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445(よし子)のページ (キャバリア犬)コスモスのページ    
 更新2008年1月20日 12:37:34         再編集2016.4.29  3:55       

平成14(2002)年、我が家に貰われてきた頃のコスモス。 平成28(2016)年4月4日コスモス死去。 平成28(2016)年4月5日コスモス「存在」の最後
平成14年我が家に貰われた頃のコスモス 平成28年4月4日犬コスモス死去1。         平成28年4月4日犬コスモス死去3。

 
 この場所にコスモスの亡くなった後の写真の
3枚目を貼り込んでいるのだが、何度アップしても
この写真だけネット上で掲載されない。 
 場所を一段下げてアップしてみます
 平成28年4月4日犬コスモス死去2。   この写真
      【
犬のコスモス死ぬ
平成28(2016)年4月4日

  犬のコスモス死去平成28年4月4日未明・老衰/生年13年と10ヶ月。
 約14年前の9月、生後3ヶ月の時、コスモスの花咲く秋 我が家に来て、
 桜の花咲く4月、天に旅立った。

 3月31日の朝食はいつもの様にぺロッとパンを食べたのに、

その日はいつもより仕事から帰って来るのが遅かった甥が夕食をやった後、
「コスモスが宙を見てるみたい、夕食 食べへん」と言っていた。
以後、亡くなるまで大好きなパンもドックフード、水も口にしなくなった。

 急に後ろ足が立てなくなったみたいで、何度か立とうとしていたが、駄目だった。

亡くなる前日、甥がティッシュに水を含ませたのを犬の口に持っていったが
歯も噛み合わせた儘で開けなかったと言う。
 (結果として、それがコスモスの「末期の水」となった)。

 その夜中、私が居間でパソコンをしている時にすぐ側の玄関に置いているコスモスが
声を上げたのを聞いた。翌朝の4/4 月曜日、見てみるとコスモスは冷たくなっていた。

もう時間の問題だろうと覚悟はしていたが、あっけない最後だった。

 午後コスモス用の花を買った。こういう場合の人間になら白い花がいいのだろうが、
犬などの動物の場合は明るい色(見送る人間の方が暗く沈みそうだから)がいいと思ったので、
黄色いキク科の小花を選んだ。

何故なら、動物の場合は “南無阿弥陀仏は 不食道”、つまり
人間のように生前の生業の汚れを真っ白にしなければならないような事をしていないからである。

  だからコスモスの遺体に添えた一筆書には、
       犬の名前、生年と
       色即是空 空即是色  (これも見送る者のおもい、此の世の無常感、輪廻)
        合掌。

      “甥ありて犬あり 老いありて犬死ぬ はじまりも おわりも 「おい」だ”  よし子

   と記した。

 この日いち日、私と甥は居間でコスモスと過ごした。

2016/4/8  1時13分

 犬のコスモスは、4年前の夏に私が盆踊りへ行った後、甥が仕事から帰った時に、
突起物で突かれたのか右目から血を出していたという。私が帰宅した時、甥が応急的に血を拭き取り
消毒剤で処置していた。次の日に甥はコスモスを犬の病院へ連れて行った。

病院でレントゲンと血液検査をしたら前頭部に腫瘍と、犬特有の病気フィラリヤに罹患している事が
分かった。右目の事は腫瘍の膨らみの所為で眼圧が上がり眼球を破損したのかも知れないという説明があったようだ。

当時10才だった犬でもありフィラリヤの所為で麻酔薬が悪作用を及ぼし一命に関わることになるかも知れない
との事だったので、手術は止めることにした。
 以降は甥が毎週コスモスを病院に連れて行き朝晩の服用薬を貰ってきた。                       

その甲斐あってコスモスはすっかり元気になった。
いつもは耳障りな「ワンワン!」の鳴き声も、嬉しく聴くことができた。
 が、2年後、なんの前触れもなく、今回のように急に「食べず、飲まず、吠えず」の状態となった。
 甥は4年前のコスモスの未治癒の腫瘍、フィラリヤの事を思ったのだろう。

