裏木戸通信 120号

 

バライエティー番組

 

 

基本的に私は、お笑い系、バライエティー系番組が好であった。

ドラマ等だと、一度見ると、その後も見なければならない。と言うような、強迫観念とまでは言わないが、なんか、変な圧迫感を受けるし、見逃すと、やはりモヤモヤした物が残る。また、ビデオ録画と言う習慣が余り無い為、ビデオ録画も案外簡単に忘れてしまう。また、詰まらないドラマでも、一度見てしまうと、なんとなく見てしまう。何かをやりながら見るなんていうことも余り出来ない。

なんと言うのか、個人的に、ドラマは余り融通が利かない。

 

 

そこへ行くと、バライエティ、お笑いはいい。

 

 

見逃してもどうって事ないし、詰まらなければ、見なければいい。なんとなくながらで見てもノープロブレム。

個人的に、非常に、融通の効く番組である。

ただ、最近バライエティー番組を面白いと感じる機会が少なくなってきた。以前のようにバライエティーを見て笑うことは少ない。

いや、むしろ、

 

 

「詰まらない」

 

 

とすら感じるようになっている。

 

バライエティー番組を見る。しばらく、取りとめも無く見る。笑えない。いや、それよりも何よりも、はっきり言って詰まらない、で、時間の無駄なのでTVを消す。

 

最近バライエティーを見ていても、このパターンが多くなってきている。

あの手の番組は、大抵若い人たちの感覚に合わせて作られると言う。だから、あの手の番組を見て面白いと感じなくなったのは、自分が既にオッサンと呼ばれる世代に一歩足を踏み入れているからなのか、などとも考える時もある。そう、少年誌を読んでも、面白いと思える作品がめっきり減ってしまった事と、同じ事象、自分が年を取ったにすぎないのだ、と自分に言い聞かせる。

だが、そう自分を言い包め様としても根本的に何か納得しかねるものがある。なんと言うのか、貧しく不幸な境遇にある人間が、清貧の尊さを言うと言うのか、そんな事を言って、自分を誤魔化すと言うのか、兎に角そんな感じを受けてしまう。

そう、頭の中では、

 

 

最近のバライエティーは確実に詰まらなくなっている!!

 

 

と叫んでいるもう一人の自分がいる。

 

 

昔のバライエティー、お笑い番組は、確かに面白かった!!

 

 

とそのもう一人の自分は叫んでいる。

 

 

 

一握りに下らないタレントが番組を支配して数年、バライエティー、お笑い番組に笑いを求めて何度踏みにじられたことか!!

 

 

 

とギレン総帥のごとく叫もう一人の自分が演説をぶっている

 

 

そう、そう信じたい。

 

最近のバライエティー、お笑い番組は詰まらない

 

と。

 

だってそうでしょう。

なんなんだよ、あの字幕。事象お笑いタレントと言われるタレントの台詞を一々字幕にして画面に出す。あんな物一々出さないでいいわい。あと、あの笑い声、あれも何だといいたい。海外のコメディードラマじゃないんだ。大体笑えないシーン、台詞、行動、etc、etcで、一々入れられると腹が立つだけなんだよ。

それ以上に、何なんだ、ここ数年のバライエティーと言われる番組は。はっきり言って、自称お笑いタレントと、アイドルと、芸能人とか言うケッタイな人間が、遊園地で遊んだり、スポーツやったり、ゲームをしたりしているだけじゃないか!!(まあ、それが一番顕著だった日テレでやっていた、と○ね○ずの番組は数年前に終わったが)アレの何処を笑えと言うんだ。そこに一体どんな創意工夫がある?

コントとか、純粋な漫才は、ひねりや、アレやがあって、才能を見せられる部分があるが、あれらの何処にそんな余地がある。

怒りついでに言わせて貰おう。某Jrとかがいるタレント事務所所属のタレントが仕切っている番組類。ごく一部を除いて、詰まらなさ過ぎだし、それ以上に鬱陶しすぎ。あんなのに出演しているだけで金を取るなんて世の中を舐めているとしか言いようが無いぞ、はっきり言って。

更にだ、某番組から始まった、素人と思われる人、または売れないタレント、落ち目のタレントとかに、あれやこれや、無茶なことをさせてます系の、やらせ番組類。あれもだ。アレの何処が面白い?あんな番組の、台詞に一々字幕を入れたり、笑い声、「えーー」とか言う声を入れたり、無意味な字幕、ナレーション(ダ・カ・ラの宣伝で皮肉っていましたね、ここいら辺は)はっきり言って鬱陶しすぎ。

そう、はっきり言いたい、

 

 

お笑い番組、バライエティーの癖に見る者に不快な思い、腹を立たせてどうする。

 

 

少々スッキリした所で、再びもう一人の自分が言う。

 

 

「NHKのバライエティー見て笑えるか、お前?」

 

 

笑えない、ギャグが寒すぎて。

だが、その寒いギャグを、両親は笑ってみていた、そういえば。そう、NHKのお笑い番組は、寒いのではなく、御高齢者向けなだけなんだ。

最近のバライエティー、お笑い番組で笑えなくなったのは、やはりただ単に、伊達とは言え年を取り、若い人達の感覚に着いて行けなくなったからに過ぎないんだ。やはりそんな気分にもなってくる。

恐らく真実は後者なのだろう。だが、心の中ではやはり否定はしたい、「純粋に詰まらなくなっているんだよ、あの手の番組は」と。

だが、「NHKのお笑いで笑っている両親」、と言う現実を帰省した時に見ると、現実を思い知らされる。

あと、どの位かは判らないが、NHKの番組で笑えるようになったら、「ただ単に年」と言う説の正しさが実証される。そしてその頃には、「最近の若い連中は・・・・・・」等と言う様になっているのだろうか?

みんな思っているし、いたのだろうが、それでも思わずにはいられない

 

 

 

 

そんな年寄りにはなりたくない!!

 

 

 

こんな事をぼやく時点で既になっているって、そんな年寄りに。