6月4日 安心
私としては安心へ医師の推薦コメントはもらえない、ということで安心へ視力回復の資料を郵送した。
体験談は何とか5人集めたが医師の推薦コメントはなし、ということである。
安心の編集の人は今年の3月企画会議に提出してみる、とのことだった。
だけど3月の企画会議では私の視力回復は企画が通らなかったとのことだった。
企画が通らないのは医師のコメントがないのがネックになっている、とのことだった。
だけど来月の企画会議にもう一度提出してくれるとのことだった。
医師のコメントがないと雑誌の企画が通らないということで私はどうしようか、と思った。
総合病院の眼科へ行ってコメントを書いてもらおうか、とも思ったが、ある医師の人が言うには、「視力回復とか医学的なものはうんと厳しいから総合病院の眼科へ行ってもコメント書いてくれなんて言ったってどこへ行っても断れるはずだ」とのことだった。
医師のコメントがないと雑誌の企画が通らない、私はどうしようか、とも思った。

6月3日 標本調査
標本調査は中学の時の数学で統計の時学校の授業でやった。
中学の時の数学の教科書に書いてあったことですが、昔日本である地区か日本全体かは忘れてしまったが住民のある調査をしようと思ったがどうしても全員に調査はできない。それで数学の統計に標本調査という考え方があり、全員の調査はできないので標本調査でやってみよう、とのことで標本調査で調べてみた。
後で全員の調査をしたら標本調査の結果と全員の調査の結果はほぼ一致した、とのことである。
私も視力回復自分を含め6、7人視力が0・1ある6、7人みんな視力が回復すると思うと言っているのなら、私の方法視力が0・1あれば視力が回復するのではないか、と私は考える。

6月2日 統計、標本調査
100人にやって100人中90人100人目が良くなったというのでないと推薦はできない、とのことだが、私としては、視力回復100人にやらなくてもある程度数人で分かるのではないか、とも思っている。
数学の統計に標本調査というのがある。
統計で調べる人が大勢の場合、全員に調べなくても、全体の中から無作為に一定数を抽出して調べる(標本調査)をすれば、全員調べなくても標本調査は全員調べたのとほぼ同じ結果になる、とのことである。
私としては去年セミナーをやってセミナーに5人集まって5人中4人視力が0・1ある人で0・1ある人4人ともアンケートをしたら視力が回復するのではないか、と回答した。
また1月にセミナーの依頼があり事前説明に行ったら、そのセミナーの担当者の人視力が0・2くらいの人で「目がはっきり見えるようになる」と言っていた。
私としては目の前の人0・1ある人5人中5人とも視力は回復すると思う、目がはっきり見える、というのなら統計の無作為抽出みたいに適当な5人5人とも目がはっきり見えると言っているのなら私の方法0・1あれば視力が回復すると考えていいのではないか、とも思う。

6月1日 視力回復100人にやって・・・
私としては自分の視力回復雑誌に載るには眼科医の推薦、コメントがないと駄目、ということで前から行っている眼科医院へ行ったら「100人にやって100人中90人100人目が良くなったというのでないと推薦はできない」と言われた。
だが私は思う「視力回復100人にやってなんて簡単にできることでない。視力回復毎日やる人100人だから難しい」と。
私も雑誌に載せるための体験談募集をやって後から聞いてみると「忙しくて視力回復やっていない」という人が殆ど。
眼科医院の医師が視力回復100人にやってと簡単に100人なんて言うが、視力回復100人にやっての100人の可能性を考えてみると、
@インターネットで宣伝しやる。
この方法私がやっているが、ただで送ると言ってもそんなにどんどんとはこない。この方法で5人体験談集めるの私は苦労した。
Aセミナーを開く。
だがこの方法セミナー開いても普通の人のセミナーになんかなかなか人は集まらない。
B本を自費出版する。
これも100人やってというのは難しい。自費出版発行部数は普通500部か800部だと思うが、私の場合自費出版して初版1500部だが、本1500人買う人がいても1500人中果たして100人毎日続けてやる人がいるかが問題。
C事務所を開いて人に視力回復法を教える。
だけど事務所開くと家賃等の経費がかかるから視力回復これでできるかというものに事務所開くのはよほどの金持ちでないとできない。
以上から視力回復100人にやってというのはそんなに簡単にできるものでないことは容易に分かる。
だが私は視力回復100人にやらなくても数人で効果あることが分かる数学の統計の考え方を明日ここに書きたい。

5月31日 医師のコメント
私の視力回復法眼科医の推薦は駄目でもコメントならいいかも、と思い、眼科医院へ行ってみた。
だがコメントも駄目だとのこと。
それで私は「この方法100人やって90人100人目が良くなるか分からないが、外山さんは過去に0・1だか0・2だったけど今は0・7見えている」と一言書いてもらえませんか、と言った。
だがそれも書けないとのこと。
それで「それでは何かコメント書いてもらえませんか」と私が言うと「敢えて言えば推薦しないというのがコメントだ」と言われた。
推薦しない、なんてコメントを書いてもらっても意味がないので「それではいいです」と言って帰って来た。

