裏木戸通信 124号

 

生きモノを飼う

 

 

私は、犬や、猫は苦手である。それでも、子供の頃犬や、猫を飼ってみたいと思ったことは、何度もある。

 

 

 

犬や、猫が苦手なのに何故、そんな事を思ったのか?

 

 

子供の頃住んでいたのが、所謂集合住宅で、犬猫を飼えない環境だったので、「無い物ほど欲しくなる。」と言う子供らしい、欲望から来たものかもしれない。

 

 

「子供達に動物と触れ合うことで情緒豊かな生活を・・・・・・・・・・」、「動物を飼うことで、子供達に責任感と、他者へのいたわりの心を育みたい・・・・」etc、etc。

 

 

ペットを飼う理由でよく聞く台詞のような気がするし、また、ペットを飼いたい理由でも良く聞くような気がする。

確かに、心に病気を持つ子供が、動物と触れ合うことで、癒されると言うことは良く聞くし、その効果も、色々証明されている。また、動物を飼うことで、責任感や、他者に対する思いやりの心を持つ事にも繋がるだろう。ペットを飼うことで、得られる良い効果がここいら辺かもしれない。

 

 

「ちゃんと飼いきれるの!!」、「もし、病気になったり、死んだりしたら、大変なのよ。」、「餌代とか大変なのよ。」etc、etc。

 

 

飼わさせない理由で良く聞くのがこれらの台詞かもしれない。

確かに、途中で、買うのが大変、とか言う理由で放置されたらペットが可哀想だし、ペットにかかる餌代だって馬鹿に成らない。社会保険適用外だから病気のときにお金はかかるし、なくなった後のことも色々面倒なのは事実である。ペットを飼う上で、一番の問題は、案外ここいら辺かもしれない。

ただ、こんな事が理由で反対する人がいる家庭では、やはり、最初からペットを飼わない方が無難である事だけは確かである。

で、上記の様な人たちが、何らかの間違いで犬、猫等を飼ってしまうから、ペットを巡る問題が色々起こるのかもしれない。無責任な飼い主が巻き起こす問題は色々有るし、その無責任な連中に飼われた哀れな動物達も多く見受けられる。

ただ、責任感の強い飼い主のペットでもトラブルの種になるときはある。

で、ペットを巡る問題が起こった時、例えば「吠え声が五月蝿くて夜眠れない。」何て事が起きたらどうするか。

それが、犬のストレスから来るものならば、何とかで切るだろうが、犬の本能、犬の生態から来るものの場合は、その時点で、どうしようもない問題に成ってしまう気がする。

犬が吠えないように、何らかの手術をする、と言う場合は犬が可哀想だし、じゃあ、周りが我慢しろというのは、これまた色々問題になる。

犬にだって自由に吠える権利はあるし、それを、抑圧するのは、人間に身勝手である。ただ人間にだって、安眠する権利があれば、日々、良い環境で生きる権利だってある。

 

 

 

この時どちらの権利を優先するべきか?

 

 

人によって意見はまちまちだろうが、私は、基本的には、やっぱり人間の権利が先ず優先されるべきであると思う。

人間の身勝手さは色々言われているが、やっぱり、人間が生きているのは、人間社会な訳だし、その中で、生まれ、生活し、死んでゆくのである。その人間社会で、程度の大小はあれ人間が中心に成ってしまうのは、仕方ないことである。犬や、猫の権利は大切だし、抑圧するべきではないが、それを尊重する余り、人間の日常生活に不利益が出てしまっては、元も子もない。

環境保護、動物保護はやるべきであるし、それを守る為、ある程度我慢するのは、この様な時代仕方がない事なのかもしれない。が、それが、人間社会と、そこに生きる人間に余りに大きなシワ寄せが来るようではどうしようもない。環境、動物等を保護する余り、そこに住む人の生活自体が脅かされるようでは本末転倒である。(実際その様なケースが第三世界では起こっているそうだ)

 

 

 

ペットの事でトラブルが起きた時どうするか?

 

 

 

先ず人間達の生活、で、その次がペット達の生活。

 

 

人間様のエゴ丸出しではあるが、人間が、人間社会で生きている限り、止むを得ない事だと思う。

じゃあ、人間様の安眠の為に、五月蝿く吠えないように、犬に手術など、何らかの処置を取るか?