諦めているようだった。なので、診てもらうだけでもしたら・・・と忠告した。

病院で点滴して貰い、服用薬を与えていたら、奇跡! 元の元気なコスモスに戻った。
 この時ほど、嬉しい驚きはない。もう駄目かもしれないと思っていたのだから。
   あれから2年・・・・それをおもえば悔いはない。

コスモスは亡くなっても目を閉じず、開けたままである。
右目は4年前のあれ以降、眼球のない儘。残りの左目も近年は眼球が白い靄のかかったようになって
見えていないようだった。だから、閉じなかったのかと思っている。

 
 亡くなった日、そのコスモスの顔を見ていると、目が開いているので生きている如くだ。
生きていて、コスモスを見ていたのとなんの変わりがない。
 人間同士ではないので喋ることもなかったし、意思の疎通を感じたこともない。

 犬は教えたことばはりかいしているが(おすわり、お手など)、それを意思の疎通とは思えないから。

それでも、なみだがふくらんで ポトリおちる。
      ポトリ ポトリ おちた。
      いのちがなみだをうみ
     かなしみをとかしてゆく  はず

4月5日、コスモスの肉体がなくなった。

2016/4/8 19時20分

 コスモスが我が家に在た13年と10ヶ月のとしつき(年月)の重みを感じる。
 それは未だに「コスモスがい(在)る」という感覚。無意識下の。

 私の起床後の日課のひとつが神棚、仏壇の供花水、お供えの取り換えなど。

 もうひとつは夜には家の玄関内に置いているコスモスと犬小屋を外の玄関前に出して
犬小屋を洗剤で拭き、玄関内に敷き詰めた犬の排泄物がある新聞紙を取り除いた後、洗剤でその玄関内を洗う。

 それからパンと水をやる事である。コスモスが一番うれしそうな瞬間だった。

夜、仕事から帰った甥がそのコスモスと犬小屋を家に入れ新聞紙を敷き詰め私が用意したドッグフードと水をやる。
 これは甥の日課。 

元来、当初の「約束」からすれば私は犬に関する義務はないのだが、家に居ることだし手助けしていた。
いま、それらの作業を起床時、夜、「しなければ」と体が動きそうになる。

人間というのは、振り返りながら、進んでいるのだ。
  振り返って、進み、振り返って、進み、・・・そして、振り返らなくなる。  

この4/2でNHKの朝ドラ「あさが来た」が終わったが、あさの夫新次郎が死んでいくとき
 あさの腕の中で「忘れんといて、いつもそばにいるから」と言うシーンがあった。

 いい言葉だ、と印象に残っているが、
 <そうおもえば そうなる きっとそばにいる>  疑問はない。

<そんなこと 在りえない> ということにも 疑問はない。

  実際、現実に 「人」が生存で 側に居るからといって どう?
    生者でも、死者はもっと、「不在」の時に 「実在」が極立つ。

実在は不在 不在は実在。人間の究極のテーマ。

「きっとそばにいる」  おもえるひとは すくわれる。

宗教ではないが。同根。
     「真実」など (わからない) 問題ではない。

朝、ゴミ出しをしいる所にモンシロチョウが飛んできた。「コスモス」が還ってきたと、
 おもった。目印になるように犬小屋も玄関前の同じ所にそのままにしておこう。

もう夜の9時になる。甥が帰ってくる
「犬の餌の用意をしなくては・・・」、「習慣病」は未だ癒えず。   2016/4/8  21時2分。  


16/4/9 18時25分
 約14年前、生後3ヶ月で当家に来た時のコスモスは、環境が変わった所為だろう、
ミルクを与えても口にしなかった。口にするようになっても鳴くことも音声を発する事もない日が大分続いた。

