エルビラ・カリジョ博士を偲んで

WMIインタナショナル  グラハム・ウェッブ教授

エルビラ・カリジョ・カルデナス女史が2月20日に亡くなった。彼女はキューバ国内で受けられる最善の処置を施されていたが、それもかなわなかった。彼女の死は、彼女を知っている世界中の人々によって残念がられている。とくにキューバのウミガメ管理計画に国際的な支持をとりつける努力を知っていた人はなおさらである。多くの人が彼女の魅力にひかれていた。

彼女の考えは単純なものだった。タイマイの持続可能な利用にもとづく取引を存続させようということである。キューバの地域社会によるタイマイの利用は、地元住民に保全のための実質的で目に見える形でのインセンティブを与えるというのである。彼女は、キューバによる保全計画は国際自然保護連合(IUCN)やワシントン条約締約国、そしてすべての真の自然保護者から歓迎されるはずだと思っていた。彼女にとって、海外の多くの人たち、とくに研究者が必死になってキューバの保全計画を潰しにかかるなどとは、夢にも思わなかった。

エルビラは、彼女独特の持ち味である勇気、正直さ、愛情、献身ぶり、確固とした決意で自分の考えを追求しようとした。人なつこい笑顔で、はじめて会った人たちをも暖かく迎えた。そして、キューバのことについて包み隠さず、いつも誇らしげに語っていた。エルビラは、まさに偉大な人物であり、偉大なキューバ人であり、偉大なラテン気質の人だったと言える。仕事に対してすばらしい能力を兼ね備えており、彼女を取り巻く人々を刺激する人並みはずれた能力を持っていた。彼女はほんとうに人々を愛し、生活を愛していた。この情熱は彼女の専門的な経歴に貫かれている。

エルビラは1941年1月25日、ハバナに生まれた。ハバナ大学で数学を学び、博士号を取得した。高校で数学の教鞭をとった後、1964年の終わりに漁業省に入った。1973年から1977年まで、水産研究所でマグロの研究をおこなった。1978年に漁業大臣顧問となり、同年9月にはイエメンを訪れている。そこでペドロ・コフィニー大佐と知り合い、ふたりは翌年5月に結婚した。

1981年、彼女の努力により、実験養殖局が漁業省に設置された。彼女のウミガメとの係わりは、この実験養殖局の設置とともに始まった。1987年、エルビラは漁業規制部長となったが、実験養殖局の仕事も引き続きおこなった。そこで、ワニとウミガメの保全のための養殖事業に取り組んだ。1995年には、実験養殖局を管轄する漁業開発部長に就任した。

1981年、実験養殖局はパイン島(松の島)の南端にあるココドゥリロ村にウミガメ実験養殖センターを設立した。この村は人里離れたところにある地域社会で、1800年代後半にカイマン諸島からウミガメ漁師が入植した地である。キューバで今でもウミガメ漁をおこなっているふたつの漁村のひとつである。

水産研究所は、1982年はじめにウミガメ事業を開始した。まず、当時キューバじゅうでおこなわれていたウミガメ漁で捕獲されたウミガメの種名、体長、性別、生殖状態を調べることから始めた。1980年代にこうして集まったデータは、その後、非常に重要なものであることがわかった。ウミガメ漁で捕獲されたカメのデータをこのように収集している国はキューバのほかにないだろう。単なる推測ではなく、海の中を自由に動きまわるタイマイに対する影響を測る唯一の方法がこうしたモニタリングである。

1990年までにキューバはすでにデータベースを作成した。このデータベースにより、漁獲の影響に関するさまざまな側面を客観的に定量化することが可能になった。モニタリングにより、キューバでの漁獲を支えているタイマイの個体数はかなり大きいことがわかり、キューバ海域のタイマイの生息状況や個体群動態に関する海外の研究者による理論は間違いだったことがわかった。しかし、こうした発見は国際的には歓迎されなかった。

