林知己夫先生のこと
林知己夫(はやし・ちきお)さん。2002年8月6日死去。84歳。文部省の統計数理研究所の所長を長いあいだ、勤められた。彼は、数値で表せないものを数量化するという手法を編み出した。数量化T類、U類、という。また、世論調査の設計、実施、分析を得意とし、さまざまな調査をおこなった。海外への移住者、つまり2世、3世の気質(メンタリティ)が日本人とどうちがうか、あるいは当地のほかの人たちとどのようにちがうか、日本人と外国人の自然観の比較などの調査もした。また、国会議員の選挙速報の番組にもよく出ておれら、事前に自分が企画した世論調査にもとづき、当選確実の決定や、適格なコメントをしていた。
林先生は、統計数理研究所長のころ、研究所をあげて森林や動物の研究をすることを決めたそうである。森林は、林野庁から全国の森林の総材積を推定してくれと頼まれたからである。森林調査は故石田正次先生がおもに担当された。当時、統計数理研究所には新潟大学から高田和彦先生が内地留学をされていた。そのときに、新潟大学の佐渡演習林にノウサギが多く、植えた苗木が食べられてしまうという話をされ、それでは、ノウサギの個体数を推定してみようという話になった。それが、統計数理研究所が動物にかかわるきっかけになった。ノウサギの個体数は、ふたつの数値がわかれば推定できる。ある地域の足跡の総延長距離と1頭あたりの1晩走行距離がわかればいい。前者を後者の平均値で割れば、その地域のノウサギの数が割り出せるというわけだ。この手法を用いて、北海道や新潟など、いろいろな地域でノウサギの個体数を推定した。ただし、この方法は冬季、積雪地でしか使えない。そのため、どうしても、ノウサギ調査の対象地は北国に限られる。新潟の山では、新潟大学の豊島重造先生が現場を受け持った。
ぼくがはじめて林先生にお会いしたのは、大学2年か3年のときであった。新潟の村上で現地調査をおこなったときで、今から30年も前のことである。村上では、新潟県の林業試験場に泊まった。夜ベニズワイガニが出たのを覚えている。東京に出てきてからも、ときどき統計数理研究所におじゃました。大学院を終えて、海外の研究所で研究員を募集しているというので、林先生の推薦状をもらったことがある。けっきょく、採用はされなかった。ぼくがスイスに就職が決まって、赴任する前にあいさつに行った。85年のことだから、今から17年前のことである。
それ以来、何年もお会いしていなかった。今から3年前の夏、突然先生から電話がかかってきた。鳥のデータの分析をおこなっているので、協力してくれというのである。夏の暑い日、渋谷の事務所に出かけた。じつに14年ぶりの再会であった。さまざまな話をした。最近は、佐渡をはじめ、ノウサギの個体数がが減少しているのだそうだ。昔は、ノウサギからの被害を防ぐために足跡を追っかけたが、いまは数が少なすぎて、ノウサギを守るために足跡を追っかけなければならない、との話になった。
翌年、東京で先生が会長をされている森林野生動物研究会(旧野兎研究会)の総会があった。懇親会のときに、来年は新潟で開催しませんかとお願いした。それは、新潟の豊島先生が遠出はなかなかできない、新潟で開催するのであれば参加できる、みんなにも会いたがっているからであった。開催地はほぼ北海道で決まっていたのに、林先生はそのために新潟に決めてくれた。翌2001年10月に新潟市で、研究会が開催された。ぼくは、翌日のアフリカ行きのため初日だけしか出られなかったが、新潟に出かけた。そのときにお会いしたのが、最後となった。去年までスキーに出かけて、まだまだお元気そうであったのだが。
今年の8月11日、ぼくがモンゴルに発つ前日、先生のお通夜がとりおこなわれた。「好きなことをやってきて先生は幸せだったよね」というのが参列者の感想だった。ご冥福をお祈りしたい。(2002.9.16)