裏木戸通信 154号
俺って普通だよな!?
「成績は普通だった。」、「体力は普通。」、「顔は普通。」、「性格は普通」、「生活レベルは普通」、「普通列車」
「普通」と言う言葉は色々な場面で使われる。
普通の人
一般人を示す言葉としてしばしば使われる。だが、「普通」と言う事を考えると色々悩んでしまう。
普通とは何か?
会話や、何かで結構頻繁に出てくる「普通」と言う表現。自分や、他人、その他の何かのレベルと言うのか、位置づけと言うのか、ランクと言うのか、兎に角そういうものを示す言葉として利用される。
「普通」とはやっぱり、平均的なそれなのだろうか?
学校の成績は普通だった。と言えば、大体平均点位を取っていた事になる。
体力は普通。と言えば、やっぱり平均的な筋力、体力、などを持つ事を意味しているような気がする。
やっぱり
普通=平均
なのだろうか?
確かに、数値化できるものは、平均=普通かもしれないが、数値化できない物にも、「普通」と言う言葉が使われる。
「性格は普通」等というう表現は結構使われる。
では「普通の性格」とはどういう性格なのだろうか?所謂「人並み」の性格なのだろうか?
平均の人並みに切れやすく、平均の人並みに我慢が出来、平均の人並みに好奇心があり、平均の人並みに・・・・・・・・・・
普通=平均と言う事ならば、ありとあらゆる物の平均値を何らかの方法で、導き出して、平均的な性格と言う物を出さなければならないが、そんな物を出す事は不可能である。(と思う)。
顔だってそうだ。
「顔は普通かな」等と言う表現も結構使われる。
じゃあ、「普通の顔」ってどんな顔なのだろうか?
美人ではなく、さりとて、ブスではない顔なのだろうか?
顔の好みなんか十人十色、ある人にとってブスでも、ある人にとって美人と言う例だってあるし、その逆だってある。
それでは、多くの人が見て例えば8割の人が「普通」と判断すれば「普通」なのだろうか?
数値化できるものならば、普通=平均値、もしくは、平均前後に位置していると言う事でいいかも知れない。
が、性格や、顔つき、その他諸々、数値化できない物の意味する普通となると、えてして、それを言う人の主観や、概念が入ってくる。ある人にとって「普通」でも、ある人にとっては、「普通」じゃないものだってある。
人が使う「普通」という概念は、当たり前の事ではあるが、困った事に、十人十色、てんでバラバラなのである。自分にとっての「普通」は、他人にとっての「普通」じゃないし、逆に、他人にとっての「普通」は、自分にとっての「普通」ではないかもしれない
いや、生活の中で、そのような場面は、案外存在するような気がする。
「普通」と聞いて見て見れば、自分にとっては「普通」ではなかった。自分にとっては、「普通」の行ないでも、周りから見れば、普通ではない行為だったり、その人にとっては「普通」の事でも、私にとっては、普通ではなかった事、etc、etc
良く使われる「普通」という言葉が、殆どの場合、その人の主観から生まれる物であるのだから、当たり前といえば、当たり前なのだが、自分が「普通」と思っていたことが「普通」じゃなかったという場面に遭遇すると、戸惑うし、ショックを受ける場合がある。
が、それでも「普通」と言う表現は使うし、人が使う「普通」という表現も何となく納得して受け入れてしまうのも事実である。
「普通だな。」、「普通だよね」
言った人と、その言葉を受け取った人にとっての「普通」は、案外天地ほどの開きがあるのかもしれないのに、「普通」と言う表現は、何となく、皆が皆の間で通用してしまう。
私は、何度も言う様に、オタク顔であり、オタクであるが、個人的には、「普通の人」と思っている。
周りの人の私に対する評価は、大抵「少々オタが入ってはいるが、普通」と言た感じである。が、「変わっているよなお前。」という人や、「何処か普通じゃない」と言う人もいる事はいる。
たいていの人にとっては、「まあ、普通」な人間なのかもしれないが、一部の人にとっては、私は「普通」ではないらしい。
では、大抵の人にとって「普通」であるはずの私を「普通じゃない」と見る彼らは「普通じゃない」のだろうか?
そんな事は無い。私をそう評価した人達は、やっぱり「普通の人」である。ま、あくまでも私の主観ではあるが。
「普通」という言葉は、「普通」に使われ、「普通」にやり取りされ、「普通」に理解されている。「普通」という其れには、それを使う人の、色々な物が含まれていて、自分の其れとは違うにも拘らず・・・・
普通だよ、普通
日ごろ「普通」に使われて入るが、案外「普通」ほど頼りなく、信頼できない表現は無いかもしれない。