 昔、子犬の時から飼った犬がいたがクンクンとかなんか音を自然に聞いたような気がする。
だから、コスモスは声を出せない犬ではないか、甥と不安を共有していた。

いつ頃だったか、突然 「キャン!」 、鳴いた!、ホッと安堵したのを覚えている。

甥はマメに犬を洗ってやったり、散歩にも連れて行っていた。
ま、だんだん頻度は少なくなっていたが、私もたまに買物に行く時、コスモスを散歩がてら
連れて行った事があった。店には入れられないので、繋ぐ事の出来る場所で待たせ一緒に帰った。
 買物の荷物を持っているので紐は外し後から従いてこさせたが、道端の匂いを嗅いで動かない時が多々あった。
 イライラしたことも、ナツカシイ・・・

 人間どうしでも相性があるように、対動物でもそれはある。
この犬、あの犬というのではなく、蛇の好きな人は稀だろうが、犬、猫、という類で言えば、
私は「猫科」の生きものと自負する猫好き派。猫にも通じるようで、昔、余り人に馴つかない猫らしいが
私に近寄ってマーキングしてきた。それを見たその猫の飼い主が
「あんた猫好きやろ」と話しかけてきた

 だから猫とはスキンシップしてもなんともないが、(若い頃は猫と一緒に寝ていた事もある)犬とは、できない。
気持ちわるいと思う。これは、相性以前の体質的なものといまでは考えるようになった。

やっぱり、私は「猫科」の生きものです。                    


2016/4/10 1時53分

「体質的」=本質といえるもの。

両親から生まれても子供は違う。犬、猫に関して言えば父の事は分からないが、母は「猫嫌い」だったが、
弟妹達は極端にどちらが嫌いという事はなかった。私も犬が嫌いというのではない。触れたりするのがイヤなだけ。

母の実家には猫が居たのに何故猫が嫌いなのかと聞いた事がある。映画で観た「化け猫」を想像するからと言っていた。
それが「体質」となってしまったのだろう。

私は一番上で下に5人弟妹がいた。本当はもう一人男子が生まれたが産聲をあげない儘、死産となった。
3番目なので「三郎」と戸籍謄本に記載されている。既に両親、弟妹も亡くなり、現在、私と一番下の妹(既嫁)だけが
生存しているが、自然に生まれたのにうまく配分されていると思うのが血液型の事。
 父がAB、母はB型だった。その子供の(女4人、男2人中)私と下の妹弟計3人がAB型で、他の計3人はB型だった事。
つまりAB:B=3:3なのである。そして最後に残っている私(AB)と妹(B)が各型を継いでいる。
 偶然といえば偶然、必然の偶然だろうか。

因みに、同居の甥はA型で、今はいない下の甥はB型だった。
甥の両親は父親がA型、母親(私のすぐ下の妹)はAB型である。

 この世界のいのちの発生の根本にある「バランス性」というのが至る所にちりばめられているのでは?
そんな気がする。
 以上、犬コスモス死去に寄せて。(facebook掲載済)

      ★コスモスの追加写真

当時中学生の下の甥とコスモス。
 
2004年          「幸福の原点」               
11/25(木) 暫らく更新しなかったですが、コスモスは元気で  
す。が相も変らず誰かれ問わず「ワンワン!」とうるさい事この上なし 
。先日宅配誌「パド」を配っている人にそんな愚痴をこぼすと、「人の 
来たのが分かっていいのでは」と最もな言葉で諭されました。しかし、 
道が行き止まりになっているこの界隈の人にはせめて吠えずにいてくれ 
たらと、切実に思います。もう此処に来てから2年を越したのですから 
。                                
 普段外に置いているコスモスも夜は玄関内に置いています。いつもの 
様に糞の始末をしようとしたら、犬小屋の真前にウンチをしていました 
。「よりによってなんでこんな所にするねん、臭ないか?」と言った後 
から、それは人間の見方、視覚も白黒の世界で生きている犬には、人間 
の及ばぬものが沢山ある。テレビのCMで「骨っこ食べてー」「最高に 
幸せやー」というのが放映されているが、単純に生きていけることこそ 
が「幸福の原点」と、こんなに文明で膨れ上がった人間故に、何事も複 
雑にし、迷宮の幸福を探索しなければならないのだとつくづく思う. 
                            
