裏木戸通信 130号

 

やって来い来い新幹線

 

12月1日。東北新幹線が、八戸まで延長された。

「新幹線」と言えば、「ニンジャ」、「腹切り」、「芸者」、「フジヤマ」、「クロサワ」、「トーキョータワー」、「ゴジラ」等と並んで、外人が日本と聞いて思い出す物のうちの一つである。

 

 

 

夢の超特急

 

 

 

新幹線が開通した1964年、時速二百数十キロで疾走し、東京、大阪間を三時間半で結ぶ、「ひかり」は、、まさに夢の象徴であり、高度経済成長を遂げる日本の技術と、力を象徴するものの一つであった。

そして、その「新幹線」がもたらした経済効果も凄いものがあった(と言われている)。

その効果と、インパクトが余りに凄かった為か、その内、「わが街に新幹線が来れば。」と言う、考えを生み、政治家も、「選挙区に新幹線を呼べば」と言う考えを生むようになった。

その後、東北、上越新幹線が開業し、長野オリンピックのドサクサ?に紛れて、長野新幹線が開業した。他にも、ミニ新幹線とか言うのが、山形や、秋田に向かって走っている。

時間がかかりながらも、新幹線網は確実に伸び、その経済効果で、地域経済は活性し、地域格差は無くなってゆく。

と、問屋は卸してくれなかったようである。

長野新幹線の時、「並行在来線」の問題が取り上げられた。

新幹線を通す代わりに、採算が取れなくなる在来線はJRの経営から切り離し、地元が責任を負って運営するとか言う奴である。

結局、「採算」と「地元負担」で、鉄道オタクにとっては、名所のひとつであった碓氷峠の区間が廃止され、ついでと言っては何なんだが、運賃も値上がりをかました。

「在来線」を利用するのは当然「地元」の人々、それも、「交通弱者」である。

「新幹線の建設費の一部」を地元が負担し、「採算が取れなくなる路線」を地元に押し付け、更に「運賃値上げ」で負担が増える。

 

 

 

 

そこまでして新幹線に来て欲しいの?

 

 

 

そう思ってしまう。

で、今回の、八戸延長。

「並行在来線」の運賃は、青森側は1.49倍、岩手側は1.58倍に上がるんだそうだ。他にも、建設費の地元負担分など、地元へかかる、有象無象の負担はかなりの物になる様だ。

やっぱり思ってしまう。

 

 

 

 

そこまでして新幹線に来て欲しいの?

 

 

 

と言うのか、そこまで負担を受けてまで、作る意味があるのか?と、やはり疑問に思わざるを得ない。まあ、これは、現在日本のありとあらゆる分野に対して投げ掛けられている疑問ではあるが。

だが、「新幹線」へのラブコールは収まらない。あちらもこちらも、ラブコールで、「新幹線」はモテモテである。

この先新幹線がどうなるのかは、判らない。

これ以上作られないかもしれないし、地元へしこたま負担を掛けて、作られ続けるかもしれない。

戦前、「路線を引けば、末代までずっと当選確実、駅を作ればその人が死ぬまで当選確実」とか何とか言われた時代があったという。

で、政治家先生の熱心な活動のお陰で、日本各地、北の果てから、南の果て、山の奥にまで鉄道が引かれたと言う。で、これらの路線は、戦後復興の折、人と物の流れをスムーズにさせ、大いに役に立ったと言う。

これで終わればよかったのだが、世の中そんなに甘くは無かった。やがてそれらの路線は、赤字ローカル線となり、国鉄経営の足を引っ張る結果となった。そして、「採算」が極端に悪い路線は廃止されていった。

「新幹線」、「高速道路」を巡る議論を見ると、この事例を思い出してしまう。

「採算が取れるか?」

と言うのは、非常に重要であるし、重視されて当然の要素である。

が、「採算」ばかりを重視していてもまた問題が生まれる。人口が少ない、「地方」で、「採算」を取るのは非常に難しい、で、「採算」が取れないだけを理由に、それらを無視すれば、そこに住む人の負担が結果的に増える事になりかねない。同じ税金を払っていて、住む所によって余りにあからさまな差があっては問題であるから、「採算」が取れない所には、助成金を出すとか、あれやこれや、色々と調整がなされる。

が、これにも当然限度がある。

「何処いら辺で、その調整を取るのか?」

本来ならば、ここが、政治家や、官僚の「腕の見せ所」の筈なんだが、新幹線や、高速の議論を見ていると、そこいら辺を、真剣に話し合っているとは思えない。

「新幹線」が、戦後復興時のローカル線になるのか、それとも、赤字国鉄時代のローカル線になるのか?

これは、もう少し時間をかけて見なければならないかもしれない。、後者になる可能性が、今の所大ではある。

 

 

まあ、スキー場は近くなるか!?