グリーンシグマについて

2002年4月20日の土曜日に新潟市の西部に位置する株式会社グリーンシグマの新社屋竣工記念と昆虫展示室の開館を記念して、パーティが開かれた。パーティは、午後2時より、平田敏彦社長のあいさつに始まり、新潟大学工学部の大熊孝教授のあいさつ、そして新潟大学の豊島重造名誉教授の乾杯と続いた。宴の途中、シグマの29年の歴史の紹介と社員3名によるバンド演奏があった。さまざまな人が参加し、遠くは智頭林業で有名な鳥取県智頭町から石谷家の当主も参加された。

さてこのグリーンシグマ、かなり変わった会社である。今から30年近く前の1973年、新潟市に設立された。平田社長と相楽専務、それに社長の父親が中核に、その後数人が加わった。この会社は、ふつうの組織から外れたような人たちが集まってできたような会社で、その組織を社長が統括している。そのためか発想はとてもユニークだ。設立当初は、造園の設計施工を中心におこなっていた。個人住宅の庭園の造成から剪定、公園の造成など、体力勝負の仕事が主であった。大きな事業としては、今から約20年前に新潟県の吉田町にある北越工業の敷地内に大規模緑地を造った。工場の裏手には、大きな池を造成した。最近ブームのビオトープの大規模版だと思ってもらえればいい。この北越工業緑地造成には、ぼくも係わり、みんなと一緒に木を運んだり、スコップを持って、木を植えたりもした。

その後、力仕事中心から方向を大きく転換させる。さまざまな調査事業や建築、文化財復元、イベント企画などをおこなうようになった。それにともない、社員数も増加し、現在42人が働いている。 しかし、対象が広がったとはいえ、その根底に一貫と流れているのは、「緑」と「コミュニティ」という概念である。「人の輪」もこれに加えていいかもしれない。さまざまな人に支えられ、育てられてきた。みんなが協力するのは、シグマの企業哲学に共鳴するからかもしれない。かつて、シグマは失業対策事業をやっていると言われたことがある。上にふれたように、なかなか既存の組織に受け入れられないような人たちを雇ったからだ。そもそも、会社を興したのも、自分たちの就職先がないのであれば、自分たちで作ろうという理由だった。高齢者にも希望を与えている。社員の中の最高齢者は88歳、米寿を迎えた高橋さん。今でも図面書きをやっている。

この30年間、何度か移転を繰り返し、最終的に落ち着いたのが新潟市坂井700番地1にある現社屋である。新社屋移転を機に、在野の甲虫研究家の小池寛氏の集めた甲虫標本の展示室「みどりの昆虫館」を1階に開設した。同氏の標本のほかに、故栃倉九郎氏収集のトンボやチョウの標本も展示している。この昆虫館は市民に開放されている。つまり、社屋の一角がつねに市民に開放されており、だれでもアクセスが自由だということである。その意味で、市民とのふれあいを求めたオープンな会社と言っていいだろう。会社の前には、広場、駐車場のほか、水路のビオトープ、田んぼのビオトープも造った。いわば、会社の敷地と借りた田んぼが全体でひとつの公園をなしていると考えたらいい。

社長の経営哲学なのであろう。新社屋、自社ビル、さらにスペースも広いにもかかわらず、社長室を敢えて作らなかった。また、4月20日のパーティには、県庁や国の出先など、いわゆるお偉方は参加していなかった。一方で、そのパーティには、会社の近所の住民も招待されていた。地域に受け入れられ、地域とともに発展し、地元の人から、いい企業が来てくれてよかったと言われるようになってほしいと思う。(2002年4月21日)


手前の水路を造成
してまもなく
造成後1年半くらい経ってから。
後方の社屋が緑で隠れた。
畑を借りて、そこを掘って池にした。
こどもたちの遊び場。
秋山郷にある
「雪国の森研究所」

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