       2004/11/25  12:41 

サムネイル画像です。各画像の上でマウスをクリックすると拡大します。
2004年6/24(木)撮影


2004年6/22(火)撮影    (懐かしい私の『広報カー』の前で。コスモス&上の甥&私)
クリックすると大きくなります。


コスモス日記
2008年1月20日久々のこのページの更新です。コスモスの写真2007年10月撮影、影は私です。私が愛読している、村上龍氏主宰のJMMメールマガジン <http://ryumurakami.jmm.co.jp/>に犬好きの人にお見せしたい文章があったので下記に掲載します。
<オランダハーグより>春具(ハルニレ)さんの「ユズのお話」
(配信は2007/12月)です。ユズとはボーダーコリー犬の名前だが、春の或る日に選別したボーダーコリー犬を訓練等を受けさせた後、夏から飼う事になった。が居心地が悪いというか仲々環境に馴染まず椅子の足をかじったりしてストレス満杯。
 ある日テレビで(牧羊犬)ボーダー犬のコンテストを観る。
          **************
以下【 】部分、そのままを掲載。
【番組は、スコットランドのそれはそれは広い牧草地を、ボーダーコリーが先導して、羊の群れを囲い込んでいくコンテストでありました。20頭か30頭ほどの羊の群れを、ボーダーコリーが一頭で目標の地点まで誘導してくるのであります。羊の群れの前を走り、横に回り、うしろから追い立てながら、彼らは地平線の向こうから羊の群れを、じつにのびのびと、かつ正確に、こちら側まで連れてくるのである。

 この訓練をみて、わたくしたちは気がついたのです。ボーダーコリーは、ワークドッグなのだ。ひろい牧草地を思う存分走り回っていなければいけないだけでなく、あたらしい仕事を与えられ続けていないといけない犬なのです。スコットランドのような丘陵地帯に住んで、一日中激務を与えられているのが、一番幸せなのだ。仕事をこなし続けるのが生き甲斐という、そういう種類の犬なのですね。

 わたくしたちも相当に努力をしたのだけれど、結局、彼女のエネルギーには追いつくことがきなかったようであります。いろいろな遊びを工夫して一緒にやったけれど、彼女のパワーはわたくしたちをはるかに上回っていた。遊びはパターン化し、繰り返しになってしまった。
ユズは、どの遊びにも飽きてしまったのです。

 ケージに閉じ込めて、ユズを観賞用のペットに仕立てることもできないことではなかったけれど、それはユズの幸せではないのですね。わたくしたちには結局、ボーダーコリーを飼う資格がなかったのかなあ。そう気がついて、わたくしたちは彼女を里子に出すことにしたのであります。

 受け取ってくれた家族は、ドーブさんといって、ハーグ郊外の運河沿いにそれはそれはひろい牧草地をもつオランダ人一家でした。(略)

 ユズがそのようにあっけなくいなくなってしまったので、我が家はしばらく抜け殻のような状態が続きました。帰宅して、ソファにうたた寝をしているユズを、「どけ!」と追い落とすことがわたくしの日課でもあったのでしたが、帰ってきてもソファには誰も座っていない。二階で寝ていると、ユズがチャッチャッチャッと爪の音をさせながら階段を上ってくる。寝室にやってきて、どかーんと毛布の上に乗る。それも突然無くなってしまったのであります。 わたくしたちは、ユズのことを忘れる努力をつづけました。でも、彼女はいなくなって逆にその存在感を増していったのでした。わたくしなんぞは何度も彼女の夢を見たし、眠れないときに天井を眺めていると、天井のシミがユズに見えてきたりするのでありました(こういうのをローレルシャッハ・テストといったな)。

