裏木戸通信16号

 

スポーツ報道

 

いまだ怒りが収まらず(しつこいですが・・・・・)

9月25日、スポーツ紙の一面は、巨人優勝の記事であった。これが何も無い時ならば、それもいたし方あるまい。しかし、この前日、すなわち24日には、日本のスポーツ史上に残る大ニュースがあったはずだ。しかし、東京中日スポーツなど一部を除いて、彼女の快挙を一面に持ってくる事は無かった。私は怒りに駆られ、よせばいいのに、日刊スポーツに抗議のメールを出した。翌日そのメールに対する、返事がやってきた。返事が来たのは良いが、その内容をみて、また怒りが増したので、しつこいとは知りつつも、ここにその全文を掲載して、一部私の意見を述べたいと思う。

※日刊スポーツを選んだのは、結構読んでいるから、日刊スポーツの号外を読んだから。

拝啓:

いつも日刊スポーツをご愛読ありがとうございます。

「高橋尚子金メダル」をなぜ1面に行かなかったか、というメールにお応えいたします。

高橋の快挙を日刊スポーツ新聞社は軽くみたわけではありません。陸上日本女性初の快挙を大ニュースと判断、24日朝には「号外」を出しました。ちなみに今回の五輪で号外が出たのは「田村亮子の金メダル」に次ぎ2度目です。井上と滝本の金メダルには号外は発行していません。つまり高橋の金は、日本人金メダル獲得ニュースの中でも最大級のニュースと価値判断しています。

編集局のデスク会議でも巨人優勝の場合でも「1面高橋」で決定していました。

ところが巨人が劇的な大逆転の末、サヨナラ勝利そして4年ぶりの優勝。長嶋さんの胴上げはドラマチックでした。

ここで編集局は大いに論議し巨人優勝の1面を選択しました。もちろん高橋1面を主張するデスクもいましたが、よりドラマ性を優先しました。高橋にもたくさんの「ドラマ」がありました。これは十分承知しての選択です。

また朝のニュースと夜のニュースの違いもあります。より遅く入ってきたニュースはより新鮮という考え方が、新聞社にはあります。そのニュースを知らない人が多いという判断です。

ということで巨人1面となりましたが、「高橋尚子金メダル」はいささかも輝きを失うものではありません。これだけの反響は高橋の価値を一層高めているといえます。

今回のメールは日刊スポーツへの叱咤激励と受け止め、より質のよい紙面作りへ生かして行く所存です。

日刊スポーツのご愛読を切にお願いいたします。

敬具

日刊スポーツ新聞社

 

まずこの手紙を読んだ、第一の私の感想は、「見苦しい言い訳をするなボケ!!!」であった。

確かに巨人が優勝を決めた試合は、逆転さよならであった。そういう意味ではドラマ性があるかもしれない。しかし、どの年でも、リーグ優勝や、日本一になるのは、それなりにドラマ性を持つ物である。

人によって見方は異なるだろう。しかし、例え、逆転さよならで優勝を決め様が、あの時点で、二位とは圧倒的な大差をつけていたのである、どう贔屓目に見ても、今年の巨人の優勝のドラマ性はいわゆる「平均的なもの」、だと思う。(むしろ、あれだけの面子を揃えて臨んだ今シーズンである、「優勝できなかった。」と言うほうがよほどドラマチックである。)

かたや、高橋選手は、日本女子陸上では初、男子を含めても68年振りというもの。しかも、世界新記録を樹立しての優勝である。誰がどう考えても高橋選手のほうが、よりドラマチックである。

「朝のニュースと夜のニュース・・・・・、遅く入ってきたニュースがより新鮮・・・」

今の人間は新聞に速報性などを求めてはいない。昔、テレビ、ラジオが無い時代なら、「速報性の重視」、「遅いニュースが新鮮」も通用する。しかし今は、新鮮なニュースが欲しかったら、テレビや、ラジオや、インターネットからニュースを得る筈である。今の人間が新聞に求めるのは、そのニュースに対する、詳細な情報、より詳しい内容、テレビなどでは、時間などの関係で伝えられない細かな内容である。

むしろ今の新聞に速報性、ニュースの新鮮さを求めるほうがどうかしている。

「新聞の一面はその国をしるバロメーターである。」と言う言葉がある。

新聞の一面は、その国の人の関心事、その国の抱える問題などが現れるからだと言う。

今回のスポーツ紙の一面を見た海外の人間はどう思うであろう。

「日本人は、海外で活躍する女性よりも、国内でこせこせとやっている男性選手のほうが関心が高い。」

「女性などの関心事などより、男性の関心事が優先される。」

「女性の活躍は結局軽く見る、女性蔑視の思想が未だに根強い。」

意地悪な見方であるが、この様な取られ方もされかねない。

次のアテネオリンピックの時は、旧世紀的な価値観を捨てて報道を行ってくれる事を願う。