イベントに出かけよう!




1997年4月26日(土)
「郭富城 首次日本巡回演唱会」  NHKホール 



 
このライブも、シンジ君と一緒に参加しました。
 2階席で見ていたのですが・・・可哀相なことに、2階席は全く埋っておりませんで、
 盛り上げようと、真ん中の席に移動しようとすると、スタッフに止められる始末。
 (何とかすれば良いのに! お客さんもまばらに居るんだから、1つにまとめるとかさぁ・・・) 
 でも、そんなことも気にせず、茶目っ気たっぷりで、一生懸命、会場を盛り上げようと努めるアーロン!
 可笑しかったのが、カタコトの日本語で「イケテル?」などと語りたり、
 衣装換えも、ステージで済ましちゃったりなんかして・・・(笑)
 ダンサブルな曲が多く、この手の歌を得意とする印象が強いアーロンですが、今思い起こして見ると、
 スロー・バラードなナンバーを、たくさん歌ってくれたように記憶しています。
 何故か、終盤の「對イ尓愛不完」は、振り付きで歌っていた私でありました。(笑)
 



1997年1月25日(土)
「Leslie Cheung World Tour 1997 LIVE in JAPAN」  東京国際フォーラム・ホールA



 レスリーの歌は全く知らないと言うのに、興味心で参加してしまった。
 友人のシンジ君と一緒に参加したのだが、なんと、1階の一番後ろの席で、
 全然レスリーが見えなかったと言う苦い思い出がある。(笑)
 香港の明星のコンサートは思えないくらいの熱狂ぶり!曲ごとに立ったり坐ったりで、
 隣の香港人と思しきカップルも、非常に辛そうな表情をしていたのが印象的であった。(笑)
 周りには、男性がほとんど居なくて、レスリーについての知識も豊富でない私達2人は
 結構浮いていたが、近くの女性からいろいろ解説していただり、目の良い方が「今ステージで
 こんなことをやってますよ!」なんて教えていただいたりで、お世話になりっぱなし!(男性冥利に尽きるな?)
 驚いたのが、突然レスリーが「ボクと握手したいかい?OK!ステージにおいでよ!」
 なんて言い出したもんだから、さぁ〜大変! ステージ前がパニック状態になった光景を今でも覚えている。
 (この握手タイムは、レスリー本人からの、たってのリクエストだったらしいです。)


 


1996年10月6日(水)
「アンディー・ラウ コンサートツアー’96」  NHKホール
 
 
  
 アンディー・ラウ(劉徳華)日本初コンサート。
 この年の3月20日に、待望の日本語歌曲「もう1度抱きしめたい」をリリースした華仔。
 映画の主題歌で慣れ親しんだ曲を歌ってくれたり、私もCDを何枚か持っているので、
 落ち着いて見ることが出来た。
 都合上、香港でのステージをそのままと言う訳には行かなかったが、テレビモニターや
 ワイヤーを使ったりして、それなりに工夫を凝らして、我々ファンの目を楽しませてくれた。
 ちなみに、当時このポスターは、日本でも人気があった「武田真治」の写真集のパクリではないか?
 と物議をかもし出した経緯がある。(笑)

 

  


1996年2月?日
「許志安 アルバム(男人最痛)発売記念 サイン会」  尖沙咀HMV 



   
このアルバムでようやくブレイクした安仔と一緒に (左)
サインしてもらったCD (右)



香港に遊びに行った際、尖沙咀(チムサーチョイ)のHMVに寄って見ると、なにやらイベントが始まろうとしているではないか!
店員さんに聞くと、許志安(アンディー・ホイ)の新譜を買うと、サインをしてくれると言うので、
当時、彼に関しては、あまり興味はなかったが(失礼!)、早速ミーハーな私は列の最後尾に並んで待つことに・・・

順番が近づくと、近くに居たスタッフの方に、「あのォ〜日本から来たんですけど、写真を撮っていただけませんか?」
と英語でお願いすると、安仔に伝えてくれて、私の番になると、わざわざ立ちあがってくれて、深々とお辞儀をしながら、
「Nice To Meet You!」と声をかけてくれました。

このイベントで衝撃を受けたのが、地元のファンの熱狂ぶりの凄さ!
しつこくズーッと声をかけ続けるわ、なかなか帰ろうとしないわで、スタッフに
力強く引っ張られて、退場させられていた光景を間近に見て、引いてしまった私。(笑)
大人しくしてて良かった・・・