5月30日 まんが日本昔話
以前土曜日の午後7時からテレビでまんが日本昔話というのがやっていた。
そのまんが日本昔話は私が中学の時始まって私が30歳くらいまでやっていた。
だからそのまんが日本昔話は今から33年か34年前にテレビで始まり今から15年くらい前まで放送していたことになる。
その昔話で自分でもどうしても眼科医に推薦がもらえないという時思い出す話があった。
その話しとは昔、北から南に流れている川があり川の東側と西側に染め物をしている家があり、その染め物をしている家に仙人のような不思議な老人が現れ、白い反物を出し「この布をいついつまでに黒く染めて欲しい。お金は○十両払う」とのことだった。
○十両は大金で染め物をしている2件とも喜んで引き受けた。
その白い反物不思議な布で黒く染めてもその後水で洗えば色が落ちてしまうのである。
何度やってもやってもいくらやっても染めた後水で洗えば色が落ちてしまう。
それでいついつの約束した日になり川の東側の家の人は「この布黒く染めても水で洗えば色が落ちてしまっていくらやっても黒く染めることはできないのでお預かりした布は白いままお返しします。代わりに普通の布で黒く染めた物をお渡しします」。
それでも不思議な老人は○十両のお金を払った。
川の西側の家の人は白い反物は水で洗えば落ちてしまうけどすぐ色が落ちるけど普通そういった布は商品にならないが、老人からの布水で洗えば色が落ちてしまう布を老人に渡した。
それでも老人は○十両のお金を払った。
だがその後川の東側は川の水が澄んでいるが川の西側は水がいつも濁るようになり、川の東側の家の人は染め物屋を続けることができたが川の西側に家の人は染め物屋ができなくなった、という話しだった。
私は眼科医が推薦の手紙を書いてくれない、ということに関して、視力回復の体験談5人集めるのも難しい。また眼科医の人に推薦の手紙書いてもらうのも難しい。
だけどまんが日本昔話のこと思い出して、眼科医の人に推薦の手紙書いてもらえばいいのだが、できないことはできない、と言った方がいい、と思って、安心に眼科医の人は推薦はもらえないということで資料を送った。

5月29日 推薦とコメント
2008年2月に眼科医院へ行って医師の人が推薦の手紙を書いてくれる、と言ったが、手紙はいつまでたっても来ない。
それで3月にまた視力検査ということで眼科医院へ行ったら「100人やって90人100人目が良くなったというのでないと推薦はできない」と言われた。
それで3月の金曜日の日、眼科医院へ行って、駄目と言われ、私としてはこういう時はごまかさないでできないことはできない、と言った方がいい、と思い、眼科医の人は推薦の手紙を書いてくれない、ということで安心へ私の視力回復の資料を郵送した。
日曜日に郵送し月曜日に「昨日郵送しましたので明日くらいにそちらに届くと思います」というメールを安心へ送った。
するとすぐメールで返事が来て「医師のコメントはもらえましたか」とのことだった。
コメントと言われて推薦というと「これがいい」というのが推薦でコメントは、どう思うか、というのがコメントだからコメントなら書いてもらえるかもしれない、とも思った。

5月28日 雑誌の企画
2008年2月に眼科医院へ行って推薦の手紙書いて欲しいと頼んでもなかなか家に手紙は来ない。
それで眼科医院へ手紙を書いて欲しいという私から手紙を出してみた。
だが手紙はなかなか来ない。
その時私は思った。「視力回復の体験談5人集めるの難しいや。人に視力回復の方法教えても後から聞いてみると、忙しくて視力回復やっていない、という人が殆ど。視力回復の体験談もねつ造でなく事実でそれで眼科医の推薦あれば多分雑誌の企画通るのではないか」。

5月27日 眼科医の推薦
眼科医院へ視力検査に行き眼科医の人が推薦の手紙を書いてくれる、と言ったがいつまでたっても家に手紙は来ない。それで私は眼科医院へ手紙を書いてみてもそれでも手紙は来なかった。
それでどうしたか。
私はこういうときは自分でお金を払って眼科医院へ視力検査に行ってお願いするしかない、と思った。
それで3月になって眼科医院へ視力検査ということで行き、推薦の手紙を書いてもらうように頼んでみた。
だが眼科医の人は「100人やって90人100人目が良くなったというのなら推薦できるが今の段階では人数が少なすぎて推薦はできない」と言った。
それに対し私は「視力回復100人にやってなんて難しい。人に視力回復のやり方を教えても後で聞いてみると、忙しくて視力回復やっていないという人が殆どで毎日視力回復やる、という人はなかなかいない。視力回復100人にやるには雑誌に載って雑誌が5万部出て5万人中本気にやる人100人いて100人の中で50人目が良くなったという人が出ればがせいぜいです。雑誌に載るには、屈折度数の数字は良くならないが視力が0・1ある人ならこの方法をやれば視力検査の数字は0・3くらい良くなるのではないか、と一言書いてもらえませんか」と頼んだ。
だが「100人やって90人100人目が良くならないと推薦はできない」と言われてしまった。

