費出版したこと後悔していない。

1月17日 視力回復の体感
昨日視力回復のセミナーの事前の話し合いに行ったが、担当者の人に当日はここでやる、ということを言われた。
私のセミナーは集まった人に目が良くなるのを体感してもらうのをやるが、昨日も主催するセミナーの担当者の人は「これなら目がよくなるんではないか」と言っていた。


1月16日
 セミナーの打ち合わせ
視力回復のセミナーの依頼があって主催者のところへ話しをしに今日行った。
その主催者の担当者が言うには、自分の本名をホームページに載せた方がいい、それとホームページのトップページでメールが送れた方がいいとのこと。
今日中にその2点HPの書き換えをするつもり。

1月13日 セミナーの依頼
私のところへ視力回復のセミナーの依頼がきた。
その主催者によると正式には決まっていないがセミナーをやるとい方向で行きたい、とのこと。
来週その主催者へお話しに行く予定。
また来週自分の卒業した高校へ保健の先生にお話しに行く予定。

1月1日 1年の初め
新しい年が明けた。自分の視力回復の仕事もある程度めどが立っている。
自分の卒業した中学と高校へ行って保健の先生にお会いして話を聞いてもらうということになっている。また自分の卒業した小学校へも行こう、と思っている。
雑誌に載るもの何かもうちょっとという気がする。
今年は自分の視力回復を是非ヒットさせたい。
頑張ろう。





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