1990年、キューバはワシントン条約に加盟し、エルビラはさまざまな会議でウミガメをはじめとするキューバの国益を守るというむずかしい仕事に着手した。日本がタイマイの留保を撤回することを決め、1992年末でキューバから日本に輸出できなくなった時から、取引を継続させるためにエルビラはいっそうの奮闘が必要になった。持続可能な利用と地域社会の関与は国際自然保護連合、ワシントン条約、生物多様性条約などで強く支持されている原則である。しかし、キューバがタイマイでこれを実現することに対しては、大きな抵抗があった。

エルビラの前には克服しがたい障害が立ちはだかった。障害の多くはいわゆるえせ専門家や政治屋などの「羊の皮をかぶった狼」たちによって、舞台裏で作られたものだった。そうした尊敬できない連中に対してさえも、彼女はていねいに対応した。

1995年から1997年まで、エルビラはキューバ海域のタイマイ個体群を附属書TからUに移行するための提案に努力を傾注した。ダウンリストすることにより、持続可能な利用にもとづく合法的な取引を再開させようというのである。

彼女は国内および海外の研究者を率い、過去のすべてのデータを見直し、新しい研究を始め、タイマイの個体群動態を明らかにした。こうしたデータにもとづく提案が締約国会議に提出された。しかし、過半数を越す支持にもかかわらず、3分の2に賛成票が達しなかったため、この提案は可決されなかった。

エルビラの小さなチームにとって、さらにはキューバの保全計画にとって第10回締約国会議がいかにひどいものだったかは、筆舌につくしがたい。資金もスタッフも乏しい状況のなかで、科学や管理面においてつねに高い水準を維持しようとがんばってきた。経済的な困難さにもかかわらず、いつも必死だった。でも、エルビラは自分で敷いたレールからそれることは一度もなかった。新しい障害が現れると、確固とした信念でそれを克服してきたばかりでなく、彼女を取り巻く人たちの情熱をも駆り立ててきた。

2000年の4月にナイロビで開かれた第11回締約国会議に、彼女はふたたび提案を提出した。前回と同じように、提案書は包括的な内容で、透明性を確保したものだった。前回の会議から2年半後に開かれたことから、データの蓄積がなされ、前回の提案で述べた個体数が増加しているという結論をさらに補強する内容であった。疑いもなく、第11回会議では、彼女の考えが実現し、努力が国内的にも、国際的にも報われるはずであった。しかし、それは現実のものとならなかった。第11回会議では、61%と過半数をゆうに超す締約国がキューバを支持しながら、提案はまたしても3分の2という壁に跳ね返された。このときは、わずか4票差であった。これにより、キューバのウミガメ保全計画は、危機にさらされることになった。エルビラは、再度彼女を取り巻く人たちを奮い立たせなければならなかった。持ち前の理解、愛情、分別、決意によって。

しかし、この10年間の信じられないようなストレスと将来への不安はエルビラの体を着実に蝕んでいった。彼女をよく知っており、キューバでもてなしを受けた人たちにとって、彼女の死は耐えられないものにちがいない。彼女が運転する古ぼけた傷だらけの車に乗って、ハバナ市内をドライブすることもできないし、ラム酒を飲みながらエルビラの手料理を楽しむこともできなくなってしまった。愛情に満ちた微笑みやユーモアも過去のものとなってしまった。この偉大なキューバ人がこの世にいないことは、とうてい受け入れがたいことである。

しかし、エルビラは彼女の友人や同僚から何かを期待しているということは紛れもない。それは彼女が残していった遺産である。彼女の考えを実行に移すために、さらに一所懸命努力しようという決意である。責任ある形で、ウミガメを保全し、管理しようという決意はむだにはならないだろう。

彼女の死をむだにしないため、ウミガメ保全信託基金がオーストラリアに設立された。個人や団体から寄付を集めようというのである。スペイン語と英語で、以下のホームページで詳細を知ることができる。

http://wmi.com.au/elvira-trust

信託基金の運営は完全に透明であり、エルビラを知っており、ウミガメや野生生物保護に関わっている多くの著名人を発起人として選んでいるところである。ウミガメ保全の闘士であったエルビラの記憶を永遠に留めておくために、みなさんの協力をお願いするしだいである。

賛同される方は金額の多少にかかわらず、下記まで。

銀行:  三井住友銀行
支店:  浅草支店
口座名義: エーシークラブ
口座番号: 普通 1136618