5月26日 眼科医の推薦
視力検査に行った眼科医の人が推薦の手紙を書いてくれる、と言ったので私としては手紙が今日来るか今日来るかという感じだった。
家にいるとき郵便配達の人のバイクの音がすると眼科医からの手紙来ているかな、と思い、郵便受けに行って見るが今日も来ない今日も来ないという感じだった。
眼科医院へ行って3週間くらいたった時、私はこのまま待っていても手紙はずっと来ないかもしれない。それで私はどうするか。
私は思った。電話をかけて催促したり眼科医院まで行ってどうなっているか聞くと気分を害して手紙書いてもらえなくなってしまうかもしてない。
こういう時は手紙を書いてみよう、と思った。
手紙に「本を差し上げましたが本に書いてある方法ではあまり目は良くならずお渡しした紙に書いてある方法をやればある程度視力が回復しますのでその方法についてどうお思いになるか一言手紙に書いて頂ければ結構です」と書いた。

5月25日 眼科医の推薦
私としては雑誌に載るには体験談5人必要で5人何とか体験談集まった。
あとは医師の推薦だけ。
そこで2008年2月、視力検査ということで眼科医院へ行き視力検査をしてその後の医師との話の時推薦の手紙を書いてもらうように頼んでみよう、とも思った。
視力検査をしたら右目も左目も0・7だった。
それで医師との話の時二十歳くらいの時普通免許を取って、二十歳の時免許の条件は「眼鏡等」でずっと眼鏡等だった。
だが35くらいの時から視力回復をしたら原付と小型特殊はメガネなしでいいが普通免許はメガネが必要だった。
視力回復の本も出版したがその本の方法でもあまりよくならずこの紙に書いてある方法をすると普通免許メガネかけなくてよくなるし片目0・7にもなる。
それで雑誌に載せたいと思っているが推薦の手紙書いて頂けませんか、と頼んだ。
すると医師の人は「書いてくれる」とのことだった。
切手の貼った返信用封筒も渡したので、家に手紙が来るのを待った。

5月24日 体験談
視力回復の体験談20人に送って4人。
視力回復の体験談と言っても結構難しい。
人にやり方を教えても後から聞いてみると「忙しくて視力回復やっていない」という人が大半でなかなか体験談になる人はいない。
一応こういったことも自分自身の勉強だ、とも思う。
とりあえず体験談5人できたから眼科医院へ言って推薦する手紙を書いてもらおう、と思った。

5月23日 体験談
2月になっったら体験談4人集まった。
それで考えた。友達に体験談頼めば5人になる。
それで安心に載る体験談5人の条件はクリアできた。
体験談も以前壱点鏡の体験談やった時43人か44人に送って目が良くなった人1人だった。それも両目で0・7にならず両目で0・5とのこと。
今度の方法は昨年の9月から郵送した人20人くらいで20人で4人目が良くなればいい方だと思う。
しかも今度は片目0・6になったりである。
それであとは私としては眼科医の推薦だけだ、とも思った。以前から行っている眼科医院へ行ってみよう、と思った。

5月22日 雑誌
体験談募集ということで視力回復法を郵送した人にメールを送っても体験談5人集まりそうもない。
それで私はどうしたか。
雑誌へ売り込んでみよう、と思った。
去年の8月とか9月に女性向けの週刊誌とか健康関係の月刊誌へ売り込んだといっても視力回復法は送らなかったのである。ご検討頂けるのならメールで送ります、としておいた。
その後郵送している方法よりいい方法が分かったので今度は雑誌に売り込むのも方法も紙に書いたものも送ってみよう、とも思った。
だが郵送で売り込んでみても、連絡は来なくてなしのつぶて。
それで体験談も何人か来たので2月になって体験談も郵送しても駄目。
自分としてはどうしようか、ということになった。

5月21日 1月20日から
2008年1月20日視力回復の体験談募集に私から郵送した人に「視力は回復しましたか」というメールを送った。
というのは体験談募集を前の年の9月から始めて何ヶ月かたつからもうそろそろ体験談いいのではないか、とも思った。
視力回復の体験談と言ってもそんなに甘くはない。
というのは視力回復法郵送した人にメールを送っても「忙しくて視力回復やっていない」という人が殆どで体験談になる人はなかなかいない。
安心からは体験談5人集めれば企画が通るかもしれない、と言われていたが体験談5人も簡単には集まりそうもない。
それでどうしようか、とも思った。

5月20日 自分のやるべきこと
セミナーの依頼が来ても、視力回復のセミナーは市役所とか保健所でやってはいけないと言われてしまえま私としてはセミナーができない。
だが私は思う。世の中にまだないものをやるということはみんなに受け入れていれるまで苦労するのではないか。
とりあえず私としても視力回復のセミナー、講演をやるということを世間に受け入れてもらうまで私としては自分で努力しないといけない、と思った。
まあいいや、と思った。何とか道は開けるとも思った。

5月19日 セミナーの依頼
講演依頼がなくても自分で会場を借りればセミナーができるとしてもだが自分で会場を借りてセミナーを開いても赤字というのが現実。
それで2008年になり1月にセミナーの依頼があった。
自分としてはやったーという感じだった。
だがセミナーをする前に担当者に事前の説明に行ってもその人は「目がはっきり見えるようになりますね」と言った。
だがそのセミナーの依頼をしてきた所は役所の関係の所で市役所とか保健所に聞いてみると、視力回復のセミナーをしてはいけない、とのことでセミナーはやらないことになった。
やはり普通に考えて目なんか普通良くなるものでないから講演で視力回復やるなんてことはできっこない、とも思われてしまうから市役所とか保健所も視力回復のセミナーをやってはいけない、と言うんだと思う。