それも一つの解決方法だとは思う。人の生活の為、飼っている対象に負担を掛ける。これも一つの解決方法だとは思う。

「壁などを引っかいて傷つくから、猫の爪を切る」、「うるさく吠えないように犬に手術する。」、その他、人の生活を脅かさない為、快適にする為、ペットに何らかの処置をする場合がある。

この人間社会でペットを飼う上では必要な処置だと言う人もいる。

確かにそうかも知れない。完全にナチュラルな状態で生活させる事は、彼等を人間社会に組み込んだ時点で、既に不可能なのかもしれないし、ペットになった時点で、ナチュラルでないと言えば、そうなってしまう。 元々野生の生き物を人間社会に組み込むのだから、彼らにある程度負担が掛かるのは、止むを得ないかもしれない。

ただ、その負担は、本来はパートナーである周りの人間(近所の人を含む)と同程度であるべきだと思う。(まあ、その負担をはかる方法はありませ し、これが理想論なのは言うまでもありませんが)。

人間社会で彼等を生活させる為 、やむを得ずその様な措置を取らねば成らない時も有る事はわかるし、必要な処置もあるであろう。そして、彼らにそれらの措置を取る人も、断腸の思いでそれをやっているのかもしれない。

この様な事を深く突っ込んでゆくと「覚悟があれば人殺してもいいのか?」みたいな極論に行きそうなので、深入りはしたくないが、それ相応の覚悟で彼らに接し、その様な措置を取る時も、それ相応の覚悟と信念でやっているのならば、その様な事に対して、私のような、無責任な立場にいる人間が非難する問題ではないとおもう。

ただ、そんな覚悟も信念も無く、単に可愛いから飼いたい、何となく飼いたいから、という理由だけで、安易に変な措置等を取るのは、どうかと思う。そんな考えと態度で、犬、猫を飼って、一体何の効果があるというのだろうか?

ただ飼いたいから、と言うだけの理由で、安易な措置を取った時点で、生き物を飼う事によって本来得られるであろう、色々なメリットは消し飛んでしまうのではないだろうか?

大体、犬猫等が周りの状況などで、飼う事が難しかったり、相当の負担を、彼らに掛けなければ飼えない様な状況ならば、植物を育てたり、魚、昆虫、ハムスターのような小動物を飼えばいいと思う。これらなら、犬、猫ほど、回りとのトラブルになることも無いし、色々な問題も起こりにくいと思う。

確かに、植木鉢で育てたり、狭い水槽、狭い檻の中で飼う事は、魚、小動物にとっては、既に不幸な事だとは思うが、犬、猫を飼う為になまじ変な処置を施すよりは、よほど自然に近い状態で、それらを飼育する事が出来ると思う。

これらを飼う事では、犬猫を飼うのと同じ様な効果は得られない、なんて寝ぼけた事を言う人がいれば、その人は、やはり動物を飼う事には向いていない。これらの物だって、真剣に飼おうと思えば、色々手間がかかるし、それらを通じてだって、他者へのいたわりを育む事だってできるし、生命の尊厳とかだって学べると思う。

私も魚を飼った事はあるが、いい加減な性格の為か、不幸な死に方をさせてしまった。で、この様な人間が、犬、猫を飼っても、それが改善される、とは私は思えない。やっぱり結果は似たり寄ったりに成ってしまうのではないかと思う。

だいたい、世の中には、時と状況によって、どうしても諦めなければ成らないとこだって多々ある。決して諦めない、事を学ぶのも大切だが、同時に、自分の置かれている状況、環境によっては、諦め無ければならない事だってある、と言うことを学ぶのも立派な教育である。

犬、猫が飼いがたい状況、飼う為には、ご近所、犬、猫等に色々多大な負担を掛けざるを得ない環境にいるのならば、「飼う事を諦める。」という事も、大切で、正しい選択肢の一つだと思う。

飼う対象だって生き物である、過度の負担が掛かればストレスだって溜まるし、健康だって害するであろう。人間様の癒し、情緒、etc、の為だけで、彼らに過度の負担を掛けてしまっては、やっぱり本末転倒である。そういう状態でも飼いたいとか言うのは、人間社会は、人間中心、以上に人間様のエゴ丸出しの考えに他ならないのだから。

たまに、環境に合わせて(?)ペットを無理矢理色々な処置を施したり、犬などを室内だけで飼っていたり、服を着せたり、毛を染めたり、あれやこれやをやっていて、「ペットを生きたヌイグルミ」程度にしか考えていないんじゃないかと思える飼い主なども見かけるような気がする。あの対象にされた、生き物の心情はどんなものであろう。

飼う前に、本当に、自分にも、周りにも、その生き物にも、過度の迷惑、負担を掛けないのか、それを飼いきれるのか、責任を取れるのか、なんか問題が起きたとき、責任を負い切 ることが出来るのか、それを考えた上で、飼うべきである。しかし、この当たり前の事が出来ていない飼い主は、世の中に沢山要る。

ペットを「生き物」にするか、生きている「物」にするかは、飼い主を始めとする、彼らと接する人間しだいである。

 

 

階段下の住人については来週と言う事で