日本人と騒音
1985年から90年までの5年間、スイスのローザンヌで暮らしたことがある。レマン湖に望む南側緩傾斜地に発達した街で、今から700年前に建てられた大聖堂(カテドラル)が街のシンボルである。国際オリンピック委員会の事務局がある市としても知られている。スイスは観光立国としても有名である。このため、いろいろな規制がある。ある観光地では、村の条例で、窓辺にゼラニウムなどの花を飾ることを義務づけているところもある。
またスイス人は性格的には保守的な国民である。それもあり、さまざまな規則が住民を縛っている。私が住んでいたアパートでは、夕方7時までには洗濯を終えなければならないという規則があった。あるとき、私が使用した共用の洗濯機が7時を回っても動いたままだった。すると、アパートの管理人がやってきて、7時を過ぎているではないかと文句を言う。私の上司は、日曜日に庭で芝刈りをしていたら、日曜日だからやめてくれと言われたそうである。そういう状況だから、夜や日曜日はひじょうに静かである。ある村に出かけた同僚のアルゼンチン人が言うには、この村は死んでいる、だれも路上にいないとのこと。住民は家の中で静かに日曜日をすごしているらしい。
日本に帰ってきてすぐ気がついたのは、日本は「音」が非常に多いということである。虫や鳥、蛙の鳴き声ならまだいい。日本には「騒音」が多いのだ。観光地に行くと流れているあの演歌はいったい何だろう。秩父の山を登っても下界から騒音が流れてくる。日本人はもともと虫の音や雨音など、自然の音に敏感だったはずだ。万葉の歌人はそうした自然の音をめでた。ところが、人工の騒音には案外、鈍感なのかもしれないというような気がする。あるいは、単に、摩擦を避けるために、騒音があっても、文句を言わないのかもしれない。
スイスのように、過敏に反応するのは行きすぎかもしれないが、日本の騒音はどうにかしてほしいものだ。私が住んでいる烏山という町は、都心に出るのも便利で、物価がほかより高めなのを除けば、それから最近のオウムの集団移住、近距離で起こった一家殺人事件などを除けば、比較的住みやすい町である。ところで、悪いところもいくつかある。まず、千歳烏山駅周辺は、自転車の洪水である。歩くことも困難なときがある。でも、自転車はまだ我慢できる。もっと問題だと思うのが、商店街の組合が流す広域放送である。外灯という外灯にすべてスピーカーが設置されていて、年中無休で、朝の9時半から夜7時まで、宣伝放送や音楽が流れっぱなしなのである。商店街には、2階以上が住宅になっている建物が多い。夜勤帰りの人は日中、寝ていたいだろうし、病人も日中静かに寝ていたいかもしれない。
スイス人ではないが、私も商店街組合に不平を言ったところ、家のすぐ前のスピーカーは止めてくれた。しかし、まだほかのスピーカーからがんがん流れてくる。大きな声で、なかには、街をきれいにとか、地球環境を大切に、とか言うこともある。でも、その前に、自分が出している騒音問題をどうにかしてくれと思う。嫌煙権というのがあるとすれば、嫌騒音権というのがあってもいいだろう。(2001年3月4日)