1995年12月20日(土)
「張学友 ワールド・ツアー IN 東京」 東京厚生年金会館 



 実は、「コンサート」と言うものに参加すること自体、これが初めてだった私。(笑)
 日本・中華圏のファンはもちろんのこと、中にはイギリス人のファンの方もいらっしゃっり、
 彼の人気の広さを痛感した。
 贅沢なまでに広々とした香港のステージとは違い、一体どういった方法でプレゼンテーションして
 くれるのか?と懸念していたが、そんなことは全く気にならず、最初から最後まで、鳥肌立ちっぱなしの
 最高のステージを見せてくれた。(一緒に歌いながら、私はずっと泣きっぱなし!)
 特に感動したのが、曲の紹介や間のトークを「日本語」で通したことだ。それもカンペも見ずに!
 5年も経つと言うのに、その記憶が色褪せないで残っていると言うのは、彼のファンに対する
 「優しさ」は元より、一重に彼の「歌唱力」の素晴らしさが、我々1人1人を魅了したからであろう。

 
 


1985年12月1日(日)
「ポリス・ストーリー」公開記念イベント  日比谷スカラ座 




     
果敢に前に出て行って収めた貴重なショット (左)
盛り上げ役のコント赤信号と、赤いセーターのウィリーさん (右)



このイベントのレポートも、当時の日記をそのまま転載します。

〜 当時の日記から 〜
今日は、始発電車に乗って、日比谷スカラ座へ行った。
なんと、ここに ”ジャッキー・チェン” が来るのであります!
でも、始発で来たというのに、ずーっと後だったのだが、まあまあの席が取れた。
コント赤信号の司会で、「MAKING OF POLICE STORY」やハイライトシーンなどを
見終わって、さぁジャッキーの登場!
会場がどよめいて、カメラのフラッシュが一斉に照らし、すごいものだった。
ぼくも一生懸命に前に出て写真を撮っていた。
興奮も冷めやらぬうちに終わってしまって、NG集みたいなものをやって、幕を閉じた。

・・・・
このイベントは、何故か鮮明に覚えてるんですよ。
上の写真を撮るのに必死で、立っちゃいけないと言うのに、
前に出て行って、写真を撮り終えて席に帰って来たら、後ろに坐っていたオネエちゃんに、
「誰かのせいで、見えなかったわよっ!」なんて怒鳴りつけられたからだと思います。(笑)

女性から、そんな風に言われたのは初めてだったもので、かなり動揺したのを覚えてます。(^_^;



1985年7月27日(土)
「ユン・ピョウ バースデーツアー・イベント」 渋谷東映 (現:渋谷エルミタージュ)




     
来日当時のスナップ (渋谷東映前にて) (左)
イベントの熱狂ぶりを伝える「銀色世界」1985年9月号 (右)



     
熱唱! ユン・ピュウ!・・・でも、何て言う曲を歌ったんだっけ? (左)
激突! ユン・ピュウ vs 西脇美智子 (右)




今となっては、あまり覚えていないので、当時つけていた日記を
そのまま転載して、レポートしたいと思います。(笑)

〜 当時の日記から 〜
この日が待ち遠しかった! なんと、あの”ユン・ピョウ”に会えるのである!
渋谷東映にPM:8:00、イベントに行ける券を送って当たったわけだけれど、
持っていない人でも、先着100名を入れてくれると言うので行った。
見事に入れる券をもらって、整理券をもらって、7:30に中に入った。
8:10ごろにユンピョウが現れ、フラッシュの雨あられ!
歌、チャリティーオークション、それから「大福星」のNG集、香港版のユン・ピョウ主演の
映画の予告編などをやって終わってしまったけれど、とても面白かったし、
一生の思い出となるだろう・・・。
結構、良い席も取れて、大福星の共演者、西脇美智子さんとも握手して、
帰りは、
市川くんと弟と帰って来た。


・・・・
読んでいただいてもわかる通り、今と全く変わらない文章力ですよねぇ〜。(恥!)
当時の日記に、当選した通知書も貼ってあったのですが、それによると、
応募総数は、「12,118」通だったらしいです。(ホント、ラッキーだったんですね!)

券が当たったにもかかわらず、並んでいたと言うのは、恐らく、友人の市川くんと
弟の券が無かったからだと思います。(無事、3人一緒に参加できました)
だけど、全く覚えていないと言う訳ではないんですけど、西脇美智子さんと
握手しただなんて・・・そんなことしたかなぁ???
(一生の思い出となるだろう・・・なんて書いてるのに!)





当時、よく遊んでいた
市川くんが活躍しているバンド「SUPER STUPID」の1st アルバム
「WHAT A HELL’S GOING ON?」

真ん中で、ヌンチャクを構えているのが、「MASTER LOW 01」 こと市川くんです。
このイラストを見ると、かなりの「香港映画好き」と言う事が見て取れますね。
とてもオシャレな方で、陳小春似のナイス・ガイです!

2001年2月10日に、香港で開催された市川君主演のライブ・イベントの模様はこちら↓


DEVILOCK NIGHT IN HONGKONG




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