根室にて

2002年1月24,25,26日と根室に行ってきた。これは、友人のアンドレイ、不破さん夫妻が根室に移住し、一度来てはどうかと言われたからだ。飛行機の特別割引(片道1万500円)を使うためには、行きが羽田から釧路へ、帰りは中標津から羽田の便に乗らなければならなかった。午前7時50分、羽田発の飛行機で9時20分に釧路に到着。1993年に湿地保全のラムサール条約会議が開かれ、その準備のために何度か釧路を訪れていたので、なつかしかった。11時過ぎの釧路発の汽車で根室に向かう。1輌編成で、のんびりしたものだった。途中、湿原や海が見えた。とても美しい景色だった。湿原の川は、蛇行して流れていた。川とはもともと蛇行して流れるものであることを再認識することができた。

1時過ぎに根室駅到着。駅で一足先に到着していた同行の松田さん、地元の不破さん、本間さんの出迎えを受ける。その後、遅めの昼食をみんなでとった。地元でも有名な回転寿司に行き、いろいろ珍しいネタの乗った寿司を堪能した。昼食後、納沙布岬へ。途中、オジロワシ、オオワシを見る。オジロワシはぼくのいなかの新潟の信濃川などにもよく渡来するので、以前にも見たことがあったが、オオワシははじめて見た。肩の白が非常に目立ち、オジロワシよりもきれいな鳥だと思う。海に顔だけ出して浮かぶアザラシがたくさんいた。ときには、ラッコも訪れることがあるという。

薄暗くなる前に山本さん宅を訪れる。山本さんのお宅の前は生簀になっていて、そこの魚を求めて飛来するシマフクロウを観察するためである。シマフクロウは、日本では北海道にだけ住んでいる珍しい鳥である。待つことしばし、遠くの電柱上に止まるシマフクロウのつがいを発見。遠くでも、「ぼぼー」、「ぼー」という声がよく聞こえた。警戒心が強いらしく、なかなかそばに来てくれなかったが、しだいに近くの電柱に移動してきた。そして、ついに家の前の木に、それこそ音もなく、現れた。シマフクロウは非常に大きなフクロウで、その大きさ、形などから鳥ではなく、なにか哺乳類が木に止まっているような感じがした。

シマフクロウをたっぷり観察したあと、飲み屋へ。ここでも北国のおいしい魚を食べ、酒は根室の「北の勝」。ここの杜氏は新潟の人だそうだ。カウンターに変わった顔をした魚があった。店の人に聞くと、ゴッコという魚だそうだ。しあげは、これを醤油味で汁物にしたゴッコ汁を食べた。アンコウに似た歯ざわり、味だった。

不破さんのお宅で、さまざまな果実種を飲ませてもらったり、北方四島やカムチャツカの新年のビデオをみたりして、イーストハーバーホテルにチェックイン。12時頃就寝。

翌日25日は7時半ホテル発。途中のコンビニでおにぎり2個を買って、車中で食べ、目的地の風連湖にチカ釣りに行った。風連湖は汽水湖で、氷が厚く張っていた。平日にもかかわらず、到着したときはすでに多くの釣り人が釣りをしていた。適当なところに、氷の穴あけ機で直径15センチの穴をあける。その上にテントをはり、そのなかで釣りをおこなうというしくみである。テントのなかとはいえ、けっこう寒かった。7,8本の疑似餌の針のついた竿で上下させながら釣るのである。チカはワカサギを一回り大きくしたような魚だ。最初はなかなか釣れなかったが、釣れ出したら、たてつづけに当たりが来た。それがまた、ピタッと釣れなくなるという繰り返しである。アンドレイが持参した炭で釣ったチカを焼いて食べた。(写真はいずれも不破理恵さん撮影)


氷に穴を開けて、チカ釣り開始 ついに1匹釣れた

釣りで冷たくなった体を温めに、尾岱沼温泉へ。露天風呂もあったが、かなり冷たかった。尾岱沼の町で、しまえびラーメンを食べて腹ごしらえ。根室へと戻る。途中、エゾシカを見たり、オオワシを間近で見たり。途中の道路では、野生生物に配慮をした工夫がいろいろしてあった。道路近くに出てくるシマフクロウが車に衝突しないような工夫や、電柱に止まった鳥が感電しないように、あるいはエゾシカが道路に出ずにトンネルなどで迂回させる工夫などである。夕方、根室博物館準備室へ。準備室とは言っても、いつでも開館できるような資料、体制は整っているように思えたが、種々の理由でそこまで行っていないという。

7時から今回の根室行きの主目的だった講演会に参加。約50人が集まり、最初にぼくが「自然保護とは何か」について、次に同行の松田さんが「サンマはいつまで豊漁か」について講演した。その後、活発な質疑応答があり、9時に終了。そこから、参加者を含めて飲み屋のエルパソに行き、懇親会。そこで、シカ肉を食べたり、ワカサギのてんぷらを食べたり、北の勝を飲んだりした。ぼくの誕生日の前夜祭ということもあって、アンドレイがロシア産のシャンパンを開けてくれた。二次会として本間さんのアパートへ。秋にとったツノハシバミなどの木の実をつまみにもう1杯。シカ肉の刺身も食べた。おいしかった。ホテルに帰り就寝したのが、2時半過ぎだった。

26日8時、ホテル発。前日、エルバソで懇親会参加者で根室の野鳥の会会長の住職さん、吉沢さんらに、幕末時の会津藩家老の梶原平馬の墓にお参りしたいということを伝えたところ、案内してくれるとのこと。共同墓地で吉沢さん、近藤さんと落ち合う。平馬の墓は、風化が進んでおり、墓碑銘も読みづらかった。今から130年以上前の維新時のこと、その後の平馬のくらしに思いを馳せ、中標津空港へ。

時間がかなりあったことから、中標津の篤農家の三友さんが経営している三友牧場へ。狂牛病問題や三友さんの経営哲学などを拝聴。回りが「大きいことはいいことだ」と拡大路線を歩み、人も過労、牛も過労という状況になり、これが狂牛病問題を作り出したと明解。当の本人は規模拡大をしなかったことから、影響はなかったとのこと。本人は、「周回遅れのトップランナー」だと思っていると言っていた。とてもうまい表現だと思った。三友さんの書斎の窓からは、鳥の給餌台が見え、アカゲラやコガラなど多くの鳥が訪れていた。

三友牧場に到着したときに転んで痛い腰を気にしながら、中標津空港へ。11時過ぎに離陸、羽田へ向かう。いろいろなことを体験し、いろいろな人たちと会った、充実した3日間だった。アンドレイ、不破さん夫妻、本間さんをはじめ根室のみなさんに感謝したい。(2002.2.3)

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