裏木戸通信 108号

 

ステレオタイプ

 

 

忍者、腹切り、芸者、フジヤマ、ちょん髷、サムライ、メガネで、出っ歯、カメラを、首から提げて、ワーカーホリック、家電でハイテク、個性が無い。

 

おおよそ、海外で描かれる日本人像は、こんなものである。

ハリウッド映画などを見ていると、それが判りますね。

未だに、ちょん髷をしている日本人が出てきたり、スーツにメガネをかけて、お辞儀ばっかりしたり。日本の悪の組織とかだったりすると、黒装束の、ニンジャと自称する、ケッタイな東洋人が、カンフーを使って戦ってみたり。

これを、ギャグとして楽しむことも出来るが、やはり、複雑な気持ちになることも事実である。

 

 

所詮、日本人なんて、あちらさんから見れば、この程度なのかな?

 

 

と言うのか、

 

 

やっぱり日本人って、基本的に馬鹿にされているのかな?

 

 

と言うのか。

兎に角、日本人の描かれ方は、ひどい物が未だにある。

 

ハリウッド映画を、世界で二番目に消費してやっているんだぞ、もっと、好意的に描けよ!!

 

と、ハリウッド関係者に毒づきたくもなる。

では、日本ではどうか?

考えてみれば、やっぱりステレオタイプ化している。

ラテンと言えば、なんと言うのか、乗りが軽く、陽気で、基本的に物事を深く考えない。言うイメージで描かれる。

フランス人といえば、トレビアンな芸術家か、女好きなキザ男。

イギリス人といえば、紳士で堅物、ドイツ人といえば、頑固で職人気質、もしくは、ハイルヒットラー、ロシアと言えば、極寒の国で、官僚主義で、あれな人々。

アメリカ人は、かっこいいか、傲慢か、ハーレムで、拳銃バンバン撃って、薬やったり、音楽に合わせて踊っていたりetc。

流石に最近はなくなったが、中国人といえば、皆チャイナ服を着て、「○○アルヨ」とか言っている。

インドの人は、額に何か、印をつけた、褐色の人で、アラブ系は、ターバンを巻いて、アラーアラーと言っている。

インデアンと言えば、神秘主義で、羽根飾りをつけ、刺青をしてetc

まあ、ここに上げたのは、極端な例かもしれないが、兎に角日本人だって、他の国の人をステレオタイプ化している。

されている対象の人から見れば、やっぱり、

 

 

 

「なめているのか、こら!!」

 

 

 

と感じるかもしれない。

だが、どんな国だって、人間と同じで、多種多様な顔を持つものである。世の中の、全ての国、人種などに対して、その多様な面を知ることは、不可能である。

だから、その国の特徴的な面、他の国と、明らかに違う面、判りやすい面などをとって、その国のイメージにするのであろう。

当然、それらのイメージの中には、完全に間違ったものもある。

だが、少なくとも、半分は、根拠、元になった何かがあるのではないかと思う。

ニンジャ、腹切り、ちょん髷、芸者。これらの物が、今の日本には、存在しない。だけどかつては存在した。未だに、このイメージで、日本が描かれるのは、色々理由はあるだろうが、このイメージが強烈だったから、と言うところは在るのではなかろうか。

人間と同じで、国が、他の国に与えた、最初の印象を変えるのは、やはり、難しいのかもしれない。

また、その国との状態によってもイメージは変わる。

その国との関係が険悪ならば、その国に対するイメージは、悪くなるし、良好ならば、良くなるであろう。

ここいら変も、対人関係と同じかもしれない。

ただ、ステレオタイプ化されたイメージには、差別的というのか、見下したような見方のものもある。

 

例えば、アフリカと言えば、少し前までは、

 

 

 

腰蓑をつけて、槍を持って、動物を追っかけている。

 

こんなイメージであった気がする。

と言うより、私は、アフリカと言えば、未だにこんなイメージを持ってしまう。

だが、いま、こんなイメージで、アフリカの人々を描くことは出来ない。

しよう物なら、差別だなんだで、槍玉に挙げられる。

確かに、見下した見方、差別につながる見方を、流布させるのは良くない。と言うか、もし、意図的に、しようと言うのならば、それは許されないことである。

間違った見方、差別などに繋がる、安易なステレオタイプ化に対して、行動を起こす事は、大切であるし、必要なことではある。

 

 

 

だけどあえて聞きたい。

 

 

 

アフリカと言って何を思い浮かべます?

 

 

 

残念ながら、人間で来ていない私は、アフリカと聞いて思い浮かべるのは、

 

 

腰蓑をつけ槍を持った、原住民、大自然、貧困と飢餓、内戦、白人優越主義だった、南アフリカ。

 

 

 

ざっとこんな物である。

 

 

なんと言うのか、現在のアフリカについて、流れる情報って、貧困、飢餓、についての物が多くて、その次に、ネイチャードキュメンタリーなどでやる、昔からの生活を守る人々と大自然。が、圧倒的に多いような気がする。

腰蓑に槍、は、差別だと思うし、相手を見下したステレオタイプの仕方かもしれない。で、それを、指摘するのは、いい事かもしれないが、そこまでやったら、もう一歩踏み込んで、今のアフリカの正しい姿を、広める活動もしたらどうだろうか?

いや、こちらも行動を起こすべきではあるけどさ、いま、現在、普通に得られる情報って、やっぱり、上記の系統の情報が圧倒的に多いと思うんだよね。差別だと言って、問題視するのならば、やっぱり、もう一歩踏み込んで、正しい姿を伝える活動もして欲しい。(しているのかもしれませんが)

返ってこれは、日本にも言えるかも知れない。

間違った日本のイメージを変えるために、日本は何かやっているのだろうか?

国の宣伝費と言うものがあると言う。

自国を他の国に知ってもらうために使う費用がそれであるらしい。

先進国の中で、その宣伝費が一番低い国が、他でもない、我が国日本である。

イメージを変えるには、双方が、行動を起こさなければならない。

これも対人関係と同じである。

 

 

そこいら変も改革してください小泉総理