房総半島をめぐる旅(2000年8月12日〜15日)

8月12日(土)

 東京駅地下ホーム4番線に、代官と待ち合わせ、内房線に乗って千倉を目指す。東京8:43発の君津行き快速に乗車。君津10:09着。君津駅前の「志ん橋寿司」で、テイクアウトのちらし寿司を買って、乗り換え列車の車中に持ち込んで食べる。君津10:38発。列車は混雑していて、しばらく座れなかった。佐貫町を過ぎるあたりから、穏やかな内房の海が時々見えてくる。天気はしだいに雲が広がってきて、雨を予感させる空模様である。千倉11:56着。駅には、ワイン部長の小宮君が迎えに来ていた。彼の車で、エストプラザの「リブロス」へ。ワイン部長がこの日に開店させることになったワインバーである。
 午後3時に開店の予定だったが、準備に手間取り、午後4時に開店する。開店初日ということで、オープンと同時に途切れることなくお客が来店し、けっこうな繁盛である。手伝いには私と代官の他、地元の知り合い夫婦2人が当たっていたが、閉店時間までほとんど休む間もない感じだった。閉店間際に来たお客さんもいて、午後11時閉店の予定が、30分ほど延長となった。一応の片付けを終えた後、3人で祝杯を上げる。夜中の1時過ぎまで飲んでいただろうか。台風が近づいていて、天気はかなりの雨模様となった。雨に濡れながら、ワイン部長の家へ。代官とともに、彼の家へ宿泊させてもらう。

8月13日(日)

 慣れない立ち仕事の疲れと、夜中に飲んだ酒が身体から抜け切らず、朝はなかなか起床できなかった。10時近くになってようやく、ワイン部長の母上が作ってくれた朝食をいただく。
 代官は、お昼頃の列車で帰らなければならないとのことで、千倉駅まで見送りに行く。私は、もう一日、ワイン部長の店の手伝いをすることになった。この日は、午後3時の定刻にオープン。しかし、昼間から夕方にかけては、ほとんどお客さんは来なかった。天気のほうも、本格的な荒れ模様となって、客足は途絶えてしまった。それでも、午後6時過ぎ頃からは、次々とお客が来店し、まあまあの忙しさになった。売上も天気の割りには上々であった。午後11時に閉店。また、閉店後に小宮君と二人で飲む。
 この日も、ワイン部長の家に泊めてもらった。


8月14日(月)

 台風はようやく通り過ぎた様子で、雨も上がってまずまずの天気となった。ワイン部長に千倉駅まで送ってもらい、千倉10:54発の列車で安房鴨川へ。安房鴨川11:24着。安房鴨川の町を少し散策する。リゾート地らしく、たくさんの観光客で賑わっている。駅前の観光案内所には、本日の宿泊所はすべて満室の掲示が出ていた。海岸まで歩いていくと、台風の影響で、砂浜には高波が打ち寄せている。当然のことながら遊泳禁止で、海水浴客は砂浜に釘づけという感じである。乗り継ぎの列車の都合があったので、すぐに駅へ戻る。
 安房鴨川11:55発の外房線に乗車。外房沿線の風景を楽しもうと思ったが、連日の労働の疲れから睡魔が襲ってきて、ほとんど眠ってしまった。大網13:35着。大網駅のガード下の手作りパン屋で調理パンをいくつか買ってホームで食べる。東金線に乗り換え、大網14:02発。成東14:20着。今度は総武本線に乗り換え、成東14:23発。このあたりは成田空港へ着陸する飛行機の進入経路らしく、飛行機が次々と上空を低空飛行で飛んでくる。銚子15:20着。
 この日は銚子に宿泊することにして、今晩の宿を探す。駅からそれほど遠くない「ホテル・サンサニー」というビジネスホテルにチェックインする。午後4時ごろ、ホテルに荷物を置いて、身軽な格好で銚子電鉄に乗りに行く。銚子から終点の外川までは20分ほど、片道310円である。たった一両の電車。乗った車輌には、「京王重機・平成6年」とある。京王電鉄の払い下げ車輌なのだろうか。ほとんどの乗客は、外川のひとつ手前の犬吠駅までに降りてしまった。終着の外川駅は、いかにも田舎の終着駅といったうら寂しい雰囲気。ポルトガルのアズレージョを模した西洋的な犬吠駅とは対照的である。一昔前の日本映画のワンシーンに出てきそうな切符販売窓口である。売られている切符も、今はなつかしい硬券である。
  
メルヘンチックな銚子電鉄・銚子駅ホームとうら寂れた外川駅

 静かな猟師町といった雰囲気の外川の町を散策する。ここには、これといった観光スポットはない。したがって、観光客が訪れることもなく、鄙びた感じが保たれている。ここを訪れる部外者といえば、釣り人ぐらいなものだろう。外川漁港へ向かって、やや急な坂道を下っていくと、民家の屋根瓦や電信柱の上の高さに海が見えて、独特の風景を楽しむことができる。
 外川漁港の周辺を歩き回る。防波堤の内側には、たくさんの漁船が停泊している。外海は荒れ狂うような高波が打ち寄せ、岩場では激しく白い波飛沫が舞い上がっている。しかし、空にはほとんど雲もなく、傾きかけた太陽の日差しが、日陰のない港のコンクリートに照りつけていた。そんな中で、私はその日差しと潮風を心地よく感じ、リラックスした気分になっていた。日が沈むまでここで海を見ていたかったが、にわかに雲が出てきたので、千騎ヶ岩、大杉神社などをまわった後、駅へ戻る。
  