 秋のある日、わたくしたちは思いあまってドーブさんに電話をし、ユズに会いに彼らの家を訪ねました。陰険に言うならば、ユズが不幸な毎日を送っていて、もとの家に帰ってきたいと思っているのではないか、ドーブさんたちもユズをもてあましているのではないか、そうしたら、ま、しかたがない、引き取ってくるか……などと、せこい、でもわかっていただけるでしょう、期待感をもって、わたくしたちはドーブ家を訪ねたのでした。暖かい日で、ドーブさんは庭にテーブルを出し、お茶を入れてくれた。わたくしたちは庭でお茶をごちそうになりながら、ユズと会ったのです。

 だが、ユズはすっかりドーブ家の犬になりきっていて、わたくしたちには目もくれず、庭を走り回っておりました。娘が呼んでも寄ってこず、ドーブさんの子供たちと、ひろい庭を縦横無尽に、戯れ続ける。それは、わたくしたちにとって、とくに娘にとって、寂しいことでしたが、でも、ユズがボーダーコリー本来の生活をしていることを見て、嬉しかった。

 小一時間ほどして、わたくしたちはおいとますることにした。ユズは向こうの方で子供たちと遊んでいるので、わたくしたちはなにも言わずそっと出て行くことにして、垣根を抜けていきました。自動車に乗り込もうとしたとき、ユズは突然遊ぶのをやめ、全速力でこちらへ走ってきた。だが垣根の柵は狭すぎて、ユズはすり抜けることができない。前足を掻いて抜けようとするのですが、抜けられないでいるのです。でもね、きみはもうドーブ家の犬なんだよ、そこに居なさい、というつもりで、わたくしは「Stay!」と一言言った。それを聞いてユズは足を掻くのをやめ、垣根の向こう側におすわりをし、だまってじっとわたくしたちを見送ってくれたのです。

 それは、わたくしたちが「吠えてはいけない」「言われるまで、動いてはいけない」と教えたことそのままで、ユズはよそのうちにもらわれていっても、わたくしたちに教わったことをちゃんと覚えていたのだなあ。リアウインドーの中におすわりをしたまま遠く小さくなっていくユズを見続けながら、「最高の見送りを受けたね」と、わたくしたちはじつにいい気分になったのであります。】
             ************** 
  以上です。

 これを見た後ホロッとしてしまいました。でもいい話でしょう?春から秋の短期間に人と犬との出会いの哀歓が刻まれていて。それは偏えに飼主ハルさんの『やはり野に置け れんげ草』という喩えがありますが、ボーダー犬ユズへの大きな愛の賜でしょう。でもユズって「賢明」な犬てすね。
 当家でも約6年前にキャバリア犬を貰って飼っています。ユズちゃんにはとても及ばないいつも吠えて怒られてばかりいる犬ですか、飼ってから暫くして一度居なくなってしまった事がありました。結局その日の内に帰ってきましたが、その時の気持ちをこの「ユズちゃんとの別れ」の部分を見て思い出しました。そして、そうそれを忘れずにおこうと改めて想重した次第です。

 仲々近所の人の「匂い」も記憶出来ないコスモス(当家の犬の名)ですが、一昨日久し振りに散歩がてらコスモスも一緒に買物に連れて行きました。(因みに普段は自転車で行きます)
買い物中は歩道側にある分離物の一端にコスモスを繋いでおきます。
 買物後帰ろうと歩き始めてある地点辺りから足を踏ん張って仲々前に進みません。その時に思い出したのです、これまで(荷物が増えた)買物後の帰り道は犬を紐から外して後ろから従ついてこさせていたことを。ある面コスモスはこんなに記憶力がいいのになんで犬の取柄的な「嗅覚」が鈍いのかと帰る道々思ってしまいました。

