裏木戸通信 145号

 

酒の席(だし)

 

 

前にも書いたが、私なビールが苦手である。が、大抵の場合、一杯目はビールである。

大抵の人は、苦もなく飲んでいる(様に見える)が、私にとっては、はっきり言って苦痛である。

少々極端かもしれないが、ビールをグビグビ飲んでいるのを見るだけでも、なんだか胸がムカムカして気持ち悪くなる。

はっきり言って、私にとっては、ビールと言うのは、物凄く不味い物に他ならない。

で、それを、一杯とはいえ飲まなければならない酒の席は、私にとっては、苦痛である何者でもない。

だから、一杯目が済むと、すぐにサワーなど、まだ飲めるアルコール類のほうに走る。

私は人と比べて、アルコール類は強い方らしい。が、アルコール類は嫌いである。 だから、酒の席では、殆ど飲まない。ただ、余りにも飲まないと、なんだか間が抜けたり、白けてしまうのも、酒の席である。まあ、これで喋りとかが得意ならばそれはそれで間が持ったり、盛り上ったりするのだが、人付合いが苦手な性格の為、それも、余り上手くはない。

だからと言ってはなんなんだが、飲みの席は余り得意ではない。かと言って、飲みの席が、嫌いなわけではない。(好きという訳でもないが)

皆で、わいわい、他相もない話をしたり、酒の席でしか出来ない話しをしたりするのは、それはそれで楽しいし、飲みの席は社会の潤滑剤として、おそらく必要な事だとも思う。

だから、ある程度は皆で飲みに行く。が、なまじ酒に強いが為に、これが、また問題である。顔が余り赤くならないので、

 

 

なんだ○○酒強いじゃん

 

 

とか

 

 

なんだよ、全然酔って居ないじゃないか

 

 

とか言って、酒を勧めてくる。私はお酒が苦手なのに。なんと言うのか、短く狭い人生で思うのが、なぜ、

 

 

酒に強い=酒が好き

 

 

と言う風に見るのだろうか。酒に強かろうが、嫌いなものは嫌いなのである。

酒の席で憂さを晴らしたり、本音をぶちまけて、アレヤコレヤをやって明日への活力とする。酒の席の人要請を否定する気はない。何度も言うが。

 

 

 

 

まあ、酒の席だから・・・・・・・・・

 

と言って、酒の席の事は、多めに見られたり、

 

 

 

 

酒の席だし

 

 

 

と言う理由で、許される行為も色々ある。

これをおかしいと思う人もいるし、私も、おかしいと思うことはある。

いいたい事が有ったらハッキリ言うし、不平不満があったら、それをハッキリと主張する事も大切である。

 

 

 

酒の席だから

 

 

 

と言うのは、平たくいえば、逃げではあると思う。が、やっぱり、逃げ道も必要だとは思う。ハッキリ本音でぶつかり合って、それに耐えられるほど、皆が皆強いわけではないと思うし、何よりも私が、ハッキリ言える強さもなければ、ハッキリ言われた事を受け入れられるほどの強さもない。

言いたい事は有るが、面と向かって、しらふの状態で言えるほどの度胸もないし、また、しらふで言ったら、絶対不味い事だが、言いたい不平不満だって有る。世の中それをハッキリ言えてしまう人もいるし、言えるだけの何かがある人も居るのが事実だが、私には、それほどの力も度胸もない。だから飲みの席に逃げて、そこでガス抜きをする。だから、私にとっても、タマの酒の席は、必要なものだとは思っている。

大体、皆が皆、本音バリバリ、言いたい事を言って生きていたら、案外世の中、シッチャカメッチャカに成ってしまうかも知れない。

「酒は百薬の長」と言う諺があるが、社会にとっても、ある程度ならば薬になる。だから、酒の席はなくならないのだろうし、「禁酒法」みたいな法律が出来た例は多々有るが、酒がなくならず、非合法にも成らなかったのだと思う。

が、やっぱり酒の席とか言って逃げるのにも限度はある。嫌がる人間に無理矢理酒を勧める行為を、「まあ、酒の席での事だし」と言って余り問題にされなかったり、どう考えたって、酒の席じゃなくて、ハッキリ主張した方がいいことを、「酒の席だから」を狙って言ったりする事は、やめて欲しいし、やりたくもない。

ほどほどの逃げは必要かもしれないが、「逃げ道があるから」とそれに甘えてはいけない。

 

少々、飲みに逝く回数が多いこのごろ