備中高梁(2005.6.15)
| 松江から伯備線で岡山へと向かった。途中、方谷駅で下車。方谷駅は小さな駅だ。蛍光灯のところに ツバメが営巣していた。駅舎を出ると、案内板があり、「この年、後に藩政改革で功績を上げた長岡藩 士河井継之助が訪れている」という字句が見える。 方谷駅の線路敷地には山田方谷の長瀬塾があった。長瀬塾の裏手に方谷の旧宅があったという。 そこで方谷に師事し、経世済民の神髄をまなぶとともに、三島中洲らと知り合う。継之助滞在中、 方谷が江戸に呼び出されたため、その機会を利用して、継之助は長崎など西国を訪れる。帰路、 ふたたび長瀬に戻った。越後長岡に帰る日、継之助は師の山田方谷に送られ舟に乗り、高梁川を わたる。川向こうの榎のあるところで、継之助は対岸の師に対して三度、跪き、頭を下げたという。 エノキの木はいまも残っている。当時からあったから、もうすこし大きなエノキだと思ったが、そうでも なかった。途中から枝分かれしているため、遠目では大きく感じない。しかし、根元は大きな株になっ ており、幕末の目撃者としての風格を漂わせている。川面にはセグロセキレイが飛んでいた。カジカ ガエルも鳴いており、その涼やかな声を継之助もきっと聞いたはずである。 山田方谷は方谷駅からさらに奥、西方川の上流の西方の農民の子として生まれた。 |
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| 方谷駅に着く | 方谷駅外観 |
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| 駅舎のツバメ | 駅前案内板 |
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| 山田方谷長瀬塾跡 | 長瀬塾跡 |
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| 山田方谷先生旧宅址 | 中井橋から見返りの榎をのぞむ |
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| 見返りの榎から方谷駅方面をのぞむ | 高梁川にあった川舟 |
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| 西方川 | セグロセキレイ |
| 方谷駅から備中高梁へ。そこで、松山城に登る。松山城は臥牛山の頂上にある山城である。 だから頂上まではかなり険しい道を登ることになる。行きは、タクシーで臥牛山の中腹まで行き、 その後歩いて登ったが、帰りは徒歩で降りてきた。降りきった地区は、歴史的街並みがとても きれいだった。短時間の滞在だったが、今度また訪れ、山田方谷関連の資料館等も見てみたい と思う。 |
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| 備中松山城(頂上に天守閣が見える) | 松山城 |
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| 臥牛山から高梁の街並みをのぞむ | 高梁高校の石段 |
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| 武家屋敷跡 |