ああ、女神様
藤島康介/講談社
ストーリー
何のとりえも無い普通の大学生森高は、ある日、電話で女神を呼び出してしまう。妄想癖のある純粋な彼は、そのシチュエーションにあまり驚きもせず、その女神と同棲を始める。
その後その女神の関係者も押し寄せてきて彼の周りは一気にハーレム賑やかになる。
しかし二人は長い間同棲しているのにまぐわる事も無くプラトニックな関係を続けて愛をはぐくんでいく。
寸 評
御存知、ラブひななどと並ぶ、美少女が向こうから一方的にやって来て、いつの間にやらハーレム賑やかな状態になり、しかも主人公はモテモテになってしまうと言う、オタクご都合主義漫画ファンタスティック漫画。
しかしこの漫画を、ただのオタクの妄想夢を具体化したイカ臭い漫画と見てはその真の面白さは判らない。
この漫画は、美女がたくさん出てくるオタク向けのイカ臭い漫画などではなく、現在の病んだ社会を鋭く抉る傑作漫画なのである。
以下簡単にそれを説明しよう。
まずタイトルが秀逸である。「ああ、女神様」そう、これに出てくる女性は人間ではなくあくまでも神なのである。
神とは何か?人間の妄想空想力が生み出した、人間の考える「究極の人間」的な存在である。そう人間の勝手な妄想空想が生んだ代物こそ神なのである。
オタクも一応人間である。彼らも妄想空想で究極の理想環境、理想の異性を考え出す。
彼らの考える理想の異性は、自分をどんな時でも100%愛してくれて、家庭的で、おしとやかで、美人で、処女で、純粋な女性である。そして理想の環境はすなわち、このような美少女に囲まれハーレム状態になる賑やかな世界である。
普通ならこんな環境は100%存在せず、こんな女の人は100%実在しない。理想の異性といって、上記のような女性像を言ったら、「神様でも探したら、」、「そんなの神様以外にいないよ」等といわれるのが関の山である
この漫画に出てくるヒロインは、どんな時でも100%主人公を愛し、家庭的で、おしとやかで、美人で、処女で、純粋な女性である。そう、オタクの妄想理想を100%具体化した存在なのである。
例え漫画とはいえこんな女性が実在していいのだろうか?よいのである。タイトルにもあるように彼女は人間ではなく神様なのだから。
そう、この漫画は、オタクの妄想空想を具現化したヒロインを生み出し、それを神様と言う設定にする事により、オタクの妄想理想に強烈な皮肉をなげかけているのである。
相手は神様である、プラトニックな関係はできても、まぐわることはそれ以上には進展しない。当然結婚もできないし、子供を儲ける事もできない。主人公も、もし温かい家庭を築きたいのなら、神様との交際を諦めて、現実の女性と付き合うしかない。しかし、主人公も不能なのか女神に惚れているために、現実に目を向け様女神と別れ様としない。
これもギャルゲーや、ラブひなや、この漫画を読んで、ナニをする空想を膨らませるオタク読者に対する暗示であり皮肉である。妄想空想を餌にいくらシコッても膨らませても、現実は好転しない、いい加減卒業して、現実に目を向けましょうと言う事を暗にオタク読者に提案し、気づかせようとしているのである。
そう、この漫画は、現在のオタクカルチャーの弊害を鋭く抉った、社会風刺漫画なのである。