食べものとしての草と木
私たちが子どものころ、今から40年前後も前であるが、当時は今のようにファミコンゲームもなかったし、テレビでさえなかった。村で何軒かテレビを持っていた家があって、おもしろい番組があるときは、「テレビ見せてください」と言って、見に行ったものだ。ちょうど、東京では街頭の電気店の前で力道山目当ての人だかりができていたころである。そういうころ、私たちは自然相手にさまざまなつきあいをした。魚釣りはよくやったし、山菜採りもした。でも、楽しい思い出として記憶に残っているのは、夏や秋にいろいろな木の実をとって食べたことだろう。
桑の実は、夏ごろ、青から赤、やがて紫、黒と色を変えて熟す。実が甘くなるのは、紫から黒に変わるころだ。クワの木はじつは人間が手を加えなければ、高木になる木である。でも、カイコの餌となることから、適当な高さに手入れしてある。そうしたクワの木からあの実をとって食べるのである。みんな、舌を紫色にしながら。オレンジ色のモミジイチゴの実は子どもの人気の的だった。いっぱい採ったときは、アルミの弁当箱にいっぱい詰めて家に持ち帰った。草のヘビイチゴの実も食べられるそうだが、越路では食べてはいなかった。
アケビの実は熟すと甘い。熟していないころは苦いが、実が割れて、中身が見えるようになると甘くなるのである。ただし、その実は種子をたくさん含んでいて、ぐちゅぐちゅしながら汁を吸う。実が割れてないものを採ってきたときには、籾殻のなかに埋めて熟すのを待つ。越路町では果皮のなかの種子の部分しか食べないが、今から30年近く前に奥三面に行ったときに、回りの皮の部分を食べさせてもらった。味噌と油で炒めたもので、ほんのり苦くて、ビールの肴に最高なのである。最近はあの紫色の実を都会の果物屋の店頭でみかけることがある。アケビには5枚の小葉からなるアケビと3枚の葉からなるミツバアケビがある。おいしいアケビの実をつけるのは後者のほうだ。
変わったものでは、春、赤い花をつけるヤマツツジの花弁を食べた。今から思うと、けっしておいしいものではなかったが、味はすっぱかった。オレンジ色の花をつけるレンゲツツジは食べなかった。ヤマツツジの葉には、ハエやハチが卵を産んで、白っぽい虫こぶ、いわゆる虫えいができる。これも好んで食べた。
東南アジアで熱帯林を再生させようとするときに大敵となるアランアランというイネ科植物は日本ではチガヤという。夏近くになり、花穂を出す直前に抜き取って、それを噛むとガムのような感触がしてくちゃくちゃと噛んだものだ。少し、甘く感じた。ススキの花穂が出るころには、ウイルスが感染した部分が黒くなる症状を示すものがある。それを抜き取って、下の白い部分を食べた。
私がスイスにいたころ、マロングラッセや路上で売られている焼き栗、いわゆる天津甘栗を買って食べたことがある。クリの実は大きな実が好まれるようで、日本でも丹波栗、銀寄などいろいろなクリが栽培されている。でも、いちばんおいしいと思ったクリは、日本の山グリである。それも、熟して落ちる前に、イガが開く前に若い実をイガごと採って、それを足で押さえ、棒でトゲをとって中身を出して、食べるのである。ものすごく甘くて、もし、経験したことのない人はぜひ試してみたらいい。ただし、トゲにはご用心を。
こうした知識は親や先輩から伝えられたが、はたして今の世の中、どれだけこうした知識が伝わっているか疑問である。(2001年4月11日)
越路の四季へ