裏木戸通信 142号

 

マナー

 

 

老人に席を譲る

 

 

譲っていますか?皆さん。

私は譲ったり、譲らなかったり気分しだいで決めています。

お年よりは大切にしなければなりませんが、譲らない人は結構沢山います。まあ、疲れていたり、人それぞれに色々事情があるのだから何とも言えませんが、やっぱり目の前に同見ても年寄りが居るのに、譲らないのを見ていると、色々いらだつ物があります。特にひどいのが、シルバーシートに堂々と座っている若者ですね。まあ、心を病んでいると言う意味では、シルバーシートの対象者かもしれませんが。

 

 

 

携帯の電源を切る

 

 

切っていますか?

私は、大抵切らずに乗ってしまいます。

いけません、これでは。特定の医療機器に悪影響を与え、下手をすれば、それらの人々の生命の危機にすら繋がりかねないのに、私は切っていません。ただ、回りも皆切っていないから、「大丈夫大丈夫、問題ない。」と、「赤信号皆で渡れば怖くない」と言う法則で、切っていなかったりします。

 

 

込み合っている店内では荷物を床に起く

 

 

とりあえず、私は置く事にしています。ファーストフードとか、あの手の店内では、やっぱりそれがマナーと言う物ですから。

マナーと言うのは、作法とか、行儀とかが一番近いと思う。エチケットと言うのも、大体同じ意味の言葉になる。ハッキリと明文化されては居ないが、そうする決まりになっている。と言った物であろうか。

テーブルマナー、交通マナー、その他諸々の事に、マナーは存在する。

ほぼ世界中で通用するマナーも存在すれば、地域限定のマナーまで色々存在する。ある特定の階層にのみ存在するマナーもある。

立て箸、迷い箸、涙箸、etc、etcこれらは、いわば、日本のテーブルマナーであり、日本だけでしか、通用しないマナーであるとも言える。

マナーは、守らなくても、特に罰せられる事はない。周りから、礼儀知らずとか、行儀が悪いとか、社会常識が欠落していると、白い目で見られる、まあ、悪くすれば、民事で訴えられ賠償金をふんだくられる位の損害くらいしか生まないかもしれない。

マナーは、親や、学校、社会などから教えられる。その人が身に付けているマナーによって、その人の、社会的地位や、回想、育ちが分かる場合だってある。

マナーは守るに越した事はない。ただ、余りにも堅苦しいと息が詰まる場合もある。毎日毎日、食事のたびに、正式な怪食事のようなテーブルマナーばかりを行っていたら、疲れるし、案外飯も不味くなるかも知れない。また、余りにも、マナー、礼儀に拘ってばかりいると、対人関係が逆に上手く行かなくなる事だってある。マナーばっかりに拘っていると、効率的でないときだってある。

マナーは、明文化されていないし、基本的に法律で決められているわけでもない。だから、マナーを守る事を強制する事は誰にも出来ない。どの程度まで、マナーを守るかは、個人の自由ではある。

では、マナーが法律になってしまったときはどうなるのであろうか?

少し前ポイ捨て禁止条例が、千代田区で可決された。

 

 

ポイ捨てをしない

 

 

と言うのは、マナーであったはずである。このマナーを守らなかったからと言って、何かが効率的に進むわけでもないし、能率的に成るわけでもなかった。

制定された理由は、ポイ捨てが目立つからと言う理由らしい。それだけマナーが守れない人が多くなったのか、それとも、ポイ捨てする人の人数は余り変わらないが、最近の風潮にのって制定されたのか?

ポイ捨てする人間は、私は嫌いだし、軽蔑する事すらある。この条例だって、私は、特に反対する気はないし。余りにポイ捨てが酷いようなら、全国に渡って制定すればと思う時すらある。

ただ、本来マナーであった物が、法律にされてしまっては、お終いだとも思う。マナーが法律で決められている社会、なんていうのは余りにも堅苦しすぎるし、何というのか、そんなものすら、法律で定めないと、守れない国民性、と言うのも何だか悲しい気がする。

 

考えてみると案外マナーを守っていない自分