 コスモスを飼ったのが2002年9月(だから名前は秋の花のコスモス)、もう約5年と4ヶ月、元々甥子2人(当時17才と13才)が責任を持って飼う、勿論散歩も朝夕2人でやると約束、私は一切しないと明言の上貰った犬だった。産まれてから3カ月の幼犬で我が家に来た最初の日は何も口にせず、次の日位からミルクを飲みだした.徐々に慣れてきた頃から『お手、お座り』を教えると覚えた。餌をやるのは私として、最初の頃は上の甥子が毎日散歩させていて、下の甥子はクラブ(中学時代は卓球)があり、たまにだったが完全ではなくとも約束を実行していた。

 現在上は22才の社会人だが午後1時半には帰ってくる、しかし散歩もたまにしか連れていかなくなった。下は18才の高校3年生、もうすぐ卒業ですが高校の3年間はグリークラブで盆正月以外休みなく頑張っていたのでコスモスに関わるのは夜の外から家の内へ入れるだけ。
 昨夕下の甥子の最後の卒業定期公演があり、これまで一度も観た事がない上の甥子も一緒に出掛けその電車途上この「ユズちゃん」の話しをしてやりました。犬の立場の視線を持つこと。
上の甥子は神妙な顔をして聞いていましたが・・・・・・・。

 犬を飼ってから気がついたのは2人とも男なのに全然「犬と遊ぶ」とういう事がない、
2人とも縫いぐるみ大事にいまも持っている。例えば上の甥子はスヌーピーという「犬」、ドナルドダック、アヒル、(小)ミッキーマウス等、下は大のミッキーマウス、イルカ、ゴマちゃん、怪獣ゴジラ、ベアー等。スヌーピー、ミッキーなどはよく可愛がって相手していたのに、それを私は見てきたから本物の犬ならさぞかし「心友」になるだろうと積極的に犬取得(私の軽四輪自動車のリヤーウインドウに『犬ください』の貼り紙をしていたら電話があった)に関与した。

 それを思い返せば後悔ばかり。本当は生き物は2度と飼うまいと大分以前に決めていたから。又次回にこの「以前」の事掲載します。

2004年
6/24(木)
早速今日又コスモスを撮りました。
1番のなどカメラを意識しているようで可愛いでしょう?
6番目のはもう寝る寸前です。
 今夜のテレビで犬は嗅覚も良いけれど、聴覚も優れているとの放送がありました。
正確に言えば人間や動物が動く度に生ずる電磁波を感知する能力という事でした。
動物達の地震予知能力と言えるものです。
 それでは又。2004年6月25日 0:50


6/24(木)
このコスモスページも大改造しました。
サムネイル画像のコスモス、カメラ馴れしなくて
bVのが唯一カメラを意識してるかナ、その他のはイヤイヤ
お付き合いというところでしょうか?
今日というより昨日(未だ寝ていないので)の事ですが、私が仕事(介護ヘルパー
)を終え利用者宅を出て鍵を掛け視線を右側に移すと、丁度未だ仕事の決まらない
甥子(これのbS)がコスモスを散歩中でした。替わって私が自転車に乗りながら
コスモスの
紐を持って走りましたがコスモスの速い事。
獲物を追い駆けた
遺伝子名残りを見付けた様な気がしました。
 最近デジカメを買い換えて(以前のは壊れてしまった)撮った写真を
掲載する為、いつも寝るのが午前様になってしまいます。
今夜も現在午前3時45分過ぎ、今日はこれを送信して寝る事にします。
 これから、もっとこのコーナーも掲載する様にしますので、
折をみてアクセスして下さい。   2004年6月24日 3:51

2003年

「玄関前のコスモス」

   

 私の車(ミニカ)の右側に繋いでいたのを                      
真夏になってから左側、玄関前に置いています。
(車の陰になるので)
夜は家にいれます。真ん中に映っている影、
何に見えます?コスモスのオシッコのあとです(笑)               
  でも見ようによっては『人の影』に見えませんか?
以前テレビで原爆受爆後、瞬時に人間が黒焦げになって
地面に焼き付いたという話の事をその『影』を見て思い出しました。
原爆の恐ろしさを語り継いでいる日本ですが、核保有国は増加一方。
こうなれば、核を持つ事が最良の抑止力になるのでは? 
 
