裏木戸通信 107号
通
「通」とは何でしょう?
ファンとも違う、マニアとも違う、名人とも違う、精通している人とも違うかもしれない。
食通、業界通、事情通、ブランド通、etc、etc
その分野に詳しい、と言うのが一番近いかもしれないが、専門家ともまた違う。まあ、その分野で食っている訳ではないが、その分野に詳しい人と言うのが一番近いかもしれない。
まあ、何かに精通するのは、悪くは無い。何かを極めると言う事は、それがどんな分野であれ、大変な努力と、労力がいるのだから。
でも、言っちゃあなんだが、「通」と言う言葉には、個人的に、何だか安っぽさを感じてしまう。
なんと言うのか、それを極める過程で存在するであろう、凄まじい何か、それを極めた人間から感じる何かを、「通」とか言っている人間からは、感じないのである。ただそれが好きで、それを繰り返しやっている内に、小うるさくなったと言うのか、そんな感じを、「通」と言う言葉からは受けてしまう。
例えば、事情通。
芸能界の事情通、とか言う人種なんか特にそうだけど、あれってただの、詮索好きの、ゴシップ好きだけのような気がする。まあ、男女差別とか言われる恐れもあるが、女性でそうならまだ許せる、元々、女性って、そういう話とか好きそうだし、そういう物の集大成のワイドショーなんか、明らかに、女性ターゲットにしてるしね。ただ、男で、業界の事情通、とか言うの、あれなんかは、個人的には、最悪である。「他にやる事無いのかよ!!」と、思わず突っ込みたくなる。
まあ、芸能界に限らず、他でも、事情通、業界通って、なんとなくそんな人たち多くありません?
あとは、「通」が一番良く出るのが、私の大嫌いな食の道である。
「お客さん、通だね。」
本当に在るかどうかは、判らないが、漫画や、ドラマ、その他諸々、お店の会話などで、あるシーンのような気がする。
そば通、すし通、焼き鳥通、etc、etc。
兎に角、食事には、事通が多いような気がする。
「通」とまでは行かないまでも、
「おれ、○○には、ちょっとうるさいから」
とかいう人は、結構いる。
通気取り、なんていう言葉も結構聴く。
そりゃ、それを多く食べていれば、色々好みは出て来るだろうよ。いや、食べ物以外の他の物でもそうだ。多く買って、多く使っていれば、色々好みが出てくるんじゃない、人間なんだから。
グルメ嫌いの私だって、好きな食べ物はあるし、それには、そこそこ、こだわりだってある。
少々、悪口に成ってしまっているが、ここまで来たら、仕方が無い、言いたいことを言ってしまおう。
ギターが上手い人のことを、通などとは言わない。絵が上手、歌が上手い人、その他、○○が上手い人、は、「プロ級の腕前」、とかいう。
料理だってそうだ。食べることは誰だって出来るが、作る方は、技術がいる。料理を作るのが、プロ級の腕前。と言うのは、そこに至るまでに、相当の、苦労と、努力がいる。
ただ、所謂「通」と言われる人たちは、自分では作らない、ただ食べるだけである。何かにうるさい、それだって、買っているだけかもしれない。それを購入するためのお金を稼ぐのは、確かに大変かもしれないが、お金があれば、誰だって出来るような気もする。
私が、「通」と言うのに、なんとなく、胡散臭さと言うのか、何か違和感を感じるのは、「通」と呼ばれる様になる過程が、非常に受動的だからかも知れない。
なんと言うのか、「通」と呼ばれる様になるまでに、お金などは、必要かもしれないが、基本的に、余り努力も要らないし、苦労もいらない様な気がして成らない。
名人級、とか、そこまで行かなくても、何か、そう言われる人が存在するジャンルのものは、それ自体が、能動的な態度、心構えを必要としであり、ある程度、やろうと思えば、努力もいれば、苦労もいる物のような気がする。
いや、努力が在るから、偉いとは限らないかもしれないし、努力が少ないから、偉くないとも言い切れない。私だって、努力は大嫌いだ。
ジョジョでは無いが一番嫌いな言葉が、「努力」で、二番目が「ばんばる」の様な気がする。
いや、努力がすきという人は、案外少ない。だから、努力の末に達せられることをした人は、尊敬される。誰だって出来る事ではないから。
大体、年がら年中努力していたら、気が滅入ってしまうし、案外人間ぶっ壊れてしまうかもしれない。気晴らしだって必要だ。その気晴らしの分野でこだわりを持ち始め、「通」になるのなら、全く問題ない。他の日常では、努力もすれば、我慢もし、苦労もしているのだろうから。逆に、その人の人間性を豊かにしてくれるかもしれない。「通」と呼ばれている人でも、それが、その人を形成する多くの物のうちの一つ、それが、無くなっても、その人の、存在、価値、似は、大して影響を与えない、プラスアルファの範囲なら、「通」で大いに結構かもしれない。いや、そういう範囲内ならば、「通」と呼ばれることは、むしろ、いいことかもしれない。
ただ、「通」と呼ばれる物が、その範囲を超えてしまった時、それは、問題のような気もする。
そして、所謂「通」と言う物に、胡散臭さと言うのか、何かを感じるのは、よく見かける「通」と呼ばれる人たちが、後者のタイプだからかも知れない。