裏木戸通信15号
オリンピック
シドニーオリンピックが開かれている。
日本選手も活躍している。
柔道や、水泳でメダルを取り、サッカーも奇跡的に予選を突破した(たった今アメリカに敗れましたが・・・・・)
日本選手が活躍すればやっぱり嬉しいし、日本選手の活躍はどうしてもみてしまう。
テレビなどでも日本選手の活躍を連日報道している。
当たり前だが、ほとんどが日本選手の活躍である。海外の選手、日本選手が出ない試合などはあまり報道しない。
オリンピックの理念は、スポーツを通じて世界の人々が・・・・・・・・
確かに出場している選手たちはこれが出来るかもしれない。
しかしテレビを見ている限り、これは出来ない。
日本選手の活躍ばかりを見て、それに熱狂する。相手国の選手の事情や、国情、他の国の事など知る機会はほとんど無い。オリンピックを見て、相手の国を理解する。世界の人々と仲良くなるなどと言う事はほとんど無い。
かといって、選手になって活躍できるのはほんの一握りである。
オリンピックの傍観者は、自国の選手に熱い応援を送り、自国の選手たちの活躍に熱狂する。
少なくともオリンピックを見ているほとんどの人間たちは、オリンピックの崇高な理念からは程遠いい所に位置している。
報道の姿勢を変えればいいのか?例えば他の国の活躍もバンバン放送する。しかし、これでは視聴率は取れない。
オリンピックの理念は尊重するべきであるし、大切な事である。しかし、それとて行き過ぎると、泥臭い、なにやら怪しげなものになる。
やはり、同じ日本人の活躍を見たい。だからといって、これをナショナリズムだ、愛国だという物に結びつけるのもまた、野暮で、行き過ぎると怪しげなものになってしまう。
結局オリンピックはお祭りである。そのときだけ、何か知らないが、熱狂し、バカ騒ぎし、日ごろの憂さなどを晴らす。終われば、熱狂は去り、普通の生活に戻る。
お祭りもそうである。
元々は、神にささげる、日ごろの恵みに感謝する、その他もろもろ、崇高な理念がある。しかし、実際は、理念など考えもせず、騒ぎ、楽しみ、ウサを晴らしておしまいである。その様な場に、理念やら、イデオロギーやらを持ち込めば、逆に白けて、つまらないものになってしまう。
あと残り一週間。オリンピックを楽しんで、憂さを晴らそうとおもう。が、これもくだらない理念やイデオロギーかもしれない。