変態たちに見るあーみん作品の変遷

 

まず岡田あーみんの作品の特徴は、なんと言っても変態的なキャラクターたちである。

彼女の作品には実に多くの愛すべき変態たちが出てくる。

「お父さんは心配症」のパピー

「こいつら100%伝説」の危脳丸

「ルナティック雑技団」のマダムゆり子

この他にもそれぞれの作品には数多くの変態たちが登場する。しかし、各作品における変態たちの分布にはそれぞれ特徴があるのである。

以下に各作品にレギュラー準レギュラーキャラと、そのキャラが変態かどうかを掲げてみよう。

お父さんは心配症

子供キャラ 大人キャラ
名前 一口コメント 変態かどうか 名前 一口コメント 変態かどうか
佐々木典子 ヒロイン 常人 佐々木光太郎 主人公 超変態
北野 典子の彼 一応常人 安井さん 光太郎の恋人 気高き変態
安井守 忍者の末裔 一応常人 寝棺さん 大病人 病上りの変態
寝棺一郎 母思いの不良 母思いの変態 片桐父 社長 金持ちは変態
片桐 キャプテン 情けない変態 片桐母 社長夫人 変態
緒方の娘 ファザコン? 父思いの変態 緒方さん ダンティー? 自慢の変態
      福永 執事 なんだか変態
      課長 パパの上司 常人

こいつら100%伝説

子供キャラ     大人キャラ    
名前 一口コメント 変態かどうか 名前 一口コメント 変態かどうか
極丸 冷酷非情 冷血変態 お師匠様 じじい 一応常人
危脳丸 ナルシスト 馬鹿変態 偽商売屋 資本主義の犬 変態
満丸 ガキ 変態 ねえや ブスで良い人 常人
白鳥姫子 3人のアイドル 常人      
胡蝶夫人 男好き 男好き変態      
加賀の淫乱 男好き 変態其の二      
キザ光 若様 良家の変態      
ターミネーター サイボーグ 造られた変態      

この他にもこの作品には、あーみん先生自らがちょくちょく登場するのである。

ルナティック雑技団

子供キャラ     大人キャラ    
名前 一口コメント 変態かどうか 名前 一口コメント 変態かどうか
天湖森夜 貴公子 孤独な変態 マダムゆり子 華麗なる夫人? 優雅なる変態
愛崎ルイ アイドル 目立つ変態 天湖父 ゆり子の旦那 常人
成金 お嬢 そこそこ変態 ミスターX スパイ 危険な変態
茂吉 忠犬 常人 黒川 超越した人 ある意味常人

黒川については変態と言う人もいると思うが、彼は一種世間を超越した高みから睥睨している人間のそれを感じる。それゆえ彼は一種の変態に感じるだけで、彼は、世間そのものを楽しめる人間だと思うのでここでは一応常人にしました。

 

さて、上の表をご覧いただくとお分かりかもしれないが、第一作の「お父さんは心配症」では、数多くの中年が現れ、其のほとんどが変態である。逆に子供キャラは、数が少なく、しかも半数が常人である。

この作品には表のキャラ以外にも、安井さんが勤める病院の医院長、結婚式場の支配人、北野の両親と兄、光太郎の両親etc・・・・。この作品には実に数多くの大人、中年キャラクターが出てくる。しかもそれらのほとんどが見事なまでに変態なのである。

片や、読者と近い年齢の子供キャラは上記の6人以外にはちょい役以外はほとんどで来ないのである。しかもそいつらは変態ではなく、レギュラーキャラ以上に変態中年たちの被害者たちである。

そう、第一作は、変態パワーで暴れる大人たち、その被害者の哀れな子供たち、といった内容なのである。そしてこの作品の特徴を一言で表すと

ほとばしる中年パワー

なのである。

しかし、次の第二作目「こいつら100%伝説」ではこれが見事に逆転するのである。この作品は、変態パワーで暴れる子供たち、その被害者の哀れな大人たち、といった内容になるのである。

いわゆる大人のキャラは一気に減るのである。しかも前作であれほど暴れまわった中年は偽商売屋たった一人になってしまうのである。

逆に子供のキャラが一気に増えるのである。しかも其のキャラのほとんど全てが変態なのである。

そう、まさに第一作とはパワーバランスが逆転し見事な好対照を成しているのである。さらにこの作品ではあーみん先生自らが度々登場し、集英社を襲撃するなど主役以上に暴れまわるのである。

この作品の特徴を一言で表すならば

暴走する10代とあーみん

である。

そして第三作「ルナティック雑技団」では、大人のキャラクターと、子供のキャラクターのバランスが見事に取れているのである。また前作であれほど登場し暴れまわったあーみん先生もほとんど登場しなくなるのである。さらに画も一気に綺麗になり、絵柄だけを見ると正統派?少女漫画と間違えてしまうほどである。(内容は違うが)

この作品の特徴は

優雅なる変態の調和

だろうか?