 私の家の路は突き当たりになっているので出入りする人も決まっています。
なのに誰かれ構わずワンワン!と吠え、うるさい事。この9月で家へ来て1年になるのに。        ご迷惑掛けて申し訳ありません。                       


6/20(金)
 先日、上の甥子がコスモスをブラッシングした後、その抜けた毛を袋に入れ私に「伯母ちゃん、この毛どうしょう?」と聞くのです。その質問の真意を測りかね「なんと答えてもらいたい?」と問い返しつつ「捨てるしかないのと違うの」と答えた後、「伯母ちゃんの事やから、その毛貯めて羽毛布団にでもすると思ったんか?」と言うと「ウン」。 
これにはもう大笑い「なんほなんでもそんなもんで出来るかいな」。しかし、おもろい子やなぁ。
 脱けたコスモスの毛を掃く暫くは、それを思い出してはひとり笑いしていました。

 今日の夕食後、下の甥子がコスモスもう1才になった?と聞くのでメモの紙を見返すと「6月17日頃」と元の飼い主さんが書いてくれています。
「もう1才過ぎてるわー」人間の歳だったら6〜7才というところでしょうか。

 そういえば先週のこと、ほんの少しの間、首輪から紐を外していたら、コスモスが「居なく」なってしまいました。その前、近所の家に訪問している自転車に乗った若い女の人にコスモスがなついていました(普段から全然「人見知り」しません)。その姿を見たのが「最後」でした。
「もう帰ってけえへんかもしれん」、私の母に言うと普段交歓がある分ではないのに、「なんでやの、捜しといでーや」とそれは淋しそうでした。
「あの犬は可愛いから、誰でも可愛がってくれるわ」「ほんまに犬好きな人が飼ってくれたら、私等がみたるより、コスモスのためになるで」と本当に私が思っている通り言い、母を慰めました。
 休日でまだ寝ていた上の甥子にも「コスモスいてへんで、もう帰ってけーへんかも知れん」流石の甥子も飛び起きて捜しに行きましたが、やはり見当らず。
 捨てられると思えば、敏感に感じ取って「道筋を憶える」でしょうが、誰かの後をくっついて従いて行ったとしたら、そして逸れてしまったら………悪く考えても切りがなく、可愛がって呉れる人に飼われたと、思い込む様にしました。

 ベランダに私が居る時、真下の所にひょっこりコスモスの顔が見えました。
「コスモスが帰って来た!」。これで一件落着でしたが、「在なくなった間」、私の家族はそれぞれに「コスモスへの想い」を新たにしたことでしょう。



2/7(金)
 朝夕方と散歩に連れてやり、合間お菓子を餌に「ボール取り」を教えましたが、「?」と言う感じでしょうか。暫らく続けて教えるしかないみたいです。
 私が買物から帰って来るのを見て尻尾を振っている「コスモス」。それを見て私は「コスモス、尻尾を横に振るけど人間やったら頭を横に振ってイヤイヤと言うことなんやで、ウンウンと縦に振らんか」と声掛けましたが、勿論分かる筈がありませーん。

2/5(水)
  先程、節分の時の鬼の面が目についたのでその面を私の顔に当てて   「コスモス」の所へ行きました(声は出さずに)。                  
  さて「コスモス」はどう反応したでしょうか?