5月18日 セミナーその後
11月29日に1回目のセミナーをやった。
その後も12月に2回1月に2回セミナーを開こうと思い会場を借りお金も払った。
だがそんなに簡単に出る人はいない。
1回目は5人出る人いたが、2回目以降募集したが出る人いないし、多分1人か2人くらいしか出る人いない、と思ったので、12月1月のセミナーは中止ということにした。
私としてはセミナーも参加費千円では赤字で3千円もらわないと儲けはでない。
だが3千円もらうのは無理だ、と思った。
新聞に講演会の広告が載っていることがあるが、有名な人でも参加費無料とか千円である。
だから3千円もらうのは無理だから、暫く自分でセミナーを開くのはやめよう、と思った。
だけど1回セミナーを開いて5人出る人がいて0・1あれば視力が回復するということが分かっただけいいと思った。

5月17日 いよいよセミナー
セミナーの11月29日は木曜日であった。
平日だから夜セミナを開く。
一応1時間半一人で話しをする練習は何度もしたし、会場は夜6時から9時まで借りてある。
始まる10分前から入室できるとのことなので午後5時頃JRの最寄りの駅に着くようにしてあとマクドナルドに入り100円の冷たい飲み物を頼み、トイレに行きたくなるといけないのでその飲み物は殆ど飲まず1時間本を読んで過ごし、5時50分になったら会場に入室し、6時半受付開始にしてあるので30分の間に会場作りをする。6時50分くらいになったら5人そろったのでセミナーを始めた。
セミナーをしていて自分の視力はどのくらいですか、と聞いた。
視力はどのくらいと言っても普通免許を持っていて原付はいいが普通免許はメガネ必要か、0・1はあるか、普通免許もメガネかけなくてもいいか、0・1と0・05の間、0・05以下。
セミナーをやってアンケートは回収するとアンケートに「視力は回復すると思いますか」の問いに5人中4人は「回復すると思います」と答えた。
視力が0・05の人は回復するか分からない、と答えたが、視力が0・1ある人は4人とも回復すると思います、とのことだった。
セミナーをしても何万円も赤字だが私の視力回復法も0・1ある人は視力が回復することがわかった。

5月16日 セミナー何人出るか
東京で視力回復のセミナーを開くとして果たして何人出る人がいるかが問題である。
私としては本を自費出版したから出版社へ言えば何人か出てくれるのではないか、とも思った。
お金200万円払ったのなら何人か出てくれるのではないか、と思い出版社の編集を担当した人にメールしたら私の本の編集を担当した人は少し前に一身上の都合により退社した、とのことだった。
編集も仮編集した女の人は会社をやめていなかったが、どうもセミナーに出られないとのこと。
本の出版社の関係では誰も出ないという感じだった。
それで雑誌に3社に取り上げてもらったから、そのうち2社へ編集の人へメールしてもどうしても出られないとのこと。
それで私は昔の学校の友達で東京に住んでいる人7、8人にメールを送ったり携帯電話をかけてお金は払わなくていいからセミナーに出てくれと言っても1人も出る人がいない、という感じだった。
だけど何とか知らない人5人出る人が出来て私としてはセミナーを開く最低の人数は確保できた、とも思った。

5月14日 セミナー
2007年11月29日私は東京で視力回復のセミナーをすることにしたが、セミナーも1回目は無料とも思ったが友達が言うにはただだといい加減に出る人いるから1人千円取った方がいいよ、とのこと。
とりあえずセミナー1人千円とした。
だが私としてはセミナーに何人人が出るか分からないが1人千円では私としては赤字だということ。
私としては1人3千円もらわないと儲けはでないくらいである。
セミナー1人3千円としてそんなに人がいっぱいセミナーに出る人いるかなあ、とも思った。
私は1回目のセミナー11月29日でそれで12月に2回1月に2回セミナーをしようと思った。
セミナーを開くには場所だけ取っておかないとセミナーはできない。
それで12月1月の4回分の会場のお金も私は払った。
私としてはとりあえず1回目のセミナーやってみよう、と思った。
私も自分の視力回復法メールとか郵送で方法を人に教えたりしたが実際に人に会って視力回復法を教えたことがないので直接会って視力回復法教えるのやってみよう。お金は赤字でも直接人に教えるのをやってみると得るものあるかもしれない。とりあえず1回目のセミナーやってみよう、と思った。

5月13日 セミナーの準備
2007年11月29日東京でセミナーを開くことにした。
11月中セミナーの準備をした。
準備と言っても1時間半自分で一人で話してセミナーの練習をする。
アンケートも自分でパソコンで作ってみる。アンケート作るの以外と手間がかかった。
あと会場に下見をした。
実際に部屋に入ってみて、マイクがきちんと使えるかやってみた。
あと空調とか部屋の電気も確認した。
あと会場の最寄りの駅の辺に喫茶店かマクドナルドがあるか調べた。
喫茶店というのは東京の方は電車30分くらい遅れることがあるからセミナーの講師は遅れることはできないから最寄りの駅に1時間前に行って喫茶店でコーヒー1杯頼んで1時間本を読んで過ごそうと思った。
セミナーの準備はできた。あとは何人出る人がいるかということになった。