外川漁港風景と高波が打ち寄せる太平洋

地元産の「磯かき」と「新サンマ刺身」

 午後6時過ぎに銚子へ戻る。晩餐ということで、地さかな料理屋「かみち」へ。地元でも知られた店らしく、けっこう広い店内はほぼ満席という状態だった。魚をさばく料理人の仕事を眺めることのできるカウンター席に案内される。まずは地物の「新サンマ刺身」と「磯かき」を肴に、生ビールを飲む。旬の新サンマの刺身の旨さは絶品。白銀に輝く表皮とストロベリー色の身の美しいこと。新鮮で脂がのっていて、とてもおいしかった。また、夏の天然磯かきのフォアグラのようなねっとりとした味わいもすばらしかった。この他には「いわし寿司」、「いわしのつみれ汁」なども味わい、地魚の味を堪能した。
 この日は疲労がたまっていたので、珍しく2軒目は行かずにおとなしくホテルへ戻った。

8月15日(火)

 朝はホテルを7時半頃にチェックアウト。銚子市内の利根川河岸へ。想像はしていたが、利根川河口はとても広い。対岸の茨城県波崎町までいったいどれぐらいの距離があるのだろうか。この大河に架かる銚子大橋も巨大である。天候は曇りで、やや風が強く、川面には三角波が立っている。川の上流を望むと、遠方は雲との切れ目がなく灰色に霞んでいる。
 銚子駅へ戻る。駅前のコンビニで、おにぎりを二つ買って食べる。銚子8:15発の成田線に乗って佐原へ。佐原の町を少し歩く。伊能忠敬像のある公園と諏訪神社へ。小高い丘の上にある諏訪神社では、蝉時雨が賑やか。鬱蒼とした木立の間からは、水郷地帯の利根川を望むこともできる。神社の裏から境内へ入ったので最初は気がつかなかったが、正面の参道の石段はかなりの急勾配だった。

 佐原駅へ戻り、今度は鹿島線に乗車。佐原9:41発の列車で鹿島神宮へ。ずっと高架線を走るので、車窓の眺めはなかなかよい。佐原を出発した列車は、香取駅を過ぎたところで成田線と分かれて左にカーブし、間もなく利根川を渡る。このあたりは、利根川水利を利用した稲作地帯。黄色く色づいた稲穂が美しくたなびく田園が広がっている。潮来駅の手前では、利根川の支流と思われる常陸利根川を渡る。また、鹿島神宮駅に着く手前では、北浦に架かる長い鉄橋を渡る。
 鹿島神宮駅前は、閑散としている。開発途上の宅地と道路が広がるばかりである。鹿島神宮駅舎内の「なまずと要石」の張子がユニークで面白い。何でも、鹿島神宮の地中には大なまずが住んでいるが、その頭の上に要石(かなめいし)があるので、この地方では大地震が起きないといった伝説があるらしい。

ユニークななまずと要石の張子

 鹿島神宮から、鹿島臨海鉄道・大洗鹿島線の列車に乗り込む。たった一両のディーゼルカーで、ローカル色が強い。珍しい女性の運転手である。鹿島神宮10:34発。真っ直ぐな線路、車窓は単調な雑木林と畑が続く。
 新鉾田で下車。蕎麦処「村屋東亭」を目指して歩き始める。暑い中を30分以上歩いただろうか、お昼少し前に、県道沿いの店に到着する。まずは一杯飲もうと純米酒と「そばがき」を注文する。純米酒は、葉ワサビのお浸し付きで、間もなく運ばれて来たが、「時間がかかります。」と言われた「そばがき」は、待てど暮らせど運ばれてこなかった。混雑しているので仕方がないなと思いつつ、約1時間が経過、お酒もなくなったところへ、店員が「そばがきが出来ないので、どうしますか?」と言いに来た。忙しくて作れないのなら、最初からはっきりと断るか、早めに言ってほしかった。やむを得ず「もりそば」に変更。「もりそば」は、太さが均一ではなく、蕎麦の香りが余りない。ツユも塩分が強くて今一つだった。はるばる食べに来ただけに、この客対応と味には正直言ってがっかりしてしまった。

 再び暑い中を新鉾田駅へ戻ると、今度は列車にぎりぎりで乗り遅れ、50分ほど駅のベンチで待つことになってしまう。うまくいかないときは、何事もダメである。新鉾田14:22発の列車に乗って水戸へ。水戸15:18発の常磐線で上野経由で帰ってくる。

蕎麦処「村屋東亭」

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