    @いきなりワンワン吠えた。
    A直ぐに私という事が分かって甘えた。
    B後退りして逃げた。

  この中のどれでしょう?
    【正解は■この下】

 昨日から上の甥子が修学旅行へ行ってしまい、「コスモス」は淋しそう………
いつも夕食が終わると散歩に連れて行って貰う習慣になっているのですが、さすが昨夜は居ないのが分かっているかして、いつものような食後の請求の「キャン」の一声がなかったです。スライドショーに写っている様に昼間はいつもミニカの右バックミラーに紐を掛けて「コスモス」を繋いでいます。先日、その車の左側に置いている自転車を甥子が出そうとしている時に車の右側から私が「コスモス」と呼び掛けると、いつもは何が何でも遊んでほしいから跳んでくるのにその時は車の下から出て来ない、又呼び掛けると出て来ましたが直ぐに潜ってしまう。その恰好を見ていて思わず吹き出してしまいました。
 私の所にも行きたいし、甥子の方がもっと気になる、出てきては潜り、あっちとこっち、どうしましょ。「コスモス」の心を言葉にすればそんなところでしょうか────。
笑わせてくれました。
 昨夜は散歩させなかったので、今朝は甥子の代わりに私がこの近辺を一周してやりました。
        ■
    【正解は B後退りして逃げた。でした】
    更に付け加えると後退りし、車の下に潜り込みました。
    でも「匂い」で確信出来たのか尻尾を振りながら出て来ました。
    さすが、犬は鼻が利くネー。               
────────────────────────────────────────
1/24(金)
 上の甥子がほとんど残した一昨日の夕食「揚げ麺の八宝菜かけ」を昨日一日と今朝に犬の「コスモス」に食べて貰いました。猫と違って犬は「毒をも喰らう」と思う位何でも口にします。「そのお蔭」で捨てずにすみました。
 「食」における猫と犬の差というのは、その動物の「歴史」という、これも「遺伝子」のなせる業、「環境下」の永年の食生活によるものでしょう。
 その「コスモス」を朝の10時位には家の中から外に出し、私の車の右バックミラーに首輪の紐を掛けておいているのですが、私がベランダで洗濯物を干していると、此方を見上げています。洗濯物と「コスモス」とに視線を交互にしながら、こんなに注目してくれるのは「コスモス位やなぁ」と呼び掛けます。勿論犬には「なんのこと?」、例のちょっと小首を傾げた顔で此方を見ているだけ。             


2002年
9/23(月)秋分の日
 今日は法事でした。私の弟の7回忌、本当はこの28日が命日ですが、その日は
ホームヘルパー2級講習の実習のある日にあたり、本当に身内だけで今日に済ませました。
 私の創った歌で「秋」の2番はこの弟の事を歌ったものです。
このホームページのBGMで流すつもりでしたが、2日前から私のパソコンの音が出なくなり
修復出来るまで暫しお待ちください。下記に歌詞を。
    
『秋』  作詞・曲 日高よし子(平成11年9月 作)
   
詩歌集「夢幻」マイメードソングより

♪2. 骨壷の 温みが 膝に 6年前の 秋の日に
  
 道の野辺に 秋桜揺れて さようならと 手を振って
    そんな風に 人は季節を 遺してゆく
    少し 早足になった 風を聴いてごらん
    野を分けて 走る 風を 見てごらん
   この空は 今日も続いていて 
     弟の顔 あの雲の中に 見る  ♪
                             以上  よし子記でした。

9月23日月曜日 少し肌寒くなったので、コスモスも風邪を引いてしまったみたいで、
鼻水を垂らしていて、少し心配です。    以上  一吉  
9/15(日)
とても可愛い犬ですが排泄が未だ完全に指定場所できません。
 

2002年
9月1日、我が家に子犬がやって来ました。

キャバリア・キング・チャールズ・スパニエルメスで、

名前はコスモスです。

とても元気のいい子犬で、こっちに跳びついてきたり、

カーペットを噛んだりして、遊んでいます。一吉