5月12日 日記再開
この日記一時期毎日のように書いていたんですが、うまく書き込めなくなってしまい、暫く日記書くのやめていたのですが、ホームページの書き換えもうまくいくようになったのでまた日記再開します。
ホームページの書き換えうまくいかないのは容量がいっぱいになったのか、とも思ったが、プロバイダーへ電話して容量を増やしたが、今までの容量でも余裕たっぷりだった。
友達に聞いたら転送するソフトがいけないのではないか、と言われ昨日転送するソフトが入ったCDが付録の本を買って自分のパソコンへ入れたら転送がうまくいくようになった。
それと今日5月12日は私にとって記念すべき日です。
去年の今日5月12日に普通免許メガネかけなくてよくて片目0・7になる方法が分かった。

4月26日 セミナー
私はホームページで宣伝して東京でセミナーをやろうと思い友達に相談してもそんなに簡単にうまくいくとは思わない。
だが私は東京でセミナーをやろうと思った。東京でセミナーやって最悪お金いくら損するかを考えればお金は最悪3万円か4万円の損をする。
3万4万というのは会場を借りるに1万5千円かかり会場の下見に東京に行くに交通費1万5千円かかる。
セミナーに1人も出る人いなかったら3万4万損になるが1人でも出る人いれば1人から段々と広がるかもしれないから1人でも出る人いれば3万4万全くの損にはならない、と私は思った。
私はインターネットで検索して東京で1万5千円で借りられる会議室見つけ土日はなかなか取れないから平日の夜東京でセミナーをすることにした。
セミナーは11月29日とした。
果たして何人参加する人がいるか。
友達に電話でセミナーに参加する人20人いれば楽勝、10人いれば御の字、5人いればいい、とも言った。

4月25日 セミナー
講演をやろうと思っても講演依頼はこない。
雑誌に載るというのもそんなに簡単でない。
そこで私は自分で会場を借りてセミナーをやってみよう、と思った。
セミナーをやると言っても宣伝にお金がかかるが、私は視力回復のホームページを開いていて2007年の10月の終わり頃自分のホームページを見る人1日に200人から300人くらいだったから、ホームページで宣伝して東京でセミナーをやればある程度人集まるかも、と思った。
それで友達に東京でセミナーやるのどう思うか聞いてみようと思い、「ちょっと一杯やろう」と言ってスナックでビールを飲みながら聞いてみるとその友達は「インターネットのホームページなんてお金払う人はホームページ見る人100人に1人だよ。1日ホームページ300人見る人がいるとしたらお金払う人は3人とかだよ」と言った。
お金払う人はホームページ見る人100人に1人ということは私も過去の経験で分かっている。千円の商品を売ろうと思ってもホームページ1日100件のアクセスがあっても1週間に千円の物1つしか売れないくらいだった。
だが私は東京でセミナーをやろうと思った。自分として活路を見いだすには自分で会場を借りてセミナーをやるしかない、と思ったのである。

4月22日 英会話学校の経営破綻
2007年の9月から私は雑誌に載せる体験談募集、ということで希望者に無料で視力回復法を送るのを始めた。
始めて1ヶ月くらいしてある大手の英会話学校が経営破綻した、というニュースを聞いた。
英会話学校と言われて私は身に覚えがあるのである。
私は過去に英会話学校へ行ったけど殆ど上達しなかった、ということがあった。英会話学校へ行っても家で全然英語の勉強をしない、という人もいるかもしれないが、私は英会話学校へ行っている時家で英語の勉強をしたのである。毎日NHKラジオの英語会話とやさしいビジネス英語のNHKラジオの放送を毎日2つ聞いて英語を勉強したが殆ど英会話上達しなかった、ということがあった。
それで私は思った、「人に満足を与えられない仕事をすれば最終的に破綻するんじゃないか」。
私は9月から体験談募集を始めて1ヶ月たった10月に「どうですか」とメールを送ってみると2人の人は目が良くなっていない、とのことだった。それと大手英会話学校の破綻というニュースを聞いて、視力回復も人にメールで聞いてみると目が良くなっていない、ということで英会話と同じで視力回復も人に満足を与えることができないから自分の視力回復もやばいかな、とも思ったが、3人目の人は「日によって0・7が見える」とのことで私は「視力回復も必ず1・0にならなくても人によっては普通免許メガネかけなくなればいい、という人もいるだろうから自分は視力回復をやっていこう」と思った。

4月20日 雑誌
自分の視力回復を雑誌に取り上げてもらおう、と思い週刊女性とか女性自身に視力回復を売り込んでみた。
手紙を出して2週間して雑誌社へ採用になるか電話で聞いてみよう、と思った。
女性向けの週刊誌も最初2社へ送ったからその2社へ電話してみたが、電話に出た女の人の話では「何かよく分からないけど、今連絡がないのは採用にならないのでは」というような感じだった。
女性向けの週刊誌3社へ視力回復法を売り込んでみたけどどうも駄目のようだs。
それである程度まともな週刊誌3社と健康関係の月刊誌3社へ手紙を出してみた。
安心は4月に載っているから安心へはどこも採用にならなかったら最後にお願いしよう、と思っていた。
週刊誌4社健康関係の月刊誌3社どれも駄目だった。
安心へは6月26日に普通免許メガネかけなくて良くなった時、こういう方法だ、とメールを送ってみたが返事が来なかったが、私としては雑誌へ売り込めるところ全て売り込んでも駄目、ということで安心には4月に載ったので安心にお願いしてみた。
安心の人が言うには「7月の時企画が通らなかったから体験談を5、6人集めれば企画が通るかもしれない」とのことだった。
私は安心に載せてもらうためホームページで募集して体験談を集めよう、と思った。これは2007年9月のことである。

