裏木戸通信 105号

 

くわいだん

 

怪談話。

 

 

所謂ユーレーが出てくる話。

日本各地、いや、世界各地にあるのが怪談。色々な所に、色々な怪談がある。

なんだか、少々気味の悪いところに、死んだ筈のあいつが出てくる。で、出会った人に色々な事をしてくれる。酷いのになると、ただであった人に色々危害を加えるそうだ。しかも、相手は、死んでいるので、こちら側の攻撃は効かない(一部怪しげなものは効くそうだが)。もし事実だとしたら、通り魔よりも始末に終えない。

万が一そんな者に襲われてしまった日には、もはや泣いて命乞いする他無かろう。そう、そんなユーレーが本当にいれば。

 

 

 

だけどさ、幽霊って本当にいるのか?

 

 

確かに怪談話は怖いが、其の殆どに物的証拠などは無い。そう、全てが、ただの目撃談だけである。

 

 

 

ユーフォーとおんなじだ。

 

 

目撃談は沢山あるが、物的証拠は全く無い。写真、ビデオには、写るくせに、物的証拠が無い、

 

 

 

ユーエムエーとおんなじだ。

 

 

何だか神秘的で、不思議な存在で多くの人が信じているが、学術的に証明されたことが無い、

 

 

 

 

ちょーのーりょくとおんなじだ。

 

そう、ゆーれーも、そういう面から見れば、実在性は、限りなく怪しいものになってしまう。

 

 

 

 

当たり前だ、いてたまるか、そんなもの!!

 

 

いたら怖いじゃないか、大体。夜トイレに行けなくなるだろ、と言うか行けなくなっただろ、子供の頃。

 

 

なのに怪談話は、世界各地に存在する。

 

幽霊が生まれる原因は大抵怨念、未練とされている。

何らかの事情で、真っ当な死に方をしなかった、だまされて殺されたり、陥れられて死んだり、決闘に敗れたり、戦争で死んだり、病死、 刑死も其れに入るのかもしれないが、兎に角、何らかの思いをこの世に残して死んだ人間が、其れになるらしい。

 

 

で、半透明の透き通った、顔色の悪い姿で生きている人間の前に現れる。

 

たちの悪いのになると、死んだ時の姿其のまんま、気の弱い私なら、見ただけで、彼らのお仲間になる事請け合いのユーレーもいる

で、自分を陥れた人間や、恨みを抱いた人間などを呪い殺してみたり、 ただ現れて、通りがかりの人をびびらせたり、無関係な、ただ出会った人間を驚かせたり、無関係の人間にあれやこれやをしたりもする。

まあ、危険が一杯のこの現在社会、生きている人間だって、上記の事をやるかもしれない。恨みある人に、報いを受けさせたり、未知行く人を脅したり、無関係の人を、襲う、危ない人だって多く存在する。だが、ここは、法治国家日本、不幸にして、被害に合う場合もあるが、大抵の場合は、官憲が安全を守ってくれる。ただ、万全を期すために、護身術を覚えるのも、この危険な現在社会、無駄ではないかもしれない。

 

 

だがユーレーは違う。困ったことに、法治国家日本の、守備範囲外だし、大体、生身の人間は、其れに対して抵抗ができないと言うのだから始末に終えない。

 

 

 

このままでは、 無防備の生身の人間が危ない。

 

 

 

だからかどうかは判らないが、それに対抗できる不思議な力を持った人間が、これまたご丁寧に、世界各地に存在する。

 

 

陰陽師だったり、シャーマンだったり、お坊さんだったり、神父様だったり、孔雀王だったり、美神だったり、兎に角色んな人たちが、それらに対抗できると自称している。

 

 

それらの人が、なんだか、不思議な言葉や儀式をやって、なんだか、不思議なアレヤコレヤで、何だか不思議な、其れやこれやになって、めでたく解決。悪霊は退散する。

良かった、良かった、我らは、ユーレーの攻撃に対して、決して無防備ではなかった。ただ困ったことに、官憲などに認められていない、特殊資格の為か、お値段の方もググッと掛かってしまうらしい。

 

 

貧乏人は、相変わらず無防備なのだ。困ったことに

 

 

さらに、在野の資格の為か、まがい物も多く存在すると言う。

余りに、物的証拠が無いためかどうかは、不明だが、現実社会の担い手、現実を現実たらしめている?科学者さん達は、其れを何とか学術的に証明しようとする。

心理学から分析してみたりするのが一番一般的のような気がする。

で、大抵の場合、ほぼ満足の行く回答をしてくれるが、完全に納得できる回答は無いような気がする。

 

 

そりゃそうだ。

 

 

もともと、検討する物事態が、何度も言うように、あやふやで、曖昧で、何だかいい塩梅に、怪しく、無理の有る物なんだから、其れを、無理矢理解明しようとしても、同じように、少々無理のあるものになってしまう。

で、其の少々無理のある所もより所に、ユーレーさんは、この21世紀も行き続けているのではないだろうか。

まあ、怪談話の大部分は、因果応報を、わかり易くした物なのかもしれない。

ただ、怪談話を聞くたびに不思議に思うことがある。

 

 

 

なぜ、彼らは、ネガティブな理由でしか生まれないのか?

 

 

この世に何らかの思いを残すのは、何もネガティブな思いでなくてもいいはずだ。

 

 

なのに、ユーレーは、其の殆どが、ネガティブな思いから生まれている

 

例えば、

 

 

お笑い芸人が、志半ばでなくなり、その後ユーレーになって、出会う人を笑わせる。

 

 

なんていうユーレーがいたっていいはずだ。心残りや、思いが、ユーレーを生むのならば!!

 

 

人間の心は、千差万別。残す思いだって千差万別である。だったら、其の思いから生まれると言われるユーレーだって、千差万別であっていいはずだろう。怖い人間、普通の人間、愉快な人間、人間に千差万別があるように、ユーレーだって千差万別あっていいはずなのに、何故かユーレーは、怖いユーレー、もしくは、悲しいユーレーしかいない。

 

 

 

結果、子供はユーレーを怖がり、トイレに一人で行けなくなる。

 

 

もっと人間の感情に素直になっていてくれれば、ユーレーに対して、これほど、怖い思いを抱かなくてすんだはずである。ポジティブな幽霊がいれば、夜怖くてトイレにいけないということも無かったはずである。

まあ、ユーレーにこれ以上突っ込んでもしょうがないが、 私は、恥ずかしながら、この年になっても、ユーレーが怖い。

なぜ、そんなにネガティブなんでしょう?ユーレーの皆さん。

お願いだから、もう少しポジティブなユーレーさんも現れてよ。

之から、本格的に其の季節になることだし。

 

 

 

ゴーイングツーネガティブ