ではなぜこのような差が出ているのだろうか?

第一作の連載を開始した時、あーみん先生はまだ10代であったそうだ。単行本版「お父さんは心配症」の最後で、あーみん先生自らが書かれているように「10代の猛り狂うリビトー・・・」がこの作品を生み出した原動力ではなかろうか。そして10代の人間にとっては、やはり中年は鬱陶しく、そして理解しがたい人たちである。(たぶん)第一作に中年の変体キャラが異常に多いのは、10代であったあーみん先生の、10代らしい感性と、彼女の持つ鬼才の融合が生み出した産物だったのである。

しかし、この作品連載中にあーみん先生も成人を迎える。20代に入ると、大人の苦労も少しではあるが判るようになる。10代の気持ちがわかりながらも、大人の気持ちもわかる。そして、10代の考えに少々着いて行けなくなる、しかし、「まだまだ若者である。」と言う思いから何とか理解している振りをしたくなるのが20代前半である。また、漫画家として、社会の苦渋も舐めたであろう彼女は、10代の感性が生み出したキャラクターを少々持て余すようになって来たのではないだろうか?それを思わせるのが、最終回の少し前の「聞け、父の叫び」ではないだろうか。

光太郎は、基本的に、娘、または、愛する人が絡んで始めて暴れ、変態ぶりを発揮するキャラクターである。またその対象は、娘に関ってくる人間か、愛する人に絡んでくる人間たちに対してである。

しかし、湖の会では、光太郎は、娘も、愛する人も絡んでいないのにその変態性を発揮し、娘や、愛する人に絡んでいない人、ただの若者をその攻撃対象にしているのである。

そう、20台である彼女の精神的葛藤が現れた作品なのではなかろうか。

そして、第二作目「こいつら100%伝説」では、10代のキャラが揃いも揃って変態になっている。このときあーみん先生は20代半ば、そう、この作品連載時の10代とはちょうど一世代違っている年齢である。世代が一つ変わると考えなども変わってきて、理解しがたくなる物である。

10代の頃は、「子供は、身勝手な大人の被害者。」等と舐めた考えをもつが、この年代になると「親の脛かじっている分際で舐めた事抜かすなガキ。」的な考えももつようになる。さらに言えば「身勝手なガキを育てるために必死に働く大人こそ真の被害者だ。」的な考えすらもってしまうようになる。そう、この年代にとって、若者こそ理解しがたい生き物になるのである。この作品に10代の変態が多く登場するのもそのためである。

さらに実社会では、20代はこき使われ、若造として、舐められるのもまた事実である。そう、法律的にも大人になるが、完全に大人として社会から受け容れられていない、そして若者からは大人と見られ、若者にもなれない。そういう半端でもやもやした気分を味わうのもこの年代である。若い、しかし10代の気持ちはいまいちわからなくなる。大人である、しかし実社会からは半人前と舐められる。このもやもやをあーみん先生を味わったのではなかろうか。そしてそのもやもやした気持ちが作品の中にあーみん先生を登場させ、集英社襲撃と言う形をとって、実社会へのやるせない不満が表れたのではなかろうか。

そして第三作。このときあーみん先生は、20代後半。この頃になると、実力のある人間は世間に認められるようにもなる、また、いわゆる大人の視点で若者を見る事もできるようになる。

あーみん先生も、連載三作め。デビューから10年経っている。漫画界でもそれなりの地位にたち、ある余裕を持って世間、人間社会を見れるようになったのではなかろうか?

それがこの作品における、大人キャラと、子供キャラの見事なバランスを生み出しているのではないだろうか。

また、この作人の魅力あるキャラの一人黒川氏。高みから世間そのものを楽しんでいるかのような彼こそ、成長し、人間的に出来上がったあーみん先生自身ではないだろうか。

 

その日の彼は大殺界と天中殺と仏滅と厄日で頭に666と三つの数字が並んだ黒猫のハルマゲドンだった。(パピーを殺し損ねた運命様)