4月18日 雑誌
私としてはまず自分の視力回復を雑誌に載せよう、と思いまず週刊女性とか女性自身といった女性向けの週刊誌に取り上げてもらおう、と思った。
確か女性向けの週刊誌って3社か4社あったと思ったが、私としては早く掲載を決めたいと思ったので3社か4社同時に手紙を出してみよう、と思った。
同じ記事が複数の雑誌に載るのは良くないのかな、と思い、そういうことは出版社の人は知っている、と思ったので本を出した編集の人にメールで聞いてみたら「編集者が違えば同じ記事になるということはないから複数の雑誌社へアプローチしてみるのはいいことではないか」とのことだった。
それでその日にセブンイレブンへ女性向けの週刊誌を買いに行った。その日2社あったからその日に2社へ手紙を出した。
次の日セブンイレブンへ行ったら違うもう1社あったからその日にその1社へ手紙を送った。
女性向けの週刊誌はどうも3社みたいだった。
私としては私の視力回復は使うものは視力検査のマークである。視力検査のマークが雑誌に載ればそれで普通免許メガネかけなくてよくのなら、そういったもの雑誌に載るのは誰が考えてもいいこと、とも思うが世の中はそんなに甘いものではない。
私の叔父さんが言うには「合併して町ができ、作曲できる人が町の町歌と売り込んでもなかなか町歌にしてくれない。雑誌に売り込んでも果たして雑誌に載せてくれるかだ」とのことだった。

4月17日 講演協会
私としては講演協会に登録になれば講演依頼が来るのでは、とも思っていたが、実際は講演協会に登録になっても講演依頼は来ない。
それで私は思った、講演協会ってやりたい、という人がいれば大体の人が登録になるんではないか、と思った。
本だったら本を1万部作るにはお金300万円くらいかかる。普通の人の本300万円払って1万部作っても売れなくて赤字になる可能性高いから本ならやりたい、という人がいれも、はい、と言う訳にはいかないが、講演だったらホームページに載せるのはお金いくらもかからないから講演協会はやりたい、と言う人がいれば大体の人登録になるんじゃないか、とも思った。講演すると言っても女のスケベなことみたいなことなら登録にはならないがちゃんとしたことなら大体の人講演協会に登録になるんじゃないか、とも思った。登録になっても果たして講演依頼が来るか、という問題だとも思った。
私としては講演依頼が来るように雑誌に載る、というのをやってみよう、と思った。

4月15日 雑誌
講演協会に登録になって講師の紹介に自分の写真も載ったので講演の依頼が来るか、とも思ったが世の中はそんなに甘いものではない。講演依頼なんて簡単にはこない。
8月6日に講演協会の講師の紹介に自分の写真が載り、3週間くらいたった8月25日頃思った「人がお金を払うとしてもどんなものか分からなかったら人はお金を払わないのではないか。例えば人が本を買うとしたらこの著者の本是非買ってみたいというのは内容も確かめず本を買うとして、普通人が本を買うとしたら本屋で本をある程度見てこれならお金を払っていい、ということで人は本を買う。講演もどんなものか分からないと人はお金を払わないのではないか。講演と言ってもテレビで知っている芸能人とかスポーツ選手もオリンピックでメダル取った人とかどんな人か分かっていれば講演も頼まれる。私は自分の視力回復どんなものか分かってもらうため雑誌に載せてもらおう」。
それで雑誌に載せてもらう、としてもまず週刊女性とか女性自身といった女性向けの週刊誌に取り上げてもらおう、と思った。
女性向けの週刊誌というと前の年の10月にお昼を食堂で食べた時女性向けの週刊誌に視力回復法が載っていた。
私としてはまず女性向けの週刊誌に自分の視力回復を売り込んでみよう、と思ったs。

4月14日 講演協会
7月6日に講演協会へメールを送った。
普通メールを人に送ると、送信済みアイテムというところに送ったという記録が残るが、7月6日に確かに講演協会へメールを送ったはずだが、送済みアイテムに載っていない。
場合によってはメールを講演協会へ送っていないのではないか、とも思った。
だが自分としてはメールは送ったはずだし郵送もする物はしたから、やることやったから後は相手からの返事を待つだけ、とも思った。
講演協会に登録になるには審査がある、とのことだがその頃人に言った「本なら1万人に買ってもらわないと利益出ないくらいだけど講演だったら人を何十人か集めれば何万円か利益出るくらいだから多分登録になるんじゃないか」。
自分としては7月6日に講演協会へメール送ったつもりだが果たしてメールは行っているのか、登録になるのかと心配だったが7月20日にメールが来て、登録になったとのことだった。
登録になっても自分の写真が講師の紹介に載っていないので写真がなければ講演依頼はこないのではないか、と思い、また講演協会からも写真を郵送なりメールで送って欲しいとのことなので私はメールで写真を送った。写真は8月6日に載った。

