裏木戸通信 126号

 

私には見える

 

 

霊感と言われる物が有るらしい。

霊感とは何かと言うと、「普通の人、霊感の無い人には見えない何か」が見える能力らしい。

「普通の人、霊感の無い人には見えない何か」、とは何かと言うと、私が大嫌いで、できる事なら、この先も永遠に出会いたくないと願う、あの方々、そう、俗に言う幽霊さんらしい。

良く、「私は人より霊感がある」と自称する人が居る。テレビにも出てくる。何より、高校時代、そう自称する人がクラスにいた。

その人によると、「みんなには、見えないかもしれないが、あそこに、人が居る」のだそうだ。更に、それが多く居る所では、寒気を感じ、場合によっては、気分が悪くなる事もあるらしい。

で、「みんな」の部類に入る私には、当然、そこに居るはずの、その人は見えなかった。で、寒気もしなかったし、気分が悪くなる事も無かった。

一度その事をその人に聞いてみた「僕には見えないけど、ほんとに居るの?かついでいるんじゃない?」と言うような事を。今考えれば、何と言うのか、大人気ない質問をした物だが、まあ、高校生で大人でなかったのだから仕方が無いかもしれない。

で、その人に言わせると、私には霊感が無いから見えないとの事であった。

「霊感がある」と自称する人が必ずと言っていいほど言う言葉は、「霊感がある人と無い人が居て、大抵の人は、霊感が無い、もしくは、見るほどの力が無い」と言うようなニュアンスの事である。

つまり

 

 

 

 

霊感がある=特別な人間

 

 

と言う事のようである。

このHPの主張の一つは、超能力、UFO、陰謀など、所謂、「あちらの世界」、は緩やかな現実逃避、または、そのための手段であると言う事である。

確かに「特別な人間」は存在する。ただ、世の中に「特別」と思われている人々は、よほど特異な例を除き、皆、特別に成る為の相応の努力、訓練等をしている。特別に成る為には才能もある程度はあるだろうが、やはり、努力であろう。「金剛石も磨かずば」である。

前にも書いたが、殆どの、いわゆる普通の人は、努力も、人並みしかやらない。だから普通の人なのである。で、普通の人は、普通である自分を受け入れ、その普通の中で、努力もするし、悩みもするし、その他色々な事をする。

ただ、ごく一部、普通の人では居たくは無いが、さりとて・・・・・・・・・・・

と言う人が怪しい世界に行ってしまうのかもしれない。で、霊感もその内の一つと大抵の場合みなされる。

ただ、霊感人間は、事象超能力者や、陰謀論者よりも数が圧倒的に多いような気がする。なんと言うのか、クラスに一人とは言わないが、学年に必ず一人入るような気がする。

そう、あっちの世界の中でも、霊感世界の人口は、その他の世界よりも人口が多い気がする。

 

 

何故であろう?

 

 

案外本当に霊感は存在するのかも知れない。そう、現在の科学が証明できていないだけで、霊は存在し、人間には、それを感知する感覚器官が存在するのかもしれない。そうでなければ、霊感人間がやたら多いことを証明できない。

 

と言いたい所だが、別の見方も出来る。

例えば超能力、をするには、スプーンを曲げたり、物を持ち上げたり、物を消したり、と、少なくとも、それ相応の奇術の技術が必要になってくる。そう、いわば、それなりに、努力をし、技術を磨かなければ成らなくなるのである。

陰謀論を唱えるにしたって、それなりの取材が必要になる。本でも出すとなれば、色々やらねば成らないこともでてくるであろう。そう、やっぱり、それなりに何かをしなければ成らない。

そこへ行くと、霊感は非常にお手軽である。

 

 

 

 

「あそこに見える。」

 

 

 

と言ってしまえばお終いである。それ以上努力する事も、技術を磨く事も必要ない。

後は、「みんなには見えないかもしれないけど、私は、生まれつき霊感が強いから・・・・・・・・・」とか言えば完璧である。

それを、無いと否定する為には、彼らが見た、と言っている物が、本当は存在しないと言う事を証明せねばならず、非常に手間が掛かる。

つまり、霊感は言ってしまった者勝ちの、特に努力も要らない、非常のおきらくな特殊能力なである。(恐らく)

 

 

 

払いたまえ清めたまえ