4月13日 講演協会
私としては普通免許メガネかけなくて良くなった、ということで自分の目が良くなったことを証明する物も得たということで講演協会へ登録してもらうようにやってみよう、と思った。
講演をしようと思ったのは前の年の10月頃でその頃インターネットで検索して講演協会を見つけて自分が普通免許メガネかけなくて良くなったらここへメールを送ろうと思っていて、メールの文章は前から書いてあってあとはコピーするだけになっていた。
6月26日に普通免許メガネかけなくて良くなったので自分としては次のステップに進める、と思った。6月26日以降、講演会場で配る資料、講演会場に貼っておく視力検査のCのマークの拡大した物を用意した。
会場で配る資料も誤字脱字がないように何度も見直し、Cのマークの拡大した紙も何倍にしたらいいか物差しで測って電卓で倍率を計算しセブンイレブンで拡大コピーをした。
6月26日から10日の間に警察へ行った日もあったが、7月6日までにはすっかり準備ができた。
講演協会へメールを送るとしても確認の為電話をかけて聞いてみてメールを送った。
2007年7月6日私は講演協会へメールを送った。それと同時に講演会場で配る物、会場に貼っておく物、自分の著書を講演協会へ郵送した。

4月12日 免許の条件
6月26日に警察で視力検査して普通免許メガネかけなくてよくなったが28日に警察から電話が来て何だろ、と思った。
自分としては普通免許メガネかけなくてよくなったと言ってもぎりぎりで通っているという感じである。
ぎりぎりというのは大学受けるにも滑り止めの大学は楽々受かっているとしても自分が本当に行きたい大学は受かるとしてもぎりぎりで受かっているという感じではないか、と思う。
自分も普通免許メガネかけなくてよくなった、と言ってもぎりぎりで見えているという感じである。別の日に行けば見えないかもしれない。
だが私はあまり気にすることはない、と思った。というのは免許は検定に一回受かれば免許になる。検定に一回受かってもその後何度も検定をやれば必ず受かるというものではないが、検定に一回受かれば免許になる。
学科試験も一回合格点を取れば免許になる。学科試験も一回受かった後試験をやれば必ずしも合格点が取れるというものではないが、学科試験も一回合格点を取れば免許になる。
同様に視力検査も一回視力検査でいいということになれば次の更新までは有効である。
だから警察から電話が来てもあまり心配することはない、と思ったが私としてはすごく気になったから電話かかかってきた次の日の29日に警察へ行った。
警察へ行って女の人に免許証を渡すと「暫くお待ち下さい」と言われ、それで免許の裏に「条件解除」というのを消して「眼鏡等(原付小型特殊を除く)の条件解除」とはんこが押された。
とりあえず私としては自分の悲願だった普通免許の眼鏡等解除ができたのだった。
自分としては何か肩の荷が下りた感じで自分のビジネスもこれでやっと次のステップに進める、とも思った。


4月11日 眼鏡等の条件解除
6月26日普通免許メガネをかけなくてよくなって免許証の裏に「条件解除」というはんこを押してもらった。
だが2日後に警察から電話がかかってきて「記入漏れがあるのでまた来て欲しい」とのことだった。
私としては晴れて普通免許メガネかけなくてよくなったのにまた来てくれとは何だろう、と思った。
多分中型の免許の絡みではないか、と思った。
今は普通免許で3トンまで運転でき3トン以上は中型あるいは大型の免許が必要で昔の普通免許の人は5トンまで運転できる。
それで中型の免許は視力どのくらい必要なのだろうか、と思った。
それでヤフーで「普通免許 視力」と入れて検索したら中型の免許は右目も左目も片目で0・5両目で0・8必要だ、とのことたっだ。
友達に「中型の免許は片目0・5必要だって」と言うと友達は「それなら片目0・5の検査するんではないか。片目で0・5見えなかったら中型の車は眼鏡等になるんではないか」と言った。
それで私は「0・5見えなかったら中型の車は眼鏡等と言っても普通免許だって0・3とか0・7見えなかったらメガネかけて0・3とか0・7見えるかやるじゃないか。中型はの車は片目0・5必要でも0・5見えないとなると、メガネかけて0・5見えるかやるんじゃないか。中型の車は片目0・5必要なら今度はメガネ持ってこい、と言うんじゃないか。メガネ持ってこいと言われないのなら片目0・5の検査しないんではないか。多分中型の車に乗るか聞かれるんではないか・中型の車乗ると言えば片目0・5の検査して中型の車乗らないと言えば片目0・5の検査しないんではないか」と友達に言った。

4月8日 6月26日まで
私は2007年5月12日に私の視力回復の最終的な方法を思いついたがそれで次の月の6月26日に普通免許の眼鏡等解除になったがそれに至るまでの1ヶ月と2週間のことを書いてみたい。
私は5月22日に警察へ行った。5月22日というのは意味があって5月12日から最終的な方法を考えて10日で普通免許の眼鏡等の解除になったというのなら私としてもいい宣伝になる、と思ってのことである。
だが5月22日へ警察へ行って視力検査をしても駄目だった。
友達に電話して「やはり今日は駄目だった。だけど10日で駄目でも最終的な方法を考えて20日以内1ヶ月以内というものがあればいいんじゃない。とりあえず1ヶ月以内にいいことを目指そう」と私は言った。
それに対し友達は「1ヶ月以内と言っても、あまり警察にちょこまかちょこまか行っていれば警察の人にこの人は何をやっているんだ、と思われるから今度は絶対いい、ということで警察へ行った方がいいよ」と言った。
1か月後の6月12日になっても0・7がはっきり見えない。
それで1ヶ月と2週間たった6月26日警察へ行ったら、普通免許の眼鏡等が解除になった。

4月7日 ルテイン
私は自分の本が出版になった頃車の免許の更新をしたが、更新少し前いろいろやっても普通免許メガネかけなくていい、という訳にはいかないと思い、ルテインを買って飲んでみよう、と思った。
以前視力回復のホームページの掲示板にルテインを飲んで0・1が1・0になった、というようなことが書いてあり、ルテインは1ヶ月1万円かかるとのことだった。
だが私は1ヶ月1万円でもどうしても目を良くする必要があるためルテインを購入し飲んでみよう、と思った。それでインターネット通販で「ルテイン」で検索してルテインを買ってみた。お金は1ヶ月分2700円くらいだった。
だがルテインを飲んでもあまり変わりがない。それで1ヶ月2700円でなく1ヶ月1万円くらいな物なら目が良くなるのではと思いインターネットで検索しても7500円というのがあってそれ特別高いという物でなく90日分だというのである。
ルテインもブルーベリーもそんなにそれだけで目が良くなるというものでないことが分かった。

4月6日 視力回復のライン
私は視力回復を本格的にやりだして今年で12年になる。
12年の最初の頃は暗中模索あるいは五里霧中といった感じで始めたので1ヶ月後には1・5になる、と思いつついろいろ方法を考えた。
だがやはり始まりが0・05の人が訓練で1・5はなかなか出来ない。
視力回復は片目1・2になる方法あるいは1・0にはなりたいな、とも思ったが、やはり一旦悪くなった目を1・0、1・2は難しい。
それでいつの日か視力回復も普通免許メガネかけないでいいことを最低のラインとしよう、とも思った。
今は殆どの人が車の免許(普通免許)を持っている。
目が悪くてもメガネかけたくない人も免許の条件に「眼鏡等」と書いてあれば車を運転する時はメガネをかけなくてはいけなくなってしまう。
だから私は視力回復はとりあえずは普通免許をメガネなしで運転することを目指そう、と思ったのである。
私は免許の更新後に警察へ行って普通免許眼鏡等解除になったことが過去に2度ある。
0・1以下になった人にとって普通免許の左右片目0・3両目0・7もなかなか厳しい。
それで2007年5月12日に「これならまた普通免許眼鏡等解除できる」というものが分かったのである。後は実際に自分でその視力回復法を実践してまず自分の免許を普通免許メガネなしで乗っていいことをまずやろう、と思った。

4月5日 2007年5月12日
2月に視力検査のマークを見るという方法がいいことが分かったので2月からマークを見る方法を専門にやった。
途中4月に安心が発行になったが本はアマゾンのランキングを見てもあまり売れていそうもない。
5月も10日くらいになっても目はあまり良くなっていない。
それで私は思った。「いつまでもちんたらとやっていいというものでない。本気になるには人に公言すればいいのではないか」と思った。
5月11日は土曜日だったが、友達に電話して「来週の火曜日警察に視力検査に行く」と言ってみた。
だがいついつ警察に行くと言っても過去のこと考えても家で視力検査の0・7が両目ではっきり見えれば警察にいっても1回で普通免許OKとなるが家で0・7はっきり見えなければ何度警察へ行っても駄目、ということ。
5月12日視力検査のマークを見るのもいろいろやってみよう、と思った。
いろいろとは手をズボンのももにこすって目に当てる、眼球の運動をする、目の周りの骨のマッサージをする、こういったことをやってみて視力検査のマークを見る。だがマークははっきり見えない。3つのやり方いろいろ順序もいろいろ変えてどういった順序でやればマークがはっきり見えるかやってみる。だがこれといったものはない。
以前NHKのテレビでプロジェクトXという番組があった。その番組はどういったことをやったかと言えば車とか電気製品など新しい商品を作る時の苦労話をいろいろ番組で取り上げた。
それで新しい商品を作る時、いくらやっても駄目、というような壁にぶつかり何とか壁を乗り越えることができた、というのがプロジェクトXの番組だった。
私は5月12日プロジェクトXではないが、「いくらやっても駄目」というようなことになってしまった。
だが「いくらやっても駄目」とも思ったがふとあることが閃きそれをしたら視力検査のマークがはっきり見えるようになった。
その瞬間私は「これだっ」と思った。2007年5月12日のことだった。

4月4日 安心
安心の取材は2月下旬に受けた。
それで即効性のある方法として視力検査のマークを見る方法も雑誌に載せてもらえることになった。
2月10日少し前視力検査のマークを見るという方法が一番いいことが分かったので、その方法だけをずっとやっていくことにした。
4月から安心の見本誌が雑誌社から届いた。
過去の視力検査の感じで視力検査のマークを見るという方法は3ヶ月で0・2が0・4とか0・6になっているから、5月にどうなるだろうか、とも思った。






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